第3話『真剣勝負』


 練習試合から一週間以上過ぎ、巧は平穏に学校生活を送っていた。……というわけもなく、太陽がよくクラスにやってきては勧誘を受け続けている。飛鳥も廊下ですれ違えば声をかけてくる。


 同じクラスの司とはよく話すようにはなった。元々落ち着いた性格の司とは話も合う上に勧誘はしてこない。邪険にする必要はない。


「最近部活はどうなんだ?」


 移動教室の途中、巧は司に問いかけた。


 司と巧は野球談義はするが、部活のことは話さない。勧誘でうんざりしていることを知ってか、あえて司は部活のことを話してこない。しかし、気になるのも事実なため、巧の方から話を切り出した。


「うーん、特にこれと言って何があるわけじゃないかな。普通に練習はしてるし、変わったことも起こってないよ」


 要は今まで通りでいつも通りということだ。


「大星先輩とか志波は未だに勧誘してくるけど、他のみんなから勧誘されるわけじゃないし、正直俺は女子野球部に俺が必要だと思ってないんだよ。神崎はどうなんだ?」


 少々思い切った質問だ。勧誘されるのはうんざりしているとはいえ、必要ないとはっきり言われるとそれはそれで傷つく。複雑な気持ちだ。


「巧くん、よそよそしいなぁ。司でいいよ。……そうだなぁ」


 司は少し考えると、口を開いた。


「他のみんなのことはわからないけど、巧くんの話は出るし、必要とされてないわけじゃないと思うよ。私ももちろん巧くんが監督してくれれば嬉しいけど、それは巧くんの問題だし、私が無理を言えることじゃないと思ってる」


 司の話に巧は少し照れる。


 自分が拒んでいるとはいえ、必要とされるのは嬉しい。


「もしかして、ちょっとはやる気になってくれてる?」


「いや、全く」


 巧の即答に司は肩をガックリ落とす。


「なんか、大星先輩と志波が暴走しているだけのように見えてな。ちょっとした疑問」


 飛鳥と太陽しか勧誘してこない。逆に言えば他の部員は現状で満足している。そう思っての質問だ。監督をすることに全く興味がないといえば嘘になるが、依然巧の答えは変わらない。


「ふーん。じゃあ、私も巧くんの気が変わるように勧誘しようかな」


「ほ、ほどほどにしてくれ……」


 余計なことを言ってしまった。そう思ったがすでに司はやる気満々だ。


「私はキャッチャーだからね。作戦を考えるのは得意だよ」


 ニッコリと笑う司に、巧は苦笑いをする。


「そろそろ授業始まるし、急ごっか」


 教室は目と鼻の先だが、あと一、二分で授業が始まる。


 二人は席に着き、授業開始のチャイムを待った。




 翌日。放課後になり、さっさと帰ろうと巧は下駄箱に行く。


 今日のところは太陽や飛鳥の勧誘はなく、平和だった。そろそろ諦めてくれたのかと思いながら、巧は自分の靴が入っている下駄箱の扉を開けた。


 すると、その中には一枚の封筒。疑問に思ってそれを手に取ってみると、ご丁寧にハートのシールで留められていた。反対側には『神崎司』の文字がある。


 まさか……。


 冷静になって考えてみれば司も女子高生だ。思春期だ。他の女子と同じく色恋沙汰にも興味があるだろう。


「はぁっ……!?」


 困惑で変な声が出てしまう。周りの生徒に訝しげな目で見られ、巧は慌てて靴を履き替えて外に出た。


 手紙の内容を確認するため、昇降口から少し離れたところに移動する。


 司を見る限り、男友達と話している様子はない。もちろん巧を除いてだが。それにしても自分がその対象になっているとは思っていなかった。


 司の容姿は悪くない。華やかさがある飛鳥やミステリアスな雰囲気の心とはまた違い、地味だがよく見ればそれなりに整っている。


 巧はドキドキしながら封筒を開封する。少し震えた手でハートのシールを剥がすと、中には一枚の手紙が入っていた。


 内容はこうだ。


『果たし状

放課後、グラウンドにて待つ

神崎司』


 あっさりとした文章だが、達筆な字でそれだけ書かれていた。


「ん??」


 果たし状?


 俗に言うラブレターというわけでもなく、内容は自分の恋心を伝えるものではない。


 斬新なラブレターと言えば納得できるが、流石にそんなはずもないだろう。本当に告白されるのであれば、もっと人の少ない場所を選ぶはずだ。


「あいつ……」


 悲しいのか安心なのかよくわからないが、ひとまず愛の告白ではない。


「とりあえずグラウンドに行くか」


 指定されたのはグラウンド。女子野球部が練習しているところだろう。


 無視して帰ってもいいが、一言文句を言ってやろう。そう思い、巧はグラウンドに向かった。




「あ、来てくれたんだ」


 こちらが声をかける前に司はこちらに気付く。練習の準備をしていたが、その手を止め、こちらに駆け寄ってきた。


「あれはなんだ」


 巧はムスッとしながら不満な表情を隠さない。


「どう? ドキッてした?」


 司はニヤニヤしながらそう言う。


「わざとか? わざとだろ?」


 たまたま、ああいった封筒とシールしか持っていなかったと言われればそれまでだったが、やはり確信犯だったようだ。


「それで、何の用だ?」


 心を弄ばれた怒りを抑え、話題を本題に戻す。実際、何か用事があって呼ばれたはずだ。


「勧誘よ」


「え?」


 直球でそう言われ、逆に何を言われたのか理解ができない。


「うちの投手陣と勝負して欲しい。抑えられたら巧くんは監督をする。抑えられなかったらもう勧誘はしない。それでどう?」


 ……そういうことか。単純でわかりやすい。


「でもそれは不公平じゃないか? 俺だって全打席でヒットを打てるわけじゃない」


 怪我で満足にボールが投げられないとはいえ、今でもバッティングには自信がある。それでも十割打てる打者なんてプロにもいない。男女の違いがあるとはいえ、何打席か入れば一度は凡退するのは目に見えている。


「自信ない?」


 あからさまな煽りだ。しかし、その手には乗らない。


「本当にいい性格しているなお前……」


「ありがとう」


 皮肉を素直に受け取られ、巧は表情を歪める。


 司のことだ、意味を理解した上でそう言っているのだろう。


「まあ、言ってみたけど流石にそんな条件で受けろなんて言わないよ」


 そうなれば儲けもの、くらいのつもりで言ったのだろう。あらかじめ考えてあったのか、司は続いて言った。


「三振。巧くんから三振を取れば文句はないでしょ?」


 最悪追い込まれたら適当に当てて凡退してしまえばいい。バントでもいい。もちろんそんなことはしないが、それはそれで逆に司たちにとって不利な条件だ。


「それで良いならいいけど……」


 こちらとしてはむしろ有難い条件だ。これでスッパリと勧誘されなくなると思えば悪くない。


「じゃあ、決まりね。準備があるからちょっとだけ待っててね」


 そう言うと、司はさっさとこの場を離れ、飛鳥の元に向かう。すると、すぐに話が伝わったのか、野手陣はキャッチボールを開始し、投手陣も肩を作り始めた。




 しばらくすると飛鳥がやってきて、「もう良いよ」と言われると、ヘルメットを被り、バットを手に持ち、左打席に入る。


 女子用の物なのでヘルメットは少しキツイが、問題はない。バットは数ある中から自分好みの一番長いバットを選ぶ。


 一番手は飛鳥。飛鳥の真髄はピッチャーではないとはいえ、それでもかなりのレベルだ。


 初球、緩い打ちごろの球だ。それがど真ん中。しかし、そんな気の抜けた球を投げるわけがない。


 巧はそれをわかった上でバットを振り抜いた。


 内角低めいっぱいのカーブ。もしかしたらボール球だったかもしれない。


 その球を弾き返し、三遊間を破る。


「初球から変化球、しかもストライクを取りにくるわけじゃなくてコーナーギリギリとは流石ですね」


 巧は飛鳥の球に賛辞を送る。嫌味ではない。


 初球はストライクを取るため、ストレートを選ぶ傾向が強いが、ボール球になることを覚悟で変化球とは珍しい。


「バレちゃってたかー」


 飛鳥は「あちゃー」と言いながらマウンドから降りる。


 元々変化球を狙っていたわけではない。心がカーブを主に組み立てている投手だということを除けば他の投手のことは詳しくない。


 そのため、来た球を打つという選択をしており、本来ならそんな難しい球に手を出す必要はなかったが、飛鳥たちを早々に諦めさせるために打ち返した。


「これ、司の作戦?」


「わかる?」


 今回マスクを被っているのは司。元々挑んで来たのは司なので不思議ではない。太陽や七海もキャッチャーを出来るが、太陽はピッチャーとして今回投げることと、七海は守備を固めるためにサードに就いているため、自ずと司がキャッチャーとなる。


「普段はそうでもないけど、勝負事になると司はいやらしいからな」


「うーん、とりあえず褒め言葉として受け取っておくよ」


 相手の嫌がる作戦を考えられるという意味ではキャッチャーとしての立派な才能だと思っている。微妙な反応だったが、巧としては褒めたつもりだ。


 今回、女子野球部の目的は巧から三振を取ることなため、巧は一塁まで走らない。巧が打てば、次の投手に変わっていくフリーバッティング……いや、フリーピッチングと言った方が正しいか、そんな方式だ。


 続いて飛鳥から次のピッチャーへと変わる。次のピッチャーは梨々香だ。


 梨々香は主な守備位置は外野だが、頭数が足りないということもあってピッチャーもたまにしていたと聞いている。しかし、一年生の入部でピッチャー陣は豊富となったため、その後はほぼ登板していないはずだ。


「少しでもピッチャーを増やして三振を取れる可能性を高めたいからね」


 巧の疑問に気付いたようで、口に出す前に司が答えてくれた。


 しかし、ボール球が続き甘く入った三球目を弾き返し、あっさりと右中間を破った。


 次のピッチャーは太陽。球種はわからないが、変化球が多彩だ。しかし、変化量は大きくない。


 一球目は見逃してストライク。二球目は恐らくシュートだろうが、外側に逸れてボール球となる。三球目の低めに来たカーブも見逃してボールだ。


 四球目、内角高めに来た鋭いカットボールを当てに行き、ファールにする。


「ストレートも変化球のキレも悪くないし、コントロールもいい。三振を取れる変化量さえあればエース筆頭だな」


「確かに」


 なんでも器用にこなせる太陽だが、欠点を言えば突出したところがないことだ。


 五球目、またもや内角高めに来たボールはストレート。これもカットし、ファールにする。


 六球目、外角低めに来た鋭いボール。


 嫌な金属音とともに打球はレフト前に弾き返す。バットの先っぽに当てただけのバッティング。しかし、ヒットはヒットだ。


「カットボールか」


 四球目にも見せたカットボール。鋭く手元で動くため、巧でも少々苦戦する。それでもしっかりとヒットにする。


「結構散らしているつもりなんだけどね。わかりやすい?」


「まさか。打ちにくいよ。素直に来てくれない分、全く読めない」


 この辺りは司によるものが大きいだろう。


 打ち取ればいいだけであれば、低めを徹底的に攻めていけばそのうち内野ゴロでも打つだろうが、三振を取るとなれば簡単にはいかない。


 巧としても、打ち取られても三振さえ取られなければいいという条件だが、どうせならヒットを打ちたい。


 四人目は棗。前の試合でもそうだが、スタミナはなかなかのものだ。しかし、ロングリリーフなどでも活躍できそうな無難にこなせるといった印象だ。


 初球、置きにきたストレート。しかし、これはボール球となり、巧は見送る。コントロールが悪いというわけではないが、ドンピシャで狙ったところに投げるというのは難しい。コーナーを狙ったつもりがボールいくつ分か外れたのだろう。


 二球目はカーブ。内角低めに来たボールだが、これは見送りストライク。三球目は外角へのカーブだが、これは外れてボールとなり、カウントはツーボールワンストライクだ。


 四球目、外角に来たボールに巧はバットを動かす。真ん中低め辺りにスイングしたバットに吸い込まれるように、ボールが変化する。真ん中低めのカーブ。打球はライトの頭上を越え、あまり深くないライト側のフェンスに直撃した。


 学校のローカルルールとして、フェンスに直撃した場合ホームランとなる。そうでなくても、地方球場などでは深めに守らない限り、ライトの頭は越えていただろう。


「ホームランかぁ……」


 棗はガックリと肩を落とし、マウンドから降りる。


 セコセコとヒットを打つのもいいが、大きい当たりが出たことに巧は一安心していた。


 中学野球引退後の秋口に怪我をしており、それからはほとんど練習をしてこなかった。そのため、自分の実力がかなり落ちていることも懸念していたが、走り込みやバッティングセンターでのバッティング練習はそこそこのペースでしてきたため、極端に下手になったということもなさそうだ。


「巧くん、なんだかんだで結構楽しんでるよね」


 そんな巧の心情を読んだかのように、司はそう言った。


「野球は好きだからな」


 少し気恥ずかしくなり、巧はそっぽを向きながらそう言う。


 五人目のピッチャーは黒絵。ストレートはなかなかのものだが、確か変化球は曲がるか曲がらないかその時次第のカーブのようなものくらいだ。もはや変化球を投げられる内に入らない。


 一球目は案の定ストレート。それもど真ん中のストレートだ。こんな失投を打ったところで何も喜べない。そう思って打ちごろの球だったが見逃し、ストライク。


 二球目、これもまたど真ん中のストレートだ。先ほどと同じ理由でこの球も見逃し、ツーストライクとなった。


 三球目、これも今までと同じくど真ん中のストレートだ。流石にこれはカットし、ファールにする。


「おい、もしかしてわざとだろ」


 失投で甘く入ることはままあることだ。しかし、三球連続とか余程調子が悪いのか、むしろ狙ってしたのかのどちらかだろう。


「バレたか」


 案の定、後者だった。失投に見せかけたど真ん中のストレート。巧が見逃すことを見越して、わざと投げさせていた。


「あわよくば見逃し三振して欲しかったんだけどね」


「流石にそれはしないな」


 四球目、今度は散らしてきた内角低めのストレートを簡単にライト前に弾き返した。


 最後のピッチャーは心。カーブが多彩で変化量の他に、落ちるカーブや滑りながら曲がるカーブなど、種類は豊富だ。


 初球、外角に外れた緩いボール。それはゆっくりと曲がりながら外角低めのコーナーいっぱいに決まるが、巧はそれを見送りストライク。


 今回のカーブは普通よりも遅いカーブ、いわゆるスローカーブだ。


「小瀬川のカーブ、流石だな」


 コントロールも良く、変化球も一級品だ。現状でチームのエースと呼べるのは飛鳥か心のどちらかだろう。


 二球目、真ん中辺りに来るボール。しかし、明らかにストレートの軌道ではないボールのため、巧はそれを見逃す。案の定、そのボールは縦に大きく落ち、ベース上でワンバウンドした。司はそれを取りきれず、前に落とした。


「ボール?」


「うん、ボールだね」


 ワンバウンドしたとはいえ、ベースを通過する時点では低めギリギリのコースだ。自信を持って見逃したが、低めに甘い審判であればストライクを取られてもおかしくはない。


 三球目、内角高めに来たボール。このボールに巧はバットを振り切った。打球はサードの横を抜けるゴロ、しかし、ショートの白雪は打球に追いつき、そのままの流れでファーストに送球する。


 今度の球はストレートだった。あくまでも体感だが、ストレートの球速はおおよそ90キロ弱から100キロ弱ほど。カーブは球種次第だが、60キロから70キロ少しくらいだ。その球速で空振りを取るのが心のスタイルだ。


 今回はショートの深いところ。それなりの足があれば内野安打だ。そう思っていたのだが。


「よし、ショートゴロ」


 心がそう呟いた。小さくガッツポーズもしている。


「いやいや、あれはヒットだろ」


 打ち取られたというのが気にくわない巧は心に対して反論した。


「走らなかったからわからない。巧はそう思ってるかもしれないけど、私からすればショートゴロ」


「ヒットだって。なあ、司もそう思うだろ?」


「いやぁ、どうかなぁ……」


 司は曖昧な反応して濁す。


「ヒットだとは思うけどショートゴロだよ」


 ヒットだとわかった上でそんなことを言う。三振を取らなければ結果としては意味はないが、打ち取ったということにしたいのだろう。


「審議だ審議!」


「リプレイ検証はないよ」


 ただの練習だから当たり前だ。しかし、巧としては打ち取られたということにはしたくない。


「しょうがないからヒットってことでいいよ」


 押し問答の末、最終的には心の方が折れたが、無表情の中で心なしか鼻息を荒くしている。なんとなく負けな気がした。


「……巧くん大人気なーい」


 司にそんなことを言われ、巧は少し恥ずかしくなった。


 勝負事となれば熱くなってしまう。結果としては変わらなくても、負けたということは認めたくなかった。


 やれやれというように心はマウンドから降りる。


「じゃあ次のピッチャー」


 司がそう言ったが、心が最後のピッチャーだったはずだ。そう思ったが、再び飛鳥がマウンドに上がって来た。


「小星飛鳥です! よろしくお願いします!」


 飛鳥がマウンドに立つと、そんなことを言う。


「誰も一周で終わるとは言ってないよ?」


「まあ、確かに……」


 投手が一巡すれば終わりと思っていたが、そんな約束は確かにしていない。司にしてやられたと思ったが、三振を奪われる気はしないため、巧は反論することなく続けて打席に立った。


 それから、前と同じ順番でピッチャーは回っていく。二周目では、全員わざわざ名前を変えて名乗っていた。梨々香は宮本梨々香、太陽は志波月、棗は苗字と名前を変えただけで夏目優希、黒絵は豊川白絵、心は大瀬川心。太陽に至ってはご丁寧に投げ手も変え、先ほどは右投だったのが二周目は左投。しかし、ストレートも変化球も右投の時とさほど変わらないというオールマイティさだ。


 なんとなく次はどう名乗るのが楽しみになっていたが、三周目に突入するとすでにネタは尽きたのか、名乗らずに自然と対決は始まる。


 時間的にも六周くらいが限度だろう。五周目の棗の番でも巧は鮮やかに左中間を破るヒットを放つ。


 この間までに時折守備も交代しているため、ピッチング練習や守備練習に使われている気もしなくもない。


 次のピッチャーは黒絵。チャンスもあと少しということもあって、みんなの集中力も高まっている。


 初球は高めのストレート。これは見逃してストライク。順番で投げていってはいるがほぼ全力投球で約三十球ほど投げており、疲れが見えているのか少し球速が落ちている。


 二球目はボール球。外角に逸れたボールだ。


 三球目。視界から消えるような山なりのボール。今までのストレートとは違い、打ってくださいと言わんばかりの緩いボールだ。しかし、それに完全にタイミングを外され、空振りしてしまう。


「今回はちょっと趣向を変えて来たのか?」


「さあ? どうだろうね?」


 流石に作戦を話すことはない。しかし、今まではストレートで押せ押せだったところが、ただのスローボールとはいえ、配球を変えてきた。まともの変化球を投げられないことを考えれば、これが唯一緩急をつける方法でもある。


 四球目、これもまたスローボールだ。この球は高く外れ、ボール球となる。


 五球目もスローボール。この球に完全にタイミングを合わせ、ライト線への鋭い打球。しかし、ラインを割り、ファールゾーンへ落ちる。


 六球目、七球目とこれもまたスローボールで、ファールボール、ボール球となる。これでカウントはフルカウント、スリーボールツーストライクだ。


 球数が増え、黒絵も巧も集中力が増し、無言になる。このままスローボールを続けるわけではないだろう。どのタイミングでストレートが来るのか、タイミングを待っている。


 八球目もスローボール。これにもタイミングは合わず、打ち上げてしまう。真上への大飛球。キャッチャーへのフライだ。しかし、司はこれを捕球せず、わざとファールにする。


「取れただろ?」


「せっかく追い込んでいるし、普段の試合ならまだしも、三振を奪うのが目的なんだから取らないよ」


 確かにそうだ。しかし、完全に打ち取られてしまった打球。明確に打ち取られたのはこれが今日初めてだ。


 九球目。黒絵が振りかぶって指から放たれたボールはストレート。緩いボールとは違い、明らかに投球フォームが違うため、投げる前からわかってしまう。


 ついにきた。


 黒絵の放ったボールは、一直線に司のミットに向かう高めの球。これにはもちろん巧もバットを動かす。


 高めのストレートの絶好球。スイングと同時に巧はホームランを確信した。


 しかし、バットはボールに当たることなく空を切った。


 空振りの三振。ついに巧は三振を奪われた。


「え……?」


 巧は思わず声を漏らし、後ろを振り返る。ボールはしっかりと司のミットに収まっていた。


 それもよく見れば高めのボール球。普段なら見逃しているような明らかなボール球だが、今まで打てそうで打てなかったのが、打ち気に早っていた巧のバットを動かしていた。


「ナイスボール!」


 司がそう叫ぶ。明らかなボール球とはいえ、それが巧から三振を奪ったボールには変わりない。


「よかったよぉー」


 黒絵はマウンド上で泣きながら崩れ落ちる。そんな黒絵にベンチで見守っていた飛鳥が駆け寄る。


 巧はその場でバットを持ったまましゃがみこんだ。


 悔しい。


 涙は見せないが、今にも泣きそうなほど、打てなかったことを悔やむ。反省点しかない。


「大丈夫?」


 その場から動こうとしない巧を心配して、司から声をかけられるが巧は動かない。


「悪い、ちょっとこのままにさせてくれ」


 自分を過信しすぎていた。相手を過小評価しすぎていた。自分が甘かったことを突きつけられたような気持ちに陥り、思考がぐるぐると回る。


 司はそんな巧の背中をたださすってくれていた。




「俺の負けだ」


 一通り悔しがると巧は落ち着き、素直に負けを認める。


 負けたものは負けだ。言い訳をしても見苦しいだけ。三振はヒットに覆らない。


「じゃあ、約束通り監督になってくれる?」


 飛鳥が代表して確認を取る。


「やりますよ」


 約束は約束。三振を奪われるつもりはなかったが、もちろんそうなった場合は筋を通すつもりで受けた勝負だ。


「ありがとね」


 飛鳥はホッと息を吐き、安心した表情を浮かべる。飛鳥たち側からすれば、やりたくないと言っている相手に引き受けさせた勝負だ。それに部活は強制ではない。反故にされても止められないものではあった。


「嬉しい」


 心は無表情のままそう言った。無表情のままなため、喜びは一切感じられないが、わざわざ言葉に出すということは本当にそう思っているのだろう。


「でも、私が打ち取りたかった」


 心の言葉に巧は苦笑いする。最初の際どい当たり以外はしっかりと打たれたこともあって心も悔しいのだろう。


「はあ……、まだ時間はあるし、もうちょっとだけ続けるか?」


「いいの?」


 心は無表情だが、心なしか嬉しそうな表情に変わる。


「もちろん、みんながいいならだけど」


 巧は飛鳥の方をチラッと見ながら言った。飛鳥もそれを止めるつもりはない。


「今日はこれだけで終わるつもりだったからね。時間も長くはないけど、大丈夫だよ」


 飛鳥からの了承をもらうと、守備陣はすぐに守備位置に散らばり、心は投球の準備をする。


 その後、時間ギリギリまで勝負は続いたが、巧が打ち取られることはなかった。




「ごめんね」


 帰り道、司が話をしたいというので、一緒に下校している途中。突然司が謝ってきた。


「何がだ?」


 巧は素直に疑問に思い、司に聞き返す。謝られるようなことなんてされていないはずだが。


「結構無理に勝負仕掛けちゃったかなって思ったから。嫌なら嫌で引き受けなくてもよかったし、巧くんが負けても監督やらないって言えばこの話は終わりだったし」


 司は苦笑いしながらそんなことを言う。


「別にいいよ。勝負を引き受けたのは俺だし、司が謝ることじゃない。それに……」


「ん?」


「多分、勝負を引き受けたのはどこかで監督をやってもいいって気持ちもあったんだと思う。キッカケが欲しかったのかもしれない」


 半分は本当で半分は嘘。全く興味ない訳ではなかったがやりたいとは思っていなかった。少しでも司の気が楽になるようにと出た言葉だ。「だから気に病むな」と巧は続けた。


「それならよかった」


 司はホッとしたように息を吐く。


「もうそろそろ家だから、この辺で」


「あ、そうだね。じゃあ、また明日」


 巧は学校から家が近く徒歩通学だが、司は少し離れており自転車通学だ。今まで司はホッと自転車を押しながら歩いていたが、自転車にまたがると走り去って行った。


 巧は一人になり、少し考える。


 監督をやるからにはしっかりとチームを勝たせたい。監督をしてもらってよかったと思われるようになりたい。そう思いながら家に向かってまた一歩を踏み出した。

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