第2話『勝敗とこれから』
初回以降は大胆なサインを出すことはしなかったが、試合は順調に進んでいく。
セカンドの鈴里、ショートの白雪、そしてセンターの飛鳥とセンターラインを固めているため、守備面では不安はない。そして何よりも心がピッチャーというのが大きい。
不運なヒットで失点したものの、五回を投げて失点は一点。四死球はなし、被安打が三つと先発としては文句の付けようがない。
しかし、攻撃面では初回以降は打線が上手く繋がらず、一得点。いや、得点しているだけまだいいのかもしれない。
ピッチャーは六回に太陽に代わり、心はそのままライトに入る。
変わった後に一点を取られ、七回表時点で二対二となった。
「最終回、代打も考えているから、準備しておいてくれ」
試合が進むに連れてどのタイミングで代打を出そうかと悩んでいた。そのため、早い段階から打撃に期待できる二人には声をかけてあった。
七回の表、明鈴高校の攻撃は七番の司から始まる。まずはじっくりと攻めていく。
司は当てることが上手い。ヒットが打てれば一番だが、際どいところはカットしていき、四球を狙うようにあらかじめ指示してある。そのため、フェイクのサインを出すだけで、実際は何の指示も出していない。
七球目をカット、八球目のボール球を見逃す。相手ピッチャーも焦れったくなったのか、あからさまにボールにチカラが入る。
打ち取れそうなのに打ち取れない。そんな力みが相手ピッチャーのコントロールを狂わせる。
九球目。
「デッドボール!」
ピッチャーが指先から放ったボールは司に目掛けて吸い込まれていき、お尻付近に当たりうずくまる。心配になり巧が駆け寄ろうとしたが、司はすぐに立ち上がり大丈夫と言わんばかりに目で制止した。
ボールはかなり硬い。しかし、避け切れないと踏んで痛みの少ないお尻に当てて痛みを和らげている。
しかし、使用しているのは硬球、つまりプロなども使っているような硬いボールなので痛いことには変わりない。それでも大丈夫そうなので一安心だ。
司が一塁に向かう間、次の打席の光が準備する。今日はヒットも出ておらず、打撃面は不安がある。だが、ここはそのまま光が打席に立つ。
一球目は様子見。待てのサインを出す。
相手も様子見のためか、少し外れたボール球だ。
次は自由に振っていけというサインだ。光と司が逆ならばバントのサインを出していただろうが、光はバントが得意ではなく、光の持ち味はそこではない。
二球目はファール、三球目はボール球を見逃しと、カウントはツーボールワンストライクと悪くない。
四球目、外角の変化球に合わせた一、二塁間に転がす。ファーストが上手く捌き、二塁に送球してフォースアウト。一塁は間に合わず、ランナーが入れ替わる形となった。
「仕掛けるぞ」
巧はベンチで隣に座らせていた佐々木梨々香に向けてそう言った。
九番の鈴里に変えて梨々香を代打に送る。守備力が落ちるとはいえ、同点のままではいられない。
先程の試合ではスタメンだった梨々香だが、このタイミングでの代打だ。
梨々香は眠そうな顔をしながら打席に入る。常にそういう表情なので、やる気がないとかそういうわけではないらしい。
「ここで動くんだ」
水分補給をしながら先程まで梨々香が座っていた場所に飛鳥が腰を下ろす。手に持っているもう一つのペットボトルを渡され、巧は自然と受け取った。試合に熱中しすぎて試合前から水分を取っていないことを忘れていた。巧は渡されたペットボトルを一気に飲み干してから飛鳥の問いに答える。
「このために序盤から動いていましたから」
本当はノーアウトから動きたかったが、本職キャッチャーは司しかいない。そのため代打を出すことを躊躇った。
もしくはノーアウトの場面でランナーが司ではなく光だったら動いていただろう。もちろん、そうでなくても光がヒットを打ってノーアウト一、二塁になっていればもっと良かったが。
巧がサインを出す。それを見て飛鳥は「へー」と言ってにやけた。
初球、一塁ランナーの光はスタートを切る。梨々香はバットを振らない。ボールがキャッチャーの元に届くと、すかさず二塁に送球する。
「セーフ!」
悠々とセーフだ。キャッチャーが送球した頃には既に二塁手前でスライディングをしていた。
投球自体はストライク。これでワンナウト二塁、ノーボールワンストライクだ。
序盤で心や七海に走らせていたのはこのためだ。上位には足があると意識付けて、下位打線には走らせない。下位打線では動かないと油断させ、忘れた頃に相手を揺さぶる。
「光の足は魅力的だよね」
光の持ち味は足、チーム内では恐らく一番だろう。盗塁技術という面で見れば飛鳥や心、他の選手たちの方が上だろうが、純粋に足の速さがある。
この機会をずっと伺っていた。
「本当は一番を打たせようか悩んだんですけど、バッティング能力がイマイチわからなかったので。代走でも良かったですけど、そうすれば外野がいなくなる」
先程の試合で先発し、百球近く投げている結城棗に外野手としてフル出場をさせるのは酷だ。梨々香は代打として使いたい。そうなればスタメンで出すしかなかった。
そして、代打の梨々香は期待通り結果を残した。
四球目、内角の変化球を綺麗に打ち返し、右中間を真っ二つに割る。
二塁ランナーの光は悠々とホームに還る。しかし、バッターランナーの梨々香は、ライトが上手く回り込んで打球を処理したことと、梨々香自身があまり足が速くないということで無理せず一塁で止まった。
「ナイスバッティング!」
これで貴重な一点が入り勝ち越し。
ここからは上位打線、今日三打数二安打と好調の心だ。
無理に動く必要はない。梨々香を代え、代走として棗を送ったが、サインは送らなかった。
初球はボール、二球目はストライクだが、バットを動かさずにボールをじっくりと見る。
相手校の投手も変わっている。心はこれが初めての対戦なので慎重になっているのだろう。
際どいボールをカットし、ボール球は見極める。
カウントはツーボールツーストライク。七球目、外角に来たボールを心は振り抜く。
しかし、打球はファーストの前に転がるボテボテのゴロ。
その間に棗は二塁に行くものの、心は余裕でアウトになった。
心は無表情のままベンチに戻ってくる。元々感情の起伏が少ない心だが、少し悔しそうな感じにも見える。
「打ち損じた?」
ヘルメットを外している心に話しかける。心は少し考えながら答えた。
「手元で動いた。多分ツーシームかカットボール。投げ慣れていないのかキレはなかったけど意表を突かれた」
心は淡々と説明する。
今まで球数が多くないとはいえ、手元で動く球を投げている様子はなかった。恐らく覚えたての変化球。そういう理由もあってか投げるタイミングを見ていたか上手く変化せずに見逃していたのか。
「完成したら相当厄介。県予選でも当たるかもしれないし」
これから先、夏には大きな大会もある。それを見据えての発言だろう。
それを元に、巧は次の打者……白雪に代えて、代打の椎名瑞姫に相手投手の特徴を伝える。
ストレートはさほど早くないが手元で伸びる。変化球はキレはないが、現状二、三球種ほどある。そして先ほど見せた動く球だ。
代打に送ることを伝えていたため試合はしっかりと見ていたようだが、再確認の意味も込めて注意するように伝えた。
しかし、初球。高めのボール球に手を出した瑞姫はレフトフライに終わった。
「……なんで手を出した」
「だって高めの球好きなんだもん!」
そうハキハキと言う瑞姫に、巧は頭を抱えた。
チャンスは潰れたものの、一点リードで最終回の裏、ここを逃げ切れば勝ちだ。
ここで守備位置を大幅に変える。センターの飛鳥をショート、ピッチャーの太陽をセカンド、ライトの心をセンター、レフトの光をライト、そして代走として出場した棗をレフトにし、代打の瑞姫をファースト、今までフル出場だったファーストの亜澄に代えてピッチャーに豊川黒絵だ。
黒絵は先ほどの試合では外野手として少しだけ出ていたが、ピッチャーが本職だ。球速は速いものの、コントロールはイマイチ。
しかし、今まで投げていた心と太陽は球速はさほど速くない。その球速差で相手が混乱するということを期待して、初めから最終回では黒絵に投げさせようと思って準備させておいた。
「最終回だね。リードを守り切るよ!」
飛鳥の一言に全員が声を揃えて返事をする。
飛鳥はなんでもできる。本職はピッチャーとショートとセンターとチームの中心を担っている。外野手が心もとないため、センターとしての出場が多いが、ショートとしても外野手としてもチームで一番うまい。
「黒瀬」
全員が守備位置に散らばった後、先ほどの攻撃でベンチに退いた白雪に声をかける。
「大星先輩、ちゃんと見ておけよ。あれが俺の求めているショートだ」
「……うん」
白雪は大きなミスもしていなければ守備も上手くこなしている。しかし、飛鳥はそれ以上だ。普通ならアウトにできないアウトを取る。
高い目標かもしれないが、良い見本が目の前にいるのだ。見ておいて損はない。
七回裏、女子野球ではこれが最終回となる。
マウンドには豊川黒絵。百七十センチ強の巧よりも身長が高く、女子の中ではかなり高い方だ。
そして、その体から放たれるボールは、体感でも110キロ程だ。
男子野球で考えるとあまり速くはないが、女子の高校野球でこの球速で投げられる人はさほど多くない。
初球。左手から放たれたボールはど真ん中に吸い込まれる。しかし、そんなボールでも相手は反応できず、見送った。
「ス、ストライク!」
この球速の投手はプロにも匹敵する。審判も驚きのあまり、声が上ずっている。
黒絵は左投げ右打ち。利き手は右手。事情はわからないが、利き手ではない手でもこれだけの球速が出ているというのは素直にすごいと言える。
二球目、高く浮いたボール球だが、バッターは空振り。つい手が出てしまったのだろう。
三球目、外角高めのコーナーをついたストレートにバッターは手も出なかった。
「ストライク! バッターアウト!」
コーナーいっぱいにギリギリ決まった事で、相手ベンチからどよめきの声が聞こえる。しかし、司が構えていたのは低め。恐らく荒れた結果たまたまストライクゾーンに入っただけだろう。
案の定、次の打者は一球も振らずにフォアボール。球速は出ているが、ストライクゾーンに決まらない。
次の打者は相手校の四番。四番に一番良い打者が入るとは限らないが、恐らく相手校では一番の打者だろう。
その四番が左打席に入る。
初球、外角低めのボールを見送る。
「ストライク!」
初球の難しいボールだ。無理せずに見送ったのだろう。
二球目、大きく外れたボール球は見送られ、これでカウントはワンボールワンストライクとなった。
コントロールに関しては指示を出してどうこうなる問題ではない。ここは黒絵自身と司、それにバックのみんなに任せるしかない。
三球目、高く浮いたストレートだが、バッターはスイングする。
軽快な金属音とともにボールはキャッチャーの後ろ、バックネットに当たり落ちてくる。
「ファール!」
タイミングはバッチリだが、ボールの下にバットが当たっただけで前には飛ばない。
マスクの下だが、司はなんとも言えない表情をしている。リードしても要求通りに来ないのだろう。
四球目、内角への鋭いストレート。この球は司の構えたところにズバッと決まり、バッターも手が出ない。
「ボール!」
しかし、ストライクは取られない。司は驚いた顔で審判を見る。
審判によって多少ストライクゾーンは変わってくる。これはストライクを取ってもいいボールだろうが、今回はボールを取られた。こればかりは仕方ない。
司は返球すると座り直し、黒絵に低めを意識させるように両手を下に向けた。
五球目、真ん中のストレート。いや、ど真ん中よりも少し低めのストレートを、バッターはいやな金属音とともに弾き返す。
打球は黒絵の足下に一直線だ。
黒絵は捕球できない。しかし、盛り上がったマウンドの土に当たり、打球の勢いは落ち、センターに抜けようとしている。
「太陽!」
そう叫んだのは飛鳥。飛鳥はセンター前に抜けようとしている打球に一直線に向かっていた。
打球はまだセカンドベースの手前。そこで飛鳥は打球に追いつき、体は一塁方向に流されている。
太陽はすでにセカンドベースについている。そこを見ないまま、飛鳥は捕球したボールをそのままグラブトスする。
「アウト!」
太陽は飛鳥のトスを素手で掴むと、二塁審判が高らかにアウトコールをした。
そのコールを聞く前に、太陽は一塁に送球する。
「アウト!」
一塁もアウト。センター前ヒットになろうかという打球を飛鳥と太陽はゲッツーにした。
「ゲームセット!」
その一声を聞いて巧は深く息を吐きながら力を抜いた。色々と指示を出しておいて負けてしまっては申し訳ないという安心感からだ。
黒絵はホッとしたようにマウンドで胸を撫で下ろし、司も黒絵の肩を叩いて安心した表情を浮かべていた。
送球の際に勢い余って転んでいた飛鳥を太陽が手を貸して起き上がらせている。
喜びも束の間、整列し、試合終了の挨拶をする。その後、試合の批評のため、全員がベンチに戻ってきた。
「巧くんから何か言うことはある?」
巧と飛鳥を中心に円陣を組んでいる。飛鳥が何か言うよりも先に、まずは巧に話を求めた。
「個々への話は後でするとして……とりあえず、みんなお疲れ様」
巧はそれだけ言うと、あとは飛鳥に任せた。
個人に向けて言いたいことはあるが、それを言っていてはかなり時間がかかる。それならば後で個別で言った方がいいという判断だ。どちらにしてもこの後軽く練習もする。その時でいいだろう。
「とりあえずクールダウンした後に、みんなでグラウンド整備ね。あと、今日投げた人はダウンも念入りにしてアイシング。この後も練習があるから、相手校を見送ったら準備してね」
飛鳥がそう言うと、みんなは各々クールダウンを始め、巧はその間の時間を持て余している。
「何をしようか……」
とりあえずグラウンド整備だけでも先に進めておこうか、とも思ったが、飛鳥が一冊のノートを持って戻ってきた。
「はい、これ」
持ってきたものは今日を含めて数試合のスコアブック。試合の状況をまとめた本だ。
「これ、一年生が入ってからのものだからそんなに試合数も多くないけど、良ければ参考にして」
「あ、ありがとうございます」
今日だけの試合だと、どうしてもあまり出ていない選手の特徴はわからない。コースや球種などは記されていないが、参考にはなる。
飛鳥は「よろしくねー」言って自分もダウンを始めた。
グラウンド整備なんてしている暇はないな。
巧は渡されたスコアブックをめくり、個々に伝えられることを考えていた。
試合後の練習も終わり、改めてグラウンド整備が行われる。個々に伝えたいことは練習中に伝え切ったと思う。
投手陣には投手としてのことは伝えるだけで、これ以上投げさせるつもりはなかったのため打撃練習が中心だ。そして少しの走り込み。
野手陣は打撃練習と守備練習のチームに分け、練習を行った。飛鳥や心、太陽は特に言うこともなかったため、自由に練習をしていた。
練習後のミーティングも終わり、巧は早々に帰宅の準備を整える。全員着替えをしているため、今はグラウンドに巧一人だ。もう帰ってしまってもいいのだが、一声もかけずに帰ると言うのも気分が悪い。
しばらく待っていると、太陽が部室から出てくる。
「あ、おつかれー」
「お疲れ様」
帰りの支度を終えている太陽は荷物を持ったままトテトテと近づいてくる。
「これからよろしくな、カントク」
「ん?」
巧は太陽の言葉に疑問が浮かぶ。多分太陽は勘違いしている。
「俺は今日限りの臨時コーチだぞ」
「えっ!?」
今度は太陽が素っ頓狂な声を出す。
「これからも監督してくれるんちゃうの!?」
「元々大星先輩から今日だけって話で受けたんだ」
「そうなん!?」
ちゃんと話が伝わっていなかったのか、太陽が勘違いしていただけなのか。
「どうしたの?」
太陽の他にも帰り支度を終えて部室から続々と出てくる。
「飛鳥さん。巧が監督してくれやんって言うんさ」
「今日だけの約束だったしね」
飛鳥の言葉で太陽は黙る。他の部員たちも沈黙し、ジッと巧を見ている。
「本当は改めてちゃんと誘うつもりだったんだけど、巧くんさえ良ければこれからも監督してくれないかな?」
年上の美人な先輩。巧よりも少し身長の低い飛鳥に上目遣いでそうお願いされると弱い。
女子ばかりの部活に入る気まずさ、それに、今日を除けば監督としての経験は皆無なため、自分がしっかりと監督をできるのか不安に思う気持ち。様々な複雑な気持ちで巧は答えた。
「正直、気乗りしないです」
そう言った時の飛鳥や太陽の寂しそうな顔で心が痛む。だが、巧ははっきりと答えた。
「監督はやりません」
視線が痛い。早くこの場から逃げ出したい。
「そっか……。でも私は、私たちは巧くんにいて欲しい。だから一回考えてみてくれないかな?」
「……わかりました」
考えた結果やらないと言えばいいだろう。この場を収めるために、話だけは持ち帰ることにした。
暗い雰囲気のまま、この日は解散となった。
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