第1話『初監督』


 試合は悲惨だった。


 相手校は人数が多く人材が豊富だが、極端に突出した選手はいない。


 しかしこちら……明鈴高校女子野球部は人数が少ない反面、突出して上手い選手が飛鳥を除いてもう一人いる。極端に劣っている選手もいない。


 問題は連携プレーだ。取れるゲッツーが取れなかったり、中継プレーのミスや、盗塁のベースカバー、フライのお見合いなど挙げていけばキリがない。


 守備に難点があるが長打力のある選手、逆に打力には難点があるが守備に長けている選手など良い選手はいるのだ。


 一試合目の結果は五対一。上手く打線が繋がらなかったということもあって得点に繋がらなかった。


「藤崎くんはこの試合見てどう思った?」


 試合後、飛鳥と二人で昼食を摂りながら先ほどの試合について話し合う。この後も試合があるので、飛鳥はパン一つとエネルギーを補給するためのゼリーと軽めだ。


「なんていうか、もったいないですね」


 点差はあるものの、状況次第では勝てていた試合だと思っている。ミスを最低限に留めるということが前提だが。


「そこで一つ相談があるんだけど」


「なんですか?」


 ニヤリと笑う飛鳥に嫌な予感がした。恐らくこの試合を観に来るように誘った時点で飛鳥の思惑通りだったのだろう。しかし、その時点で既に手遅れだった。


「次の試合、監督してみない?」




「はぁ……」


 巧はため息をつきながらベンチに座る。飛鳥の提案を却下しようとしたが、近くにいたチームのムードメーカーの志波太陽に話を聞かれており、あれよあれよと監督としてベンチに座ることとなってしまった。


 女子野球部の顧問はというと、野球に関しては素人で、試合中の指揮は飛鳥が取っていたためその席を変わる形となった。


「そんな辛気臭い顔せんと、頼むで監督!」


 元凶と言える太陽は、巧の背中を叩きながら笑っている。前の試合では二番打者で、主にレフトを守っていたが、話を聞くにどのポジションも守れるオールマイティな選手だ。


「……次の試合は出場なしだな」


「そんなこと言わんといてよぉ!」


 太陽の明るい性格と同じ一年生ということである程度打ち解けることが出来たこともあり、巧はそんな軽口を叩く。


 すでにオーダーは考えてあるので、こんなことを言いながらも次の試合も太陽はスタメンだ。


 オーバーリアクションで悲しそうな顔をする太陽に、体を動かして来るように言う。一試合したとはいえ、休憩を挟んでいるので温めさせる。


「さてと……」


 巧は重い腰を上げてオーダー表を書き込む準備をする。一部は知っているとはいえ、全員の名前はわからないので飛鳥が準備してあった部員名簿も横にある。


「本当に用意周到だな」


 やはり元々このつもりで呼ばれていたのだろう。


 不満を漏らしながらオーダー表を書き込む。細かい能力はわからないが、先程のオーダーよりは幾分かマシだろう。


 部員に集合をかけ、円陣を組む。その中心には巧が立っている。女子に囲まれているということに緊張してしまうが、平静を装って巧はゆっくりとオーダーを読んでいく。


「一番、ピッチャー小瀬川心」


「はい」


「二番、ショート黒瀬白雪」


「はい」


 まさか自分が呼ばれると思っていなかったのか白雪の表情からは動揺が読み取れたが、それに構わず巧は続ける。


「三番、サード藤峰七海さん」


「はい」


「四番、センター大星飛鳥さん」


「はーい!」


「五番、ファースト諏訪亜澄さん」


「はい!」


流石に上級生は呼び捨てというわけにはいかないため、敬称を付けて呼ぶ。


「六番、ライト志波太陽」


「はい!」


「七番、キャッチャー神崎司」


「はい」


「八番、レフト月島光さん」


「はい!」


「九番、セカンド水瀬さん」


「はい」


 以上が今回のスタメンだ。大きく変えたところといえば、前回五番キャッチャーだった七海を三番サードで起用したところだ。人数不足でキャッチャーをしていたということらしいため、本職のサードを任せる。


 そして二番で起用した黒瀬白雪。守備が魅力的な選手のため、飛鳥曰く彼女は六番以降の下位打線が多いようだが、見ている限りではどの打順でも適応できそうな器用な選手に思えた。そのためクリーンナップに繋げるための二番として起用した方が良いという判断だ。


 それもあって三番四番と続いていた飛鳥と諏訪亜澄の打順を四番五番ずらし、二番だった太陽は六番にするという違いがある。


 下位打線の三人は今までにもあった起用のようで、特に驚きの声はなかった。




 試合開始前、唯一の三年生でキャプテンの飛鳥がメンバー表の交換に行く。審判は相手校の人数が多いこともあって全員相手校に出してもらっている。


 その審判の指示に従いながら、メンバー表を交換する。本来ならここで先攻後攻を決めるのだが、今回は練習試合ということもあり、前回の試合とは逆の攻守でスタートすることとなった。そのため、明鈴高校が先攻、相手校が後攻となる。


 あとは試合開始を待つだけだ。その前に再び円陣を組み、試合前最後のミーティングとなる。


「じゃあ、試合の前に監督の藤崎くんから一言」


 飛鳥がキャプテンとして色々と話をした最後、いきなりの無茶振りに巧は数秒考えたのちに口を開く。


「サインは積極的に出していく。何かあれば試合中でも個人的に話をしていくつもりだ。あと、スタメンじゃないメンバーもいつでも出れるように準備は怠らないように」


「「はい!」」


 全員の返事が揃い、巧はたじろぐ。いきなりやってきてあれこれと指示している自覚はあるため、素直に指示に従われるとそれはそれで居心地が悪い。


「それでは整列してくださーい」


 審判の相手校の生徒からそう声がかかると、悶円陣は崩壊し、ベンチ前に横一直線に並ぶ。それから審判の合図でホームベースを挟んで二校が並んで挨拶をする。


 選手が全員戻ってくるとすぐに攻撃の準備に入る。一番打者の心が相手の投球練習を見ながら素振りをし、二番の白雪がネクストバッターズサークルに入る。巧はその前に白雪を呼び止めた。


「黒瀬は二番を打つの初めてか?」


 純粋な疑問と白雪の考えを聞こうとそういう質問をする。


「初めてではないかな……。去年は三年生だったし、うちの中学校弱かったからたまに二番か三番は打ってたけど、基本的には下位打線が多かったかな」


「じゃあ、二番打者の役割ってどんな印象だ?」


 巧の問いかけに、白雪は少し考えたのちに口を開いた。


「やっぱりランナーを進める役目、かな?バントとか進塁打とか」


 塁に出ること、積極的に次の塁を狙うこと、球数を投げさせて後続に繋げる一番打者に比べて二番打者はバントなどでランナーを進めるという印象が強い。


 しかし、巧の考えは少し違う。


「俺はバントが上手くてもヒッティングに期待のできない打者を二番に置きたいと思わない。もちろん考え方は人によって違うかもしれないが、一番が塁に出ることが前提になってしまう」


 一番が出て、後続が確実に打てるのであればバントが有力な手ではある。しかし、十割打てる打者なんて存在しない。


 一点が必要な場面ならばノーアウトからランナーを送っていくという手も考えるが、バント以外の選択肢も多い方がいい。


「打てる二番打者だ。黒瀬にはそこを目指して欲しい」


「……うん。頑張ってみる」


 飛鳥はそこを考えて二番に太陽を置いていたのだろうが、それだと六番以降がおざなりになってしまう。白雪の現状では打てる二番とは言えないが、バントや進塁打はできるのでセオリー通りの動きはできる。


 打撃に特化させたオーダーならば下位打線にも期待できるが、守備のことを考えるとなればなかなか難しい。だからこそ、守備は魅力的だが下位打線を中心に打っていた白雪を上位に上げることで、守備を中心に考えながらも下位打線にも期待できるオーダーを巧は考えていた。


「こんなことを言ってるけど、初回は様子見のつもりだからバントのサインも出すかもしれないけどな」


 巧が笑いながらそう言うと、釣られて白雪も微笑んだ。


 相手の投球練習も終わり、試合が始まろうとしているため、「行ってこい」と言って白雪を送り出す。


 とりあえずは相手を困惑させることから考える。いやらしい作戦かもしれないが、前の試合とは違った印象を植え付けることで勝手に警戒してくれればこちらとしてはやりやすい。


 そのためにはまずは一番の心に塁に出てもらうことが前提だ。


 そんな不安は杞憂だったようで、心はあっさりとセンター前に弾き返し、塁に出ることに成功した。


「やっぱり上手いな、あいつは」


 心は強豪校に行っていても通用しただろうと思うほどの実力者だ。実際にいくつかの高校から声もかかっていたようだ。


 学校は違ったが、お互いに県で代表するような選手だったということもあり、交流はあった。その際に本人の口から聞いている。


 飛鳥といい心といい、実力者は揃っているのだ。


 そして白雪の打席。左打者の彼女は右打者の心とは違い、反対側の打席に入る。ピッチャーから見て左側の打席だ。


 まずは一球待てのサインを出す。焦って打ちにいき、ゲッツーにでもなれば目も当てられない。


 相手の初球に、白雪はバントの構えをしながらギリギリでバットを引き、サイン通り一球待つ。コースギリギリのストライクではあったが、バントをするぞという意思を見せ、相手に考えさせる。


 そして次のサインだ。


「なんでバントさせないの?」


 サインを見て横から飛鳥が不思議そうな顔をしているが、巧は悪い笑顔を見せながら答えた。


「内緒ですよ」


 それを聞いて飛鳥は「嫌な男だ」と言うので、相当悪い顔をしていたのだろう。毛恥ずかしくなり顔をそらす。


 次の投球に白雪はバントの構えはしない。完全にヒッティングの動作に入る。


 そして一塁ランナーの心は……走った。


 巧の出したサインは盗塁だ。


 白雪のスイングでキャッチャーは二塁に送球がしにくくなる。ボールがキャッチャーの元に届いた時には心はすでに二塁の目の前にいたため、送球することなく盗塁が決まった。


「ナイスラン!」


 巧は心の盗塁を無性に賞賛したくなり、思わずそう叫んでいた。


 前回の試合、一度も盗塁がなかった。そして、明鈴高校の指揮を取っているのが巧に変わっている。前回から方針がガラリと変わったこともあってか、相手バッテリーの表情には困惑の色が見える。


 ノーアウト二塁。一点は確実に取っておきたい場面だ。そのため、次のサインは右打ち、要は二塁よりも右側、一二塁間を狙って打てというサインだ。


 バントで確実に進める方が堅実だが、それではヒットの可能性が限りなく低くなる。そして、自由に打たせてライナーだった場合、ランナーは進めずにワンナウト二塁となってしまう。


 右方向に転がせ。


 それが巧の指示だ。


 カウントはノーボールツーストライク。三球勝負は避けたのか、一球明らかなボール球を見せた後の四球目。コースギリギリの際どいボールに当てただけのバッティング。ボテボテのゴロをセカンドが捌き、一塁へ送球する。


 しかし、その間に二塁ランナーの心が三塁に進み、最低限思惑通りとなった。


「ナイス進塁打」


 アウトになり、戻ってきた白雪に声をかける。白雪も頷いて反応し、次の守備に向けて準備を始めた。


 巧は内心ホッとしている。


 あわよくばヒット。それは無理にしても進塁打と考えていたため、最低限だが最高の結果だ。


 ツーストライクからのサインだ。もし三振に倒れていたらワンナウト二塁となっていた。


 チャンスであることには変わりないが、今よりも選択肢は狭まっていただろう。


「作戦通り?」


 ネクストバッターズサークルに向かおうとしている飛鳥が一旦立ち止まり、見透かしたようににやけている。


「そうですね」


 巧も笑ってそう返した。


 藤崎巧監督は機動力を重視している。


 そう相手に思わせるためのサインだ。チャンスの状況で得点するという欲が出ているが、目的はそこではない。極端な話、このまま一点も取れずにこの回を終了しても、巧の目的自体には特に問題はない。


 巧の目的は必要以上に相手に警戒心を植え付けることだ。


「ここでもうちょっと動くか」


 次の巧のサインは、スクイズ……ではなく、フェイクだ。心が走り、七海がバントの構えをする。そして七海はバットを引き、心は塁に戻る。


 スクイズもあるぞ、という意思表示だが、相手はそれに警戒してくれて七海は一度もバットを振ることなく、フォアボールを選んだ。


 そして四番の飛鳥が左打席に入る。初球ではサインを出した。七海の盗塁だ。


 一、三塁は三塁ランナーが突っ込んでくる可能性もあるため、キャッチャーが二塁に送球しないこともある。心に盗塁をさせて足があることを見せたことを功を奏したのだろう、キャッチャーは送球するそぶりもなく、走りたければ走れといった感じだ。


 あとは飛鳥に任せておく。ライナーや正面のゴロでなければほぼ確実に一点が入る場面だ。


 飛鳥は集中している。これが練習試合だとか、初回でまだまだ後にチャンスがあるだとかそんなことは関係ない。ただただこの打席のことだけを考えている。


 ボール球には全く手を出さない。ストライクの難しいボールは当ててファールにする。打球を見た相手チームの選手は、守備シフトがジリジリと後退している。


「大星飛鳥、すげえな……」


 無意識のうちに感嘆の声が口から漏れ出していた。


 三年前、中学生の頃から彼女の存在は知っていた。県内の女子野球にすごい選手がいる。日本代表とまではいかなかったが、編成次第では選ばれていたかもしれない実力もある選手だ。他校ながらそんな噂を耳にしていた。


 今日の試合を見に来たのも、天才と呼ばれる飛鳥、そして心の二人に興味があったからだ。しかし、想像以上だ。


 五球目。外角低めのストレート。難しいコースだがストライクと判断した飛鳥は思いっきりバットを振る。逆らわずに弾き返した打球は自然と流し打ち……レフト方向への大飛球となった。


 レフトが打球を追いかける。滞空時間はどれくらいだっただろう。かなりの大飛球だったが、レフトはそれを捕球した。


 すかさず心がタッチアップして得点したが、巧は飛鳥の打球に唖然としていた。


「どれだけ飛ばすんだよ……」


 レフトが捕球したとはいえ、相手チームはかなり後退していた。その上、明鈴高校のグラウンドはレフト側が極端な広い。そのおかげで同じグラウンドでも女子野球部とサッカー部が両部とも練習ができているのだが、それにしてもいささか広すぎる。普段男子野球部が使っている練習球場も、遠征などでいない際には使えるのだが、今日に限っては男子野球部も練習試合をしている。


 あれは球場なら確実に入っていた。それも引っ張ってではなく、力の入りにくい流し方向でだ。


「ナイスバッティングです」


「……うん」


 飛鳥は不服そうな表情を浮かべる。グラウンドの特性上、スタンドインできないのは仕方のないことだ。


 続く五番の亜澄は凡退に倒れ、攻守交替となる。しかし、一点を取れたことは大きい。


「まだ試合は始まったばかりだ。油断するなよ」


 守備前に円陣を組み、巧は選手たちを鼓舞する。それに選手たちも返事をした。


 勝たせてあげたい。


 臨時とはいえ、監督をしている以上そういう欲求はある。


 そのためにどんな采配をしようか。どんな作戦でいこうか。


 試合は着実と進んでいく。

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