おーばー【プロトタイプ】

風凛咏

プロローグ


 藤崎巧は野球はやめた。


 嫌いなわけではない。むしろまだ好きだ。


 怪我で満足にボールを投げられず、ピッチャーとしてはもちろん、野手としても致命的だ。唯一、打者として生きる道もあったが、学生野球において指名打者は国際大会を除けばない。それでも必要としてくれる学校もあったが、巧自身が納得できなかった。


 怪我をして完全には治らないと知った時、プロになりたいとまで思っていた野球のことを嫌にもなりかけた。そんなこともあったが今はもう吹っ切れており、しかしやはり野球への思いを諦められる訳ではなく、野球関係の仕事に就きたいと思っている。


 まだ野球が好きだ。




 放課後、気晴らしがてらバッティングセンターに寄ると、慣れた手つきでお金でカードを買い、そのカードをバッティングマシンの前にある挿入口に入れる。


 いつもよく行っているバッティングセンターは直接お金を投入せず、カードを買ってそれを使ってプレイするタイプだ。よく行くということもあり複数回分をまとめて買っているのだが、前回全て使い切っていたため今日は今後の分も含めてまとめて買うこととなった。


 挿入したカードはすぐに返ってくるが、それを財布に入れようとするとその間にボールが飛んでくるので、近くに置いてあった荷物の上に乗せておく。


 モニターに映し出されたピッチャーが投球動作をし、ボールが指から離れたタイミングでボールが飛んでくる。球速は130キロ。それをいとも簡単に弾き返す。


 今日のところは飛ばすことを目的とはせず、右へ左へ打ち分けている。一球一球、丁寧にバットに当てる。


 それから三回分、各三十球のため、合計九十球を打ち終えると、額に少しばかり汗が滲む。


 まだ五月の中旬、ゴールデンウィークが終わったばかりの時期だが、少しずつ暑い日も増えてきた。


 あらかじめ持ってきておいたタオルで汗を拭うと、帰る準備をする。親が野球好きというのもあり、野球関係にかかるお金は積極的に出してもらえるが、流石に野球を辞めた身分ということもあって遠慮する場面も多い。そしてお小遣いも限られているため、あまり多くはできないのだ。


 一通り汗を拭ってからタオルをカバンに入れる。帰るつもりでバッティングセンターから出ようとすると、不意に声がかかる。


「ねえ、君」


 後ろから声をかけられたため振り向くと、そこには同じ高校の女生徒が立っていた。


 学校内では良くも悪くも有名人、学年はもちろんのこと名前まで知っている。


「私は三年生の大星飛鳥。三年生で、女子野球部のキャプテンよ」


「知ってます。有名ですから」


 容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群、明るく活発で人当たりもいい。少しばかりの悪い噂もあるが、飛鳥は有名にならないはずがないスペックの持ち主だ。


「あらら、一年生にも知られちゃってるほど有名になっちゃったかぁ」


 あはは、と苦笑いをしながらおどけている。少し違和感を覚えたが、飛鳥が言葉を続けたため、思考が遮られた。


「話を戻すけど、君、藤崎巧くんだよね?」


「はい、そうですけど…」


 話が戻ったのかどうか疑問に思いながら、自分の名前を知られていたことに疑問は抱かない。


 強豪校から声がかかるほどの実力はあり、県内ではそれなりに名が通っていたという自覚はあるためだ。


「何か用ですか?」


 巧は疑問を隠せない。


 男子の方の野球部からは入部の打診があった。それは何度も断ったが、同じ野球部でも男である以上女子野球部には入部できない。


 だからこそ、疑問が口から出ていた。


「今週末うちの学校で練習試合するんだけど、見に来てくれない?」


「え?」


 何故自分がそんな誘いを受けるのか。美人な先輩のお願い事ということもあり、少しどきりとしながらも平然を装おうとしたが、素っ頓狂な声が出る。


「ごめん、話省きすぎたね。うちの女子野球部ってそこそこの中堅校だったんだけど、去年の先輩たちの力が大きかったのと人数足りなくて去年の秋からたまに助っ人呼んで試合組むくらいっていうのもあって実戦経験少なくって一気に弱くなっちゃって。今年の一年生に良い選手が入ってきてくれたし、人数も増えたから練習試合もしてるんだけどなかなか勝てなくて。アドバイスとかして欲しいなぁーって思って」


 つまりは臨時コーチのようなことをして欲しいということだろう。コーチ経験というものはないが、飛鳥のプレーを見てみたいという気持ちや、顔見知りが女子野球部にいるということもあり、興味深い話ではある。恐らく飛鳥の言う良い選手というのが顔見知りなのだが。


「……わかりました。試合見て個々の課題点を絞るくらいなら」


 あまり大それたこともできないが、苦手な箇所を潰していくためのアドバイスくらいならできるだろう。それに対応する練習も、自分がしていた練習を参考にすればいい。


「本当?」


「まあ、参考程度のものになると思いますが。何時からですか?」


「試合は十時頃、それから昼を挟んで二試合してから軽く練習って感じになる予定よ」


 十時開始ということは九時くらいに行けばアップの様子も見れるだろう。出ない選手もいるだろうから、個々の能力をある程度把握するためにも試合前からある程度は見ておきたい。


「わかりました。ではまた週末に」


「ありがとね」


 手を振る飛鳥に見送られながら、巧はバッティングセンターを後にした。

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