「その男、主夫」・2
-3
「カデヤカ古書堂の店主は、オカルトとか、ニッチな方面では有名な蒐集家なんだ」
タナバチを帰した後、昼食の片付けをしながら、ユキは話した。
「コレクションの中には、僕らの業界に関する資料とか、危ない法具がたくさんあった。粗製乱造の紛い物じゃない、古の術者が使っていたホンモノだよ」
「知り合いだったのか?」
マドカが皿を拭く手を止め、尋ねた。
「昔、何度か立入検査をして、罰金を徴収した。それぐらい面倒な老人が、僕を指名して来た。どうやら、地下室にはよほど、厄介モノがいるらしい」
フライパンの油汚れがとれない。ユキは顔をしかめた。
「クレンザー、クレンザー……」頭上の棚をまさぐる。
「手伝ってやらうか?」マドカはニヤリと笑う。もちろん、クレンザー探しの事ではない。
「今日は遠慮して欲しいな。マドカさんが来ると、お店が地図から消えちゃう」
ノホホンと微笑んで、ユキは答える。
「ほう?」マドカの顔から笑みが消えた。
「言い過ぎました、ごめんなさい痛いから腰をつねるのとくるぶしを蹴るのはやめてええ!」
ひたり。蛇口からしずくが一つ、落ちた。
片付けを終え、ユキは手紙を手に取った。
椅子に座り、痛むくるぶしを撫りながら、書かれている内容を目で追う。
「どうやらカデヤカ老は、地下室に封印を施していたみたい。悪霊封じの強力なのを。扉の鍵が開かないのは、裏に貼ったお札の効果だね」
「ところが老人の死後、札の効力が弱まり、封印が解けかかっている。だろう?」
マドカは冷蔵庫から牛乳パックを取り出した。
コップには注がず、封を開けて、そのままゴクゴク飲んでしまった。
「その通り。あの子が見たのは、封印の隙間から漏れた『彼ら』の一部だね。となると、放ってはおけない」
ユキは手紙と一緒に同封されていた羊皮紙を広げる。紙に描かれた内容は、変色とインクのにじみで判読不能になっていた。
しかし、辛うじて、挿絵の中に「嗤うドクロ」がいるコトだけは読み取れた。
ユキの温和な顔から微笑が消えた。
そして、全身からは轟々と、凄まじい圧が迸り始めた。
それを見ていたマドカは、軽薄な態度で尋ねる。
「代わってやっても良いんだぞ?」
「……そうだねえ」
ふにゃあ……と、ユキの緊張が解ける。ほんの一瞬で、彼はポヤポヤした態度に戻った。
「それじゃあね、お願いがあるんだけど。いい?」
「なんだ?」
ユキはテーブルに置いたチラシを広げ、マドカに見せた。
近所のスーパーのチラシだった。
「4時にね、卵のタイムセールがあるの。お願い、マドカさん。買ってきて!」
ユキは両手を合わせ、頭を下げた。
-4
午後四時。古書店に吹き込む生ぬるい風が、タナバチの頬を撫でた。店と母屋をつなぐ廊下にぺたりと座り、一人でユキを待っていた。
本は全て、知り合いの業者に引き取られた。
棚に所狭しと並んでいた本はどれも不気味で、手に取るのも嫌だったが、一冊も残らずに消えて無くなると、それはそれで寂しい気がする。
店のレジや道具類、母屋の家財道具も、全て処分した。
これで終わりじゃない。地下室がまだ残っている。
少女は深いため息を吐いた。
もうすぐ、マオさんが来る。
化け物……この世にそんなモノがいるのか。この目で垣間見たとはいえ、半信半疑だった。
だからと言って、アレを幻だと片付けることもできなかった。
地下室の前で見た、あのドクロ。あれは幻なんかではなく……。
「なんなのよ、もう」不機嫌につぶやき、廊下に寝転がる。
本の無い本棚たちが、夕焼けで赤く染められた。
どういうわけか、ちっともキレイに見えない。
ふと、石造りの床へ目を向けた。
そして、ぎょっとした。
床が一面、赤黒い液体で満たされていたのだ。
悲鳴をあげ、這うようにして母屋へ逃げる。
そんな彼女を強烈な目眩が襲った。
ぐらり、ぐらり。廊下が歪み、世界が上下左右に揺れ動く。
それでもタナバチは懸命に廊下を這い進む。ところが急に胸を抑え、ジタバタあがき出した。
苦しい。息ができない。
……視界が白くなっていく。
「……さん……タナ……さん! タナバチさん!」
力強く抱きかかえられ、ようやく意識が戻った。
「しっかりしろ!」
灰色の割烹着が目に飛び込む。見上げると、マオ・ユキのひっ迫した顔があった。
「あ、たし。どう、して?」
口全体が痺れて、言葉が上手く出せない。
「もう大丈夫だからね。担架、急いで!」
ユキは店の入口に向かって叫んだ。
「うひゃあ。これは酷い」
「酷い、ひどい」
消防士の格好をした男たちが、ばしゃばしゃと、血の池を渡ってやって来た。
「えー、お騒がせして申し訳ありません。ただいま、ガス漏れが発生したとの通報があり、調査をしとります。付近の皆様は、念のため避難を……」
店の外では別の誰かが、拡声器を使って呼びかけている。
「何が……起きてるの?」
タナバチは尋ねた。
「これから少しの間、家を塞ぐ。思った以上の大モノが下にいるみたいだからね」
軽く説明した後、彼はタナバチを担架に載せた。
「あとは任せて」
マオは力強く言って、頭の三角巾を強く結んだ。
-5
「班長。主夫が来ました」
地下室へ通じる階段の前に、カービン銃を携えた一団がいた。
彼らは皆、シャツの上に防弾ベストをまとい、簡素なプロテクターで身を固めていた。正規の兵士というより、民間の武装警備員という、いでたちだった。
班長と呼ばれた男がユキを手招きする。
「これを」彼はタブレット端末をユキに見せた。
画面には水色で彩られた、家の見取り図が表示されていた。
「偵察ドローンに一帯をスキャンさせた。地下室はどういう原理か分からんが、毎時5ミリずつ面積が増えている。これも、ヤツらの仕業なのか?」
「かもしれない。彼らは、人間以上に個性豊かだから。部下を一人貸して」
ユキはエコバッグを担いで、階段を降りた。
「よし。ロコ、降りろ」
班長はすぐ近くにいた男を指名した。
「班長、あいつ何者なんです?」と、ロコが尋ねる。
「主夫だ」班長は大真面目に答えた。
地下室の扉は両開きで、人間一人がやっと入れるような大きさだった。銅で出来た表面は酸化して、すっかり青ざめてしまっている。
「ダメっスね。押しても引いても、ピクリともしねぇ」
ロコと呼ばれた男が、錆びたドアノブをガチャガチャ動かす。
「こいつには所謂、封印ってのが掛かってる。これからその一部に、軽く穴を開けようと思う」
と言って、ユキはエコバッグから小瓶を取り出した。
化学調味料『
「大きさとか、一度に振りかける量が丁度良くてね」
ますます困惑するロコに、主夫は説明する。
彼はそのまま扉に近づき、扉と床の隙間に粉を振りかけた。
やがて隙間を全て粉で覆うと、主夫は指示を出した。
「この粉に向けて一発、撃ってください」
訝しみながらも、ロコはカービン銃の銃口を粉に近づけて、発砲。
途端に、粉は蛍光色の火花を発して燃え始めた。
「火が消えたら、扉周りの封印に穴が開く。そうすれば、物理的に開くことができる。ただ……」
「ただ?」ロコが首をかしげた。
唐突に、火がプツリと消えた。
「奴さんも、扉を開けられるようになっちゃう」
言い終わるや否や、扉が木っ端微塵に砕けた。
開放された地下室は、光の届かない暗闇の世界であった。軍用のフラッシュライトの光さえ、暗闇に吸い込まれ、消えてしまった。
怨……怨……怨……。
徐に咽び泣き、あるいはくぐもった笑い声のような音が、暗闇から響いてきた。
「ここにいて」主夫はエコバッグを担ぎ直す。
「あんた一人でやろうってのか? 無茶だ!」
ロコが肩を掴んで引き止める。だが、主夫は柔和に微笑んで、ロコの手を外した。
「大丈夫。慣れっこなんだ、こういうの」
踵を返して、主夫は闇の中に足を踏み入れた。
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