「シャープペンシル」

 ――子どものころ、ずっと疑問に思っていた。なぜ学校ではシャープペンシルを使ってはいけないのか。なんなら今でも疑問に思っている。

 筆記に変なクセがつく、芯で遊ぶやつがいる、カンニング対策のため。

 お題目ならばいくらでもあげられるけど、おそらく真の理由はそれらの中に含まれない。

 思うに。

「特段深い理由もなく、ただ禁止しているだけだと思うんだよねぇ」

「それを否定する気はないがここ男子トイレだぞ?」

 友人のはぎがそう言葉を投げてくる。

 現在時刻午後五時半。場所は我らが在籍する公立高校の部室棟二階男子トイレ。私こと笹原ささはらなつは一応女子生徒、はぎ有希ゆきは男子生徒にあたる。まあそれはどうでもいいのだ。「世の中、そういうふうに『なんとなく』で続けられているできごとが多すぎない? いや別に慣習やらしきたりを否定したいわけじゃなくて」

「いいから用が済むまで出てけ。いやずっと出てろ」

「出てけ、なんてひどい言い草。別にここは萩尾の場所じゃないでしょ」

 まったく。

 これだから年頃の男子というものは。

「俺の場所ではないがお前の場所でもない。強いて言うなれば男子の聖域だ」

「こんな汚らしい場所を聖域と」

「聖域はものの例えだよ。というかトイレの女神さまが激怒しそうな発言は慎んでもらいたい。ブスになるぞ」

 はてさて。

 八百万の神とはよく言ったものだけど、まさかトイレにまで神を見出すあたり、神道とは本当に懐の深い宗教らしい。私は仏教徒なのでいまいち分からないが。というか男子トイレなのに女神さま?

「……露出プレイか」

「オーケー、どういう思考回路でそこに至ったのかは分からないが――いや聞かせなくていい。その視線をやめろ、無言で顔を寄せるんじゃない」

 こんな美少女が顔を近づけても、萩尾は顔を紅潮させたりはしない。むしろ青ざめて見えるのはきっと気のせいだろう。

「それで? シャーペンの話だっけか」

「シャープペンシルの話はもう終わった。今は世界にはびこる『無駄』の話」

 えらく壮大だな、なんて萩尾は興味なさげだ。

 まあお年頃というやつだろう。グローバルでインポータントなトピックスよりも、ヘンタイジャパニメーションが好きなのが男子高校生。

「ところでkaroshiとかtsunamiとか、そのままでも通じる日本語ってなんかネガティブなの多くない?」

「sushiとか他にも色々あるだろ、というかhentaiをどういう意味でお前は使っている」

「そりゃもうグローバルスタンダードで」

「サブカル方面でしか使われないだろその英単語!」

 そもそもしれっと心を読まないでほしい。それとも私が口に出していたのか?

「話戻るけど、シャープペンシルって和製英語らしいね。正しくは……なんだっけ。クーゲルシュライバー?」

「それはドイツ語だしどっちかというとボールペンの意味だ。英語だとメカニカルペンシル、ドイツ語だとマイネンシュライバーだったかな」

 なぜそれを覚えている。

 英語ならともかく、ドイツ語なんぞ使う機会ないだろうに。しかし私は深くを掘り下げない。彼に眠る黒歴史を掘り起こしてはならないのだ……!

「なんか失礼なことを考えられているような気がする。というかいい加減トイレから出ようぜ」

 そう言い、彼は手をハンカチで拭きながらトイレを後にする。私はその背中を追いながら、ポケットに入ったハンカチって雑菌の温床だよなーなんて考えていた。


 ふと、気になったことを口にする。

「それにしても」

「なんだよ」

「なんで”シャープ”ペンシルなんだろうね。英語にするくらいなら、英名があるんだからそっちに合わせればいいのに」

 一体mechanicalのどこがsharpなんだろう、なんて呟いてみる。当然、sharpの和訳なんて私でも分かるわけだが。

 そんな私に、萩尾が首だけ振り返る。

「そりゃ、だってなあ」

 そうして。


「目の付け所がシャープでしょ」

 ――今ではもう使われなくなった、某社の企業スローガンを口にした。




                 *




 ……彼のドヤ顔を見て、言うに言えなかったけれど。

 シャープペンシルのシャープは、別に社名から取ったわけではない。むしろ逆だ。シャープペンシルが流行ったからシャープになったのだ。

 元はあくまで商品名。

「エバー・レディー・シャープペンシル」

 言うなれば、九州の人が絆創膏を「リバテープ」と呼ぶのと同じような由来だろう。

 まあ、世の中には言わない方がいいこともある。

 正しくない、効率の悪いことでもなさねばならないことがあるように。おそらく、変えるべきでないこともあるのだろう。

 小学校でシャープペンシルを使ってはいけない理由も、そういった忖度からくるものと見たが――如何に。

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