「勘違いするなよ、皇子」


 ジグムントのその一言は、ひどくディアークを突き放すような響きだった。

 え、と短い息が少年の口から漏れた。従士の目線がジグムントに向いた。


「俺は優しくする為に、アンタを頼ったんじゃねぇ。あの時、あの状況で、俺が生き残る為には何が最上の策か。それだけを考えて、アンタに助けを求めた。……ただそれだけでしかねぇ。感謝はする。おかげで命拾いした。けど、他意はねぇ」


 赤毛の青年のその言葉は、考えてみれば至極真っ当なことだった。

 ゼバルドゥスを喪って三日が経ち、ディアークにとっての日常は戻ってきた。だが実際は、心の中でずっとゼバルドゥスの代わりを求めていたのかもしれない。

 従士でも無い。小間使いでも無い。はっきり言い切れる関係ではない。

 それでも。自分を〈災厄の皇子〉ではない、一人の人間として見てくれる。

 そんなかけがえのない関係を。

 だが、それを会ったばかりのジグムントに押し付けるのは間違っていた。

 簡単に慰めを得ようとしていた。

 自分に都合が良いように、目の前の青年を利用しようとしていた。

 

「……すまぬ。おぬしに、勝手な幻想を抱いてしまった」


 申し訳ない、とディアークは目を伏せた。

 ジグムントはバツが悪そうに、またいつもの癖で後頭部を掻こうとする。


「まあ、そんなに気にするなや。……けどな。一つ言いてぇことがある」


 が。やっぱりやめて、静かに告げた。


「あの時、盗賊共に向かって『貴様らには罪を償う道理があろう』って、言ったよな。……あんなに苦しそうな、悲しそうな顔でよ」


「ッ……」


 青年のまっすぐな視線と声音に、ディアークは息を詰まらせた。

 彼に言われて、初めて気づいた。自分がそんな顔をしていたことに。

 罪を償う道理。一体どうして、私にあんなことが言える?

 一番罪を償うべきは、盗賊共でも、彼らの頭目でも無い。 

 自分だ。

 〈災厄の皇子〉として生まれ、多くの人々を不幸に追いやってきた自分だ。

 盗賊狩りに協力したのは、正義感からでも義憤からでも無い。

 自分という巨悪から少しでも目を背ける為の、逃避だったのかもしれない。

 ……最低だ。

 思えば、ゼバルドゥスの死も、自分が聖堂に駆け込まなければ起こらなかったことではないか。それなのに。一度ひとたび喪えば、一時は仮初めの日常に埋没して、それでもまた求めて、ただひたすらに自分自身から目を逸らし続けて。

 償いきれない程の罪を、重ねた。そんな私が慰めを得る? 

 ……ふざけるな。

 私など。私など、死んでしまえば。

 何度も、何度も。夜ごと枕を濡らして、強く想ったことだ。

 ゼバルドゥスの死からの三日間、ずっと。……あの夜から。

 その時。ふと、レイナードから放たれた一喝が脳内を駆け巡った。


『—―――なんと愚かなことかッ!』


 ディアークは再びハッとして、自然に下を向いていた顔を上げた。

 そこには、大剣を杖のように持ってその身体を支えている青年がいた。

 前傾になって、先ほどの真剣な表情は少し崩れている。急に脱力したようなその姿に少年も肩から力が抜ける。すると青年が唐突に言った。

 

「俺とアンタは、似てるとこがあると思うぜ」


「……え?」


「俺も、アンタも、いろんな……まあ、ってやつに振り回されてきたってとこだよ。でもそれに対する考え方にかけちゃあ、俺たちは大違いさ」


 ジグムントはディアークの方を指差した。そしてウィンクをしながら言った。


「アンタは理不尽に振り回されっぱなしさ。それに自分の周りで起きる不幸やら何やら、全部自分のせいだと思ってる。だから自分なんて死んじまえば良いとさえな」


 その分析は、まさに図星だった。何故、会ったばかりなのにそんなことが分かる?

 問おうとするも上手く言葉が出ない。その間に、青年の口から言葉が衝いて出た。


「けど、俺は何にしたって生き延びることを考える。どんな理不尽だって正面から受け止めて……それから、んだ。絶対負けやしねぇっていう一心でな」


 どんな理不尽も、正面から受け止める。そして、踏み越える。

 あまねく理不尽を踏み越える……か。

 また、あの夜に自分で言ったことが思い出される。


『ゼバルドゥスの、あの言葉の真相を知るまでは。私は死ぬわけにはいかぬのだ』


 嗚呼、そうか。あの時にもう、答えは出ていたのか。

 自分は確かに罪深い存在だ。ああ、それはもう十分に分かった。

 自分がやったことを全て、その理不尽というやつに転嫁することはできない。

 けれど、かといって自分の罪が全て、自分の意志によるものってわけでもない。

 どれがどのくらい理不尽かなんて分からないし、それ自体は重要じゃない。

 ただ、確かなのは。

 今ここで、私は死を選びたくはない。

 今を生きるのに、理由はそれだけで十分なのだ。


「改めて、すまぬ。おぬしには深く感謝するよ、ジグムント」


「……良いってことよ。それより、もう役人が来たみたいだぜ」


 照れ隠しか、ジグムントは少し顔を背けた。

 そして彼の言葉で、周囲に十人程度の役人が集まってきていたことに気付いた。全員、ディアークと目が合うとすぐに目を逸らす。当然のことだ。

 ……否。全員ではない。役人の中でも、ひと際身なりがしっかりとした男が一人。その男だけは、ディアークと目が合っても数秒はそのままでいた。何故だ、と疑問に思う頃には目線は外れており、その役人はジグムントの方に手招きをした。


「おっと。アイツは俺に直接、盗賊狩りの依頼をしてきた役人なんだ。確か名前は、ホルストって言ったかな。ちょっと話長くなりそうだ。……まあ、またどっかで会うこともあんだろ。今日のところはここでお開きだ! じゃあな皇子!」


「お、おい。そんな急に」


 まるで捲し立てるようなジグムントの言い方に違和感を持つが、そそくさとの高級役人の方に向かう青年の背中は、何を言っても止まりそうも無かった。

 〈ホルストHorst〉か。三白眼が特徴的で、金髪の頭が少し禿げている中年の男だった。どこにでもいそうな風貌の男だったが、どうにも印象に残っている。

 ディアークは青年を引き留めることを止め、ただ別れの挨拶をした。


「また逢おう、ジグムント」


 少年の声が聞こえたのか、赤毛を長く伸ばした傭将は右手をすっと上げた。

 それを見て、ディアークは少し頬を緩ませた。

 ……少年と従士がそのまま屋敷の前まで戻ったのは、それからすぐのことである。

 午後四時を少し過ぎた頃で、ユリアはもう夕餐の準備を終えているはずだ。

 少年は扉の前で、自分の左手に付いた深い傷、そして返り血が付着したマントを交互に見た。この姿をユリアに見られたら、彼女はどう思うだろう。

 心配させるだろう。無茶はしないで、と諭されるだろう。

 また、彼女を不幸にするだろう。……それでも。


「ユリア、無事に帰ったぞ!」


「っ……ディアーク様! 帰りをずっとお待ちしておりました……!」

 

 意を決して扉を開け、少年は堂々と言った。

 小間使いのぱあっと花開くような表情が、真っ先に目に映る。

 ……そうか。

 ディアークは彼女を見て、一つ心の中で確信した。

 理不尽の中でも、それでも未来へと進み続ければ。

 それはいつかきっと。

 〈希望〉に変わっていくのだと。




 ……場面は少し戻って。

 役人たちを市庁舎から連れてきたゲルトは、その使い走りの仕事が終わるともう何もやることが無い。住居の外壁に背中を預けながら、彼らが死体を運ぶのを漫然と眺めていた。前より屍臭が酷くなっているので、少し鼻を摘まみながら。

 すると、自分が連れてきた役人の内の一人と共にどこかへ行こうとする青年を見かけて声を掛けた。しかし返ってくるのはいつもの憎まれ口。


「おーい、ジグムント。どこ行くんだよ?」


「事後処理と報酬の話さ。ガキは鼻つまみ者らしく、そこで待ってなー」


「なにぃ!? 俺が役人共を連れてきてやったんだぞー!」

 

 またも激昂するゲルト。やれやれと肩をすくめて歩き去るジグムント。

 最後まで、いつもと変わらない掛け合いの二人であった。


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