アダバナハヨミヨリカエリザク(3)


               ※


 雲井くもい殿どののアトリエを出た後のこと。

 ……といっても、アトリエはいつもに同じく勝手に消失したので、追い出されたようなものだが……ともかく、自分とナナオ殿が地下鉄ホームに戻ってみれば、わらべたちが朝食を囲んでいるところだった。


 駅構内に並べられたダイニングテーブルで、電車を傍らに食事している光景……それが懐かしく映るのは、伊佐良木いさらぎ光彦みつひこの記憶が混ざってしまったゆえだろうと思う。


 ふと、考えた。混ざっているのは記憶だけなのだろうか? もしや、意思や人格にも及んでいるのではあるまいな?


 ぞっとしない疑念だが、正直、自分では判じかねる。

 そう思い、傍らのナナオ殿を見た。察しの良い猫殿は、その金色の双眸を柔和に細めて微笑んだ。


「大丈夫。お兄さんは、ウチのお兄さんのまんまやから、安心し」


 彼女がそう言うのなら、そうなのだろう。ナナオ殿がそう言ってくれるなら信じられる。

 しかし、相変わらず自分の内心は筒抜けか……顔色に出すぎだとナナオ殿は言うが、そんなにもわかり易いものか?

 自分では、基本的に無表情のつもりなのだがな。


「何を情け無い顔をしているのだ、テン」


 呼び掛けてきたのは、ホムラの声。

 見ればホームの片隅の壁面、腕組み寄りかかった赤備えのイクサが、いつにも増したあきれ顔を浮かべていた。


 ……なるほど、自分で思っているほど無表情ではないらしい。


「お兄さんは己の未熟を恥じとるだけっとよ。何せ、ずっと寝転けてウチらに心配かけ通しやったもの……ねえ?」


 ナナオ殿が微笑みながら、指先で自分の頬をつついて来る。

 否、つついて来るというか、グリグリと抉って来る感じだな……どうやら心配かけた上に黙って膝を離れたことを根に持たれているか?

 だが、彼女の様子は穏やかで、こちらの反応を楽しんでいる風だった。


 ならば、そんな自分たちの姿に、対する赤備えは短い笑声をこぼす。


「まあ、大事無いようで何よりだな」


 あきれと安堵が半々といった感じの溜め息。

 自分は二日も昏倒していたらしい。ならば、ナナオ殿はもちろん、このホムラにも心配をかけてしまったのだろう。


「すまなかった」


 軽く謝罪を告げれば、ホムラはいつもの皮肉げな笑みで頷いた。


「別に貴様の失態ではあるまい。それより、冥府の武具屋が現れていたようだが……」

「気づいていたのなら、オヌシも来れば良かったろう」

「ああいう気難しい御仁は苦手だ。弾薬はまだあるし、わざわざ小言を聞きに出向くほど酔狂では無い……と、思って出向かなかったのだが、見たところ何かあったか?」


 ふむ、その通りだが、それも自分の顔色から察したのか?


 我ながらやれやれだと内省しつつ────。


「鬼退治の依頼を受けて来た」


 簡潔に応じれば、案の定、ホムラは意味がわからんという風に片眉を下げる。それが意識的か、無意識かはわからないが、自分の表情も端から見れば、このように明確な変化をしているのだろうか?


 ……まあ、今はそれよりも鬼号の件だ。


「ケン殿とカイナは?」

「ふたり共、あの電車とやらの中だ。幼子のひとりが粗相をしたようでな。後片付けをしている」


 ふむ、まあ、年端の行かぬ童ばかりだ。寝小便することもあろう。で、ホムラはそれを手伝うことなくここに居るわけか。

 見返せば、ホムラは悪びれる風も無く口の端をつり上げる。


「幼子を見守る者も必要だろう?」

「まあ、そうだな」


 この男が率先して童のシモの世話をするのは想像できんし、そもそも昏倒していた自分はとやかく言える立場でも無い。


「自分はふたりを呼んで来る。オヌシは上の座敷で待っていてくれ」

「……要するに、イクサ全員で聞いた方が良い話なのだな」

「ああ、そして、童たちには聞かせぬ方が無難な荒事だ」

「承知した」


 頷き、すぐに動いてくれた赤備えのイクサ。


「なら、子供らはウチが見とるわ」


 ナナオ殿もそう言って童たちの方へ……だが、すぐに振り向き、意味深に細めた双眸で自分を流し見てきた。


「鬼号のこと、ちゃんと上手く説明できっとね?」

「……どういう意味だ?」

「お兄さん生真面目やから、率直に簡潔に話し過ぎて、余計な混乱にならんか心配なんよ」


 微笑むナナオ殿。その微笑はからかうというよりも、どこか困った風というか……何だか使いに出した童を案じる母親のようなのは、さすがにどうなのだ?


 とはいえ、匙加減の微妙な問題なのは確かだ。


「……まあ、その辺は相手に確認しつつ、頑張ってみるさ」


「うん♪ がんばり」


 柔い笑顔で片目をつぶるナナオ殿。

 自分は苦笑いを返して、ケン殿たちの居る車両内へと向かったのだった。







 かくして、休憩室の座敷に集まったイクサ四人。

 座した皆を前に、自分はまず要点を説明した。


 鬼号屍鬼。


 神話伝承に語られる悪鬼羅刹そのままの怪物が、屍鬼として黄泉返り、この近辺に現れたこと。

 今回現れたその鬼は、黒羽根の影姫の蒼炎をものともせず、返り討ちに肩を穿ったほどの強敵。

 その呪いの一撃により、影姫の傷は癒えぬままであること。呪いを解くには、その鬼を討滅する必要があろうということ。

 そして、その鬼の存在には気配が一切なく、影姫の霊感でも察知できないということ。


「つまり、どこに居るかもわからぬ上に、あの黒羽根の姫を翻弄するほど手強い化物を、我らで見つけ出して退治しろというわけか……まったく、死人使いの荒いことだな」


 どうにも面倒そうにグルリと首を回してぼやくホムラ。

 確かに、一筋縄ではいかぬ難題ではあるが……。


「正真正銘の鬼退治ぞ。自分は武士として腕が鳴る思いだがな」

「ふん、貴様は相変わらずだな……」

「われとしては、今さら武士としての誉れになど興味は無い。だが、そんな化物がウロついておるのを放ってはおけん」


 あきれまじりのホムラに続いたのは、ケン殿の重い呻き。

 真っ直ぐに姿勢良く座した瞑目のイクサ。その冷静な居住まいは、しかし、膝に乗せた両の拳が力強く軋んでいた。


 この駅にて暮らす童たちを守る……その厳なる決意の表れだろう。


 それについては、自分も同じ思いだった。

 ようやく見つけた現世の生存者たちだ。

 自分は武士であり、影姫に仕えるイクサだ。生存者を守るのはさむらいとして当然の務めと心得ている。


 いや────。


 何だろうな。そういう理屈の部分とは別に、自分はこの場所を、この場所に居る者たちを守りたいと感じているようだ。

 あの童たちは、ケン殿は、何よりあの来光くるみという少女は、今の自分にとっては、守るべき大切な仲間である……と、そう心に深く感じている。

 出会って間もない者たちであるはずなのに、もっとずっと昔から関わり合っていたかのように、親身な繋がりを感じている。


 それは伊佐良木光彦の記憶がもたらすものなのだろう。


 自分に……宮本伊織の中に混ざり合った記憶。

 以前は、単純な知識でしか無かったものが、今は多少なりとも思い出めいた想起を伴っている

 混ざり合い、溶け込んでしまったそれは、多くが宮本伊織の記憶に塗り潰されて、曖昧模糊とした残滓でしかなく、ハッキリと思い起こせる事象や情景はほとんど無いのだが────。


 いずれにせよだ。

 皆を守るためにも、シズカ殿のためにも、そして、自分自身の武の追求のためにも、鬼号に挑まぬ選択肢は有り得ない。


 私はその意を固めつつ、改めて、カイナに向き直った。


「この鬼号について、カイナ、オヌシに確認しておきたいことがある」


 もったいぶった切り出しに、胡座あぐらをかいて壁に寄り掛かっていたカイナはゆるりと居住まいを正した。


「かしこまって何だ? その鬼が良さげな右腕でも生やしてるって朗報なら大歓迎だがな」

「大きく外れてはいない。この鬼は、オヌシの生前に関わりがあると思われるのだ」


 ピクリと、カイナの表情が強張った。

 ホムラは黙したまま笑みをひそめ、そして、ケン殿が静かに口を挟む。


「……それは、カイナうじの出自にまつわるもの……ということか?」

「その通りだ。だから……」

「委細承知である。われは席を外そう」


 察して立ち上がる瞑目のイクサに、自分は深く辞儀して謝罪する。

 初見のおり、生前の業が互いにいかなる不和を生むやも知れぬとし、名乗るならばイクサとして名乗ってくれと、そう願ったケン殿だ。


「すまないケン殿。あなたが要らぬシガラミをいとうのは、ようわかっているが……」

「うむ。それを承知のけいが、頭を下げてまで語るのだ。なれば、それは要らぬシガラミなどではないのだろう。むしろ、その上で席を外すわれの勝手に対し、謝罪などする必要は無い」


 肩越しに微笑を返して、ケン殿はゆるりと休憩室を出て行った。


 戸の閉まる静かな音。

 気配が遠ざかるのをしばし待ってから、自分は改めてカイナを見やる。


「……カイナ、オヌシは右腕を失った理由を憶えておらず、そのために、失った己の右腕を求めている……そう言っていたな」


「…………」


 カイナは無言のままに頷いた。


くだんの鬼は、左腕が無い。そして、左腕を求めておるそうだ」


「それは……」


 カイナの表情が露骨に歪んだ。

 疑念に顔をしかめた……というより、苦痛を堪えるような苦々しい歪み。

 彼の中に、何かが想起されているのか?

 欠け落ちた記憶がよみがえる感覚、それは目まぐるしくも忙しなく、心奥と脳裏を掻き乱されるような……少なくとも、自分はそうであった。


 だから、自分は噛んで含めるようにゆっくりと静かに、言葉を紡ぐ。


「その鬼の名は〝茨木童子いばらきどうじ〟……かつて源氏の勇将、みなもとつなに片腕を斬り落とされた鬼だ」


 ……ゆえに、その鬼は黄泉返ってなお、斬られた己の腕を求めている。


「…………ッ……!?」


 食い縛られたカイナの口から、微かな呻きがこぼれた。

 その呻きを押さえむように、あるいは、さらに込み上げる何かを呑み込むように、カイナは己の口許を鷲づかむようにして前のめりに崩れた。


 昏倒を予期していた自分はすぐに動き、倒れかけたカイナを支える。

 ただでさえ逞しい長身の男だ。さらに意識を失って脱力しているせいでその重さはひとしおに、自分はどうにか取り落とさずに畳の上に横たわらせた。


 カイナは苦しげな表情で、息はやや荒く乱れているものの、どうやら眠っているだけのようだった。


「貴様が目覚めたと思ったら、今度はコイツが眠るか……」


 ホムラがやれやれと溜め息を浅く、カイナの寝顔を覗き込み、次いで、その失われた右腕を見やってから、もう一度溜め息を吐いた。


「コイツが源綱……なのだよな?」

「ああ、シズカ殿はそう推測していた。当人の反応を見る限りも、おそらくその通りなのだろう」

「なぜ、腕を斬った方であるコイツまで隻腕なのだ?」

「そこまでは聞いていない。あまり他者が口を挟むべき事情でもないだろうしな」


 鬼の腕を斬り、己の腕を無くし、〝腕〟という銘を刻んだイクサ。

 おそらくは、それこそがこの隻腕のイクサに刻まれた因果であり、黄泉返った理由なのだろうから。


「源……否、渡辺わたなべ綱の方が通りは良いか。確かにコイツは源氏の縁だとは言っていたが、よもやあの高名な頼光らいこう四天王筆頭とはな。書で読んだ時には、もっと英傑然とした印象だったが……」


「それについては、オヌシも大概だ」


「ふん、違い無い。何せ世に伝わるそれがしは、知勇兼備にして武士のかがみたる〝真田さなだ幸村ゆきむら〟だ」


 戦場の槍働きを誉れとし、義に殉じた英雄……それが後世に伝わった彼の人物像。こうして皮肉げに口の端を歪めているホムラの様は、世に聞こえし〝日ノ本一のつわもの〟という人物像とは、確かにズレている。

 ならば、そんなホムラと同様に。このカイナも、その生涯と世に伝わっている伝承とでは、異なるものがあるのだろう。


「……しかし、どうするか」


 昏倒してしまったカイナ。

 自ら忌避して封じていた記憶の覚醒は、心身に負担をもたらすという。

 シズカ殿から茨木童子の名を聞き、その因縁を教えられた時に、あるいはこうなるのではと危惧はしていた。

 だからこそ、いざ戦いの場にて衝撃を受けるよりはと思って、前もって情報を伝えたのだが────。


 鬼退治の誉れは、武人として興味深いものではある。

 だが、カイナ……すなわち渡辺綱と茨木童子の関係を思えば、この鬼退治はカイナに任せてやりたいと思う。


「カイナが目覚めるまでは、動けぬか……」


 そう思ったのだが、傍らの赤備えが首をかしげた。


「動けぬというより、動かぬ方が良いだろう。こちらが鬼を感知できぬからといって、鬼がこちらを感知できぬ保証はない。現に、屍鬼共は幼子たちを狙って攻め寄せているのだ。近場に他の生存者が居るとも思えんし、遠からずその鬼もここに現れよう。ならば、この場を離れることは幼子たちを危険にさらすことになる」


 それは確かにその通りだった。

 ならば、この地下鉄駅に籠城ろうじょうして迎え撃つべきだろうか?


 そんな自分の内心を読み取ったように、ホムラが首を横に振る。


「その鬼は、聞く限りごう屍鬼などより遥かに剛力なのであろう? ならばこの地下壕内で戦っては、建物への被害が尋常では済むまい。生き延びても、住処が無くなるのは困るだろう」

「ならば、地上で迎え撃つか」

「ああ、その方がそれがしも〝こだま〟を存分に使えるしな。屍鬼がここに誘き寄せられるなら、この地下には踏み入れさせずに地上で押し止めて戦えば良い。幸い、入口周辺の地形は守りに易い要害だ」


 立ち並ぶ廃ビルや、積み上がった瓦礫、そして放置された無数の廃車両が連なった光景は、確かに、攻め手の進軍路を大きく制限するだろう。

 シズカ殿曰く、茨木童子は屍鬼の群れと共に居たという。多勢を寡兵かへいで迎え撃つには、確かにこの駅の周辺は適しているかも知れない。


「自分が駅入口に陣取り、オヌシが周囲のビルから狙撃する……確かにそれは上策かも知れん」

「なるほど……堅牢な砦にヒキコモリ、銃火で相手の首をかすめ盗るのは、それがしの得意とするところだからな」


 不敵な笑みでこちらを斜に見やるホムラ。


 もしや、初めて会った大橋でのやり取りを根に持たれている……?


 あの時は挑発のために敢えて愚弄したが、決して本心では無かった。だが、それを今さら訂正して謝るのも潔く無いか?

 逡巡していると、ホムラは「ふぅ……」と短い吐息をこぼす。


「ただの冗談だ。そう深刻に受け取らんでくれ」


 苦笑しながら自分の肩を叩いて来る赤備え。どうやら、こちらの葛藤を見越しての揶揄やゆだったようだ。


 それにしても────。


 つくづく、自分の内心はダダ洩れているらしい。まったく武人として不甲斐無いにも程がある。


 自分は意識して表情を引き締めて、けれど、そんな仕種すら、端からはわかりやすいものだったのだろう。

 ホムラは堪えかねたように、楽しげな笑声を上げたのだった。

 

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