アダバナハヨミヨリカエリザク(2)
無数に増殖して迫る矢弾。
オレが応射を放てたのは、ほぼ無意識の反射であり、そこに〝
「〝
左耳のカラクリ飾りが言霊を聞き取り、飛翔する矢弾へと呪を飛ばす。
飛来する無数の敵弾は、ほとんどが爆風に巻き込まれ、砕け、あるいは軌道を逸らし、あるいは威力を失って床に散る。
何とか
けど、ギリギリ過ぎて爆発が近かったため、オレ自身も爆風を浴びてしまった。吹き飛ばされて倒れ込みながらも、見開いた眼は彼方の女武者から離さない。
白い女武者は、腰の
ならば、オレもまた崩れた体勢のままで、すでに目一杯に引き絞っていた矢を射て放つ。
無茶な体勢から無理に放った射は、狙った女武者の肩口をわずかに逸れて行き過ぎた。
外れだザマミロとばかりに、女武者の可憐な笑みが勝ち誇る。
おいおい、余裕だな姉ちゃん。オレの放つ矢も普通じゃねえってのは、寸前に見てるだろうに。
「〝
オレの言霊に応えて、飛び去ろうとしていた矢が火花を噴き、その軌道を鋭角に曲げる。
飛燕の名の通りにひるがえった鏃は、女武者の右肩にほぼ真後ろから突き立った。
「痛ぁッ!」
女武者は驚愕の悲鳴を上げて体を崩し、番えた矢があらぬ方に放たれて壁面を穿つ。
「ふ、伏兵!? 後ろからとはとんだド卑怯! それでも武士ですかッ!」
怒りもあらわに後方に振り向いた女武者。
いや、素人かよコイツ……。
伏兵云々はともかく、戦闘中の敵に背中向けるとか正気かよ。
オレは動揺を冷静に抑えつつ、立て続けに放った射は二連。
狙うのは、仁王立ちで廊下の彼方を睨みつけている女武者の両脚だ。いつものように微妙に逸れた狙いは、それでも女武者の両腿を充分に
「ッぁぁぁぁあッ! ッ痛いぃ! 何するんですかぁッ!?」
信じられねえぜコンチクショウッ! って感じで抗議してくる女武者さんだが、信じられねえのはこっちだ。ウカツでスキだらけにもほどがあんだろうオマエ。
うつ伏せに倒れ込んだ女武者、その傷口が蒼い鬼火を燃え上がらせているが、刺さったままの鏃がその再生を阻害している。半身を起こし、刺さった矢を抜こうとするが、そうはさせねえ。
オレは駆け出しながら新たな矢を放った。
左肩に追撃を受けた女武者は、衝撃に身もだえる。
オレは床に取り落とされていた敵の和弓を蹴り飛ばして離しつつ、女武者の背に馬乗りになって取り押さえた。
「うあぁぁぁぁ! は、放しなさいッ!」
盛大に喚き散らしながら暴れまくる女武者を、どうにかねじ伏せる。
例え相手がイクサで敵とはいえ、女を力任せにどうこうするとは不本意だが、〝手段を選ばず捕らえよ〟ってのが、うちの姫様の要望だから仕方ない。そもそも選ぶほど手段はないしな。
オレは予備の
「女を縛って何のターン!? くッ! イカレた外道が美少女捕まえてヤることなんて決まっています! 埋めて殺して犯すのですね! 何たるサイコでネクロマンティックなコンボ! 信じられません! 最悪です! 最低です! このド変態クズ野郎ぉッ!」
ああ、もう、うるせえなッ!
頼むから無駄に抵抗すんなよ、こっちだって余計な怪我させちまうのは気が引けんだから……!
オレはウンザリしながらも暴れる女を取り押さえ、どうにかその両腕を弓弦で縛り上げた。
その時────。
〝──♪ ────♪ ──♪ ────♪〟
陰気な旋律が、どこからか流れてきた。
それは歌声だ。若い男の低音声。
廊下の向こうからゆるりと流れてくる旋律。誰かが、しみじみと低い音程で、歌詞を唱えることなく、旋律だけを口ずさんでいる。
ヒクリと、押さえ込んだ女武者の身体が震えた。
「こ、こらぁぁぁぁぁぁ! ゲス太郎ッ! 居るんならさっさと助けなさい! 美少女緊縛のピンチに何で歌って見学モード!? ドS気取りか? ふっざけんなーッ! テメエも全身
怒りに張り上げられた叫びは、最終的に泣きの入った悲鳴に成り果てて響き渡る。
それに応じて、旋律の音源から鳴弦が響いた。
陰気な歌声に反した、鋭い射の音色。
咄嗟に大きく仰け反ったオレの、仰向けになった鼻先を
オレはその軌道が読めたわけじゃない。
だから、慌てて身を起こしたところに続いて飛来した矢弾には、為す術もなく射抜かれてしまった。
胸元に弾けた衝撃に、大きく吹き飛ばされる。
左肺を射抜かれて呼吸が詰まり硬直したオレを、さらに衝撃が貫く。
左胸に突き刺さった矢の、その
それは、一矢目と寸分違わず同じ狙点を射抜いているという事実。
止まった的にだって無理技なのに、実戦でそんなことできるわけねえ!
偶然だ!
けど、オレの心の叫びは、さらに続いた三射目が、同じく二矢目の矢筈を砕いて撃ち抜いてきたことで、掻き消されてしまった。
また継矢……三本連続だと!?
信じられねえ……!? 有り得ねえだろ……!?
驚愕は、胸に燃え上がる蒼炎と共に戦慄となって骨身を焦がす。
死人の身に痛みはない。ただ、苦しいだけだ。
苦しいだけだが、けど、身体が動かねえ。
呼吸ができないから?
違う。
寸分違わぬ場所を三連に射抜かれたことが、その神技のごとき弓の
「──────♪ ──♪ ──♪ ────♪ ──♪」
陰鬱な歌声が近づいてくる。
この曲は……聞き覚えがある。
以前に、あの頭巾の鍛冶師が聴いていたな。確か、クリスマスとかいう宗教祭の聖歌で……サイレント……何とかいう曲だったか────。
元の曲その物は荘厳で穏やかなものだったが、声音のせいか? 今響いているそれはどうにも陰気で寂しい印象しか感じない。
暗い歌声、だから……なのか?
この歌声を聴いてると、妙に腹の底がザワついてくる。いや、胸元に三本も矢を撃ち込まれてんだから、ムカつかねえ方がオカシイよな……!
オレは震える身体を無理矢理に動かして、廊下の先を見やる。
まず目に付いたのは、半身を起こして息を荒げている女武者。
そして、その向こう。廊下の奥からゆっくりと歩み寄ってくる、ひとりの若武者の姿────。
そいつを視認した瞬間、オレの背筋をドス黒い何かが駆け抜けた。
濃紺の小袖に大口袴、
左手に大弓を握り、腰に
「──────♪ …………はぁ……。そら、命令通り、助けたぞ」
心の底から面倒そうに、力無くぼやいたそいつ。
距離はまだ十六間と遠い、どうやら、女武者を助け起こす気はさらさらないらしい。
……だろうな。倒れた仲間を気づかうとか、そんなゆるい感情を、コイツは持ち合わせちゃあいない!
かぶった
相変わらず、戦場に立つ武士として、あるまじきダラけぶりだ。
やる気のない声音、やる気のない挙動、それなのに、コイツは、コイツの弓は、いつだって定めた狙いを必ず射抜き続けていた!
そう、あの屋島の海原で、彼方の扇を狙い射た時も同様にッ!!
「……テメエ……
絞り出したオレの呻きは、苦々しい怨嗟に濁り果てていた。
睨んだ先に立つ
「……ああ、オレを知ってるのか? ……いや、何だ? オレもオマエのこと知ってるな、どっかで見たことある……」
ああ、そうか……と、与一は口の端をつり上げた。
「オマエ、屋島で居たな。ドヤ顔で弓を掲げて、源九郎にガン無視されてた雑兵だろ? あれは良かった。本当、最高に面白かった」
マジで
面白い? 滑稽だった?
ハッ! 言ってくれるじゃないか!
カッと身の内から込み上げた何かが全身を駆け巡り、その圧力が急き立てるままにオレは立ち上がる。
瞬時に構えた弓矢。
弓を握る左手と、弦を引き絞った右手が、憤怒に軋んだ。
番えた鏃の狙う先は、那須太郎の呆け顔。
「……ん? 怒ったのか……? ま、普通は怒るか……」
やれやれと面倒そうに、気怠そうに、欠片も焦らず動じていないその顔が、ああ、心の底から憎らしくて腹が立つんだよ!
オレは激怒を込めて射を放つ。
へたり込んだ女武者の頭上を瞬に掠めて、鏃は真っ直ぐに疾駆する。
あやまたず、あるいは今度こそ、この局面にして狙い通りに飛翔したオレの射の軌道。
だが、狙い撃たれている当の与一は、浅い溜め息をひとつ。
風を切る鋭い音が響いた。
与一の左手の弓が真円を描いてひるがえる。オレの矢はヤツの弓に絡めて取られて跳ね上がり、パシリとつかみ止められてしまった。
「……は?」
思わず、オレは間抜けな声を上げた。
向き合う与一が、弓を構えて矢を番えている。与一の弓に番えられているのは、今オレが放ったオレの矢だ。
何が起きたのか?
そんなの一目瞭然だ。けど、だからこそ、わけがわからねえ!
無表情の与一が、無言のままに射を放つ、避けるのは……間に合わん!
「……さ、〝
苦し紛れの言霊に弾けた鏃。大きくバラけて飛来する散弾は、オレだけでなく、間にへたり込んでいる女武者にも襲い掛かった。
「い、痛い痛い痛ッ! 何してるんですかゲス太郎!」
「……これ、オレのせいなのか? さっさと逃げてない
賑やかな悲鳴に、淡泊な返答。
距離があった為に散弾はバラけ過ぎて効果は薄く、オレも女武者も数発を食らっただけ……だが、オレの感じた衝撃は、全ての散弾を至近に受けた以上のものだった。
自分に向かって飛来する矢弾を、弓で絡め取ってつかみ取る……それだけでもイカレてるのに、瞬時に番えて撃ち返すだと?
「……ハッ、フザケてるな……」
フサケてる! 本気でイカレてる! 何なんだテメエは……!
オレは憤怒に奥歯を噛み締め、焦燥に四肢を震わせながら、矢筒に手を伸ばす。
対する与一もまた、気怠げな憂い顔で
「元お仲間なのに悪いけどなぁ……
オレの名が思い出せないようで、弓を構えながら首をかしげる那須与一宗隆。そりゃあ思い出せないだろうよ。オレには、名乗る名前なんてなかったんだからな!
オレは渾身と痛恨を漲らせ、全力で弓矢を引き絞る。
狙うは那須太郎の眉間。
脳髄や心臓を
「
オレは祈願を唱える。
いつものように、いつも局面の射に構える時にそうするように、祈る。
そんなオレの何が可笑しいのか? 前方で弓を構える那須太郎は、くだらなそうに口の端を歪めた。
「ああ、
ああそうかい、さすが屋島の英雄様は言うことが違うね。
けどな、こちとら当たる当たらない以前に、射を放つことすらできなかったクソ雑魚なもんでな────。
「テメエの言ってることは、欠片もわからねえ……!」
対する与一の射は、瞬に遅れて放たれる。
遅れた? 那須与一が?
そんなわけがあるか!
だって見てみろよ、あの野郎の顔は、これ以上無いってくらいに勝ち誇ってるじゃねえか!
パン! と、空気が弾けるような破裂音。
オレの矢弾を真っ向から弾いて突き抜けてきた与一の矢弾。その鏃は吸い込まれるようにオレの左胸に突き立った。
ガクリと、オレの膝から力が抜ける。
「ほらな、祈らなくても、当たる時は当たるんだ……理解したか?」
静かに、むしろ優しげですらある声音で、那須太郎は微笑んだ。
すでに三本が突き立っていた左胸をさらに穿った、四射目の継矢。
オレの放つ矢の軌道を読み取り、後撃ちでそれに重ねて弾きつつ、その上で継矢を決めたってわけだ。
弾かれ、天井に突き立った自分の矢を睨み上げながら────
「……ああ、理解したよ……テメエはイカレてる……!」
本当に、冗談じゃねえ……!
損傷し、ゴロゴロとイヤな音を立てる肺腑に
那須太郎もまた、溜め息と共に新たな矢を取る。
あきれ顔だな、往生際が悪いってか?
だが、こちとら雑兵なんでね。
姑息も卑怯も上等だってんだ。
砕けた肺腑から、無理矢理に呼気を吐き出して言霊を唱える。
「……〝
呪を受けた天井の鏃が、火炎を放つ。
あふれてこぼれ落ちた火炎の
燃え種のない石造りの廊下だ、火炎はすぐに勢いをなくすだろう。そんなことはわかってる。
それでも数瞬の
引き絞った矢を放つ。
四射も胸に被弾してロクに力のこもらぬ弓手では、狙いも威力も知れたもの。いくら炎で眩まそうが、那須与一には通じないだろう。
だから、オレが狙ったのは、炎にモロにあおられてうずくまってる女武者の方だった。
矢弾が空を裂く音は、砕けたガラスの破砕音に掻き消される。
オレが射た矢は、たぶん、那須太郎に阻まれているだろう。撃ち落とされたか、叩き落とされたか、わからないし、確かめる気もない。
そもそも、ここからじゃあ、もう見えない。
オレは窓ガラスをブチ抜いて建物外に飛び出していた。
二階という高さは普段ならどうってことない。けど、負傷で消耗しまくってる今は、ちょいと無茶だった。受け身も取れずに転落し、衝撃で立ち上がれそうにもないので素直に音を上げた。
「……悪い、スズ、またしくじったわ……」
ただでさえ無様な謝罪は、弱々しく濁っていて我ながら情けねえ、面目ないにもほどがあるダメっぷりだ。
オレの影から浮かび上がった
〝……うつけ者……〟
グッとオレの襟首をつかんで、声なき叱責を吐き捨てる。
〝……手段は問わぬと言うたが、必ず捕らえよとは言うておらぬ……〟
……はい? どういう意味?
問い返そうとしたオレは、けど、直後に駆け出したスズに力強く引きずられて頸が絞まり、発言どころか身動きすら叶わないまま。
……えーと……無茶しないで、すぐ逃げれば良かったってことか?
つまり、この姫様が、珍しくも従者の身を案じてくれたのか?
はは……そりゃあ、雑兵には身に余る光栄だ。
本当、ありがた過ぎて、己の不甲斐なさに泣けてくるってもんだ。
汚れる名前も、挽回する名誉も、オレには端っからありはしない。それでも、譲れぬものがあったから、因果に囚われ怨霊になった。
なのに────。
那須太郎の気怠げな嘲笑が、脳裏に焼き付いている。
歯が立たなかった。
歯牙にも掛けられなかった。
一方的に射抜かれて、無様に逃げ出すしかなかった。
スズ、オレは────。
喉まで込み上げた泣き言は、こぼすことができなかった。
襟首をつかむスズの手がさらに力強く、引きずる勢いがさらに激しくなったせいで、声なんて出せなかった。
「……泣き言……は、いらぬ……」
色素の薄い唇が、濁った声で吐き捨てる。
……ああ、そりゃあ、そうだよな。
弓取が弓で遅れを取ったなら、弓で覆すしかない。
オレは喉元に込み上げていたものをグッと呑み込み、気合いで腹の底にねじ伏せる。
蒼炎を上げる左胸、突き立ち砕けた四本の矢を引き抜こうと右手を動かして────。
ふと、視界の端、巨大な車輪が見えた。
何だ……?
彼方にそびえる観覧車……その巨大過ぎる車輪が、ゆるゆると動き始めていた。
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