第4章 徒花ハ黄泉ヨリ返リ咲ク

アダバナハヨミヨリカエリザク(1)


               ※


 薄暗い室内には、動くものは何もなかった。


 とある廃ビル二階の一室。

 室内には書き物用の机やら書棚やらが並んでいる。商人の帳簿場のような……あー、いや、普通に帳簿場だったんだろうな。

 別に廃墟自体は珍しくない。屍鬼があふれさまよう現世では、建物に入れば荒れ朽ちた廃墟なのが通常だ。


 ただ、この部屋は、いつも見るそれらとはおもむきが違っていた。


 部屋の片隅に置かれた厚紙の……ダンボール箱。その中には様々なゴミクズが詰め込まれている。

 プラスチック容器、ペットボトル、金属製の空き缶や缶詰容器。どれもこれも俺には馴染みのない当代の代物ばかりだが、要点は、その全てが使用済みの空容器であり、しかも、結構最近に捨てられたものだってこと。


 一部の棚や机は隅に寄せられて、空間が確保されているし、この場所には不釣り合いな生活用品が置かれ、さらに書類棚には書類以外の娯楽本やら、果ては衣料品が収められているものもある。明らかに後から持ち込みましたって在り様だ。


 いくつかの机には、まだ未開封のペットボトルが並べてあり、同じく未開封の食品缶詰もある。部屋の壁面には、即席の寝所なのだろう、厚手の布団のごときマットが敷かれ、毛布が丸まっている。

 周囲の埃の具合から見ても、この部屋は放置されてからまだ一ヶ月は経っていない。


 要するに、何が言いたいかというとだ。


「ここには、生存者が住んでたみてえだな……」


 オレは弓の先で机上の缶詰をつつきながら、うんざりと呟いた。


 生存者。


 屍鬼があふれ、死の世界と化した現世において、まだ生き延びていた人間が居たらしい。

 それ自体は、まあ、喜ばしいことだ。現世の荒廃の原因を探ると共に、生存者が居るならば助けようってのが、うちの姫さんの目的だからな。


 だから、生存者が居た痕跡は喜ばしい。


 問題は、その生存者が、今も健在であるようには思えねえって点だ。


 寝所の枕元には、掌ぐらいの小さな額縁みたいなもんが置かれている。写真立てか? 実際、写真が収まってるようだし、そうなんだろう。

 手に取って見れば、そこには家族なのか? 中年の男女と、その娘っぽい十代半ばぐらいの少女が映っていた。


 少女を中心に据えて映されているところを見るに、主体は彼女なんだろうな。髪を頭の後ろで結わえ、さも嬉しそうに、そして誇らしげに笑っている。格好は白胴着に黒袴という和装で、手には和弓と、金ピカな杯みたいな飾り物を抱えている。

 弓術……この時代では弓道だな。それの勝負なり祭事なりで誉れでも受けたって感じだ。その記念撮影ってやつだろう。


 ここに隠れ住んでいた誰かの、思い出の写真ってところか?


 何度見ても……というほど見ているわけでもねえが、この写真ってヤツは見事なもんだ。本当に、現実の情景をそのまま切り取ったみたいに映し込んである。オレの生きた時代じゃあ、鏡だってこんなに鮮明に映りはしなかった。


 当代の技術ってのはまったくスゲーもんだと感心しつつ────。


 ともかく、ようやく見つけた生存者の痕跡なわけだが、その肝心の誰かさんは、どこにも見当たらないし、この部屋自体、しばらく人が出入りした形跡がないんだよなあ。

 だから、ここで寝泊まりしてた誰かは、ここにはもう居ないんだろう。生きて別の場所にいった? にしては、色々と放置しっぱなしだよな。

 なら、やっぱりそういうことなんだろうさ。


「スズ、そっちは何か感じるか?」


 呼び掛ければ、部屋の中央でひざまずいていた矮躯わいくの少女が、無言のままに立ち上がった。

 茶色の髪を禿かむろのごとく切り揃え、巫覡ふげきのような狩衣かりぎぬ装束に身を包んでいる。まあ、可憐な容姿のお嬢さん。ただし、その装束は影のように黒く、貌は人形のような無表情。

 姿形こそ幼い少女だが、その身にまとう気配は確かに気高く、神々しいまでの畏れを放ちまくっている。


 影姫。


 あの世の番人にして、死者を導く官吏である死神。怨霊であるオレを死人兵〝イクサ〟として黄泉返らせた冥府の女神様。


 ま、つまりはオレの御主君様ってことだ。


 気難しい姫神様は、相変わらずの仏頂面で周囲を見回している。オレの問い掛けに答える様子は皆無だが、まあ、いつものことだ。


 この姫さんは、必要最低限のことしか喋らない。

 もう承知していることだし、もう慣れたし、だからオレも気にしない。そもそも、コイツにとっては喋ること自体が大変な負担なのだ。

 つっても、それはあれだ、当代でいうコ何とかってのとは違う……何だっけ? 虚無僧こむそう……は、何か編みかごかぶった僧侶だったよな。でも、それに似た響きの言葉だったはず……………………ダメだ、思い出せねえ。


 ともかく、うちのスズ様があまり喋らんのは、精神的な理由ではなく、外傷のせいだ。

 その舌に刻まれた生前の因果……いわば呪いの傷のせいで、声がほとんど出せないってわけだ。


 だから、喋らないのは仕方ない。けど、その代わりに表情とか身振りで示してくれるとありがたいんだが、それすらもしないスズは、やっぱり無愛想には違いない。


 実際、この姫さんがニッコリ可憐に笑ってくれたことなんて、一回しかねえからな。

 そん代わり、おっかねえ冷笑ならしょっちゅう浮かべてるけど。


 ともかく、だ。

 そんなスズ様は無言無表情のままに、すがめた視線を泳がせていたんだが、やがて、何かを捉えた様子で視線を定め、不可視の何かをたどるかのように歩き出した。


 部屋の片隅に、少し、散らかってる場所があった。


 散らかり具合は大したもんじゃない。けど、この部屋は他が整頓されてる以上、そこでは何かがあったんだろう。

 机から書類がこぼれ落ち、椅子が倒れて、そばの棚を良く見れば側面がヘコみ歪んでる。

 率直に見て、誰かが慌てて倒れ込んだって感じだよな、これ。


「……スズ? 何だそれ?」


 うずくまったスズが、何やら床を撫でている。

 細っこい指先が触れているのは、床のヒビ割れ……っていうか、穴……いや、これは────。


「刀を突き立てたあとか?」


 丁度、太刀を上から床に突き立てて引き抜いたような、小指一本分ほどの長さと幅をした疵痕きずあと。深さは、ちょっと見た目じゃわからん。

 

 誰かが倒れ込んだところをブッ刺された?

 にしては、血痕はないし、遺体もない。

 誰かが遺体を運んで、血も掃除した?


 いや、たぶん、違うと思う。 

 ここには、血の臭いも死の気配も残っていないからだ。


 戦場に生き、戦場で果てたオレたちは、元々そういう感覚に敏感ではあった。そして、イクサとして黄泉返ってからは、さらに鋭敏に感じ取れるようになっている気がする。


 その感性が告げている。ここで流血沙汰があったとは思えない。


 それは、さらに鋭敏な霊感を備えた影姫様たるスズも同意見らしい。不可解そうに小首をかしげていた。


 さて、どういうことだろう……?


 他には……例えばイクサや屍鬼なら、刺されても血は出ないな。

 でも、イクサは食事を必要としない。食えないわけじゃないが、味覚がないし、吸収もできない。なぜだか食っても腹に溜まらないし、意味がない。

 例外は酒だけだ。酒は死人となった今でも普通に味わえて、酔える。

 けど、ここに酒はない。あるのは保存食と飲料水だけ。


 なら、考えられる可能性は────。


 ここに住んでいた誰かが、屍鬼かイクサに襲われた。けど、返り討ちに倒して、刀でブッ刺した。んで、この場から逃げ出した。いや、襲われてるとこを、イクサが助けに入ったって可能性もあるか?


 ……まあ、だいぶ荒唐無稽だし、ほぼ想像からのこじつけでしかない。単純に刺突を当て損ねただけの痕跡かもしれんが、どっちにしろ、生存者が無事なら、食料放置したままなのは変だろう。


「………………」


 スズが何やら呟いた。


「ん? 悪い、。何て言ったんだ?」


 向き直って問えば、スズが溜め息を吐いて立ち上がる。


「………………」


 繰り返された呟き。その唇の動きは〝……別の部屋に移っただけかもしれん……〟と、仰っている。

 なるほど、そりゃそうだ。

 これだけデカい建物だ。ここに居ないから、もうどこにも居ないとは限らねえよな。


 ま、だとしても、この部屋の食料を長らく放置しているのは不自然だ。生存者がこの建物に残ってる可能性は、やっぱ無いと思う。


 スズも、その辺はわかってるんだろう。

 それでも、ようやく見つけた痕跡だ。わずかな希望を捨てきれないってところなんだろうな。

 利己的な影姫たちにあって、うちの姫様はだいぶ人間の味方だ。つっても、単に冥府の官吏としての義務感や責任感ゆえっぽいけど。


「………………」


 唇の動きは〝……行くぞ。サダメ……〟と仰っている。サダメっていうのはオレの因果の銘で、オレの呼び名だ。

 名無しのオレに、この姫様が授けてくれた名前でもある。


 どうやら、ここにはもう見るべきものはないのだろう。こちらの返事も待たず、さっさと部屋を出て行く我が主。

 やれやれと後を追って廊下に出れば、すでにだいぶ先行している姫様の後ろ姿……何つーか、従者を待とうとかいう気配りは皆無らしい。


 まあ、いつものことだ。


 うちの姫様は独断専行が基本。このビルに踏み込んだのも、スズが何やら首をかしげながらさっさと入ってしまい、慌てて追い掛けた次第だ。


 訊けば、生者の気配を感じたらしい。

 ……ってことは、ちょい違うってことなのか?

 元よりそんな気配は感知できていないオレにはさっぱりだ。


 ま、実際、生者の痕跡はあったわけだし、なら、何かあるんだろう。

 どの道、イクサには霊的な痕跡は読み取れないんだ。

 探索はスズに任せとけばいい。いざって時にはさんざん扱き使われるんだから、それまではのんびり構えさせてもらうさ。


 込み上げた欠伸を噛み殺しながら、傍らに並ぶ窓に眼を向けた。

 朝というにはもう高い陽差し。照らされた廃墟群の彼方には、とんでもなくデカい車輪が見える。

 観覧車とかいうそれは、名の通り、景色を眺めるための乗物らしい。

 当然、今は動いていない。

 あれだけデカい車輪が回る様は圧巻だろうし、高みから望む景色は壮観だろう。ちょいと乗ってみたい気もするな。


 なーんてダラけまくってたのがバレたのだろうか?


「………………」


 前を行くスズが、何やら呟いた気がした。

 慌てて向き直れば、前方にて立ち止まっている矮躯の姫。けど、その顔はオレではなく、傍らにある大きな両扉を睨みつけている。

 色素の薄い小さな唇が、微かに動いた。


 唇の動きから読み取るに、どうやら〝……何か聞こえる……〟と、仰ったようだ。


 言われて近づいてみれば、確かに、扉越しに何か聞こえる。

 朗々とした声……歌うような……それに音楽もだ。

 誰かが居る? それにしては気配は感じない。なら、そういう記録を流しているだけか? 当代には、音やら景色やらを記録して再生するカラクリがあるのは知ってる。

 改めて集中してみても、やはり、扉越しに気配は感じられない。

 少なくとも、生者やイクサが潜んでいるわけではないはずだ。


 だが、スズはまた微かに呟いた。


〝……妙な痕跡が、濃い……〟


 つまり、スズが感じている〝妙な気配〟の主が、最近までここに居たってことか? あるいは、まだ潜んでいる?


 ……何にせよ、ダラけてる場合じゃねえな。


 見たところ、この扉は押せば開きそうだ。

 オレは左手に弓を握り締める。

 右手で矢筒から一矢を抜いた。それを番えた形で弓手で挟み持ちつつ、右手は腰の短刀に添える。そうして射撃と斬撃、いずれにも移れるよう身構えながら、肩でゆるりと扉を押し開けた。


 わずかに開いた隙間から、途端にハッキリと流れ洩れてくる音声。


 そこは大広間というほどではないが、充分に広い部屋。

 照明はない。しかし、真っ暗ではない。

 対面の壁に映像が映し出されており、それが光源となって室内を明滅で染めている。

 横幅二間……約四メートルは優にありそうな大型の〝もにたー〟。鳴り響く音声といい、やっぱり、何かの記録映像を流していたのか?


 映像の中では、煌びやかに着飾った演者たちが、神楽殿のような舞台で儀式めいた所作で動いている。たぶん、芝居とか舞台劇とかいう娯楽だ。


 改めて室内を探ってみるが、やはり、何者の気配も姿もない。

 整然と並ぶ無数の座椅子や長机といい、ここは映像を視聴するための部屋なのか? 映画館とかいうやつ……にしては狭いよな。

 廊下側、扉の脇には〝202会議室〟という表記があった。

 当代では、軍議や座会にも映像を使うのかねえ。


「なあ、スズちゃ……ッ!?」


 呼び掛けようとした半ばにて、殺気を感じたオレは、反射的に右手を閃かせた。


 瞬間、ふたつの風斬り音が交錯する。

 矢弾が飛来した音と、オレの短刀がそれを斬り払った音。

 宙に跳ねた矢弾の残骸が床に落ちるよりも前に、さらに二本の矢が飛来してくる。


 射線は廊下の向こう、オレらが来た方とは逆側からの射撃。


 オレはスズを抱き込みかばいながら、素早く部屋の中に飛び込んだ。


 弓に矢を番えつつ扉の陰から外を窺えば、廊下の向こうから、勇ましい威嚇の声が響いてきた。


「そこの怪しいヤツ! 何者ですか!」


 堂々と放たれた誰何すいかは、若い女の声。

 やれやれ、そっちこそどこのどなたか知らねえが、すでに射掛けてから〝誰だ?〟はないだろう。


 何にせよ、向こうが殺る気なら、こっちもモタついてはいられない。


「スズ、どうする? 仕留めるのか? 放置か?」


 傍らの姫様に指示を仰ぐ。

 ……と、微かに息を呑んだ気配があった。見れば、スズはいかにも不可解そうに眼を見開いて、外の気配に集中している様子だった。

 どうやら、あの女が、スズの感じてる妙な気配の主なのか?


「……スズ?」


 再度問う。

 矮躯の影姫は、その幼い貌を怜悧に引き締め、オレを睨み上げた。 


〝……捕らえよ。手段は問わぬ……〟


 短い下知を残して、オレの影の中へと潜る。


〝影隠し〟────。


 影の中を出入りできるというスズの神通力。とはいえ、影姫ならみんなできるってわけじゃねえみたいだし、オレの影以外に使っているのを見たことはねえ。

 何であれ、主の安全を気にせず戦えるのは気楽でいいんだが、しかし、捕獲か……いきなり無茶な要求ですこと。


 ま、オレも武士のかなり端くれ、主命とあらば致し方なしってやつだ。


「んじゃ、我が姫の仰せのままに、頑張ってみますかね」


 オレは構えた弓矢に闘気を込めて、廊下に飛び出した。

 横っ飛びの体勢で、中空にあるままに彼方の敵に狙いを澄ます。

 遠間に陣取る敵の射手。

 白装束に白塗りの軽装具足、大弓を携えたその姿は絵に描いたような弓取りの女武者。長い髪を頭の後ろで結わえ、真っ直ぐにこちらを狙い見てくるその貌には、見覚えがある。それも、ついさっき見たばかりだ。


 あの家族写真に写っていた少女────。


 生存者? いや、この気配はイクサ? いったいどうなってやがる!?


 思考の惑いが、オレの射を刹那に遅らせる。

 その無様な空隙を、女の眼光が凛と射抜いてきた。


「距離は十五間! 邪魔無し、風無し、捕捉完了! それでは、ブチ抜かせてもらいます!」


 鋭い口上と共に放たれた一矢。

 一矢であったはずのそれは、放たれた瞬間、無数に増えていた。


「な────」


 驚愕に呻く間などありはしない。

 数多の矢弾は、さながら横殴りの驟雨しゅううのように、瞬時に容赦なく襲い掛かってきた。


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