サリユクカコカラニジムヤミ(6)
「……さて、方法をどこから仕入れたも何も、
左肩をかばいながら床に座り込んだシズカ殿。その返答に、対するナナオ殿は思案げに首をひねった。
「…………ウチは知らん。そんなに有名な術やっとね?」
「有名だと思うけどね。かの
その西行法師の為した反魂法とは、白骨化した骸を繋ぎ合わせて五体を整え、そこに死霊を口寄せして黄泉返らせる、左道の法であったようだ。
左道の名が示す通り、それは邪法の類。
目覚めた骸に宿ったのは意思も理性もない虚ろな獣のごときもので、まさに動く屍……それこそ屍鬼のようであったという。
「……まあ、西行法師のあれは、死者を生き返らせるというより人造人間の制作だけどね。何にせよ、古今東西、死者の蘇生といえば、骸を使うのが常道だ」
眼前に
その頬にはハッキリと汗の雫が垂れている。ならば、その笑みは、術式を知らなかったナナオ殿を嘲っているわけではなく、肩の痛みを強がったものだろう。
「冥府であれば、影姫の力に縛りはない。鬼火を触媒にして依代を編み上げるのも可能。現に、ふたりで散々にやっただろう? けれど、現世でそれは無理だ。だからね、逆に現世では骸を触媒にしないと、イクサの黄泉返りは叶わない」
「……御魂は、どうやって現世に運んだと? お兄さんの御魂は、ヨモツヒラサカをさまよってたんよね」
ナナオ殿の問いに、シズカ殿が指し示したのは、自分の背腰にある黄金造りの宝刀だった。
「その太刀は、
あの時────。
現世で目覚めた自分の胸には、この黄金刀が突き立てられていた。
つまり彼女は、冥府にてさまよっていた我が御魂をこの剣に宿らせ、現世で見つけた骸に宿らせ直すことで、黄泉返らせたとういうわけか……。
「……要するに、都合良く持っとった道具と、都合良く見つけた骸を、これ幸いと利用した。そういうこつね?」
「そういうことだ。けど、浅慮だったようだね。まさか、骸の遺族が健在で、しかも、黄泉返った彼と再会するなんて、思いもよらなかった」
口の端を歪める黒羽根の姫。どこか自嘲気味なその苦い笑みに、ナナオ殿はいかにもやれやれと溜め息をこぼした。
シズカ殿は、冥府をさまよう自分の魂を、愛しき源九郎の魂、もしくはその生まれ変わりではと期待していたらしい。
だからこそ、自分を黄泉返らせようとした。
しかし、もし、自分が源九郎の生まれ変わりであるならば、彼の英雄は己の最後に何ら悔いなく成仏し、
残したシズカ殿に、何の未練もなかったということになる。
彼女はそれを恐れ、惑った。
ゆえに、あえて余計な手間暇を掛けて、姿が触媒たる骸のそれに固定されて、記憶も混濁し曖昧となる、不完全な反魂法を行使した。
何とも回りくどいことだが、それにあきれる資格は、自分にはない。
自分とて、父への想いから、その名を騙った身だ。シズカ殿の複雑な心情には、共感し、同情する部分も確かにある。
そして、彼女の友人たる猫殿もまた然りなのだろう。
「……わかった。あんたが光彦君を殺めたんと違うなら、それで良かよ」
気のない風にそっぽを向いたナナオ殿。けれど、微かに揺れた声音と双肩が、その内心の安堵を雄弁に語っていた。
そう、シズカ殿は骸を利用しただけだ。
この肉体を……伊佐良木光彦を殺めたのはシズカ殿ではない。あの黒髪黒衣の男だ。
刻まれた光彦の記憶が、そう告げている。
あの男は何者なのか?
自分はどこかで……おそらくは生前に会ったことがあると感じた。しかし、思い出せない。黄泉返った当初と同様、頭の中にモヤが掛かったかのごとく霞んで、記憶をたどることができない。
それでも、黒羽根シズカ殿ではないのはハッキリしている。性別も顔立ちも体格も声も、まるで違った。
同じなのは、黒髪黒衣に白い肌というモノクロームの色彩…………それから、身にまとう雰囲気が、とても似ていた。
そうだ。雰囲気は……似ていたのだ。
気高い……いや、
生者とは違う気配。なれど、イクサや屍鬼のような暗い淀みのような濁った気配とは正反対。
それはナナオ殿や、スズメ殿もまとっている、神性とでもいうべき常世の威風。いうなれば、神々しき何かへの
人為らざる神威をまとう、あの男はいったい何者なのか?
「男の影姫というのは、存在するのだろうか?」
自分で唱えたその〝男の姫〟という言い回しに、違和感を感じた。
同時に、そう感じた自分の違和感にこそ、違和感を覚える。
自分は知っている。男であっても姫を担う者は珍しくないことを。
家の掟、土地の風習、祭事のシキタリ……特に神職にあっては男が姫巫女を務める例はいくらでもあった。
なのに、それに違和感を感じたのは、自分の中に光彦の記憶が混ざっているゆえなのだろうか?
「影姫はみんな女やけど……何で?」
「自分の中に、伊佐良木光彦の今際の記憶が残っている。この身に刃を突き立てた者。それは長い黒髪に、漆黒の衣をまとった、美しい男だ。そのまとう雰囲気が、あなたたち影姫に、よく似ている」
それから────。
「そいつが使っていた太刀は、この黄金刀にそっくりだった」
ナナオ殿が不可解そうにシズカ殿に向き直り、シズカ殿はさらに不可解そうに美貌を歪める。
「……さて、心当たりはない……な。そして、見当というなら、いずれ異界に連なる人ならざる何かだろうとしか言えないね」
「冥府にそれらしい男神はおらぬのか?」
「そりゃあいるさ。けどね、私たちは、化けるから化物と呼ばわるんだ。姿形はどうとでもできる。自由自在とまではいかないがね」
確かに、例えばナナオ殿は、人の姿にあっても猫耳は消せぬようだ。それぞれに制限や縛りがあるのだろう。
「まあ、キミも見ての通り、どうせ化けるなら、見目麗しく化ける者がほとんどだよ」
シズカ殿はニヤリと笑みながら、自身の貌を指差した。次いで、ナナオ殿を指差す。未だ自分の頭を抱き締めたままの猫殿は、やや面白くなさそうにプイと顔を背けた。
「ウチは大好きやった大奥様の御姿を真似とるだけっとよ。……まあ、実質、若い頃の姿やし、胸は少し盛っとるけど……」
察するに、大奥様とやらは、ナナオ殿が猫であった頃の飼い主か?
ふむ、少しというのがどういう加減かは判じかねるが、彼女の胸の豊かさは、今まさに側頭に押しつけられて実感している。
見上げれば、間近に見下ろしてくる金色の眼差しとかち合った。
「……何ね? 何か文句あると?」
「いや、全くもって文句はない。前にも言った通り、あなたは容姿も中身も自分の好みだ。是非ともそのままの在り様で、そのままに振る舞うことをお願いする」
誤解されても困るので、正直に返答した。
「……そう。文句が無いなら、別に良かよ」
ナナオ殿は、ぼそりと吐き捨てるように呟いた。
だが、どこか戸惑うように金瞳を泳がせつつも、抱き締める腕に力を込めてくれたので、どうやら機嫌を直してくれたのだろう。
「ふーん、キミは、豊満な方が好みなのかい? なら、私も少し
シズカ殿が、何やら悩ましげに己の胸元を撫でながら、スッとこちらに身を寄せてくる。
さて、それはナナオ殿への挑発か? それとも自分へのからかいか?
「シぃぃズぅぅカぁぁ……」
「ふふふ、いちいち
ナナオ殿の抱擁が強まり、シズカ殿の身を乗り出す角度が深まる。
自分を挟んで睨み合うふたり。金の瞳は威嚇するように見開かれ、対する黒い瞳は愉悦に細められていた。
この黒羽根の姫は、
せっかくナナオ殿が機嫌を直してくれたのに、その神経を逆撫でするのはやめて欲しいのだが……。どうにも、困ったものだな。
「そら、研ぎは終わったぞ。さっさと受け取りやがれタラシ野郎」
響いたのは、いかにもウンザリとした雲井殿の声。
……だから、なぜ自分がタラシ野郎なのだ?
反論しようとして、しかし、改めて己の状況を考える。
ナナオ殿の胸に身を預け、シズカ殿に擦り寄られたこの姿は……なるほど、まごう事なき女タラシの様相であろう。
自分としては、そのようなつもりはない。かといって、否定するのも無様な言い訳のようで、潔くない。
なれば、甘んじて受け入れよう。
自分はやんわりとナナオ殿の抱擁を解いて立ち上がり、雲井殿の待ち構える窓口へと歩む。
カウンターに差し出された緋水の二刀。
それを受け取る際、頭巾越しの鋭い眼光が睨みつけてきた。
「黒羽根の姫様の傷だがな……普通の傷じゃあねえ。因果がねじれちまってる。傷を負った〝因〟から、傷が癒えるという〝果〟に繋がる流れが断たれちまってるんだ。…………わかるか?」
わかるかと問われれば、理屈は全くわからない。
だが、意味するところは察しがついた。
「このままでは、彼女の負傷は治らないということか?」
「ああ、そうだ。思いっきり単純に言い切っちまえば、ありゃあ呪いの傷だ。呪ってきた当人を滅ぼすまで、姫様の傷はあのままだ。なら、わかってるよな?」
なお鋭利に眇められた視線が、自分を射抜く。
イクサは無念に囚われ黄泉返った戦士の怨霊。だが、同時に、冥府の神たる影姫に仕える武士である。
「承知した。彼女の肩を貫いた〝鬼〟とやら、探し出して
「おう、わかってるならいい。オマエさんは、ただでさえ女を泣かせまくってんだ。そろそろ甲斐性見せろよ、タラシ野郎」
辛辣な激励に、自分は苦笑いで応じつつ……。
ふと、思った。
因果をねじり歪める呪いの傷。
癒えぬ負傷、再生を阻まれた損傷。
それは、あのカイナの右腕と同じなのではないか?
なれば、カイナの腕を断ったのも鬼か?
……いずれにせよ、イクサの不死身が通じぬ戦いとなるは確かだ。
事態は深刻にして、敵は脅威。だというのに、この身に走るのは戦慄だけではなく、ハッキリとした昂揚感と期待感を伴っている。
我が二天の剣。
悪鬼羅刹の魔物を相手取ってなお、通じるや否や────。
自然と口の端をツリ上げた自分に、対する雲井殿は、心底からあきれ果てた様子で、深い深い溜め息を吐き捨てる。
「……ったく、馬鹿は死んでも治らねえってのは真理だな」
それはまっこと、その通り。
なれば、自分は万感からの肯定と覚悟をもって、腰の二刀に剣気を込めたのだった。
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