第2章 理ヲ蝕ム理ヲ

コトワリヲムシバムコトワリヲ(1)

 

               ※


 武人が武人として輝ける舞台を造り出す。

 それが私の目的だった。

 正確には、目的のための手段だ。

 本懐は、死して冥府をさまよっているはずの彼……愛しいあの人を迎えることであり、そのための手段だった。


 我が愛しき君……希代の英雄にして軍神と讃えられし人。


 その武を存分に振るえる場所を用意して、彼がイクサとして黄泉返ってくるのを、私は待っていた。


 けれど、その夢は潰えた……いや、当の昔に潰えていたようだ。


 愛しき彼、無垢なまでに純粋に武を振るい、想いのまま戦いに明け暮れた彼。

 戦場においては天才、なれど、日常においては凡才以下。その拙いまでの無垢がゆえに兄を裏切り、裏切られ、そして死に絶えた哀しい英雄。


 その最期を無念に思わぬはずがない。

 未練を遺していないはずがない。


 そう、思っていたけれど……。


 どうやら、彼はあの最期を受け入れていたらしい。無念も未練もなく、成仏していたようだ。


 潔き武人。

 そう言えば聞こえは良いし、実際、気高いことなのだろうけれど……。

 残された私は、彼を想いながら待ち焦がれていた私は、虚しいひとり芝居を続けていただけだと知った私は……。

 何とも、途方に暮れる話だ。


(さて、これからどうしたものだろうかね……)


 夜の廃墟をゆるゆる歩みながら考える。

 私の目的は潰えた。

 黒羽根シズカの想いは、愛しき彼には届かなかった。

 とはいえ、愛しき彼に良く似たアイツに乗り換えるなんてのも、今さらどうなのだろうね。そもそも、アイツにはすでに心に決めた伴侶がいるようで、しかも、その伴侶はナナオ。私の……まあ、親友だ。

 親友の良人に横恋慕とか、そういうドロドロしたのは疲れる。とても疲れる。


「仕方ない。他にやりたいことがあるわけでなし……影姫らしく、冥府の官吏として働くとしようか……」


 私はあえて声に出してぼやきながら、限りなく溜め息に近い深呼吸をひとつ。


 それから、廃墟の街並みをぐるりと見渡した。


 月明かりに照らし出されているのは崩れたビル群、崩れた街路、人の営みが途絶えて久しい末世の廃墟。

 そこに蠢くのは、人のシルエットを歪に真似た、人ではない者たち。


 屍鬼。


 それは命を無くした骸が、魂無きままに異形の鬼となった怪物。そんな怪物たちが、今の現世にあふれ返っている。


 事の始まりがいつであったのか……恥ずかしながら、我ら冥府の官吏は把握していない。現世の事柄など気に留めず、ただ、ただ、送られ流れてくる霊魂の導きだけを事務的にこなしてきた影姫たちは、ある時、その霊魂の流れが極端に減少していることに気がついた。

 死して冥府に流れてくる魂が激減している。

 冥府に魂が流れてこない。それは輪廻に還る魂もないということであり、すなわち新たに生まれる命もなくなる。輪廻転生の流れが途絶えてしまう、現世の存続に関わる一大事。


 ……けど、その現世の一大事を前にした影姫たちは、それでも気に留めなかった。


 冥府に存在する自分たちには関わりないこと。むしろ、仕事が減って楽になる。そう思う影姫ばかりだった。


 人の世の堕落……とは、よく聞いたけれど。

 人ならざる者の世もまた堕落していたのだろう。


 実際、私自身も堕落した一柱だ。

 現世の危機をこれ幸いと、己の恋慕を成就するために利用したのだから、全く度し難いこと。


 反省したわけでも改心したわけでもないけれど、乗り掛かった船だ。他にやることもないし、現世の救済を試みてみるとしよう。


「そもそも、救済する余地があるのかは、わからないけれどね」


 不遜に苦笑いながら、さて、普通に考えれば、現世に屍鬼をあふれさせた何かが起きた。あるいは、あふれさせた何者かが居るということだ。


「世界を滅ぼした悪者退治か……そういうのは、それこそ英雄の役目だろうに」


 八咫やたの黒羽根の役目は、その英雄を導くこと。だというのに、黒羽根が自ら英雄の真似事とは、実に片腹痛いじゃないか。


「なあ、そうは思わないかな? 少なくとも、私はそう思うんだ」


 迫り来る屍鬼の群れを、傾げるように流し見て問い掛ける。

 返事はない。まあ、屍なのだから当然だ。

 代わりに返ったのは獣めいた呻きと、殺意のない暴威。

 私は右手に鬼火を宿す。蒼い炎は瞬時に収束し、ひと振りの太刀を象った。握り締めたそれを薙ぎ払う。

 胸元を一文字に断ち斬られ、蒼く燃え上がる虚ろな骸たち。

 燃え尽きるその向こうから、さらなる咆吼が響き、群れを成した屍鬼たちが雪崩のごとく襲い来る。


「やれやれ、力と数に任せてどうにかしようとか、最低だね」


 私は左肩に下げていた筒鞄を前に放り投げる。

 ゴルフバッグに良く似た、けど、それにしては身の丈を超えて長いそれから飛び出したのは、長槍と、砕棒と、大槌の三本だけ。七本あった私の長柄武器は、ほとんどをあの愛しくも憎らしい二刀の剣術バカに砕かれてしまった。

 けれど、屍鬼を相手にはそれでも充分すぎるだろう。

 私は鬼火で編み上げた三本の触腕を伸ばし、それぞれ三本の長柄をつかみ上げ振り放つ。空を薙いだ三重の疾風は、群らがる屍鬼どもを諸共に打ち据え、千々に吹き飛ばした。


 立て続けに振り回した長柄にて、さらなる屍鬼どもを次々に薙ぎ払う。

 私はゆるりと歩き出した。右手の蒼刀をダラリと下げ、それこそ月夜の道を散策するように無造作に進み行く。


 影姫。

 その中でも戦神に属する私には、こんな連中は何十群れようと敵ではない。敵ではないけれど、さすがにこの数にはウンザリしてきた。


「何十どころじゃないね。あるいは、百を超えているか……」


 元より当ての無い探索行。屍鬼が群れているのを見つけて、適当に踏み込んでみたのだけれど、本当に、こんなに多くが群れているのを見るのは初めてだった。


「ここらに、キミたちの巣でもあるのかい?」


 コイツらに巣や縄張りという概念があるのかはわからない。


 屍鬼。

 それは名の通り、屍の鬼。


 死してなお怨念や意識が遺体に残留し、化生したモノ。

 魂の無い骸を、何者かが呪によって操ったモノ。

 何らかの霊威が骸に宿り、起き上がったモノ。


 いずれにせよ、屍鬼とは骸に〝何か〟が宿ることで成る怪物だ。


 しかし、今、現世にあふれたコイツらには何も宿っていない。

 正真正銘、カラッぽの動く死体だ。

 そして、この屍鬼どもは、屍鬼ではないものを見ると襲って来る。

 喰うわけでもなく、ただ、相手が動かなくなるまで対象を破壊する。

 現世の物語によくあるように、屍鬼に噛まれた者が屍鬼になる……というわけでもない。なら、仲間を増やそうというわけでもないのだろう。

 食欲でも、繁殖でもない。

 ただ、ただ、生あるものに死をもたらすために徘徊する屍たち。


 仮に、この屍鬼どもが、何者かによって生み出されたモノだというのならば……。

 その目的は、生者を駆逐する。その一点であるということか?


「だとしたら、随分とロクデモナイ話だね」


 私はウンザリと吐き捨てつつ、手にした蒼刀で眼前に迫った屍鬼を斬り捨てた。

 蒼い鬼火に包まれ燃え上がる屍鬼。

 周囲には、同じように蒼く燃え上がる無数の屍鬼たちの姿。淡い月光を掻き消して、蒼く蒼く夜を照らし出しながら、燃え尽きて逝く。

 蛍火のごとく舞い上がった鬼火。骸に残留した魂魄の残滓。それらを集めようと、私は手を伸ばした。


 だが────。


「……何だい?」


 思わず顔をしかめた。


 周囲に舞い上がる無数の鬼火。それらは何かに吸い寄せられるように渦を巻いて流れ出す。

 私の手に……ではない。

 通りの先、瓦礫の向こう、廃墟の建物の中、その暗がりの奥へと呑み込まれていく。


 何かが居るようだ。


 物音はしない。

 気配もしない。

 霊的な圧力だって感じない。

 肉体としての五感も、戦士としての感性も、影姫としての霊感も、そこに何かが居ると感じていない。


 けれど、居るようだ。


 鬼火の流れを追っていく。

 朽ち果て崩れかけた建物のひとつ、元は商館……オフィスビルの類であったのだろう。広い吹き抜け構造の玄関広間。舞い流れる鬼火に淡く照らし出されたその中央には、ドス黒い何かが息づいていた。


 床にうずくまったそれは、一見して、背を丸め膝を抱えた人型。


「……号か……?」


 亜号屍鬼。

 号とは、冥府の者が妖物や怪異を分類する名称だ。

 人型だから号、獣型だから号と、実に大雑把な括り。そして、それらの中で特徴的な差異をもった個体……例えば、人型であるが通常より巨体であったり、鳥や獣を象りながらも人のような腕を生やしていたり、そういう特異な亜種を差して、亜号と称している。


 改めて、大雑把な呼称。

 そんな異形の中の異形ともいうべき個体が、なぜ存在するのか? その根本を求めることはせず、ただ呼び名がないのは不便だからと呼ばわっただけのもの。


 つくづく、冥府の堕落ぶりを思い知る話だと自嘲を浮かべながら……。


 眼前にうずくまる亜号屍鬼を睨む。

 人型で大柄な体格。四肢を丸めているのでイマイチ判じかねるが、身の丈は十尺……三メートルに近いのではないか? 筋肉質ではなく、ブクブクに肥え太った肥満体。それが無理矢理に膝を抱えてうずくまっている姿は、まさに肉の塊といった様相だ。

 その肉塊に、流れる鬼火がゆるゆると吸い寄せられ収束している。


 吸収……要するに、喰っているのだろう。


 屍鬼が鬼火を喰らう。

 そんな事象は知らない。

 死肉や血肉を喰らう屍鬼はいた。だが、霊威を喰らう事象はついぞ知らない。ましてや、現在あふれている屍鬼たちは死肉すら喰らいはしないというのにだ。


 肉塊の亜号屍鬼。抱えた両膝に圧され変形した胸部の肉……それは肥満体であるのを差し引いても豊満に過ぎる。


「女体なのか……?」


 理解は、すぐに不吉な予感をもたらした。

 私は即座に鬼火の触腕をひるがえし、三本の長柄を投げ放つ。


 蒼い炎を纏った長柄は、三条の光線となって巨体の亜号を貫いた。


 瞬間────。


『ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!』


 張り上げ轟いた叫声。

 うずくまっていた亜号が顔を上げ天を仰いだ。

 咆吼するように大きく開かれた口。だが、響いた叫声の発生源はそこではない。


「ふん、月並みで悪趣味な怪異だね……」


 私はウンザリと毒突く。

 仰け反り倒れた屍鬼の巨体。その張り裂けんばかりに膨張していた腹部を、現に引き裂いて突き出されている腕。

 逞しく隆々と筋肉質な右腕が、天をつかみとるかのように真っ直ぐに突き出されていた。

 蒼い淡光に艶めくそれは、血に塗れているがゆえか? あるいは、元よりそういう質感の表皮なのか?


 豪腕は身じろぐように蠢き、すぐに残りの部分が屍鬼の腹から這い出してきた。

 再度、張り上げられた叫声。

 もう疑うべくもない。これは産声だ。

 屍鬼が、孕んでいた異形を産み落とした……否、宿っていた異形が宿主を喰い潰して這い出してきたのか?


 何がどうしてそうなったのか……それはわからないが、生まれ出たそれが何であるのかは、見れば概ね了解できた。


 引き裂かれ蒼く燃え尽きていく屍鬼の骸、それと引き換えに全身を現した異形の赤子。まあ、赤子と呼ぶには語弊があり過ぎるね。母体に負けぬ長身に、母体とは似ても似つかぬ筋骨逞しい巌のような体格。


 異形の男。


 人の形をしているが、人ではない。

 それは屍鬼から産まれ出たことよりも、異常な巨体であることよりも、なお明確な特徴的差異がある。


 薄闇に佇むシルエット。

 その頭部には、雄々しいまでに天を衝く二本の角が生えていた。


「……〝号〟か……現世に顕現けんげんするのは実に久しいな」


 鬼号。

 その名の通り、鬼の怪異だ。

 災厄たる怪異の根源。人に仇為あだなし、世に仇為し、コトワリを蝕むモノ。数多の神話に、伝承に、物語に、散々に書きつづられ記されてきた害悪の代名詞。


 ならば、それを調伏することに、刹那にも迷う必要はない。


 私は鬼火の触腕を伸ばし、床に落ちた長柄を拾い上げ振り放つ。

 走った砕棒が鬼の腹を突き、ひるがえった大槌が鬼の横面を薙ぎ払う。次いで宙で回転した長槍を垂直に降らせて、鬼の延髄を貫いた。

 衝撃にグラついた鬼の巨体。トドメとばかりに砕棒と大槌を左右から投げつける。叩きつけた長柄の打撃が、鈍い破砕音を響かせた。


「ダメ押しだ」


 左手で頭上を撫でる。燃え上がった鬼火が無数の剣刃を象り、直後、その全てが空を裂き、鬼を目掛けて飛翔した。

 飛来した鬼火の剣刃に貫かれ、蒼く燃え上がる異形の姿。蒼炎に包まれるその様子に、けれど、私は怪訝けげんを抱いて身構えた。


 無音だった。


 打たれ貫かれ、鬼火に焼かれながらも、この鬼は何の反応も示していない。悲鳴も怒号も、呻きすらもこぼしていない。


「何だコイツ……?」


 疑念は、だが、今は横に押し退けつつ、私は新たな蒼剣を生み出そうと左手を掲げて……。


 ひゅん……と、空気が引き裂かれる音が響いた。


 そう知覚した時には、すでに私の身体は切り揉むように吹き飛ばされていた。左の肩口を襲った衝撃。床に叩きつけられながらも。すぐに身を起こそうとして、己の左肩口に突き刺さった長柄槍を見る。

 私の槍だった。

 鬼の延髄に突き立てたはずの素槍だ。それが私の肩を貫いている。


 投げ返された?


 激痛とともに理解する。

 同時に、私は床を蹴った。転がり身を退いたすぐ後に、直前まで居た場所を、轟音と衝撃が穿った。

 床を砕いて突き立っている大槌。当然、今し方に私が鬼に投擲とうてきした物。


「フハッ! ハハッ! ハッ!」


 小馬鹿にするように短く区切った笑声が広間に響いた。

 笑声の主は、中央に佇む異形の鬼。

 鬼火が消え、薄闇に包まれたこの場ではその陰影しか窺えない。が、その声音には微かな苦悶も混じっていない。

 健在ということだろう。

 私が打ち据えた痛みも、貫いた傷も、包み上げた蒼い炎も、何ら痛痒に感じていないようだった。


 ジワリと背筋に走った怖気は、焦燥よりも憤慨からだった。


「不愉快だね」


 敵意を吐き捨て、肩口の槍を握り締める。そのまま力任せに引き抜いた。傷口から体液の代わりに鬼火が噴き上げる。

 この身は、現世に顕現するために象った依代。

 イクサと同様、鬼火で編み上げた仮初めの肉体だ。が、仮初めでも今は己の肉体。傷つき過ぎれば存在も危うい。

 まして、死人のイクサとは違い、神たる影姫は五感も生きている。傷つけば痛い。とても痛い。肩を槍で貫かれるなんて、それこそ泣きそうになるくらい痛かった。


 だから────。


「貫いたのはこちらが先だ。けれど、痛いのが私だけというのは、不公平というものだろう?」


 やられたらからには、やり返す。

 それが黒羽根シズカの流儀だ。


 私は長柄槍を肩に担いで、立ち上がる。

 睨みつけた前方には、仁王立ちで構える鬼の姿。私の砕棒を鬼の金棒よろしく握り締め、同じく肩に担ぎ上げている。


 その隆々としたシルエットには、左の肩口から先が……つまりは左腕が欠けていた。



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