コトワリヲムシバムコトワリヲ(2)


 私は構えた長槍を振りかぶる。

 左足で地を踏み締め、右足を大きく踏み込み、引いていた右半身を前にひねり出しながら、真っ直ぐに突き放つ。

 両脚で踏み締めた勢いを脚から腰に、背から肩に、そして腕に、螺旋のごとく駆け巡らせ練り上げて、その力を途切れさせること無く繋げて重ねて束ね上げ、握り締めた得物に伝達する。


 踏み込む重心移動と全身の瞬発を束ねて放つそれは、知る限り、あらゆる武技に共通する基本にして真髄たる挙動。


 今、私が為したのが少し違うのは、槍を握り締めているのは自身の右手ではなく、鬼火で編み上げた触腕だという点だ。


 グンッ! と、唸りを上げて伸びた蒼炎の腕。


 長々と伸びた刺突は、さながら獲物に喰らいつく大蛇のごとく、遠い間合いを瞬時に貫いて、彼方に立つ隻腕の鬼号を穿った。

 胸元に深々と槍を突き入れられた鬼号屍鬼。ぐらりと天を仰ぎながら声を上げる。だが、それは悲鳴でも絶叫でもない、あのしゃくに障る高らかな哄笑だった。


「フハッ! ハハッ! ハハハハハッ!」

「…………」


 私は素早く槍を引き抜き戻す。

 鬼の胸元から蒼炎が噴き出し、蒼い血液のようにあふれて落ちる。

 常世の者にとって、鬼火は存在の要。鬼火の消耗は存在の消耗であり、流れ出る鬼火はまさに生者が血を流すのに同じこと。

 けれど、鬼号が張り上げているのは苦悶ではなく嘲笑のままだ。


 私はイラ立ちも露わに槍を構え、地を蹴った。


 左肩の傷はまだ再生していないため、右腕一本で長槍を構え、遠間を二度の跳躍で駆け潰し、その勢いを乗せて突き放つ。長柄を脇に挟み、握った手首を内回しにねじりながら突き出した刺突は、さながらドリルのごとく鬼号の腹を穿ち抜いた。

 確かな手応えと、噴き出す蒼炎。

 けれど、やはり鬼号が張り上げるのはひたすらに耳障りな哄笑だった。


「何なんだキミは……?」


 攻撃が効いていないのか? けど、手応えはある。蒼炎も噴いている。なら、負傷を意に介していない?

 屍鬼ゆえに痛みを感じていないのか?

 巨躯に多少の穴を穿たれようと気にもならないと?

 剛毅ごうきなことだ。


「なら、動けなくなるまで刻んでやるとしよう」


 私は槍を引き抜き様、右足を大きく後ろに退いた。

 左半身の構えを取ったのは一瞬のこと、すぐに踏み込んで右手の長槍を振り放つ。相手の左脇腹から右肩口へ、穂先ですくい上げるように斜めに斬り上げた。

 噴き出した蒼い血飛沫。

 その飛沫ごと、今度は斜めに斬り下ろした。

 さらに噴き上がった蒼い炎。そんな穢らわしい返り血など浴びてやるものかと、私はさらに槍を薙いで、薙いで、薙ぎ払って、その旋風で蒼い血飛沫を払いながら、更なる斬撃を叩き込みまくった。

 鬼号の腹を、腕を、脚を、次々に手当たり次第に斬り刻む。眼前の鬼号は斬撃にひるみ、よろけ、大きく一歩後退り、それでも、その高らかな哄笑だけは一瞬も止まらない!


「いい加減に黙らないか? キミの笑い声は、心の底から不愉快だ」


 溜め息には本気の嫌悪を込めて、私はひときわ強く鬼号の横面を薙ぎ払う。鈍く硬い衝撃。さすがの鬼の顎も砕けたか?


 いや、これは……ッ!


 私は薙いだ勢いのままに全速で身をひるがえし、背面越しに石突きを突き出した。鳩尾を強かに打たれて前のめりになった鬼号、その顔面を、振り向き様に返した穂先で斜めに突き上げる。

 嘲笑するその口腔を貫こうと放った、渾身の刺突撃。


 けど、返ったのは硬い衝撃で、響いたのは甲高い金音だった。


 硬い物と硬い物が打ち合う手応え。私の槍の穂先は、鬼号の牙にガッチリと喰らい止められていた。


「何だそれは……」

「クフッ!」


 白刃を噛み締め、ニンマリと笑う鬼号。

 私がさらに槍を突き入れようと力を込めるのと、鬼号がさらに牙をむいたのは同時のこと。

 そして力の拮抗きっこうに耐え切れず、構えた長柄はボッキリと砕けて折れた。


「馬鹿な……」


 すぐに大きく飛び退きながら、私は思わず呻いていた。

 槍を喰い折られたことに驚いているのではない。それはある意味で仕方無い結果だ。

 ヤツの横面を殴った時の衝撃。あれは相手の顎ではなく、こちらの槍が軋みヒビ割れたものだった。

 無理もない。この槍は、どこぞの二刀流とさんざんに打ち合って消耗していた。

 だから、それは仕方ない。仕方ないけれど……!

 この黒羽根シズカが、本気で、殺す気で、加減無く放った刺突を、あろうことか歯で噛んで受け止めるだと?


 しかも、だ。

 受け止めて、その上であの鬼号はなお動かない。


 仁王立ちのまま。担いだ砕棒を振るうことなく、遠退く私を追撃することもせず、折れた穂先を咥えたままニヤニヤと笑っている。

 思えば、さっきからずっとそうだ。

 ヤツの攻めは最初に武器を投げ返して来たっきり。後はただ、私の攻め手を平然と悠然と、事も無げに受け続けているだけ。

 そんなものは効かぬと嘲笑うように、いや、現に嘲笑いながら、薄闇の向こうからこちらを眺めている。


「……本当に、不愉快なヤツだね……」


 私は前方の敵を睨みつける。

 本気の殺意と敵意を込めて睨む。


「クフ! クフフフフフフフゥッ!」

 

 返ったのは、やはり嘲笑だった。

 仁王立ちの鬼号。喰い折った穂先を得意げに咥え、私の砕棒を片手に、いかにも愉快そうに嘲りを込めて、笑声を上げまくっている。

 深々と胸と腹を抉ってやったのに、さんざんに斬り刻んでやったのに、そんなものはどれほどもないとばかりに笑っている。実際、ヤツの全身から噴き上がる鬼火の勢いは急速に衰えていた。

 癒えているのだろう。

 逆に、私の左肩の傷は一向に再生する気配が無い。ズキズキと疼く肩口の傷は、未だ蒼い炎をこぼし続けたままだった。


 待て、癒えていない……?

 おかしい。確かに深い傷ではある。だが、少しも癒える気配が無いのはどういうことだ?


 私の疑念を見計らったかのように、耳障りな笑声が止んだ。


 前方で重い気配が動く。

 直後には、振り下ろされた砕棒が私のすぐ左側をかすめていた。ギリギリで転身して回避した私の足下で、石造りの床が盛大に砕けて破片を撒き散らす。


 一瞬で間合いを詰めて攻撃してきた鬼号。

 本当に、一瞬だった。

 癒えぬ傷に気を取られていたとはいえ、影姫である私が、仮にも戦神である黒羽根が、視認することも出来なかった。


「……ふざけるなッ」


 怒気は低く静かに、右手に蒼炎の刃を生み出して振り放つ。

 斜めに斬り上げた剣閃は、だが、見事に空振った。

 砕棒を振り下ろした体勢の鬼号の、その首筋を狙った斬撃だった。しかし、寸前まで深々と前のめっていた鬼号の巨躯が、今は大きく仰け反っている。


「この……」


 私はすぐに蒼刀を切り返す。斜めに振り下ろそうとした刃は、今度は硬い衝撃に打ち払われた。

 鬼の砕棒に……ではない。ヤツの砕棒は床に打ち下ろされたままだ。

 斬撃を防いだのは、槍の穂先だ。ヤツは咥えていた穂先を、唾棄のごとくプッと吹き出して、私の斬り下ろしにぶつけてきたのだ。


 凄まじい肺活量。

 ああ、それは確かに驚歎に値するよ…………けど、そういうことじゃあないよね?


 眼前には、ニヤニヤと嘲笑う鬼の笑み。


 ヤツはきっと砕棒でも打ち払えた。

 体捌きでも避けられた。

 これだけの身体能力があるなら、いかようにも防げたし、その上で反撃も出来た。

 なのに、この鬼は砕棒を振るわぬまま、身構えるどころか、あまつさえ床にドカリと胡座あぐらまでかいて、咥えていた穂先を吹きつけて防いだ。

 唾棄するように、防いで来た。


 要するに……だ。


「ああ、そうか、もしかして。キミはさっきからずっと、この私を舐め腐ってくれているのかな……?」


 それはそれは、気づかずに申し訳なかったね。

 静かに問い質せば、鬼はニッコリと嬉しそうに笑った。


「フハッ♪」


 短い笑声。

 それは嘲笑ではない。哄笑でもない。

 自分の気持ちを理解して貰って嬉しいです……と、そんな無邪気ともいえる喜楽の笑い声だった。


 ……ああ、本当に……。


「キミは、不愉快だ」


 だから、こちらも飛びっきりの笑顔で、右手の蒼刀をひるがえす。

 横一文字に放った首筋への剣閃。鬼号は胡座の姿勢のまま、ゴロリと後方に転がって回避した。全く馬鹿にした動きだ。が、こちらも馬鹿にされてばかりはいられない。


微塵みじんになるまで斬り刻み、灰燼かいじんも残さず焼き尽くしてあげよう……」


 薙ぎ払った斬光に沿って、無数の鬼火が燃え上がる。鬼火は瞬時に蒼い刃を形成し、転がり逃れた鬼号に次々と突き刺さった。


「……ォ?」


 鬼号の口からこぼれた呻きめいた音。

 私は構えた蒼刀をさらに振り放つ。縦に、横に、剣閃が薄闇を斬り裂く度に、蒼い斬光が無数の刃となってうずくまった鬼号に襲い掛かる。

 立て続けに燃え上がる蒼い閃光。

 私の放った蒼炎の刃が、そして、斬り裂かれ貫かれた鬼号の傷から噴き上がる蒼炎が、周囲の闇を再び蒼く蒼く染めていく。


 ホールに響き渡るのは、蒼炎の弾ける轟音と、刻まれ焼かれる鬼号の叫び声。

 それでも、私は攻め手を緩めない。加減もしない。

 蒼刀を振るい、鬼火を練り上げ、生み出した蒼い刃を次々と放つ。燃え上がる鬼号に目掛けて、放ち続ける。


「馬鹿げている……! なぜ、こんな……!?」


 轟音と叫声が響いている。

 私の蒼炎が弾ける音と、そして、鬼号が叫び上げるが……!


 だからこれは、最初と同じだ!


 咄嗟とっさに、鬼火の触腕を足下へと伸ばす。

 直後、眼前で燃え上がる蒼い爆炎の中から何かが飛び出して来た。

 真っ直ぐに、豪速に、こちらに投擲された砕棒。最初と同じ、私の左肩を目掛けて迫るそれを、私は触腕で拾い上げた大槌で受け止めた。


 耳障りな音を立てて砕け散る砕棒と大槌。

 粉々になった金属片の向こうから、嘲笑う声が迫って来る。大きく踏み込んできた鬼号の巨躯。全身をさんざんに蒼刃に刻まれ、蒼炎に焼かれ、今もなお燃え上がりながら、その片方だけの豪腕でつかみ掛かって来た。


「何なんだキミはッ!?」


 こんなに刻んでいるのに、こんなに燃やしているのに、なぜ平然としている!?


 殴りつけて来た鬼の拳。

 肩の傷口を狙ってくるそれに、私は回避も受け流しも間に合わず、蒼刀で正面から受け止めてしまった。

 重い衝撃に蒼い刀身は火花となって掻き消える。殺しきれなかった衝撃のままに、私は後方に吹き飛ばされた。


「ぅあッ!」


 こぼれ出た呻きは、痛みよりも口惜しさからだった。

 私は壁に叩きつけられるギリギリで、生やした黒翼を羽ばたかせる。勢いと速度は殺せたものの、体勢を整え切れず、形ばかりの受け身で床に転がった。

 そんな無様な私に向かって、鬼号が耳障りな笑声を張り上げる。


「……オレノ! ウデ! カエセ……!」


 哄笑が、初めて意味ある響きを奏でた。

 隻腕の鬼号が紡いだそれは間違いなく笑声だった。

 楽しげに、嬉しそうに、私を嘲るその声は、それでも、確かに悲痛な渇望のように聞こえた。


「左腕の無い鬼が、〝腕を返せ〟……か」


 なるほど、つまりコイツは負傷に追い打ちを掛けていたのではなく、始めから左腕だけを狙っていたということらしい。


「何にせよ、これは私の腕だ。キミに渡す謂われは無い」


 ウンザリと吐き捨てれば、鬼号はピタリと笑声を止める。

 グンッと身をたわめたと見えた時には、もう瞬動していた。

 腕をやらんと応じたのが、よほど気に入らなかったのか?

 この黒羽根シズカにも視認出来ない爆発的な吶喊とっかん。けど、狙いがわかっていれば対応は可能だ。


 私は新たな蒼刀を居合いのごとく腰に構えて、すでにクルリと転身していた。高速でつかみ掛かって来た鬼号と、側面に回り込んだ私と、互いの身体が行き過ぎる。

 鋭い風音。

 振り抜いた蒼い剣閃が三日月を描き、鬼の右肘から先が宙を舞った。


「ガッ! ゥォガァァァァァァッ!」


 絶叫が響いた。

 鬼号が上げた声。笑声以外の初めての叫び声。

 直ぐに跳び上がった鬼号は怒りの形相で牙をむき、斬り飛ばされた己の腕に喰らいついた。

 ズンッと重い衝撃とともに着地した鬼号は、咥えた右腕を器用に傷口に押しつける。蒼炎が燃え上がり、切断面は瞬く間に繋がってしまった。

 凄まじい再生力。

 本当に、何なんだコイツは……?


「……まったく、これじゃあキリが無いね」


 業腹だが、ここは一端退くとしよう。

 尻尾を巻いて……いや、この場合は羽根を撒いて……だね。ともかく、これ以上は意地を張るだけ無様というものだろう。

 勝機も無いのに戦うのは、愚かの極み。まずは退いて頭を冷やし、万事を整えるのが上策。

 とはいえ、影姫が屍鬼を相手に逃げ出すのだ。


「本当に、業腹なことだよ……」


 私はウンザリと、心の底からウンザリと溜め息をこぼして、黒翼を大きく羽ばたかせたのだった。



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