サレドセカイハナガラエテ(4)
放たれた拳をギリギリで躱す。
それは鉄拳ならぬ岩拳の威風。まさに岩の投擲でも掠めたような圧力に、自分は大きく体幹を揺さぶられながらも双剣を振り放った。
左手の水月で薙ぎ払い、相手が身を伏せて避けたところに右手の緋月を振り下ろす。
「おう!」
鋭い掛け声とともに、敵の異形の右腕が刃を薙いだ。
甲高い音を立てて打ち払われた緋月。だが、自分は払われた衝撃に抗わず、むしろ反転する己の挙動を上乗せして振り放った。
斜めに斬り上げた刃。
直後に響いたのは、肉を裂く鈍い音でも、打ち合う金音でもない。
瞬時に返した斬撃を防がれ、自分は素直に驚愕する。
だが、それは防がれた事実よりも、その手法にこそだ。
「張り手だと?」
打ち逸らされた緋月の太刀筋、それを為したのは敵の左の掌だった。
腰溜めに構えられた敵の左手、それは武士が抜刀に備えて鞘をつかむのに似た仕種。
だが、男の腰に
ヒュッ……と、鋭い音。
それは男の呼気であり、放たれた掌底が空を走った音。
自分の左肩に衝撃が弾け、連に繋ごうとしていた左の太刀筋が阻まれる。打ち据えてきた男の左掌は、すでに引き戻って左腰溜めの位置。
あたかも水面に泳ぐ活魚をつかみ取るような、瞬の挙動だった。
「まるで徒手による居合い斬りだな」
感心と戦慄をもってこぼした呟きに、男はピクリと眉を揺らした。
その瞬の揺らぎは、異形なる岩拳の唸りをほんのわずかに鈍らせる。そこに自分の双剣が閃き、斬撃と打撃の重奏を掻き鳴らした。
斬撃が男の右腕を薙ぎ、打撃が自分の左胸を突く。
「ぐっ……」
「おぁ……」
互いに呻きながら飛び退く最中、自分は、相手の胸元に刻まれた〝因果の銘〟を垣間見た。
〝腕〟……わん……否、〝かいな〟か?
何にせよ、
大きく開いた間合い。
此方と彼方、地を踏み締め身構える。
自分は前に出した双剣の剣先を重ねた円相の型。
左肩、動きが鈍い……筋か骨をやれたか?
打ち込まれた掌底は、まるで身体の内側……芯に響くような衝撃を感じた。拳で打たれるのとはハッキリと異質な衝撃。掌で打つのではなく、押し込んで弾くようなそれは、組み打ちや力士の技とも違う、初めて受ける打撃だった。
対する男は、先刻と同じく左手を腰に添えた居合いのごとき構え。
その異形の右腕は蒼い鬼火を噴き上げていた。
鮮血の代わりに燃え上がる蒼炎。そして睨み合う互いの中間では、斬り落とされた岩腕が蒼く蒼く炎を上げている。
「ハハ、おめえの剣、痺れるほど速えな、ぜんぜん見えねえ」
嬉しそうに笑う男。
その右の二の腕……残っていた異形の部位が燃え尽き消滅する。それは斬り落とされ転がっていた岩腕が消滅するのと同時だった。
男は己の右腕を、消え去った異形の部位を幻視するように見やる。
「強え腕だったが、相性が悪かったか? やっぱ、こういう剛な感じは俺の領分じゃあねえや。それより……」
ツイとこちらを向いた隻腕のイクサ……カイナ。
その表情は戦闘の最中とは思えぬ無邪気な笑顔。人懐っこいほどに屈託なく声を掛けてくる。
「イアイギリってのは何のことだ?」
「ん……?」
「いや、今、俺の〝
何を言っている?
問答している場合なのか? そもそも問いの意味がはかりかねる。
剣の術式……とは、妙な言い回しだ。いや、あるいは剣技や剣術という概念を知らぬ古い時代の武者なのか?
何にせよ、問われて答えぬのも据わりが悪い。
「……居合いとは、平時においても常に戦の備えを怠らぬ覚悟……常在戦場の精神を説く法だ。転じて、刀を鞘に収めた状態から、抜き打ちに斬りつける斬撃の技を云う」
「……ふぅん……なるほど、太刀を抜き、名乗りを上げて身構える以前から、武士は戦いの中ってか……殺伐としてんなあ。まあ、〝あやかし〟どもはどいつも問答無用だもんな……民を守る武士なれば、確かに頷ける道理だ」
感心した様子で何度も頷きながら、カイナは腰溜めに構えた左掌を、突き出しては引き、突き出しては引きを繰り返す。
その速度は、まさに眼にも止まらぬと云うに相応しいが……。
「うーん、これがそのイアイギリに似てるってか……? ……普通に太刀を抜いて斬り掛かるのとは違うんだよな? 単にスゲー速く抜いて、スゲー速く斬り掛かるってのと、どう違うんだ? わざわざ区別してんだから違うんだよな? ちょい、わかんねえなあ……」
カイナは思案げに頭をひねってウンウン唸っている。
緊張感などもう欠片もない。まさに常在戦場の心得はどこへやらだ。
……何だか、興が削がれた。
だから、自分は双剣を鞘に収めて、呼び掛ける。
「やって見せようか?」
「お? オメエ、イアイギリできるのか?」
「抜刀術としての居合い斬りならばな。深奥の極みを伴わぬ、形ばかりの居合いで良ければ、お見せしよう…………ああ、そうだな。そもそも、自分がオヌシの技に見たのは、居合いではなく抜刀術だ。ならば、特に問題あるまい」
「……? 良くわかんねえが、とにかく頼むわ」
ドッカリとその場に
自分はどうにも調子が狂う思いの中、大刀の鞘を左手で握り、右手を柄に添えた。
単なる抜き打ちと抜刀術の違いは、鞘内と刃に生じる摩擦にて剣速を増す〝鞘走り〟と、抜き放つ瞬間に鞘を引くことで撃鉄を放つように剣速を解放する〝鞘引き〟……そのふたつの技法にある。
弓矢に例えるならば────。
〝鞘走り〟は、引き絞られた矢が放たれ走る〝離れ〟の部分。
〝鞘引き〟は、弦から矢が離れる瞬間に弓を返す〝弓返り〟に該当する。
「……と、昔に教わったのだが、やはり、言葉にしてみると微妙に違う気もするな」
自分は独りごちながら右脚を前に、左脚を後ろに開く。そのまま四肢の力を引き絞るように重心を後方に落としつつ、左腰を後方にねじった。
自然、右背面をやや前のめりにさらす形になったのだが……。
「……ん? オメエ……その刀……!」
カイナの表情が瞬時に強張った。
跳ねるように立ち上がり、そのまま
何だ……!?
自分は思わずそのまま居合いに斬りつけそうになりながら、だが、カイナの切羽詰まった眼光が凝視しているのが、自分の背腰に帯びた黄金刀だと気づいて、ギリギリ踏み止まった。
飛びつくように眼前にしゃがみ込んだカイナが、食い入るように黄金刀に顔を近づけてくる。隻腕の手がわなわなと震えながら、黄金刀に触れるか触れないかの至近をさまよい揺れている。
それはあたかも、畏れ多くも尊きものを前にして、触れることを
「……やっぱりだ。何で、オメエが大将の刀を持ってんだ!?」
カイナが驚愕のままに声を上げる。
大将の刀?
この黄金刀は、黒羽根シズカより譲り受けたもの。おそらくは源九郎が携えていた宝刀である。
ならば────。
「……オヌシは、源氏に連なる者か?」
問い掛ければ、弾かれたように顔を上げたカイナ。
「そういうオメエは、源氏の敵か? そいつは大将から奪ったのか? だとしたら、俺は……!」
驚愕に見開かれていた双眸が、すぐに戦闘者の圧を宿す。
立ち上がり様に左掌を引き絞るカイナ。
自分は迎え撃つために緋月を抜き打とうとして……。
ドゥン! ……と、重く激しい銃声が鳴り響いた。
銃声というよりも砲声と呼ぶに相応しい轟音。
空に向かって放たれたそれは、自分にとってはもう聞き慣れた〝谺〟の咆吼。なれど、対するカイナにとっては
「問いを投げておきながら、答えを待たぬとは、蛮勇が過ぎるな!」
張り上げられた叱責の声。
将たる者に相応しい、万里に轟くその声は、当然、赤備えのイクサが上げたもの。
コホンと、ホムラはわざとらしいほどの咳払いを挟んだ。
「控えるべきである! そこな御仁が源氏の宝刀を携えるのは、それに相応しき者であるがこそだ!」
「……大将の刀に相応しい……だと?」
「いかにも! そちらにおわすは、冥府の影姫が、源氏の大英雄たる武士の生まれ変わり也と、そう呼ばわった御仁であるぞ!」
呆然と見返すカイナの、その放心が解けるその前にとばかりに、畳み掛けられたホムラの口上。
うむ……まあ、確かに、言っている内容に間違いはない。
「大将の生まれ変わり……? オメエが……?」
「……ああ、だが、あくまでその可能性があるという……」
ドゥン!
自分の言葉を遮るように、再度、谺の砲声が響き渡る。
否、ような……ではなく、明らかに遮ったな?
「もう一度言おう! 控えるべきだ! 貴様も源氏の武者であるならば、御大将を前にして取るべき形を心得ていようぞ!」
ホムラの堂々たる大号令。
さすがは日ノ本一の兵、その声音は聴く者を平伏させる確かな圧を宿している。
その圧に平伏したわけでもあるまいが、眼前のカイナは後退るように一歩身を退いて、それから、まるでイタズラを咎められた童のような慌て振りで、その場に膝をついた。
「す、すまねえ大将! 大将に弓引くなんざ、俺ぁ、またこんな恩知らずな真似を……! 本当にすまねえ!」
そのまま、カイナは地に額を擦りつけて謝罪を叫ぶ。
自分は────。
自分は大きく深い溜め息をひとつこぼして、赤備えのイクサを睨んだ。
当のホムラは、こちらの眼光などどこ吹く風とばかりに涼しい顔。
「うむ、潔い。さすがは清和源氏の
白々しいほどに平然と口上を叫ぶ。
その声音は相変わらず威風堂々と、反して、口の端はいかにも〝してやったり〟という策士の笑みにつり上がっている。
「本当に、オヌシは武士らしくないな日ノ本無双」
「そうか? まあ、貴様の武士らしさには及ばぬよ天下無双」
悪びれもしない友人に、自分はやれやれと天を仰いだのだった。
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