サレドセカイハナガラエテ(3)


 死して冥府に落ちながらも、生前の因果に囚われ黄泉返った怨霊。

 それが自分たち〝ヨモツイクサ〟だ。


 肉体は当に失われ、ゆえに、影姫が鬼火で編み上げた仮の肉体に宿ることで受肉している。

 その姿は生前の全盛期の姿を自動的に象るらしく、たとえばホムラも享年は五十に近かったが、イクサとしての姿は二十代のそれだ。


 そんな中で自分は非常に特殊な、例外たるイクサ。

 自分の現在の姿は二十歳に届かぬ少年のもの。だが、そもそもから別人の姿をしている。

 なぜなら、この身体は現代の現世で死に絶えた人間のもの。つまり、自分は他人の遺体に宿ることで黄泉返ったのであり、姿は肉体本来のままであるようだった。


 まあ、別に姿が違うことに不便はない。むしろ、他人の肉体に宿っていることで有益なこともある。

 

 この肉体には、肉体本来の主の記憶が、多少なりとも残っているようなのだ。

 残留思念、とでもいうのだろうか?

 現代に生き、死したこの肉体の主の記憶や知識が、ふとした弾みに脳裏によみがえる。

 多くのそれは、自分が知らぬ事柄や物体に遭遇した時、知らぬはずのそれらの情報を理解する。


 例えば、江戸徳川の時代に生きた自分は、当然ながら現代文明のことを知らない。けれど、黄泉返ってから初めて現代の街並みを見渡した時、立ち並ぶ石造りの塔たちを〝ビル〟だと知り、固められた地面を〝アスファルト〟だと知り得た。


 眼で視認し、耳に聞き、鼻で嗅ぎ、時には手で触れることで、肉体の記憶が呼び起こされて、本来知らぬはずの知識を知り得ることができる。

 難点は、あくまでこの肉体の知識であるため、当然ながら、この肉体が生前知り得なかった情報は得られないということだ。

 だが、それでも非常に有益であるのは間違いない。


 さて、そんな特殊な自分の眼前に、今まさに拡がる特異な光景。


 無闇に大きく、派手で、用途不明の奇天烈な建造物たちが群像する街並み。いずれも荒廃し朽ちかけているとはいえ、在りし日は相当に華美で煌びやかだったことが窺えた。


 傍らのホムラはそれらを理解できぬ様子で呆然と目を見開いている。

 しかし、自分はその光景を視認した時点で、ここが何であるかの知識が脳裏にわき上がっていた。


「遊園地……アトラクション……これが全て遊具なのか」


「遊具? 戯れ事に用いる玩具なのか? これが……」


 自分の呟きに、ホムラが首をかしげる。

 困惑するのは当然だ。自分たちが生前の時代に見た玩具といえば、手に収まる程度の物ばかり、遊び戯れるための乗り物や建造物などという概念自体が異質である。


「どうやら、この街並みが丸ごと娯楽場のようだな……」

「これらが全て娯楽のための設備だと? 幼子おさなごのように戯れるためだけに城郭を築いたというのか…………理解に苦しむ」

「ああ、それは自分もそう思う」


 自分もホムラも、あきれを通り越して感歎する。

 まっこと、当代の文化はどれもこれも大仰に過ぎており、想像を超えるものばかりだが、中でもこれは格別だった。


 まず目に付くのは、巨大な水車のごとき建造物。

 とにかく巨大だ。そこらのビルよりもよほど大きい。その巨大な車輪に連なり提げられた無数の屋形。

 観覧車……というのか? 屋形に乗って、高所から景色を眺め楽しむ遊具であるらしい。


 他にも鉄柱や鉄芯で長々と組み上げられた梯子状の橋と、その梯子の上で朽ち果てた長蛇の車体……ジェットコースター……か、高所での疾走感を味わうもの?


 精巧な馬や、荷馬車、果ては風刺画のごとく洒脱に崩れた造形の動物たち、それらの彫像が円形に群れを成す……メリーゴーランド……騎乗を疑似体験するカラクリ遊具らしい。


 柵で囲まれた円陣内に器状の座席が並んだ……コーヒーカップ……座した大碗を回転させて遊ぶようだが……何が楽しいのだ?


 天を衝くように垂直に伸びた板状の塔は……フリーフォール……座席に拘束され、高所からの墜落を楽しむ……だと? 正気か?


 ざっと見回しただけでも、斯様に不可解な設備が立ち並んでいる。しかも、それらはほんの一部でしかないようだ。


 今や設備は崩れ、草木が生い茂り、野生の獣たちの住処と化している廃墟。それらを望む開けた通りにて、ナナオ殿がその猫耳をピクピクと揺らし、形の良い鼻をスンスンと鳴らして頷く。


「……やっぱり、生者の気配が残っとる」


 姫君の言に、自分もまた感覚を研ぎ澄ます。だが、野生の獣の気配があるばかり。見れば、ホムラも同様の様子だ。

 仮にも武人、気配を感じ取り読み取ることにかけては多少の自負があるのだが……。


「気配っていうても、魂の気配だもの。もとより影姫にしかよう感じ取れんもんだと思う。わからんからってヘコむことはないと。ね?」


 優しげに微笑みかけてくるナナオ殿。

 別にヘコたれているわけではないが、まあ、矜持きょうじが揺れていたのは事実だからな。ここで取り繕っても仕方ない。


 霊的な気配の探知は彼女に任せ、自分は周囲の警戒に集中しよう。

 とはいえ、やはり感じるのは獣の気配ばかりだった。


 この荒廃した現世には生きた人間こそ見当たらないが、野生の鳥獣は多く生息している。元より野生のものか、あるいは飼育されていたものが繁殖したのかはわからない。

 何にせよ、これだけ獣が溢れ、草木が群生しているのだ。多少なりとも狩猟やサバイバルの知識があれば、食料確保も不可能ではないと思う。ならば、生存者がいる可能性はゼロではあるまい。


 実際、八津島やつしま星護せいごという生存者はいたわけだからな。


 かの神速の剣士との死闘を回想しながらも、自分は周囲の気配に意識をらす。が、やはり不審な気配はない。相変わらず獣の気配があるばかりだ。


「…………んー、どうにも妙な感じがするとね。これ、人間の気配というよりは、何だか……」


 ナナオ殿がいぶかしげに呻く。

 自分は彼女の方に向き直ると、


「何か妙な点でも……」


 あるのか? と、問い掛けようとした中途で息を呑んだ。

 眼を閉じ、気配を感じ取ることに集中しているナナオ殿。そのすぐ傍らに、いつの間にか大柄な男が立っていた。

 屈強に引き締まった長身をボロボロの和装で包んだ男。

 普通の人間ではないのは見て明らかだった。右腕が尋常のそれではないのだ。

 体格と釣り合わぬほど巨大な豪腕。太く大きいだけではない、岩のごとき甲殻に覆われ、握り締めた拳は節くれ立った岩塊のごとき異様だ。


「おめえ、影姫だな?」


 異形の男はナナオ殿に異形の右腕を伸ばした。

 その節くれ立った岩塊のごとき五指が、今にもナナオ殿の肩を握り潰さんばかりにゆるりと突き出される。


「ナナオ殿!」


 叫んだ時には、すでに自分は飛び出していた。

 彼女と男との間に割り込み様、腰の大刀を抜き放つ。閃いた朱い斬光が異形の豪腕を薙ぎ払った。


「うぉあッ!?」


 男は驚愕の声を上げて後方に飛び退く。

 大きく間合いを開きながら、立ち塞がる自分を睨みつけてきた。


「イキナリ何しやがる!?」

「それはこちらのセリフだ。オヌシこそ何をするつもりだ」

「あ? 俺はただ、そこの影姫に……」


 抗議の声は半ばで止まる。

 男の右腕、その深く斬り裂かれた前腕部から蒼い火炎が溢れ出した。

 鮮血の代わりに鬼火が噴き上がる。ならば、やはりコイツは人間ではない。かと言って屍鬼でもあるまい。


 つまりは────。


「オヌシ、〝イクサ〟か?」

「はは、そういうおめえさんもそうだろ? しかも、その太刀捌き、並の腕前じゃあねえな」


 男はニンマリと口角を釣り上げる。

 それは不敵に昂揚した笑み。爛々らんらんと輝く双眸が睨みつけてくるのは、自分の右手に構えた朱い大刀。


 ……否、違う。何だコイツ……?


 この男、なぜか自分の右腕をひたすら凝視している。

 構えた武器の挙動を窺おうとしている感じではない。ただ、ただ、品定めでもするように、右腕そのものをジッと見つめているようなのだ。


「おめえの右腕、強そうだな……」


 舌舐めずりせんばかりの様子で、男は笑みを強めた。


「その右腕、俺にくれないか?」

「何だと?」


 意図をつかみかねて問い返す。

 腕をくれ……だと? どういう意味なのだ?

 だが、向こうはこちらの理解など端から求めていないのだろう。どこまでも不敵な笑みのままに肩をすくめた。


「ああ、ああ、わかってる。くれと言われて〝ハイどうぞ〟なんて有り得ねえわな。だから、俺がやるべきはいつだって決まってんのさ」


 男の笑みがフッと消え去り、眼光が冷える。

 深い息吹をひとつ。異形の右腕を腰だめに引き、左手を拝むように眼前に立て、左半身に腰を落として身構えた。


盛者必衰しょうじゃひっすい……なれば、さかるはれか? おとろえるはいずれか?」


 厳かなまでに静かに唱えて、男はその総身に闘気を宿す。


「……いざ、尋常に!」


 気合いを込めた宣戦布告。

 直後、男の異形の豪腕が唸りを上げて振り放たれてきた。


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