サレドセカイハナガラエテ(2)


               ※


 ────世界は〝コトワリ〟によって縛られている────。


 以前、黒羽根の影姫に告げられた言葉。

 コトワリ。

 世界の法則、自然の摂理、あるいは神とでも呼ばわる何かが築いた戒律のようなものか。


 現在、この世界……現世の文明は崩壊し、異形の鬼と化した死人であふれている。


 世界を縛り、同時に支えていたその〝コトワリ〟は、どうやら壊れてしまったらしい。

 具体的に何があったのかはわからない。

 ゆえにこそ、何が起きたのかを探り、可能ならばそれを解決すること。

 それが自分たちの当面の目的だった。


 〝テン〟────。

 それが自分のイクサとしての銘であり、名である。


 あの大橋を渡ってから早三日が過ぎていた。


 今日も今日とて荒廃した街並みを彷徨い探る。

 前述の通り、目的は異変の手掛かりや生存者の探索、屍鬼の討伐。


 そして────。


 自分は意を研ぎ澄ましながら、薄暗い室内を息を殺して進む。

 死人の兵となり痛覚と血流が失せてなお、息の根は止まっておらず、呼吸によって空気を取り入れねば四肢の動きが鈍る。痛みを伴わぬ苦しみに苛まれる。

 死人の身に酸素が必要なわけではない。事実、息を止めても苦しいだけで滅びはしない。

 だが、苦しいのだ。堪らなく。

 激しく動けば呼吸は乱れ、膂力を振り絞る折には大きく息を吸わねば心地が悪い。脱力に呼気をこぼし、晴天の空気を吸えば気も晴れる。

 こうして身をひそめて敵の気配を探る時には、逆にいっそ止めてしまえれば楽なのだが、そうも行かぬ不条理よ。


「……まったく、冥府の道理はようわからぬ」

「然りだな。が、生者の理屈がいくらかでも身に残っておる方が、心根は安んじるさ」


 自分の呟きに、後手に続く赤備えの男が苦笑を返す。

 身の丈を超える長大な銀銃を、長柄槍のごとく肩に担いだ彼は、自分と同じく無念の因果に囚われ黄泉返ったイクサ。

 右手の甲に刻まれた銘は〝ホムラ〟。

 一度は死合いて斬り結んだ同士だが、今は同じ影姫に仕えるイクサとして同行している。


「……それにしても巨大な商家だな。我らの時代なら集落ひとつ丸ごと収まるぞ」


 ホムラの吐息混じりの言。

 ここはとある石造りの塔……ビルディングの中、その地下層フロアの一画だった。七層ほどのビルがまとめて商店となっている……現代ではデパートというのか?


「このような堅牢な建造……我が入魂の真田丸はもちろん、大坂錦城の本丸ですら張り子の虎の思いだ。まこと、当代の世の隆盛には驚かされる」

「確かにな、まして市井の商店でこれなのだ。この時代の軍事拠点を見れば、オヌシは目玉が飛び出るやもしれんぞ」

「くく、それは楽しみだ」


 しぶとく機能しているわずかな電灯に照らされたフロア内。

 弱々しく明滅しているとはいえ、点いているのだから通電しているのだろう。ならばこの一帯の発電施設が生きているのか? それとも、自家発電設備があるのか? あるいは、あの大橋のスピーカー設備のように冥府のカラクリを用いているのか?


 明滅する薄明かりの中で見ゆるのは、様々な食料品が収まる棚が所狭しと並ぶ在り様。

 無論、それらのほとんどは朽ちて腐り、今も食料の体を成しているものは包装や保存の確かな一部の品だけだ。

 いずれにせよ、食事する必要がなくなった死人の自分たちには無用。


 ならば、何ゆえにここに居るのかといえば────。 


「奥に三つ、この気配は……屍鬼だな。四つ足……獣型の〝狗号クごう〟か」

「やはり生存者は居らぬようだな……ならば、さっさと狩って目的を果たすとしよう」


 ホムラが陳列棚の陰から身を乗り出し、担いでいた銀銃槍を構えた。

 狭い暗所で獣と格闘するのは骨が折れる。なれば、獣狩りらしく遠間から撃ち仕留めるのが上策だ。


 銀銃槍〝こだま〟。


 自分の〝緋月ひづき〟〝水月みづき〟の双剣と同様、冥府の鍛冶師が冥府の技術と素材で鋳造した武具だ。触れ込み通りなら、この〝谺〟は五キロの射程距離があるというトンデモナイ代物だ。


 無論、射手の腕次第であるし、そういう意味では、過度の期待はできないのだろう。


「狙えるか?」

「狙う分にはな。当たるかどうかは、さて、撃ってみないとわからん。あのヤサグレた弓兵のようにはいかぬよ」


 ホムラは自嘲まじりの軽口を叩きつつ、照準器を覗き込んだ。

 確かに、あの弓兵のイクサであればこの程度、難なく射抜いて見せるのだろう。


 フロアの奥、明滅に照らし出された三つの獣影。

 距離は百メートルほどか?

 光量も相俟って自分にはしかとは視認できぬそれも、カラクリ仕掛けのスコープ越しには別なのだろう。

 ホムラの指先が引き金に掛かる。


 ドゥン! ……と、腹の底に響く重い銃声。

 激しい破砕音を奏でて彼方に砕けたのは、陳列棚の一台。


「ハズした」

「……そのようだな」


 口の端を下げて立ち上がるホムラに、自分もやれやれと身を起こす。

 たちまち棚の隙間を縫って駆け迫る屍獣の気配。


「右からの二匹は任せるぞテン」

「仕損じたオヌシの方が一匹か?」

「振るう刃の数からも道理だろう?」 


 ホムラは悪びれずにそう言い切り、銃身下部に畳まれていた銃剣の刃を展開する。


 まったく……。


 自分は腰の大小を抜き放つ。

 右手には朱い大刀〝緋月〟。

 左手には青い小刀〝水月〟。


 構えた二刀を振りかぶったその直後、右の棚を飛び越えて襲い掛かってきた獣臭。吠え声はおろか唸りも立てずに牙を剥く異形の姿。


 狗号屍鬼。


 獣型といっても、犬猫の姿をしているわけではない。体躯が捻れ歪み果てて、獣のごとき仕種と挙動で振る舞うがゆえの分類。あくまで異形に変異した人体だ。

 そのそっ首を、右に振るう朱の剣閃で瞬にね飛ばした。

 だが、屍鬼たる獣はそれでは滅びない。

 四つ足は首を失ってなお止まらず、首だけになってなお牙を剥く。

 同時に、棚の陰からもう一匹の狗号が飛び掛かってきた。

 自分は左の青刃を突き上げて首無しの胴体を……その心の臓を貫き、右の朱刀をひるがえしてもう一匹を袈裟懸けに斬り伏せ、胴体を心臓もろともに両断する。

 二匹の身体は蒼く燃え上がり、中空で牙を剥いていた頭部も同じく鬼火に包まれた。


 背後では、ホムラが同じく銃槍のひと刺しで屍獣の心臓を貫いている。


 蒼い鬼火を噴き上げて燃え尽きる三匹の獣影。

 燃え上がる炎に、しばし、周囲が蒼く蒼く照らされた。


「……ホムラよ。その手のカラクリ仕掛けの照準器なら、素人でもこの距離を撃ち抜くのは容易らしいぞ」


 特に射撃に秀でた才があるわけでないホムラ。長柄を振るえば〝日ノ本一のつわもの〟と謳われた武士でありながら、彼は〝谺〟での狙撃に執着している。


「容易か? それはこの〝谺〟の反動を制御できればの話だろう。大筒抱えて鳥を撃ち落とすようなもの。容易ではないさ」


 しかし、だからこそ、それを使いこなせれば尋常を越えた業となる。

 その尋常を越えた遠間の一撃を求めて、この赤備えは黄泉返った。


 自分が二刀を用いるのと同じだ。

 剣の術理に矛盾した二刀流。

 それを極めんと求めて黄泉返った自分と同じ。同類相憐れみこそすれ、互いの何を笑えたものではない。


「さあ、邪魔者は消えた。目的の品を探すとしよう」

「そうだな」


 自分らは手分けして売り場を漁る。

 目的の棚は、すぐに見つかった。並ぶ品のほとんどは割れ砕けていたものの、幸いにもいくつかは無事だった。

 自分は安堵とともに、その琥珀色の角ビン数本を回収する。

 傍らのホムラも同様に、肩の荷が下りた面持ちで覗き込んできた。


「南蛮の品か?」

「ああ、だが、問題あるまい。酒は酒だ。さっさと戻ろう」


 我らが主たる影姫様が、痺れを切らしている頃だ。






 デパートの外に出れば、まばゆいばかりの陽光が廃墟を照らしていた。

 暗がりに慣れた瞳には痛いほどの陽気……だが、痛覚を失った身には文字通りに〝痛いほど〟という例えでしかない。


 日の光を忌避する屍鬼ども。

 だが、日光を避けこそすれ、浴びたからといって身を焼かれるわけでもない。ただ、獣が火を恐れるように逃れるだけ。

 光が苦手というのでもない、あくまで日の光のみを忌避する。


 ゆえに、日の出とともに闇に沈み、日没と同時にわき上がるのが屍鬼。


 なれど、今し方に背後のデパート地下で遭遇したように、時刻を問わず蠢いている場合がある。

 それは単に日光の届かぬ暗所というわけではない。

 日光が届かず、かつ、地底……つまり地面よりも低い場所であることが条件であるようだった。実際、これまで探索したいかなる場所においてもそれは共通している。

 地上階にはどれほど暗くても屍鬼はおらず、

 逆に地下階はどれほど照らし出されていても屍鬼が蠢いていた。

 それらに何らかのコトワリが関わり、そこに現世の荒廃を探る手掛かりがあるやもしれないが────。


「お天道様をいとい、地の底でもがくのが鬼の在り様か……」


 どこか哀れむように呟いたホムラ。

 そういわれれば、そういうものかと納得できなくはない。

 実際、ただそれだけのことなのかもしれない。


「何なのだろうな、あの屍鬼というものどもは」

「黄泉返った死人……というわけでもないようだしな。ナナオ殿やサダメの話を聞くに、地上の民草が死して後、その遺骸が異形と化して起き上がった……と、推測されているようだが」


 それらは現世にて古くからう〝鬼〟の概念に近くはある。

 人の想念や魂がねじれて歪んで化けたモノ。


 本来、生者が死すればその霊魂は冥府に召される。

 だが、現世がこの在り様になってより、冥府に流れる霊魂はほぼいないのだそうだ。


 現世と冥府を輪廻りんねする霊魂の流れが途絶えた。

 ゆえにこそ、冥府の官吏である影姫たちは、その理由を探り、正すために現世にやってきたのだ。


 ……否、正確には、多くいるらしい影姫の中で、そのように真っ当に動いている姫君はただひとり、あの茶髪矮躯わいくの無口な影姫、スズメ殿だけだったのだが、まあ、それは余談だ。


 現世から冥府に流れる霊魂がない。

 皆無ではないらしいが、激減……少なくとも人間の霊魂はほんのわずかしか召されてこないらしい。

 同時に、新たに生まれ出る人間もほぼいない。

 ゆえに冥府には、現世の異変以前に召されていた霊魂の多くが輪廻に還ることも叶わず留まっているらしい。


 現世の人々は屍鬼と化しているようだが、では、屍鬼となった人々の魂は異形の肉体に留まったままなのかといえば、そうでもないらしい。

 魂魄の残り火はある。屍鬼を滅ぼせばそれが蒼い鬼火となって燃え上がる。だが、それは魂魄の残滓であって、魂魄そのものではない。


 現世に生きていたはずの数多の人々。

 それらが死した後、その霊魂はどこに消えたのか?

 大量の霊魂の行方……それを探るのが肝要なのだろう。

 そう、改めて思考していた時だった。


「だーれだ♪」


 囁きとともに、背後から自分の両眼を覆い隠した柔い掌。

 甘やかな匂いと、背に押し当てられたふくよかな温もりは間違えようもない。自分が仕える主であり、同時に、大切な相手である影姫様。


 正直、一剣客としてはこうも容易に背後を取られて矜持きょうじが傷つく思いもあるが、相手が彼女では致し方ない。


「ナナオ殿」

「あい♪ 正解っとよ」 


 名を呼べば、彼女は笑声をこぼして手を離す。

 ……が、身を離すことはなく、そのまま自分に腕を絡めて撓垂しなだれ抱きついてきた。


 冥府より現世にやってきた影姫のひとり、ナナオ殿。

 蒼白く輝く美しい長髪を右の側頭で括り、黒衣を着崩して豊満な肢体を艶やかに覗かせる美女。

 猫のように煌めく金色の瞳で、猫のようにのんびりと甘えてくる彼女の頭部には、猫のような獣の耳が生えている。

 つまりは〝ように〟ではなく、現に彼女は猫の化生たる姫君。


「あ、お酒見つかったとね?」


 自分の手に提げた荷袋を覗き込み、金瞳を輝かせるナナオ殿。


「ああ、だが、洋酒だ。ウィスキー……か? 当代の酒はよく知らぬのでな。好みに合わなかったらすまない」

「ふふ、良かよ。見つけてくれるだけでもありがたいわ。それに、お兄さんがウチのために頑張って探してきてくれた。それがウチは嬉しい♪」


 そう言って、本当に嬉しそうに満面の笑みを返してくれる。

 その笑顔だけでも対価としては余りあるが、ナナオ殿はなおも足りぬとばかりに身を寄せ、頬を寄せ、自分の頬に口づけさえしてくれた。


 その甘ったるい様子に、傍らの赤備えがあきれて呻く。


「一応、それがしも頑張ったのだがな」

「そう? でも残念な。ウチはお兄さんに一途やっとよ。他の男にアメはやらん」

「それは確かに残念だ。が、せめて酒の相伴にはあずからせてくれよ」

「べーや、もてなしはせんよ。けど、みんなで飲むのは賛成や」


 舌を出しつつもニッコリ笑う影姫様。

 だが、その笑みはすぐに真剣に引き締められた。


「……ただな、その前に、ちかっと気になるもんを見つけたとよ」

「気になるもの?」

「ん……もしかしたら、がばい重大なもんかもしれん」


 金色の双眸が、真っ直ぐに自分の眼を見すえて告げる。


「ついさっき、向こうの廃墟で見つけた……というより、感じたと。微かやけど、確かに残った気配……生存者やと思う。たぶん」


 ナナオ殿の言に自分は眼を見開き、傍らのホムラから飄々ひょうひょうとした笑みが消える。

 

 生存者。

 つまり、この屍鬼蠢く末世の廃墟に、生きた人間がいる。


 確かに、酒を飲んでいる場合ではない重大な事態だった。



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