宵闇のIX・A

第1章 然レド世界ハ存エテ

サレドセカイハナガラエテ(1)


               ※


 左から迫る屍鬼しきを左腕で殴り飛ばした。

 次いで、右から迫る屍鬼が二体。右腕はので脚でまとめて蹴り飛ばす。

 倒れた屍鬼の胸元……心の臓を踏み潰せば、たちまち蒼い炎を燃え上がらせて消滅する。


 屍鬼は心臓を潰さねば死なない。


 といっても、こいつらはとっくに死した屍だ。死なないではなく、滅びないというべきだろうな。


 そして、それは俺も同様に────。


 燃え上がる鬼火に照らし出された周囲の景色。

 石造りの廊下。

 壁も地面も天井も、全てが洗練された石材で築かれた広大な地下迷宮。

 地下鉄……メトロ……そんな言葉を至るところで読み取れた。

 察するに、この時代の車が通るための通路らしい。

 歳月に朽ち、汚水に穢されているとはいえ、こんな壮大なもんを人間が作り上げたとは、未だに眉唾な思いだ。


 鬼火が燃え尽きる。

 が、周囲が闇に落ちることはない。

 日の届かぬ地下道だというのに、随所に灯ったかがり火のおかげで視界は良好だ。


 いや、別に火が灯ってるわけじゃねえんだったな。

 電灯……? だっけか? 雷様の力を借りてるらしいが、まあ今の世の術式はようわからん。わからんものは、そういうものだと了解して流すのが楽でいい。


 見渡した通路に残る屍鬼は三体。

 その内、一番奥にいるデカブツに注目する。

 ひときわ大柄で、全身に鱗とも甲殻とも取れる節くれが目立つ、異形の中でもさらに異様な姿。


 その削り出した岩の如き腕は実に勇壮で、力強い。


「おめえ、いい〝右腕〟持ってんじゃねえか」


 あるいは、この俺が求める右腕でありや?


 俺は期待も熱く地を蹴った。

 二体の邪魔物は、立て続けに突き出した左の貫手で心臓を貫き、蹴り払い、肝心のデカブツに対峙する。


 大型で膂力りょりょくに優れた……ごうって分類だっけ? まあ、何だっていい。


「その右腕、俺にくれないか?」


 とびっきりの笑顔で申し出る。

 無論、くれと言われてハイそうですかと差し出すわけもない。

 そもそも屍鬼に言葉など通じまい。


 なれば、正々堂々奪い取らせてもらおうか!


 両足を踏み締め、左の手刀を拝むように眼前に立てる。

 対する巌の屍鬼は咆吼を上げてその豪腕を振り上げた。


盛者必衰しょうじゃひっすい……なれば、さかるはれか? おとろえるはいずれか?」


 ……いざ、尋常に!


 二連の掌底で、岩の如き豪腕の両肘を突き上げる。

 打つのではなく、弾くように押し込んだ衝撃は、鎧のごとき硬質な甲殻の内側へ、その骨身をこそ激しく揺らす。


 内部に弾けた衝撃に、大きくよろけた屍鬼の巨体。

 その股下に足を踏み入れ、膝裏を己の足で刈るように絡めつつ、大きく左腕を振りかぶった。


 踏み込みは相手の軸足を刈りながら深く、ねじり放った左の掌底はなお深く、屍鬼の鳩尾を斜めに突き上げた。

 岩甲のごとき皮膚が軋み波打ち、ひしゃげて砕ける、素早く左手を引く。足を絡め固定し、身を引けぬ屍鬼の体内で、今、叩き込んだ衝撃が反響しながら骨髄を転け抜けている。


 何かが砕けて壊れる破砕音。


 グラリと傾く巨体が倒れる間こそもどかしく、俺は力任せに押し倒しながら、その右腕に取り付いた。


 ゴツイ屍鬼の右腕を、己の左腕でつかみ上げ、その二の腕めがけて踏み込んだ右足に全力全体重を掛けた。


 骨肉が砕けて千切れる嫌な感触と音に、だが、俺は歓喜すら覚えて異形の右腕を引き千切る。


「ハハ! さあ、今度はどうだ!?」


 千切った屍鬼の腕を、己の右腕に、互いの切断面を押しつけ接続する。


 蒼い炎が燃え上がり、たちまち癒着する俺の二の腕と異形の腕。

 神経はすぐに繋がり、感覚も通る。

 、数分と掛からずにそれは俺の新たな腕として馴染なじんだ。


 だが────。


「…………ああ、まあ、確かに悪くない……が」


 これは、この腕は違う。

 この腕は、どうやら俺の求める右腕じゃない!


「俺の右腕は、こんなもんじゃねえ!」


 焦燥のままに握り締めた異形の右拳を、倒れた屍鬼の心臓に叩き込む。甲殻が砕け散る感触とともに、巨体が蒼い炎を上げて燃え尽きた。

 だが、俺の右腕は……今燃え尽きた屍鬼の腕だったはずのそれは健在のままだ。すでに我が腕となった以上、かつての持ち主が滅びたからと道連れになることはない。


「……ま、片腕なのも不便だ。しばらくはこの右腕で我慢するか」


 溜め息まじりに独りごちて────。


 ……あ、そうだった。


「おーい、ガキんちょ! もう屍鬼どもは全部片付いた。出てきても大丈夫だぜ!」


 背後に向かって呼び掛ける。

 遠間の物陰に隠れた幼い少女。

 いかにもはぐれ出てきた迷子のようで、屍鬼どもに囲まれて危ういところを俺が助けてやった形なんだが……。


 物陰に隠れたまま、全然出て来る様子はない。


「あー、悪い。ビビらせちまったかあ……」


 そりゃそうだ。

 こんなゴツイ男が、異形の鬼どもをボコボコにして、さらに腕を引き千切って自分に繋げるなんざ、大の大人でもキモが縮むってもんだ。


「脅かしてすまねえなガキんちょ! 俺ぁ行くからよ! おめえも気いつけて帰るんだぞお!」


 じゃあなあ! と、きびすを返した俺は、だが、いくらも歩かぬうちに何かに足をつかまれた。

 つかまれたというか、抱きつかれたのだが。当然、それは隠れて怯えていたガキんちょだ。

 俺の左脚にしがみつき、ガタガタと震えている矮躯わいく

 改めて見れば、薄汚れたガキだ。ボサボサの髪に、汚れた顔。ボロく色褪せた衣服に擦り切れた履き物。

 旅人っぽいが、今の現世で、ましてこんな地下道でそれは妙だよな。


「何だガキ、おめえ帰るとこねえのか? 親は?」


 問い掛ければ、立て続けに頭を振る小娘。


 やれやれ、要は俺と同じく根なし草か?

 違うのは、コイツは無力でか弱いガキんちょだってことと────。


「あのな、わかってるかも知れねえが、俺ぁ人間じゃねえ。今燃え尽きた鬼どもと同じ、黄泉返よみがえった死人だぜ?」


 果たせぬ無念に足掻あがき、迷い出た敗残の死人兵。


〝ヨモツイクサ〟


 少女はわかっているのかいないのか、コクコクと何度も頷いて、俺を見上げてくる。

 怯えて見開かれた瞳。

 状況に、環境に、ウロつく屍鬼どもに、心底から怯えきった瞳。当然、その怯えは俺に対しても向けられてんだけども。


 ……ま、その中じゃあ俺の方がまだマシだってことか。


 しょうがねえ。助けちまったからな。

 このまま放り出すのは無責任ってもんだ。

 手を差し伸べるなら、つかんだその後も離すんじゃねえって、大将にもさんざん言われてたしな。


 ……それに、ビビりながらも行動し、生き延びる為の最善策を選び取る。その生存本能は気に入った。


 俺は足もとのガキの襟首をつかみ上げ、左腕で抱き抱える。


「おめえ、名は?」


 できるだけ人懐っこい笑顔と声を心がけながら呼び掛ける。

 それで安んじてくれるなら僥倖ぎょうこうだ。一応、俺の顔は女子おなごに好かれる造形らしいからな。

 ……が、相手は幼子だ。あまり緊張が解れた風はなかったが、それでもどうにか問いには応じてくれた。


「…………クルミ」


 弱々しくしぼり出された名乗り。


「クルミか、俺は……」


 着物の胸元をはだけて、そこに刻まれた〝因果の銘〟を見せる。

 残した無念に迷い出たイクサの、それぞれの無念を象徴した呪いともいえる刻印。

 俺に刻まれたその銘は────。


「……〝カイナ〟だ」


「……かい……な?」


「おう、どうやら俺は、失った自分の腕が未練らしい」


「みれん?」


「ハハハ、要はな、俺はどこかに忘れちまった自分の右腕を探してるみたいなんだよ。いまいち良くわかんねえけど」


「……わからない……の?」


「記憶が少し飛んでてな……理由を憶えてないんだよ。だからまあ、とにかく腕を探してんだ。この俺にピッタリ馴染む、本当の右腕をな」


 言っておいて何だが、気味の悪い話だ。

 が、クルミはその小さな手で俺の〝因果の銘〟を撫でながら、微かに笑みを浮かべた。


「……うで、見つかるといいね」


「お? 何だおめえ、笑うとけっこう別嬪べっぴんだな」


「……べっぴん?」

「可愛いってこった。可愛い笑顔はいい。見てるだけで力になる」

「……そう?」

「おう、女子供おんなこどもの笑顔は、戦う男の活力だ」


 民草の笑顔と平穏のために。

 それが武士もののふの使命であると────。


「……じゃあ、笑う」


 呟きは儚げに、けれど、浮かべた笑顔は華やかで可憐だった。たとえそれが、心からの笑顔ではないとしても、笑ってくれたこいつの心意気は心地良い。


 なれば、俺は満面の笑顔を返したのだった。



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