第7章 天上天下ニ揺ルギ無キ
テンジョウテンゲニユルギナキ(1)
「……よーし、テメエら全員覚悟はいいな?」
眼前に腕組み仁王立ちしている雲井殿。
その憤怒も猛々しき姿を前に、自分は正座し、首を垂れる。
隣では赤備えのイクサが同じく正座し、神妙に謝罪する。
「それがしの未熟から〝
深々と首を垂れる真田信繁。
そのさらに隣で、長髪の弓兵が心外そうに抗議の声を上げた。
「おい、何でオレまで正座させられてんだ? 今回は何も壊してな……」
「うるせえ! 貴重な〝
「何でそんなこと知っ……スズ!」
サダメの鋭い呼び掛けに、当の矮躯の影姫は知らん顔でそっぽを向く。何やらまた機嫌を損ねたのだろうか?
「……おい、サダ坊。誰から聞いたとか、そういうことじゃねえんだよ。重大にして確かなのは、オマエがオレ様の可愛い娘をいい加減な気持ちで
「…………すみませんでした」
地獄の
かくして、武具を損なった無様なイクサ三人、雁首揃えて平謝りの図。
特に、自分は二刀とも砕け折れてしまった無惨な在り様。もとより次はないぞと警告されていた上での大失態。
「……修復は、可能なのだろうか?」
「あ? 無理に決まってんだろうが!」
雲井殿の即答に、自分はさすがに色をなくす。
「いくら冥府の刃でもな、死んだらそれまでだ。鋳溶かして、新しく生まれ変わらせるしかねえ。もちろん、オレ様が全身全霊を懸けて鍛造するがな。それでも、それはもうオマエがへし折った女じゃねえ。新しく生まれた別の娘だ」
「…………そう……か……」
突きつけられた事実に、自分は悄然と。
たかが刀。
それでも、あの二刀は確かに、現世に黄泉返ってからの自分の相棒であった。
刀は武士の魂。
そんなものはただの観念的なものでしかないけれど。
「……ま、仕方ねえだろ? あれだけ無茶苦茶な闘いしてりゃあ、武具が無事で済む方がオカシイぜ」
サダメが深々と溜め息を吐く。
……ああ、そういえば、まだ礼を言っていなかった。
「ありがとうサダメ。オヌシのおかげで、真田と闘えた」
「…………ふん、恩に切れよ。こっちは凡夫の雑兵なんだ。テメエら大将連中のケンカに巻き込まれるのは、素直にキッツイんだ」
「あの距離を射抜いておいて、雑兵なわけがないだろう」
真田が苦笑う。
サダメは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「ハッ、そりゃどうも。ま、どんだけ頑張っても、オレんとこの姫様は褒美のひとつもくれねえがな」
吐き捨てたサダメ。
ふと、そっぽを向いていたスズメが立ち上がり、こちらに向き直る。
幼い顔に浮かぶ冷笑。その唇が微かに動く。
〝……褒美が欲しい……だと……?〟
そう呟いたようだった。
「あ、いや、別に……その……」
矮躯が放つ冷ややかな威圧に、サダメは露骨にうろたえながら立ち上がろうとして……だが、華奢な双手でグイと肩をつかまれ押さえ込まれ、逃亡を阻まれる。
スズは笑いながら、サダメの顔を覗き込んだかと思うと、
その唇を、己の唇でやわく塞いだ。
「…………」
硬直するサダメ。
スズメはそのままたっぷり十秒は口吸いを続けて────。
やがて口を離し、ニッコリと可憐に笑う。
「……たまには……アメもやらんとな……」
引き攣れかすれた囁き声。
傷ついた舌で無理に奏でたそれに、サダメはなお呆然と。
「ふむ、そちらのアメも甘そうで何よりだ」
自分は頷き、立ち上がる。
刀が新造されるまではどうにもならぬ。せめて、死した二刀のために、
「……少し、外で反省してくる」
「おう、地獄の底まで反省してこい」
雲井殿は犬でも追い払うような仕種でヒラヒラと手を振る。
いつにも増して雑な扱いだが、失態に比すればまだマシなものか。
いずれにせよ、反省はそれこそ深く深くするべきだ。
自分は改めてキモに銘じながら、外へと向かった。
時刻はもう夜中。
とうに日が暮れ夜闇に包まれた屋外には、屍鬼たちがわき出ていた。
真田がさんざんに仕留めた上でなお、街並みに彷徨う屍鬼の数はざっと見ても十数体。
近づかぬが良かろう。腰の黄金刀は抜きたくない。
自分は屍鬼の群れから距離を置き、月に照らされた廃墟群を眺めやる。
死者が怪物となって蠢く現状。
それは、現世と冥府が繋がったゆえではなかったらしい。
あらましはナナオから聞かされた。
冥府と繋いであふれ出たのはイクサのみ。ナナオが繋ぎ、シズカが鬼火で身体を造り上げ、現世をイクサが闘う戦場に仕上げた。
それは結果的にではあるが、現世にあふれた屍鬼を討滅することにもなっており、何より、そのおかげで自分はこうして二刀を極めようと抗う機会を得られたのだ。
それを感謝こそすれ、責める道理はあるまいと思う。
ふと、見上げた視界に蒼白い光が揺れた。
すぐ隣のビル、五階建てほどのその屋上にゆれた淡い光。
自分はゆるりとそちらに歩を向ける。
階段を上り、屋上に出てみれば、そこにいたのは思った通り、蒼白い髪を夜風に流した影姫の姿。
ビルの外縁に腰掛け、優雅に杯を傾けている。
「……月見酒か」
「ふふぅ♪ お兄さんもどう?」
「いや、やめておこう。今は、死なせた刀たちの裳に服している」
「ふーん、なら、それこそ酒の一杯も捧げてやったら良かとに」
「まあ、そうかもな」
微笑を返しながら、自分はナナオの横に腰掛ける。
しばし、そのままふたりで月を見上げながら……。
ふと視線を下ろせば、月光に照らし出された廃墟の光景。
現世の者たちがもたらした、現世の災厄により荒廃した世界。
これから────。
「これからどうしよう? ……とか、思うとる?」
ナナオが小首をかしげて微笑んだ。
「ああ、そうだな。二刀を極める。それが自分の望みであり目的だが。それを為す上でも、剣を振るう指針というか、俗に言えば、旅の目的のようなものが欲しい。漠然と屍鬼を狩り歩くというのは、どうにも……」
「ウチは、のんびり一緒に旅するんも楽しいけど?」
「あなたは猫だからな。だが、自分は腐っても武士だ。だから……」
「果たすべき使命が欲しい? ふふ、なら、スズちゃんたちを手伝ったら良かと。もともと、そういう話ではあったんやしね」
現世と冥府の拮抗を取り戻す。
だが、原因がわからぬ以上、それは……。
「結局、屍鬼を狩りながらさまようことは変わらぬな」
「そうやね。けど、使命の有無は決定的……違う?」
「……いや、違わない」
笑い返せば、けれど、ナナオはその笑顔を曇らせた。
まるでこちらが楽しげに笑うことに……自分の笑顔を見ることに堪えかねたかのごとき所作だった。
どうしたのだろうか?
自分はまた知らぬ間に機嫌を損ねるようなことをしたか?
「ナナオ殿、どうし……」
問い掛けを振り切るように、ナナオは杯を置いて立ち上がる。
ふらりと揺れるように、けれど危なげはない足取りで、屋上の中央まで歩み出た。
「……ねえ、お兄さん。ウチはねえ、こう見えて、結構
肩越しにこちらを流し見ながら、小さく笑う。
「……情が深うて、……業が深うて、それで影姫になってしもうた罪深い化け猫だもの。じゃから、ね? お兄さんがそうして腰にあの子の刀を帯びとるんが、ハッキリと妬ましい」
シズカに渡された黄金刀。
おそらくはかつて源九郎が携えた、彼の形見。
「お兄さん、本当はシズカになびいとるんやないかな? あの子の一途な想いに
「そんなことは……」
「うん、わかっとるよ? お兄さんはそんな人と違う。ウチの味方や言うてくれたの、疑ってるわけやない。けど、何があっても味方……とは、まだ言えない……そうも言うてた」
確かにそう言った。
だが、それはあくまであの時点での話であり、今は……!
「自分は、何があってもあなたの味方だ」
真っ直ぐに、そう断言する。
ナナオはその猫耳を微かに揺らして、ゆるりとこちらに向き直った。
「ありがとう。でもなあ、ウチは性悪やから、言葉だけじゃ不安になるんよ。だから、今から……ちかっとズルをします」
ナナオは、どこかはにかむような笑みを浮かべて眼を閉じる。
「お兄さん、ウチと勝負しよか?」
こともなげに、そんなことを申し出た。
「勝負?」
「そう、勝負。今から、ウチは〝コトワリ〟一回破って、ズルをします。そんで、お兄さんを泣かしちゃるから…………泣いてしもたら、お兄さんの負けっとよ?」
「泣かす? 自分をか?」
「そ。もう号泣させてやるから……覚悟しい。そんで泣いたら、ずっとウチの傍に居てもらう」
良かとやろ────?
耳朶をくすぐるような、イタズラめいた声。
自分はゆるりと首肯を返す。
「いいだろう」
「ふふ、言うたね? 武士に二言は赦さんよ?」
ナナオは笑いながら、大きく天を仰ぐ。
「ここしばらく、ずーっとな……探しとったの。で、ようやく見つけた。もう源九郎たちみたいに輪廻に還って生まれ変わっとったらどうしよう思うたけど、まだ三途の川でくつろいどったわ」
生まれ変わり?
三途の川?
まさか……。
「ウチら影姫は冥府の官吏。〝コトワリ〟さえ無視すれば、あの世の魂を呼び寄せるなんてことも、できてしまうとです……」
ナナオの唇がニンマリと笑う。
その身体が淡い鬼火に包まれ、微かに揺らいだ。
そして────。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます