イトシキキミニコイゴガレ(5)


 鬼火を操る。

 それは影姫がみな備えた力なのか?

 あるいはシズカ特有の異能であるのかはわからない。


 いずれにせよ、まるで鬼火を己の腕のように伸ばし、得物を操る様はあたかも阿修羅のごとく。

 鬼火の腕は折れ散っていた長柄をも拾い上げ、縦横無尽に襲い来る。

 四角は当然、六角に備えていても凌げはしない。八角でも届かなぬ全周囲からの攻撃。


 宙を舞う得物の実数は十に迫る数。

 その内のいくつかは折れ砕けた柄であり、棒きれに過ぎぬ。が、それでも高速で振るわれれば威力充分、太刀筋を妨げる盾ともなる。

 無数に振るわれ襲い来る得物。

 それらの全ての軌道を読み、相対するのは至難。


 だが、そもそもそれに相対するのが下策だ。


 得物がいくつあろうとも、腕が何本あろうとも、それを振るうのは眼前にいる黒髪の影姫だ。

 挑むべきは得物ではなく、それを繰る彼女。

 制すべきは攻め筋ではなく、それを放つ彼女。 

 ならば、向き合うべきは、周囲に舞う凶器ではなく、眼前に構えられた長槍のみでいい。


 心を研ぎ、双手の剣先に意を込める。

 見を凝らし、観を澄ます。

 敵がどう攻めてくるかではなく、これから自分がどう斬り込むのかを知らしめるために、剣を構え、足を踏み込み、剣気を練り上げる。


 相手はどう構える?

 どう備えている?

 考えている場合ではない。

 悩んでいる間に数多の攻め手が押し寄せる。

 意よりも速く動かねばならない。

 そのために見て、そのために観る。

 今、ここにある全てと対峙した上で、自分は相手に先んじる。

 ここに在らねば、敵を斬れない。

 だが、ここに在っては敵に斬られる。

 ならば、ならば、我が身は、我が意は、我が存在は……!


 立て続けに鳴り響く風切り音。

 刃が走り、長柄が唸り、互いの攻め手が空を薙ぎ払う音。


 得物は敵の方が重く、片手ではまともな受け流しは叶うまい。

 だから、長柄がひるがえる寸前に初動に重ねるように刃を添えて、


 押し流す。


 相手の振り放つ軌道に逆らわず、寄り添うように逸らす……が、流しきれずに自分は体勢を崩された。

 すぐに二刀の引き金をしぼり、追撃を力任せに打ち払いつつ再度斬り込んで体勢を整える。


不吉な左手シニスター


 八津島星護が見せた、短剣による捌きの技法。

 見様見真似ではこのザマなれど、なるほど、相手の膂力と勢いをこそ利用したこの技法は、まさに二刀をもって打ち合うための術理。


 だが、短剣ほど小回りの効かぬ刀でそれを為すのは至難。

 いかにすればこれを我が二天の剣に組み込める?

 いかにすればもっと速く捌ける?

 もっと重い攻撃を捌くには?

 捌いて後にどう返す?

 いかにすれば……いかに……いかに……!?


 思考が踊り、錯誤を交えながらも編み上げられていく。

 一瞬も気を抜けぬ攻防、刹那にも惑えぬ修羅の領域。

 それでも、今この時に振るう斬撃は、寸前に凌がれた斬撃よりも確かに鋭く斬り込んでいるはずだ。


 見すえた視線は、真っ直ぐにシズカの黒瞳を離さない。

 否、離せない。わずかにも視線を泳がせる間などない。

 振るわれる全てが圧倒的で、放たれる全てが凄絶で、その数多を凌ぎながら、その数多を封じるためにこちらの全てを叩きつける。


 もっと速く、もっと鋭く、もっと凄まじく……!


 斬る。斬る。斬る。斬る。

 斬って斬って斬り続ける。ただ、ひたすらに────!


 この手に握った刃が、目の前に広がる世界の深奥に届くまで、ひたすらに斬り込み続ける。


 もう少し、もう少し、あとほんの少しのはずだ。


 二天一刀。

 万里一空。

 言葉が描き紡いだ、言葉では現せぬその領域に、あと少しで……!


 背後で鬼火が燃えた。

 地に斬り込まれていた鉞の斧頭。

 それが蒼い炎に包まれ宙に跳ね上がる。肉厚の刃は薪を叩き割るかのごとく、我が正中線を真芯に捉えて振り下ろされてきた。


 視界の外から迫るその一撃が、今、確かに────。


 こぼれた呼吸はかすかに鋭く。


 双手の二刀はすでにして頭上に閃き、迫る鉞を十字に斬り裂いていた。




               ※


 甲高くも重い音が鳴り響き、刃の破片が中空に舞う。

 そのバカげた光景に、私は一瞬、槍を振るうのも忘れてしまった。


 斬ったのか?


 鉞の重厚な斧頭を、刀で斬っただと?


 柄や穂先を相手にするのとは違う。

 鋼鉄の……まして冥府の霊鉱と鬼火で鋳鉄した鉞の刃だ。同じく冥府の刀剣とはいえ、尋常ではない。


 二刀の剣士がこちらを見ている。

 斬り結び始めた時からずっと、わずかにも刹那にも逸らすことなく私を見すえている。

 瞬間、周囲に閃いた斬光。

 私は構えた長槍を振るい、それを打ち払い受け止める。

 けど、剣閃のいくつかは微かに頬を、腕を、かすめてきた。


 速い────!


 それは最初の日に試した時よりも……いや、つい今し方よりも格段に速くなっている。一手前よりも今が、今よりも次の一手が、確かに確実に鋭く速く閃き走る。


 右から迫る斬光を槍で流し、左から走る斬光を鬼火でつかんだ大槌で打ち払う。

 それでも双剣の勢いは衰えない。

 天のイクサは怯まない。

 なお速く、なお強く、左右の斬光を閃かせて斬り込んでくる。


 何なのだろう、この男は……!


 あきれすら抱いて、私は睨み返した。

 まるで今この時、この瞬間の攻防に存在の全てを、魂魄を燃やし尽くそうとでもいうような、鬼気迫る闘気。


 そんなにまでして、何がしたいんだ。

 そんなにまでして、なぜ強くなりたいんだ。


 剣を極めたその先に、いったい何があるというんだ。


 わけがわからない。

 理解できない。

 けど、たぶん、そんなことは当の彼自身もわかっていないんだろう。


 ただ、それが楽しいから、そうしているだけのこと。


 幼稚だ。わらべだ。ただの馬鹿だ。


 ……でも、そうだ。私は、そんな馬鹿が愛しくて、恋い焦がれ、千年もグズグズと待ちわびて……。


 ……キミは、遮那王じゃない。


 遮那王であってはいけない。

 それを認めたら、私は、私として立ち行かない。

 遮那王じゃない者が、遮那王のように在るのは我慢できない。

 私は遮那王が好きで、遮那王だけを愛している。

 なのに、この男を見ていると、私の中の私が揺らいでしまう!


 遮那王ではないというキミを、私は────!


 それは泣き言めいた言い訳だったかもしれない。

 けど、感情のままに込めた敵意は激しく、蒼炎を練り上げ周囲に燃え上がる。燃え上がった蒼い火炎は、次々と刀剣の姿を象り、頭上を埋め尽くしていく。


 鬼火が象る無数の剣刃。


 天の光を、日出ずる輝きを、沈み行く炎を、この意のもとに練り上げ、蒼く具現する。

 英雄を導き、律する、黒羽根が赦されし我が〝コトワリ〟を……!


「もう消えろ。私はキミを〝英雄〟とは認めない……」


 八咫やたの黒羽根が導くのは、英霊たる勇者の御魂のみ。


 殺し合うことしか能のない馬鹿は、我が炎に焼かれて塵となれ!


 夕焼けを覆い尽くして展開する八百万やおよろずの剣刃。

 蒼く蒼く、夕焼けを埋め尽くして燃え上がるその全ての切っ先を、迫りくる二刀のイクサに目掛けて振り下ろそうと────。


「……何だ? キミは……!?」


 思わず、呻いていた。

 目の前に迫る二刀の男。

 真っ直ぐに私を見すえたまま、真っ直ぐに踏み込んでくるその姿。

 天空を覆う殺意にさらされながら、絶望的な圧力にさらされながら、微かにも動じず、揺るがず、ただ、左右の二刀を振り上げる。


 降りしきる蒼刃の雨を背景に、二刀が放たれる。

 刃の流線を置き去りに、閃光となって斬り込んできた双剣撃。

 私は構えた長槍を振るい、ひるがえして凌ぐ。

 立て続けに撃ち込まれる剣閃、私はそれを凌ぐのに意を削がれ、手一杯で、降りそそぐ蒼刃の軌道を制御できない。


 狙いも何もなく、無駄に周囲の地面を穿ち突き立っていく剣刃たち。

 その中でなお速く、なお強く、二刀の斬撃は私を追い詰めていく。


 音もなく跳ね上げられた長槍。

 まるで抵抗なく、衝撃も皆無に、あたかも私自らが気圧されて槍を逸らしてしまったかのように……。


 眼前で笑う二刀のイクサ。

 激闘を制し、今こそ死生の極みとばかりに、斬り結ぶ喜びに笑うその姿は…………だから、どうしてキミはそんなにも!


 放たれた双剣の軌道が、私の両肩から両脇腹を十字に駆け抜ける。


「ああ……」


 私は溜め息とともに天を仰いだ。

 蒼い流線の向こう、朱く朱く沈み逝く斜陽を見やりながら、静かに、とても静かに思い知った。


「……私の負けだ。私は……キミを……」


 告白は濁りかすれて、もう言葉にはならなかった。





               ※


 橋上を埋め尽くす鬼火の刃。

 墓標のように立ち並ぶそれらのただ中で、自分はただ呆然と────。


 何をどうして、何がどうなったのか?


 無我夢中。

 そう呼ぶなら、今の自分はそういう状態だったのだろう。

 呼吸は乱れ果て、全身が軋みを上げ、思考は朦朧もうろうと揺れている。


 眼前には、力なく項垂れへたり込んだ黒羽根シズカ。


 自分は────。


 グラリと、膝から力が抜けた。

 後ろに倒れ込みそうになったところを、誰かがふわりと受け止めてくれる。柔らかに甘い香りが、鼻孔をかすめた。


「勝負あり……。お兄さんの勝ち……で、良かとよね?」


 自分を抱き留め支えながら、猫耳の影姫様は、うずくまるもうひとりの影姫に呼び掛ける。


「……ああ、私の負けだ……」


 応じる声は力なく、けれど、かすれることなく確かに響く。

 十字に深々と斬り裂いたはずの斬撃。

 だが、うずくまるシズカは血の一滴もこぼしている様子はない。蒼い鬼火も燃え上がらず、そもそもその身に斬撃の痕など見当たらない。


 何故────?


 そこでようやく、自分は双手に握った二刀の状態に気がついた。

 右の大刀、左の小刀、そのいずれの刀身もが鍔元からボッキリと折れ砕けた無惨な在り様。


「……折れていたのか……いったい、いつ……?」


 考えるまでもない。

 あの鉞の刃と斬り合った時だ。

 あれ以降の斬撃は露骨に速くなった。目にも留まらぬ閃光のごとき斬撃へと加速していた。

 それも道理だ。そもそも目に留まるはずの刀身が失せていたのだから。

 刀身のない剣閃。

 しかし、ならばなぜ斬り合いが成立していたのか?


「私も、今の今まで、その刀が折れていることに気づかなかった。ずっと刃は健在だと思っていた。実際に打ち合っているつもりでいた。この頬をかすめた刃の感触も、覚えている」


 シズカは己の頬を、を指先で撫でながらぼやく。


「わけがわからない。けど、現に刀は折れていて、私は斬られていない。なら、全部が錯覚だったのだろうさ……」


 自分の二刀はとっくに折られ、以後の斬り合いは錯覚?

 ならば────。


「勝負は、まだ……」

「ふふ、よしてくれよ。私はもうクタクタだ。何せ、折れた刀を相手に必死で抗うほど、追い詰められていたんだ。それに……」


 シズカはその黒瞳を細めて、弱々しく笑う。


「……どうやら、私はもうキミを殺せない」


 だから、死合うのは無理だ……と、そうこぼしてシズカは黒髪を掻き上た。そして、ふわりと浮き上がるような軽い所作で立ち上がる。


「その刀は、キミにあげるよ……」

「……? だが、これは源九郎の形見なのだろう?」

「ああ、そうだね。だから、キミにあげる」

「…………」


 どういう意味なのか。

 それを察せられぬほど、自分は朴念仁ではない。

 だが、だからこそ、どう応えるべきなのかを判じきれなかった。


 シズカは儚げな微笑のままに、小さく首をかしげて、


「それは大切な、とても大切なものだから……。乱暴して、へし折ったりしないでおくれよ……」


 からかうように声音を震わせた。

 そして響いた羽音と、舞い散る黒い羽根。


 もう、そこに黒髪の影姫の姿は見当たらない。


 砕け落ちていた長柄武器の残骸も、周囲に突き立っていた無数の剣刃も全て消え去り、後には、穿たれた路面と、折れた二刀の刀身だけが残されていた。


「……自分が、勝った……か」


 無我夢中の激闘であったせいもあり、どうにも実感がない。


 だが────。


 確かに、自分の剣は何かに届きそうであったという感覚はある。


 相変わらず、それを確かに会得する前に霧散しているのだが…………。


「……良かった。お兄さんの因果は、まだこじれたまんまやね」


 朗らかに笑うナナオ。


「嬉しそうだな」

「そりゃあそうよ。だって、因果が切れて無念が消えたら、お兄さん成仏してしまうんよ? ウチ、もっとよーけお兄さんと一緒に居たいもの」


 どこまでも楽しげに、ギュッと力を込めて抱き締められた。

 その力強くも甘やかな抱擁に、自分はやれやれと吐息をこぼす。


 そこにこもるのは未だ天へと届かぬ落胆と。

 そして、それ以上に確かな安らぎと。


「さあ、お兄さん。気合い入れや?」


 ああ、その通りだ。

 ここで腑抜けてはいられない。


「我が二刀は、未だ天へと届かず……」

「ああ? 何カッコつけとんの? そういうことじゃないとよ」


 ナナオはそのしなやかな指先でチョイチョイと折れた二刀を指し示す。


「これから、雲井さんにがばい怒られるんよ? 気合い入れて謝らんと殺されてしまうわ」


「…………」


 なるほど、それは確かに、覚悟を決めて挑まねばならぬ闘いだった。


 

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