イトシキキミニコイゴガレ(4)


 袖がらめが三片に砕けて落ちる。

 顔を上げれば、蒼炎に包まれた長柄は残り四本。

 前方にたたずむ髑髏面。

 その表情は隠され読めぬが、少なくとも、見ためはさも不可解そうに首をかしげていた。


「……せぬ。なぜ、我が武器が砕かれている?」


「ふむ、どうやら、自分の愛刀はいずれも業物であるようだ。それとも、雲井殿のたくみがゆえか……」


 冥府の武装とはいえ、宙舞う長柄を斬り裂く鋭利は凄まじい。

 感歎する自分に、だが、髑髏面は小さく鼻を鳴らした。


「そういう意味ではない」

「そういう意味でしかないと思うがな。立ち会いが長引けば、得物が打ち合う機会もあろう。斬り結べば刃も通ろう。なら、後は使い手の業前わざまえか、得物の質次第。。なら、こちらが打ち勝っているのは得物の質ゆえであろうよ」


れ事を……」


 呟きとともに、髑髏面は地を蹴った。

 長槍を腰溜めに構えた刺突の型。

 それに先んじて宙にひるがえる四本の長柄武器。


 解せぬ……と、この髑髏は言うた。


 なぜ、武器を砕かれたのか? と、そう疑念を問うた。

 浅慮なことだ。

 問うべきはそこではないだろう。


「……あなたは、なぜ未だに自分を仕留め切れていないのか……そこをこそ考えるべきなのだ」


 業前に勝り、攻め手で圧倒しながら、髑髏面は未だに自分をたおせない。


 深い溜め息に続けた吸気は鋭く、自分は両手の二刀を振りかぶる。

 振り下ろされる砕棒を大刀で薙ぎ落とし、横から迫る鉞を受け流し、斜めに降ってきた大槌を躱し、

 そして背後から迫る刺叉を、振り向き様に小刀で叩き斬った。

 真っぷたつに割れて転がる長柄の在り様に、槍を構えた髑髏は刹那に呆然と。その空隙に、自分は身をひるがえして大刀の引き金をしぼる。


 加速する斬撃、本来なら間に合わぬ斬撃。だが、わずかに怯んだ髑髏面の刺突は未だこちらに届かぬまま。


 斜めに斬り上げた切っ先が、硬い何かを斬り裂いた手応え。


 大きく仰け反るように身を躱した髑髏面……否、もはやそう呼ぶのは不適切であろう。

 宙に舞うはふたつに割られた髑髏、舞楽の面のごとくザンバラの飾り髪がついたそれが、乾いた音を立てて地に落ちた。


 大きく飛び退いた黒衣の影。左手に長槍を握り、右手で顔を隠しながら、長い黒髪をたなびかせて距離を取る。


「ふむ、あやまたず仮面のみを斬り裂けたか……」


 まったく、何なのだろうな、この茶番は……。


 神技の域にある長槍を振るい、舞い踊る六本の得物を鬼火で操る異能。

 それらによって百を超える攻め手を放たれ、そのほとんどを読み切れていない自分が、かろうじてでも凌ぎ切れている。


 否、それは凌いでいるのではない。

 のだ。

 本来なら、とうに自分は斬り伏せられ、打ち滅ぼされているはずだ。


 ならばなぜ今もなお自分は立っているのか?

 普通に考えれば、答えは明解。

 相手が手加減している。あるいは、本気を出せずにいる。こうしてあっさりと仮面を斬られたところを見るに、後者の可能性が高いだろう。


「死合う気がないならば、もう下がれ黒羽根シズカ……見ての通り、自分はまだあなたとの約定を果たせていない。それとも、未だ自分を試しているつもりか?」


 自分の宣告に、黒髪の影姫はゆるりと右手を下ろす。

 あらわになった白い美貌。細められた黒い双眸がこちらをめつける。


「試す……? なぜ……? キミは……〝否〟と応えたじゃないか」


 紡がれた澄んだ声音。

 先刻までの低い男の声は、やはり仮面のカラクリか?

 シズカは以前にも聞いた凜々しい声音を、以前と打って変わった弱々しさで紡ぎ出す。


「キミは、違うんだろう? 私が待ち望むあの人ではないんだろう? なら、もうキミはいらない……約束なんか知らない……私はキミを斬り伏せて、大切なあの人の刀を取り戻す……」


 そして、また繰り返す。


「もう一度、新たな誰かを探す。今度こそ、愛しいあの人の魂であることを願いながら、その刃に宿して骸に突き立てる。

 いつか黄泉返るはずなんだ。

 必ず因果に迷っているはずなんだ。

 だってあの人が、無念に囚われていないはずがない。

 あんな終わりに、満たされて逝ったはずがない。

 私を置いて、輪廻に還ったはずがない……」


 だから────。


「あの人は、絶対に怨霊になっている……! だから、私はずっとあの人を探して、探して、探し続けて……」


 喉奥からしぼり出すようにかすれた声音。

 黒い瞳が、くらい淀みをたゆたわせて自分を睨みつけてくる。


 あるいは、愛しき想い人でありやと期待していたのなら、その期待を裏切ってしまったのは事実であろう。


 ……だが、だからといってそう睨まれてもな。


 それこそ、自分には預かり知らぬこと。


「自分は、源九郎義経ではない」

「わかっているよ。……ああ、そして、生まれ変わりであるはずもない。そうだろう? 輪廻に還っていないあの人が、生まれ変わる道理はない。いや、仮に……そう、もし仮に生まれ変わっていたとしてもだ……」


 長柄の穂先を突きつけて、黒き影姫は嘲笑うように勝ち誇った。


さ。あんなに愛したキミだもの。あんなに愛してくれたキミだもの。何度生まれ変わろうと、どれだけ輪廻を巡ろうと、出会えば必ず互いに気づく。絶対に、。だから……」


 手にした長柄をひるがえし身構える。

 宙を舞う三本の長柄もまたひるがえりこちらを狙う。


「……キミは、私が待ち望むあの人ではない」


「ああ、だから、最初からそう言っている。自分は……」


 あなたのことを知らない────。


 応じかけたその言葉を遮るように、長柄の刺突が空を裂き迫ってきた。

 速く、真っ直ぐな、愚直なまでの刺突。

 喉笛をわずかに逸れた軌道で放たれたそれを、自分は危なげなく小刀で受け流す。


「黙れ……」


 黒い双眸が、憎悪を込めて睨み上げてくる。

 長槍がひるがえり、空中から三つの殺意が振り下ろされてきた。

 速く、鋭く、それでいて決して同時ではなく、わずかにタイミングをズラしながら順序良く迫るそれを、自分もまた順番に躱し、払い、流して、最後の鉞の柄を大刀で斬り落とした。

 長柄が砕け、支えを失った斧頭が路面に喰い込む。


 シズカの攻めは、どこまでも急所を外し、決め手を欠いたままだ。


「言うたぞ。死合う気がないなら、下がられよ。今の自分は、猛き闘いにしか興味はない」


 自分の再度の警告。

 シズカは眼を見開き唇を噛み締めて、手にした長槍を振り放ってきた。


「黙れ! 黙れ! 黙れ! わたしだってキミなんか知らない! キミに憶えなんかない! だってキミは遮那王しゃなおうとは違う!」


 叫びとともに放たれる刺突、繰り返し繰り返し放たれる鋭利なそれは、やはり、自分の正中線から決定的にズレた軌道で迫りくる。


「遮那王じゃない! キミは遮那王じゃないのに……! !」


 ひときわ激しく突き出されてきた刺突は、なおも我が身を逸れた。

 左脇をスリ抜けんとした長柄を、自分は左腕で挟み押さえ込む。

 本気で抗えば用意に振り解けるであろう拘束に、だが、シズカは大きく天空を仰いでくずおれた。


「遮那王じゃないクセに……! 遮那王のように私を見るな……! 遮那王のように喋るな……! 遮那王のように笑うな……! キミは……」


 いなと応えたクセに────!


 へたり込み、うつむき、握った長槍にすがりつきながら、黒髪の影姫は慟哭を張り上げる。


「………………」


 源氏の英雄、源九郎。

 そんなにも、自分は似ているのだろうか?

 この黒髪の影姫が恋い焦がれ、待ち焦がれたその人に似ているのか?

 否と応えられた上でなお、切り捨てられずに泣き崩れてしまうほどに、自分にその面影を見ているのだろうか?


 だが────。


「自分は、義経ではない。それは、影姫ならば見分けられることではないのか?」


 魂の形とでも言うべきか。

 冥府の番人ならば、その異能をもって見分けられるのではないのか? だからこそ、生まれ変わってもわかると断言していたのでは?


 それとも……。


「よもや、愛する者だから、その愛ゆえに見分けられると?」


 ヒクリと、槍が揺れた。

 甘く愚かな願望を見透かされてビクつく少女そのままに、シズカの双肩は微かに震えている。


 愛は永遠。

 何度生まれ変わっても、どんな姿をしていても、愛しているなら必ず通じ合える。互いが互いに共感し合える。

 それこそが真実の愛。

 なるほど、物語ならばそういう浪漫もあるのだろう。


 だが、現実でそれを求めるのは夢見が過ぎる。


 もっとも、そんなこと本当は思い知っているからこそ、シズカは問い続けていたのだろうな。


〝オマエは何者か?〟


 だが、やはり何度問われても答えはひとつ。


「自分は、あなたを知らぬ」


 源九郎の記憶など持たぬ。


「そもそも、源九郎義経はイクサになっているはずなのだろう? 輪廻に還っていないのならば、自分が生まれ変わりであるはずもない」


 それは、シズカ自身も断言していたことだ。


「……ああ、そうさ。遮那王が悔いなく召されたはずがない! 私を置いて逝くはずがない! そんなはずがないんだ! そんなはず……」


 頑なに強く唱えながら、

 ……けれでも、シズカの黒髪は力なく揺れる。

 なら、それはただ、そうであると信じ、そうであって欲しいと願い続けているだけの儚い願望。


「そんなはずがないのに……どうして私はひとりなの? どうしてみんなはヨモツヒラサカを迷っていないの? どうして誰も黄泉返らないの? どうして……」


 顔を上げた影姫。

 凛と引き締められていた美貌は哀れに歪み、泣きわめく童女そのままにボロボロと涙をこぼしていた。


「……弁慶……郷子様……三郎……みんなどうしてここにいないの? 私は……どうしてひとりで遮那王を待っているの? 私は……ずっとみんなを探して、待っているのに……」


 切れ切れにかすれた呻き、今にも掻き消えそうな嗚咽。


 源九郎たちは冥府にいない。

 イクサとして黄泉返ってもいない。

 なら、


「輪廻に還ったのであろう。悔いなく、迷いなく、召されたのであろう」


 彼女も、本当はとうに理解していると思う。

 源九郎が死してより五百年……否、現代からすればもう一千年に迫る長い刻を探し続け、待ち続けてきたのだから。


 それでもなお、彼女はゆるゆると頭を振った。


「……そんなはずがない。遮那王が悔いなく逝ったはずなんてない。ずっとそう思っていた…………キミを、見つけるまでは……」


 ヨモツヒラサカをさまよう御霊。

 この世に悔いを残し、無念に迷う魂。

 愛しいあの人にそっくりな、けれど別人の魂。


 だから黄泉返らせたのだろう。


 源九郎の生まれ変わりかもしれないと期待して。


 けれど、もし本当に生まれ変わりだったら?

 そうしたら、源九郎は悔いなく召されていたということだ。己を置き去りにして成仏していたということだ。

 それを認めるのが、恐ろしかったのか?


「何とも、回りくどい話だな……」


 正直、でもあるのだが────。

 いずれにせよ、女々しく情けない話。

 まあ、シズカは女子であるのだから女々しいのは当然か。

 むしろ、自分の方こそが〝男のクセに〟ということなのだろう。

 自嘲のままに溜め息をこぼした。だが、シズカからすれば、それは嘲弄に感じたのだろうか。

 彼女は泣き笑うように息を詰まらせる。


「何だ……その〝女の心など理解できぬ〟という澄まし顔は……何で、キミはそうやって……キミは、遮那王じゃないクセに……!」


「ああ、自分は源九郎ではない。源氏の英雄ではない。だから、あなたのことなど憶えていない」


 ただ────。


「あなたには一度、敗北を刻まれている。あの時は無様に打ちのめされた自分だが、今は違う。今なら、あなたに勝てると思っている」


 だから勝負したいのだ。

 強いあなたと、

 凜々しく勇猛なるあなたと、

 全身全霊を懸けて死合いたいのだ。


「あなたが誰で、自分が誰であろうと知ったことではない」


 重要なのはその在り方だ。


「自分は剣士で、あなたは強者だ。自分にとってはそれが全てであり、それだけで良い。あなたは、これまで自分が出会った誰よりも強く圧倒的だ。だから……そうだな。そういう意味では、自分は今、


 それは嘘偽りのない。心の底から確信する想い。

 冗談でも悪ふざけでもない、真剣な告白。

 きっとこの想いは伝わっただろう。

 だからこそ、黒髪の影姫は深く深く溜め息を吐いた。


「……最悪だなキミは……。相手の心など顧みず、己の見すえた先しか興味がない。

 ……そうだね。思えばずっとそうだった。

 ……あの人はいつも楽しそうに駆け抜けて、私たちは、ただ、その背中を追いかけていた。

 ……なら、愛していたのは私だけなのか?

 ……悔いているのは私だけだったのか?」


 長槍に力がこもる。

 泣き濡れた黒い双眸に力が宿る。

 黒羽根シズカは、ゆるりと身を起こす。


「……何だか、腹が立ってきた。可愛さ余って憎さ百倍……とは、こういう想いのことなのかな。

 ……ああ、良く見れば、憎らしいあの人に良く似たヤツが、ここにいるじゃないか」


 底冷えるような声音。

 寸前までの哀れな乙女のそれではない。

 眼前の相手を斬り伏せる。その闘志が込められた声音。

 鬼火が燃え上がり、落ちていた二本の長柄が再び宙に舞い上がる。

 

 二方から同時に振り下ろされたそれを、自分は大きく、そして一瞬早く飛び退いて回避した。


 遠間を開いて対峙する。

 シズカは衣の袖で目許を拭い、スンと小さく鼻を鳴らした。

 こちらを睨む双眸は、もう濡れてはいない。


「……さて、キミの望みは強者との死合いだったな」


 自由になった長槍をひるがえし構えて、彼女は不敵に笑う。


「いいさ、殺し合おう。一千年分の憂さ晴らし、どうか余さず受け止めておくれよ、天下無双」


 黒瞳にこもった鋭い敵意。

 長柄に宿る強い闘気。

 周囲に満ちる静かな殺気。


 その全てが、あの日、初めて対峙し敗北したあの時に感じたもの。


 ああ、ならばここからが、自分が望む闘いだ!


「いざ、尋常に……!」


 気概の掛け声は、今度は遮られることはない。


「おいで坊や……キツくお仕置きしてあげよう」


 応じる声音は優しげなほどに柔らかく、

 振るう長柄は、対極なまでに鋭利な殺意を宿して閃いた。

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