サンゼンセカイヲイヌクナハ(5)


               ※


 策とも言えぬ正面突破を決め込んだ後、テンの野郎は、刻限まで英気を養うべし……とばかりにナナオの膝で悠長に寝息を立て始めた。


 よくもこの期に及んで眠れるな……と、感心したのが最初の小半刻。 

 そもそも一晩中寝込んでいたのではなかったか……と、あきれ果て。

 そろそろ起きたらどうだと呼び掛けたのが、すでにして一刻前。


 未だ高イビキをかいている自称・天下無双に、遂に我慢の限界を迎えたオレは蹴りを入れてやった。


「いい加減にしやがれ! テメエ、昼回ったら攻め込むんじゃなかったのかよ!」


 太陽はとっくに中天を通り過ぎていた。

 いや、それどころか、もういくらも経たない内に西に沈み始める。テンは実に半日も寝続けていたわけだ。


 オレに脇腹を蹴られ、呻きつつも身を起こしたテン。欠伸を噛み殺しながら、いかにも心外そうに抗議の眼差しを向けて来る。


「……ん? ああ、そういえばそう宣言してきたな。だが、明るい内から攻めるよりも、宵闇に乗じた方が有利だと思わんか?」


 はあ? 何言ってんだコイツ。

 怖じ気づいてる────わけはねえし、実際、そういう風には見えん。純粋に夜襲を掛ける方が良しと思い直したってのか?


「いや、けどオマエ、相手に時間を約束したろうがよ……」

「まあな。だが、それを律儀に守ることもあるまい。ああ、だが、夜まで待っては屍鬼どもがわいてしまうか……日が沈み切る寸前辺りに仕掛ける方が良いな」


「……テメエ……」


「まったく、ままならぬ。こちらにはこちらの都合があり、向こうには向こうの都合がある。何事も予定通りには行かぬのが世の常だな」


「……ふん、良く言うぜ……」


 どうやらコイツ、端っから時間通りに立ち会う気はないってか?

 あきれ果てるオレをよそに、テンは傍らに置かれたカラクリ仕掛けの大小に目を留める。


「……おお、直しは終わっているのか。かたじけない雲井殿」

「おう、次はオマエさんの首で仕上がりを試すからな」


 頭巾の親父は欠片も戯けぬ本気の声音で言い切った。


「うむ、キモに銘じておこう」


 テンはまたコイツで大真面目に頷いてやがる。


「ほらほら、お兄さん、服ボロボロやろ? 雲井さんに新しい戦装束を仕立ててもろたんよ。着せたげるから立ちんしゃい」

「ん? ああ、承知した」


 ナナオが楽しそうに装具を抱えて急き立てる。言われるままに立ち上がったテンに、猫耳の影姫は新妻もかくやな甲斐甲斐しさで、せっせと支度を調えて行く。

 

 何だこの状況────。


「……焦ってんのはオレだけかよ」


 呻いたオレに、傍らのスズが首をかしげた。

 束ねたオレの髪をクイクイと引っ張って問うて来る。


〝……オマエの準備は良いのか……?〟


「ん? ああ、オレの方は問題ない」


 というか、そもそもオレは昼に出ると承知していたから、とっくに万端調えて待機中なのだ。


〝……やじりは、今あるだけでも良いのか……?〟


「……大丈夫だ。どうせ〝穿空センクウ〟以外は使わねえ」


〝………………〟


 スズがじっとこちらを見上げている。

 何だ? 何か言いたいことでもあんのか?


「……スズ?」


 呼び掛ければ、スズはプイッと顔を背けてしまった。

 切りそろえた前髪の下、琥珀色の双眸は顰めたように細められている。

 このところずっと不機嫌ではあったが、これはまた輪をかけて御機嫌斜めな感じだな。


 まあ、黒羽根シズカは見つからねえし、オレは失態続きだし……そういう意味では、せめてここらで手柄のひとつも立てとかねえとな。

 そう、改めて自分に言い聞かせる。


 そんなオレの内心を見透かしているかのように、スズは深い溜め息をひとつこぼして────。

 そのまま、オレの影の中へピョンと飛び込んで消えてしまった。






 拠点にしていた廃ビルを出発したオレとテン。

 西日が、少しずつ世界を朱に染めて行く中、建物群の陰を大回りに回り込んで、橋のたもとを目指す。


 先を行くテンの後ろ姿を、何の気なしに見やる。

 漆黒に染まった厚手の上着と下穿き。その上に裾の長い陣羽織のような白い長衣を羽織っている。四肢は手甲や脚甲で鎧われ、胴丸こそ着けていないが、いかにも武者然とした格好だ。

 ナナオが頭巾男に作らせた、テンのための装束。

 オレが生きた時代の武者とは違うし、根本的に和洋折衷というか、現代風だから、言うほど武者っぽくはないのかもしれないが、それでも……。

 そうして装束を調え、佩刀はいとうして先陣を進む姿を見れば、どうにも御大将を連想せずにはいられない。


 似ていると言うなら、やはり、似ているのだ。


 テンの方は、そんなオレの内心の苦悩など知る由もないだろう。

 ふと────。


「……ホムラ……あの真田が刻んだ〝因果の銘〟だがな……ひとつ、思い当たるものがある」


 言う通りに、何気なしに思いついたという風体で語り出した。


「天下分け目……そう呼ぶには、あまりに勝敗の見えた戦があった。その戦にて、真田信繁はあえて劣勢である側に参じたそうだ」


「……ああ、そうらしいな。テメエが寝てる間に頭巾の親父から聞いた。けどよ、その信繁ってのは元からそちら側の武将だったんだろう? だったら、それが当然の〝義〟ってもんだろうよ」


「そうだな。形勢が傾き、世の流れが自分たちの側にないと確信しながらも、義を貫き、遊軍を支えて大軍を相手に戦い抜いた名将。そういうところが人々を魅了し、後世に英雄として語り継がせたのだろう」


「……ふん、世俗はそういう話が大好物だからな」


 何だか、どこかの誰かを思い出す話だ。


「確かにな。だが、実際にはどうだったのだろうな。義やら志やらもないではなかったろうが、結局のところ、引くに引けなくなった……というのが本音だったのではないか?」


 微かな笑声を交えたそれは、皮肉るというよりは、哀れむ響きだった。


「……ヒネクレてんなあ。素直に〝これぞ武士もののふの生き様よ〟とか、感動してやれよ」

「ふむ、そういうオヌシの態度も大概だぞ。……まあ、ともかくだ。彼が優れた将であり、英雄であるのは間違いない。何せ、彼は圧倒的大軍たる敵の、その大将首に二度までも肉薄したのだからな」

「……ハッ、そりゃスゲーな」


 本当に、どこかの誰かを思い出す話だ。

 もっとも、御大将が寡兵かへいで敵陣を圧倒したのは二度どころではないし、その上で勝ち続けて、遂には平氏を滅ぼしちまったらしいがな。


 しかし、天下分け目の大戦。

 劣勢に加わり、寡兵にて挑み、敵大将首の眼前まで二度も攻め入りながらも、攻め切れずに敗走した。


 それはさぞかし────。


「……無念、だったんだろうな」

「ああ、無念だったろうさ……」


 そこについては、そう、武に生きる者なら誰だって共感できる。

 万策を尽くし、全霊を尽くし、死力を尽くしたその果てに、今少し、あと一歩で、眼前の勝利に届くその最後の瀬戸際で……遂に及ばずに敗れ去る口惜しさ。


 伸ばした槍がもっと長ければ────。


 握った槍が弓であれば────。


 構えたのが銃であれば────。


 届いたかも知れない。


 届かなかったあの勝利に、届いていたかも知れない。


 もしも、あの時この手に、もっと遠くまで届く力があったなら……。


「……それで〝こだま〟に惚れ込んだってのか?」


 槍では届かなかった敵の首に、今度こそ届くようにと?


 それまで磨き上げた槍を放り捨て、新たな得物に飛びついた?


「……無様な話だな」


「ああ……無様だ。持てる全てが尽きたなら、潔く燃え尽きるのが武士の在り方だろうに……それでもなお、ついえた望みに追いすがることを選んだ」


ホムラ〟────。


 あの赤備えが刻んだ因果。

 自分は未だ燃え尽きてはいないのだと、この胸の闘志はなお赤く燃え上がっているのだと、勝利に向かって手を伸ばし、しぶとくも無様に足掻き続ける敗残の死人兵。


「ギリギリで逃した勝利が、そんなにも悔しかったのかねえ……」


「さあな……そもそもが自分の推測であり、憶測だ。実際のところはわかりはしない。……だから、単に引くに引けないだけなのかも知れん」


「……ああ、どうでもいいさ。結局オレらはみんな、潔く死にきれずに迷い出た怨霊だ。誰の無様を笑う資格もありはしない」


 浮かべた苦笑いは、いつしかハッキリとした自嘲に変わっていた。

 そうこうしている内に、オレたちは目星をつけていた建物の前に差し掛かる。

 橋のたもと、その通り沿いに並ぶビルのひとつ。この十階建ての屋上からなら、対岸に建つ敵の居所を狙い撃つのに最適と思われる。


 オレはこのビルの上に陣取り、橋を駆け抜けるテンを援護する。

 狙撃しようと顔を出すホムラを〝穿空センクウ〟で狙い撃って牽制し、その間にテンは敵陣に斬り込むという……まあ、バカげた作戦だ。作戦というのもオコガマシイ正面突破だ。


 改めてその無謀さに肩をすくめつつ、オレはビルに踏み込もうとして、


「……ではな、頼んだぞサダメ」


 背中に投げられたそれに、思わず足を止めた。


 頼んだぞサダメ……と、コイツは言った。


 これは、何だろう?


 叱咤しった? それとも激励? いや、違うな。ただ、これは言葉のままなんだろう。そう、言葉のまま。


 


 それだけだ。

 オレが仕損じたらコイツが困るから。コイツが為し得たい目的の為には、オレが役目を果たさないといけないから。

 だから、コイツはオレに頼んでいるという、ただ、それだけのことだ。


「……なあ、ひとつ、訊いていいか?」


「……何だ?」


「もし、もしもだけどよ。オマエが一軍を率いる将だったとしてだ。この役目を仕損じたら全てが台ナシだ……って感じの重大な役目があったとするよな?」


 ────あの的、射抜けぬとあれば源氏の名折れぞ────。


「そんな時に、名も知らない雑兵が歩み出て〝自分にやらせてくれ〟と主張してきたら、どうする?」


「そいつの名を問う」


 即答され、オレは肺腑が冷えた気がした。

 だが────。


「そして名乗ったなら、そいつに任せる」


 続いた言葉に、オレは目を見開いて息を詰まらせた。


「……名も知らない、雑兵だぞ?」


「まあ、多少の不安はあろうな。だが、そいつはその局面で将たる自分の前に歩み出て、もの怖じずのだ。ならば、役目の責任を負う覚悟があるということだ。だから、任せる」


 名乗ったら、任せる?


 じゃあ、名乗れなかったら?


「名乗らぬなら、捨て置く。己が何者かすら主張できぬなら、そいつは本当にただの雑兵だ。そんな半端者に、一軍の命運を託せるものか」


 そう言って視線を彼方に滑らせたテンの顔は……ああ、そうだ、忘れようもない。あの時の御大将と同じだった。

 もちろん顔立ちは違う。全然違う。

 けれど、その冷たく見限るような眼差しは、間違いなく同じもの。


「……ハハ……何だそりゃ……」


 思わず、笑いが込み上げた。

 ああ、本当に、何だよそれ────。


「……どうした?」


 テンがいぶかしそうに問い掛けてきた。

 けど、ああ、冗談じゃねえや。

 どうした? だと? オマエにだけは問われたくないね!


「どうもしねえよ。いいからさっさと行け。さすがに、向こうは待ちくたびれてブチ切れてるぞ」


「……だろうな。だが、それが二天一流の兵法だ」


 不敵な笑み、相変わらずイケ好かねえ野郎だ。

 橋へと歩んで行く後ろ姿。それを見送りながら、オレは微かに小さく呟いた。


「……この射を損じれば、源氏の名折れか……」


 あの戦バカの道楽の為にと思うと、気が乗らないが────。


 己の影を見下ろす。

 そこに沈んでいる少女。気難しき我が主殿。今のオレが仕える御大将たる影姫様。


「早く仕留めないと、オマエが困るんだよな」


 だったらオレは、弓を取るのにいささかも惑うわけにはいかない。

 意識して深呼吸を長く、弓を握る手に力を込めて、今度こそオレはビルの中へと踏み込んだのだった。



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