サンゼンセカイヲイヌクナハ(4)
「……率直に言わしてもらうがよ。武士ってのは東も西もバカしかいねえのか?」
カウンターに立つ濃紺頭巾の男……雲井殿は、さもあきれた様子で毒突いた。
「ああ? コイツはともかく何でオレまでバカなんだよ?」
「ほう、バカじゃねえってか? こないだのボロクソな負けっぷりのどこら辺が賢いのか、是非とも御高説願えますかね?」
「…………」
痛い指摘であったのか、サダメは言葉に詰まりつつガリガリと頭を掻きむしった。
……何だが、懐かしい仕種だな。
「ともかくよ! どうすんだよテン! 挑発するだけ挑発して対抗策はありませんとか、確かにバカ過ぎだぞ?」
「……承知している。だからその策を今から考えるのだ」
サダメの指摘もまた自分には痛いもの。
自分は懸命に思考を回す。とはいえ、あの狙撃のために
わずかな光明は相手の射撃の拙さと、これが軍を率いての戦ではないということ。
正直、先に進むだけならば、時間を掛けて渓谷を回り込むという道もあるだろう。大地が果てなく割れているというわけでもあるまい。
だが────。
相手はあの真田。
そう、あの日ノ本一の兵なのだ。
出掛けにサダメにはああ言ったが、いざそうと知った今は、武芸者としての血が騒ぐ。まあ、血流はもう失せているのだが……ともかくだ。
正面から刃を交える武の勝負、挑まず避けるなどという勿体ないことはもうできない。
宮本武蔵に対峙した時の八津島星護も、このような心境であったのだろうか?
抱いた感慨は、多分に現実逃避の感があった。
実際、あの橋を無事に駆け抜ける策など全く思い浮かばない。
「オレの弓だって三百メートルが限界だぜ。橋のたもとからギリギリ届くかどうかだ。しかもあくまで射程の話だしな。それを刀振り上げてどう挑むってんだ?」
「……わかっている」
「わかってねえだろ? わかってたら、始めからあんなバカげた挑発かましたりしねえだろうが」
「…………」
「あの長射程を相手じゃ、どうにか隠れてヤリ過ごすしかねえ。が、正面切って宣戦布告したせいでそれも難しくなった。明確に警戒されちまった中でどう渡るんだ?
そもそも橋を渡る以前に近づくだけでガンガンに撃たれまくるだろう。その中で橋を渡りきって、ビルを駆け上がって〝いざ尋常に!〟ってか? 絶対無理だろうが!?」
「……だから、わかっている! わかっていることを口うるさく吼えるな!」
「ああ!? 大言吼えてきたのはそっちだってんだこの戦バカ! 強者と遊びてえならテメエだけでやれってんだよ! オレらを巻き込むな! テメエが余計な挑発しなけりゃ、まだヤリ過ごせたかもしれねえんだ!」
互いに熱くなり、冷静さを欠いて……だから、というのは言い訳に過ぎないのだが────。
「……ねえ、サダ君」
「「何だ!?」」
不意に呼び掛けてきたナナオの声に、自分たちは思わず返事をハモらせてしまった。
スズが怪訝そうにこちらを見る。一緒に返事したサダメも同様に。雲井殿が肩をすくめ、ナナオがさも楽しそうにニッコリと笑った。
……まったく、自分の未熟さには本当にあきれ果てる。
「うふふぅ……おにーさん♪」
甘ったるい呼び掛けに顔を上げれば、座したナナオが大きく両手を広げていた。抱擁をせがむ
「こっちゃおいで、お兄さん。無駄に熱くなっても疲れるだけっと。考え事はのんびり冷静に……やろ? ウチがトロっトロに癒したげるよ? じゃから、こっちゃおいで♪」
言葉の通りに、柔くトロけた満面の笑顔。
自分は大きく深呼吸をひとつこぼしてから……。
おとなしく、彼女の両腕に収まった。
身を任せれば、ナナオはなお楽しげに笑声をこぼしつつ、一度ギュッと抱擁してから、自分の頭を太腿に乗せる形で寝かしつけてくる。
彼女の甘い香りと柔らかな温もりに、ささくれ立っていた自分の内心はたちまち癒されてしまった。
我ながら単純なものだと自嘲しつつ。
そのまま身を預けて呼吸と思考を落ち着ける。
「本当に、お兄さんは武士のクセに、こういうとこ素直やねえ……」
膝枕された自分の頬をくすぐりつつ、ナナオは微笑んだ。
そんなこちらの様子に、サダメはあきれも深く吐き捨てる。
「……ふん、武士が女にすがりついてんじゃねえや」
「あらら? うらやましいなら素直にそう言い。スズちゃんも、ムチばっかりじゃからサダ君がヒネクレてしまうんよ? たまにはこんな風にアメもやらんとねえ♪」
流し見るようなナナオの視線に、スズが唇を動かした。
「……〝貴方はアメだけでしょう?〟……と、スズ様はあきれておられる」
「アハハハ♪ そんかわり、ウチのアメはがばい甘いでぇ。あんまり甘々の甘露やから、ほら、天下無双もこのザマっとよ♪」
ねえ♪ ……と、間近に笑顔を寄せてくる猫殿。
正直、甘すぎるアメというのも恐ろしいものだがな。
「……あれだけ呑んだくれていて、全く酒臭くないのはなぜなのだ?」
「んニャア……褒められとるのか微妙な感じやねえ」
「素直に〝あなたの匂いは甘くて心地良い〟と褒めている」
「……うふ……そんなら、しっかり策を考えっと。その赤いのとお兄さんと、どっちが本当の一番か示したりぃ。そうしたら、ウチがたーっぷりと甘い御褒美上げたるよ♪」
「……承知した」
自分は目を閉じ、彼女の温もりに全てを委ねて思考に沈む。
「……オレ様は何を見せつけられてんだ?」
「……さあな、コイツらはた────」
雲井殿の低いボヤキ。
続いたサダメの声は、たぶん、それに準じた文句だとは思うが、思考に届きはしなかった。
自分は考える。
いかにして、あの橋を渡るか?
いや、必ずしも渡る必要はない。要は、あの赤備えと剣の間合いに対峙するにはどうするか……だ。
こちらが近づかなくとも、向こうを引きずり出せれば良い。
だが、挑発には……応じぬだろうな。
谷を飛び越えるカラクリ……そんな都合の良いモノはないだろう。
一応は問うてみる。
雲井殿が短くもハッキリ否定してきたのを認識した。
遠間から、あのビル自体を破壊できぬものか?
そのような大火力のカラクリは……存在はするがここにはないそうだ。
大量の爆薬を仕掛ける……例えば、サダメの使う爆裂矢……〝
無理か。
そのように束ねてはただでさえ足りぬ射程がなお遠くなる。分けて射るにしても、それだけを射掛けるヒマがないだろう。
そもそもありったけの火薬を用いてもビルを倒壊させるには至れない。
騎馬はない。
乗り物もない。
結局のところ、
先刻に出向いて見た限りでは…………。
橋のたもとまでは、建物群にまぎれて近づける。
問題は、やはり橋だ。
渡りきり、彼奴が陣取るビルに飛び込むまでの間、いかにして狙撃を避けるか……。
相手の腕前が拙いことを頼りに特攻する?
仮に運良くそれでたどりつけても、意味はあるまいな。少なくとも、自分は満たされぬ。
それに、橋を半ばも過ぎた辺りで、向こうの命中精度は跳ね上がると雲井殿が述べている。スコープと
ならば、要点はやはり、いかに相手に撃たせぬか。そこだろう。
「……サダメ……」
呼び掛ける。が、返事はない。
だが、立ち去っていないのはわかる。部屋の隅でスズの横に座しているのを現に感じている。
「オヌシは、橋のたもとからなら矢が届くと言ったな」
続けた問いにも、すぐに返答は返らない。
「オヌシが橋のこちらから射掛けて、相手の射撃を阻害し、その間に自分が駆け抜けるしかないと思うのだが……」
「……さんざん考えて、それかよ……」
サダメのあきれはもっともだ。
確かに、こんなものは策ではない。
「……矢が届くとは言った。当てられるとは言ってない」
「……そうか……」
弓の射程は大弓でも約四百メートルほど。とはいえ、それはあくまで射た矢が届く距離であり、狙った標的を射抜ける距離は通常は百メートル程度が限界だという。
どこぞの武士が、二百の距離を射抜いて神の業前と讃えられた例もあるようだが。言い換えれば、神弓と呼ばれる名手でも、二百メートル先の的に当てるのは至難ということだ。
イクサであり、カラクリを駆使してもなお、あの橋を隔てて彼方に陣取る相手を射抜くのは難しい。
が、当てずとも、近くに射掛けられれば……〝
そう思い、問うてみたが────。
「無理だな。矢の〝
雲井殿の無情な返答。
「爆発を時限式に改造……ってのも無理だぜ。冥府の武装はそういうものじゃねえ。生み出されたものは鍛え育てることはできても、在り方を変えることはできん。一から生み出すにしても、時と素材が足りねえな」
だからよお────。
「……〝
雲井殿が静かにそう呼び掛けた。
自分は目を開ける。
見れば、向こうに座した弓兵は、まさに苦虫を噛み締めた渋面でそっぽを向いていた。
〝
サダメが、性に合わぬと断じた
「……それは、特別なのか?」
「ああ、格別だな。矢弾の常識を覆す
九百九十九……それは、橋のたもとどころかこの建物からでも真田の陣取るビルに届く。
性に合わない────そう吐き捨てたサダメの気持ちがわかる。
風も弾速も読む必要がない。射ればそこに飛ぶ矢弾。
自分たち剣士にしてみれば、何でも斬れる刃を渡されるような気分だ。
技も何も関係ない、誰でも振れば斬れる。
そんなものを振らされるのは、確かに剣士として釈然としない。
だが、その〝
無論、できれば自分が真田と対峙したい。
つまり、サダメには妨害に徹してもらうということであり、そういう意味でも、押しつけられるのは不本意な事態であろう。
「……三本、ここにある。新しく生み出す素材はない。三本コッキリだ。どうする?」
雲井殿の問いは淡々と抑揚がない。
サダメはそっぽを向いて黙り込んだままだ。
「………………」
スズが何事かを囁いた。
いつにも増して厳しい表情の影姫に、それまで黙り込んでいた弓兵は殊更に深々と溜め息をこぼす。
「……わかってるよ。何とかしねえといけねえし、他にどうしようもねえもんな……」
仕方なさそうに、不本意そうに、サダメは首肯する。
その両の手が震えていたのは、さて、錯覚であったのだろうか?
「……本当に、スズちゃんはムチばっかりやね……」
ナナオの呟きは、らしくなく寂しげで、それでもサダメの言う通り、他にどうしようもないのだけは確かだろう。
ならば後の問題は、三本の切り札が尽きる前に、自分が真田の前にたどりつけるのか……その一点に尽きる。
腹を括って覚悟を決めれば、内に満ちるのは強敵に挑む昂揚と期待。
してみれば、武士はみんなバカばかりとの雲井殿の言は、確かに至言かもしれぬな。
抱いた自嘲を不敵に呑み込んで、自分は再び目を閉じたのだった。
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