サンゼンセカイヲイヌクナハ(3)


               ※


 サダメたちが身を隠すビルを裏手から出て、他の建物群を隠れ蓑にしてやや大回りに移動する。

 件の橋へと通じる大通りへ出たところで、自分は改めて思考した。


 長銃を携えた赤備えの武士。

 果たして何者だろうか?


 敵の為人ひととなりを知るのは勝負の鉄則。名のある剣客や将ならば、情報という面ではだいぶ話が早くなる。

 サダメの見立てでは銃の腕は並。そして、本来は長柄槍が得手。戦場での槍働きを誉れと気取る気質。


「……赤備えといえば甲斐かいの武田勢だが……実質、単に赤備えというだけでは候補が多すぎるな……」


 大通りを進みながら、思考を巡らせる。

 赤備えの武人と言われて単純に脳裏によぎるのは……。


 井伊いいの赤鬼か……。


 あるいは……ふむ、ああして銃火を備えて陣取る構えは……そうだな。赤鬼よりもの方がまだ有り得るか。


 しかし、何故に狙撃などにこだわっておるのだろう?


 赤備えの猛者たちは、いずれも戦場では先陣を駆けて槍を振るう者であったはずだが……。


ホムラ〟────その銘が示す因果の意味はいかなるものか?


 自分の歩みは、やがて大橋に差し掛かる。

 敵が撃ってくる様子はまだない。

 気づいていない……わけはないだろう。

 ならばこちらの読み通り、丸腰の相手を仕留めるような輩ではないということか?


 橋の長さは目測で三町……三百メートル少々、幅は四車線二十メートルほどか。

 そのまま三十メートルほど進んだところで────。


 ドゥンッ! ……と、重い音が響く。


 下腹が轟音に揺れるのを感じた時には、すでに前方数メートルの路面が銃撃に砕けていた。

 硬いアスファルトに、直径五十センチほどの穴が穿うがたれている。


 ほう、これは確かに凄まじい威力だ。こんなもので狙い撃たれてはたまったものではない。


 この銃撃は警告であろう。

 狙いが外れたわけではないはずだ。

 もし仕損じただけであるなら、この時点で自分の読み負けだが……。


 自分は歩を止め、彼方にそびえるビルを、その五階端の窓を見やる。

 あやまたず、響いてきたのは戦国武者に相応しい彼方まで良く通る大音声。


『それより先に進ませるわけには行かぬッ! く、立ち去れ!』


 その声がやや濁っているのは、叫びであるがゆえではない。

 声は彼方のビルからではなく、周囲から響いている。

 路脇の柱、並び立ついく本かに据えられているカラクリの箱……スピーカーというのか? 元より備えられたものか、わざわざ足したのかはわからぬが。

 響いた声は若々しい男のもの。

 が、それは正体を探る当てにはならぬだろう。元よりイクサは生前の全盛期を象るという。あるいは自分と同様に死体に宿って黄泉返ったイクサだとしても、肉体の年齢が当てにならぬのは同じこと。


 ならば、まずはこちらから名乗りを上げてみるか。あわよくば、相手の気質次第では素直に名乗り返してくれるやもしれぬ。


 問題は、自分が名乗るべき名だ。


 思い起こしたのは、あの白い剣士との死闘。

 天下無双。

 自分はそう叫び、そう示し、八津島星護を斬った。


 猫殿は、気にするなと笑ってくれたけれども……。


 意を固めて、自分は名を選んだ。


「……我は、肥後ひご細川ほそかわ客分きゃくぶん! 新免しんめん武蔵守むさしのかみ藤原玄信ふじわらのはるのぶと号す者! そちらはいずこの何者であるや!」


 張り上げた名乗りは、彼方に届いたか。あるいは周囲に声を集めるカラクリが仕掛けられておるのか。


『……ほう、これは……』


 返答は、少なからぬ驚きを宿していた。


『よもやこの末法の世にて、かような礼節に相見えるとはな……名乗りなどいささか久しいこと。無礼をゆるされよ』


 律儀な謝罪。

 なるほど、サダメの人物眼は的確のようだ……というより、この御仁の気性がわかり易すぎるのか?

 ……まあ、自分が言うのも片腹痛いかもしれぬがな。


『それがしは……うむ、いずこと問われても、もはや寄るなき落人おちうどに過ぎぬ。だが、名乗るべき名だけは、死人となった今でも魂魄に抱き刻んでいるぞ。ならばこそ、遅ればせながら名乗らせてもらおう! それがしは世に呼ばわるは左衛門佐さえもんのすけ、名は真田さなだ源二郎げんじろう信繁のぶしげ!』


 秘するどころか、むしろ嬉々として告げられたその名に、自分は口の端をつり上げた。


 やはり、真田────。

 数多の名将たちに本一もといちと言わしめたつわもの


 予測していながらも、いざそうであると名乗られてみれば、込み上げる昂揚を抑えきれなかった。

 何せ〝日ノ本一〟だ。

 天下無双を名乗る身としては、色々と思わずにはいられない。


 無意識に……であったかは、正直、判然とせぬのだが────。


 素早く腰の大刀に伸ばした自分の手が空を掻く。

 その直後、重い銃声をともなった衝撃が、すぐ右脇の空間を吹き抜けていった。


「……ッ!」


 後方でアスファルトが砕け散る。風圧に右半身が持っていかれそうになりながらも、自分は力を込めて踏み締め止まった。


 ……さて、丸腰であったのを忘れて抜刀しようとした自分が、そもそもマヌケであるのだが、

 帯刀していない相手の挙動に対して、この反応。


「……小心が過ぎるのではないか? 日ノ本無双殿」


『…………然り、重ねての無作法、赦されよ』


 素直な謝罪は低く重い。自身でも戸惑っているのだろう。

 どうやら今の銃撃は威嚇ではなく、仕損じて外れたようだが……まったくキモの冷える話だ。


 サダメの読み通り、銃撃戦にはあまり慣れておらぬのか?

 何にせよ、射手としての真田は日ノ本無双ではない。挑むならば、面と向き合い刃を重ねたいものだ。


「例えば……尋常に果たし合いを……などと求めても、応じてはくれぬよな? 真田殿」


『一騎打ちをお望みか? 名乗りといい、ずいぶんと古式な御仁だな。それがしの武は戦場で振るうもの。芸に興じる技は持ち合わせておらぬ』


 戦国乱世を駆け抜けた武将には、果たし合いなど技芸の披露と同義か。


 確かに、源平絵巻の戦のように〝やあやあ我こそは!〟などと悠長に名乗り合って斬り結ぶなど有り得ない。

 戦場に作法があった時代はいざ知らず、少なくとも自分が知る戦場でそんなことをしていたら、たちまち矢弾で撃たれ、足軽に突かれ、軍勢にね飛ばされ踏み殺される。


 個の武力が華と咲けたのは古い戦場。


 軍と軍がぶつかり合うのが我らが知る戦場であり、そういう戦場を生きたのが真田信繁……してみれば、剣技と剣技を競い合う武芸者の死合いなど、滑稽こっけいな戯れ事にしか思えぬのかもしれんな。


 ……だが、こちらはその滑稽な戯れ事にこそ、心血を注いできたのだ。


「なるほど、堅牢な砦にヒキコモリ、銃火で相手の首を掠め盗るのがオヌシの武か。さもしいものだな。名にし負う大坂錦城の〝真田丸〟とやらでも、そのように臆病千万に振る舞ったのか? 何をもって日ノ本無双であるのやら……」


『日ノ本無双……などという大仰な誉れに憶えはない。が、武蔵とやら、貴様は戦術の理もわからぬ蛮人か? 力任せに殺し合うことでしか武を誇れぬなら獣と同じだ。なれば、獣らしく猪突に突撃してくるがいい。こちらも獣に相対するように、容赦なく撃ち殺してくれよう』


 ふむ、さすがは天下の真田

 下等な挑発など意にも介さぬか……。


 自分は、しかし、その返答に深く首肯して返す。


「言うたな? その約束、たがえるなよ?」


『……何だと?』


「日輪が中天に掛かる頃、出直してくる。獣らしく猪突に挑むゆえ、見事オヌシの前にたどりつけたなら、約束通り果たしおうてもらうぞ」


 思う存分の不敵を浮かべて、問い質した。

 果たして、彼方に構える相手の顔は当然に見て取れぬ。だが、概ね同じような表情を浮かべているのだろう。


 返答は、短くも楽しげな笑声を挟んで響いた。


『……良かろう。眼前に迫られたなら、こちらも応じるのが道理だ』


 よし、言質は取れた。

 後は……というより、問題は……か。


 だな。


 ふむ、何ともはや、悠々と出向いておきながら、事態が全くもって好転していない。

 戻ったら、サダメたちに何と言われるやら……。


 自分は苦笑いつつ、来た道を引き返す。


「……よもや、去る者を背後から仕留めたりはせぬよな?」


『無論だ。……が、そのように逆撫でられると、イラ立ちで指が震えてしまうやもしれん。その時は……まあ、赦されよ』


 スピーカー越しの笑声は、やはり楽しげにくぐもっていた。


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