サンゼンセカイヲイヌクナハ(2)
※
彼方で重い銃声が響き、大通りをウロつく屍鬼の胸が弾け飛ぶ。
「……やっと三体目か……それを巧みと見るべきか、わかんねえな」
建物内の陰から様子を盗み見ながら、オレはどうにも判断できずに首をひねった。
夜闇の中、屋外をウロつく屍鬼たちが、いずこからかの狙撃によって狩られていくその光景。
今日は三十体は
おそらく五十には届いていないと思う。
数が曖昧なのは、屠る頻度がまばらに過ぎるせいだ。
夜通し鳴り響いている銃声。
その射撃数に対して、屠られている屍鬼の数が圧倒的に少ない。
屠られた屍鬼も、腹部を貫かれたものや、手脚をもがれた上で次弾、あるいは三弾目で心臓を砕かれ仕留められたものがほとんど。
そもそも初弾で狙っているであろうはずの心臓を撃ち抜いたのは、今し方のでようやく三体目だ。
射撃時の銃火の煌めきと、銃声の反響具合から、おそらくは射手が陣取っているのは大通りの先、デカい橋を超えてなお向こうに並ぶ塔の、そのひとつからだ。
居並ぶ建物の中でもひときわ大きい、数十階層はあるその塔……ビルっつうんだったか? ともかくそれの五階、向かって左端の窓から狙撃しているようだ。
向こうのビルから標的の屍鬼群までの距離は直線で六町……いや、五町くらいか、この時代の算術だと五百メートルちょい? 何にせよ、弓で狙える有効射程に比べれば四倍以上の長距離だ。
その長距離狙撃を五発に一発はかすらせているのだから、まあ、凄腕と言えるのかもしれねえが……。
「……けど、あのオッサンは三キロ先から殺せるとか吹いてたしな」
兵具商にして鍛冶師であるあの濃紺頭巾の男。アイツが鍛造したという狙撃銃、銘は〝
つまりこの射手は、こないだオレがしてやられた赤備えの武士。
ホムラ────。
あの野郎に間違いないと思う。
三キロという距離は、たしか三十町ほどだったはずだから、何ともふざけた性能の銃だ。
しかし、必ずしもその性能を射手が引き出せるとは限らない。
三キロの有効射程を持つ銃で、五百メートルの敵をかろうじて仕留めているというのは、結局はどの程度の腕なのか?
弓ならともかく、銃の業前はいかんとも判じかねるな。
「まあ、上手くないからこそ、こうして修練を積んでるってことか……」
オレはまるで独りごちるように────。
……いや、本当にな、これじゃあオレがひたすら独り言続けてるみたいだろうよ。
「おい、スズ。少しは反応してくれよ」
傍らで鉄の
「スズ! スズ様! おい、スズちゃん!」
しつこく呼んだら蹴っ飛ばされた。
いや、まあ〝ちゃん〟付けが気に入らんかったんだろう。
スズはこちらを睨みつけたまま、その唇が微かに動く。
〝……早う仕留めよ。あれが陣取っていては先に行けない……〟
消え入りそうな囁きで、そう咎められた。
屍鬼がウロつく大通り。
先も言ったように、それは途中から大きな橋に通じている。
元は河だったのか? それとも州だったのか? わからないが、今は深い奈落に通じるような巨大な渓谷。それを跨いで伸びる大橋梁。
ヤツが陣取っているのは、その橋を渡りきった傍らにそびえているビルだ。
つまり、このまま橋を渡ろうものならズドンとやられる。
応射しようにも、こちらの有効射程に入るまでは撃たれ放題だ。
では回り込もうかい……と思っても、前述の通りの断崖絶壁が邪魔をする。かくしてこの数日、ここで足止めをくっている状態だ。
東の空が白ばみ始め、少しずつ届き出した朝の陽光に、大通りをさまよっていた屍鬼たちは逃げ去って行く。
あるものは建物の陰に逃れるように、あるものは影に沈み込むように、あるものは陽光に溶けるようにして、それぞれに掻き消えていった。
無人になった通り。まあ、ある意味もともと無人だったわけだが、その光景を眺めながら、スズが静かに呟く。
〝……この先に、黒羽根が飛び去ったのは確か……だから……〟
スズの声音は弱々しくも、気が急き焦っているのは良くわかる。
わかってるさ。ああ、そりゃわかってるよ。わかってるんだが、実際問題、どうすれば良いのやら────。
「サダメ」
呼び掛けてきた鋭い声音。
それだけで誰なのかはわかったので、振り向きはしない。
「おう、目え覚めたのか……」
「ああ、心配をかけたな」
おいおい、どうしたオマエ。
さすがは寝起きだけあって寝ボケたことを言う。
何でオレがオマエを心配すんだ?
何で心配しているなんて思った?
正直、オレはオマエがあのまま永眠しようが知ったこっちゃなかった。そもそも、オレはオマエのような武士道全開野郎が大キラ────。
「それで? 敵はどういうあんばいなのだ?」
静かに問いながら窓の外を眺めるその姿に、オレは一瞬、息を呑んだ。
コイツ…………。
無表情に、無感動に、ただ、静かに景色を見やるかのような無機質な眼差し。それでいて、いや、だからこそなのか? 見すえた対象の全てを容赦なく見抜いて見切るかのような、怖気をまとう眼光。
「…………オマエ、誰だ?」
思わず、そう問うていた。
「……テンだ。名を忘れられているとは心外だな」
特に気分を害した風はない。ただ、忘れられていたのが残念だという、現に口にした内容のままの感情しかそこにはない。
何だ? コイツのこの感じ、まるで……。
「……橋の向こうにやけに高いビルがあるだろう。向かって右側が崩れてるやつだ。あそこの五階、左端のところから、狙い撃ってきてる」
わきあがった疑念をねじ伏せまぎらわせるために、オレは殊更に淡々と状況を説明する。
「まだ、オレたちがいることには気づいてないはずだ。獣やら屍鬼やら、橋を渡ろうとするモノを片っ端から狙撃してる感じだな」
「……橋の番人ということか」
「ああ、同時に、射撃の修練中なんだと思う。腕は、たぶんそれほど良くはない。一度やり合ったが、もとは槍使いだと思うぜ。銃の扱いには慣れてねえ。得物の性能に頼ってるって感じだった」
「以前に手傷を負わせられたという相手と同一か?」
「…………ああ」
頷いて、頷いた自分にオレは内心で歯噛みしていた。
何だこりゃ? オレは何を
これじゃあまるで────。
「射撃の腕は良くないと言ったな。避けつつ近づくのは無理なのか?」
「……距離があり過ぎるな。ビルまではまず無理だ。オレの弓の射程も同じさ。そこまで近づくまでに、十発は撃ち込まれるだろう」
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる……とは、あの頭巾の男の言だが、ましてこの相手はそこそこ上手な鉄砲を撃ってくるのだ。
とてもではないが、無事に近づけるとは思えない。
「騎馬でもいれば別かも知れねえが……」
オレは傍らで外を眺めている横顔を盗み見て言い淀む。
そう、騎馬さえいれば、コイツは突破してのけるかも知れない。なぜだか、そんな戦慄にも似た想像がオレの中にわいていた。
……いや、なぜなのかはわかっている。
わかっているから、オレは困惑し、当惑していた。
「……相手は、武士か?」
「あ……ああ、そうだな。派手な赤備えのヤツだ。いかにも〝戦に果てるが士の誉れ〟とか真顔で吼えそうな武士野郎だったよ」
オマエの同類だな……と、そう続けようとしたんだが、何だかそれはもう違う気がして口ごもった。
武士道全開野郎。
真摯にひたむきに武の道を逝く。
そういう輩のはずだった。
少なくとも、あの赤い野郎はそのはずだ。
だが────。
この二刀流の男は、本当に、今でもそういうヤツなのか?
「絵に描いたような武人か……なら、少々揺さぶってみるか」
そう言って、テンは建物の裏手へと向かった。
あ? 何する気だコイツ?
「おい、どこ行くんだ?」
「いや、さすがにその窓から出るのはマズかろう。敵にこちらの拠点を聡られるかもしれぬからな、裏から回って出る」
「そうじゃねえ! 外に出てどうすんだって訊いてんだ」
「ああ……」
テンは「……そんなことか……」と首をかしげて、
「試しに橋を渡ろうとしてみる。絵に描いたような武士だというのなら、丸腰の相手を問答無用で狙撃しては来ぬだろう。その上でこちらから呼び掛けて見れば、何か動きがあるかもしれん」
そう、こともなげに言われ、そこでオレは初めてコイツの腰に刀がないことに気がついた。
カラクリ仕掛けの二刀はもちろん、あの黄金刀も携えていない。
言う通りに丸腰だ。
コイツ、剣士のクセに何で丸腰でウロついて……いや、ちょっと待て!?
「オマエ、ずっと丸腰だったか?」
「……? 少なくとも、ここには帯刀してきていないな」
「…………」
違和感が、ゆるやかな戦慄を伴ってオレの背筋を撫でた。
帯刀していなかった? ずっと? バカな……オレはそうとは感じていなかった。呼び掛けてきてから、ずっとこいつは刀を帯びていると思っていた。帯刀していると感じていた。
どういうことだ?
疑念は、もう混乱と呼んでも良いほどにオレの脳裏を揺さぶっている。
「……橋に差し掛かった辺りで、挑発してみる。敵がノコノコと出向いてくれるようなら、構わない。オヌシが射抜いてしまえ」
「……良いのかよ。そんな不意打ちみたいなマネして」
「何だ? 最初の顔合わせにてオヌシは平気で射てきたではないか」
「……いや、そうじゃなくて、折角の強敵との勝負を見逃すことにならねえかって意味だ」
テンは先ほどに同じ「……ああ、そんなことか……」と首をかしげる。
「遠間から銃を相手取るのは意味合いが変わる。これは死合いではない。勝ちに必要なのは剣の兵法ではなく、戦の兵法。なれば、知謀と奇策を駆使して戦略を制し合うことが勝負の要だ」
静かに言い切ったテン。
それは、そう語りながら薄笑うその顔は、まるで────。
「……さて、敵はどう出るかな……?」
心の底から楽しそうに呟いたその声が、記憶の向こうで聞いた誰かの声に重なって響いたような、そんな気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます