ゲドウノケンキトサゲスマレ(4)


               ※


 斬り込んだ大刀が空を斬る。

 仰け反り回避した姿勢からも正確に飛んで来る刺突撃。

 小刀で斜めに流せば、空いた脇腹目がけて短刀の刃が閃いた。

 大刀を返しながら引き金を絞る。加速してひるがえした斬撃で、短刀ごと腕を薙ごうとするが、すでに白装束は右方四メートルほどの位置に飛んでいた。

 滑り込むように身を伏せた姿勢で急停止した星護。その汗だくの顔には晴れやかなまでの歓喜が浮かんでいる。


 すでに何合剣を交えたのだろう。

 二十や四十ではとてもきかない。あるいは百に届いているのではないだろうか?

 否、互いの刃はほとんど触れ合っていないので、正確には十合も交えてはいないのだが、もう数え切れぬほど剣を振るっているのは確かだった。


 笑う星護の顔は汗だけではなく細かい流血に彩られている。白装束の至るところは引き裂け、灰色の布地が覗いていた。

 刻まれたのは自分も同様。イクサであるために傷は塞がっているが、衣服は無残なものだ。正直、刻まれた数はこちらの方が多く、深い。


 自分は大きく踏み込み、大刀を横薙ぎに叩き込む。

 その太刀筋に星護の短刀が合流しようと動く。

 刃が重なる前に、こちらの斬撃は銃声を奏でて加速した。わずかに軌道を変えて走らせた刃に、それでも短刀はその碗状の鍔を打ちつけて受け止め弾く。


 自分は追撃の小刀を走らせ引き金を引いた。

 ……だが、気の抜けた音がこぼれただけでカラクリが起動しない。


 弾薬切れか、ウカツな────。


 加速し損ねた太刀筋、それを瞬時に掻い潜ってきたレイピア。自分は受け切れずに左腕を裂かれて身をよじる。

 そのスキに、星護はさらに飛び退いて間合いを取った。


 遠間を挟み、深く激しい吐息が肺腑からこぼれ出た。

 死人となって発汗も鼓動も止まったのに、呼吸の乱れは変わらない。

 ゆるりと意識を研いで調息する。


 ふと、朱い日輪が未だ沈んでいないことに驚いた。

 斬り結んだ刻は長いようでいて、実際には四半刻以下のことだったのだろう。とはいえ、命をぶつけ合うような死合いなれば、その消耗は尋常で済むわけもない。

 星護は生身でありながら、よくも未だに剣を振れるものだ。


 対して、死人の自分は平気なのかと言えば、否であった。

 疲弊している。

 全身を痺れにも似た重い脱力感が駆け巡っている。死人とはいえ、無尽蔵に闘えるわけではないようだ。


 四肢を動かし、傷を負うことで何かを消耗しているのか?

 左腕……今し方に刻まれた傷口に火が灯っている。傷口が粘土細工のように歪に修復される中で、火は蒼く揺らめき明滅を繰り返した。


 蒼い鬼火。


 生者が体力を消耗するように、この身に宿る霊的な何かが消耗されているのだろう。それが尽き果てた時には、さて、ただの死体となって朽ちるのだろうか?


 ……何であれ、今はまだこの身は動く。


 ならば左右の双剣をひるがえし、地面に浅く突き立てた。

 迅速に柄の一部をねじれば、甲高い音を立てて外れた鍔裏の弾倉。ベルトから予備弾倉を取り出し、装填する。

 素早く双剣を引き抜き構えれば、対する星護は今もなお遠間にたたずんだまま。


「……交換し終えるのを待ってくれたのか?」

「……? 当然でしょう?」


 不思議そうに首をかしげた星護に、自分の方こそ失言だったと苦笑う。

 今在る全てを駆使して全力で斬り結ぶ。彼はそれを存分に楽しんでいる最中なのだ。


 勝利が欲しいわけではない。

 命を奪いたいわけでもない。

 けれど、命を懸けねば意味がない。


 死生の極み。


 そこにこそ最高の生の喜びを謳歌する業深き人種。

 どうやら、それが武人というものらしい。


 ニコニコと楽しげに笑んでいる八津島星護。

 激戦に消耗し、傷に疲弊しながらも、次なる剣の交錯を待ち望んで心躍らせている。


 あたかも旅の土産が楽しみでせわしないわらべのように────。


 ならば、武人として期待に応えるために、構えた双剣に剣気を込める。

 対する星護もまた己の双剣を構えた。


 星護の右手のレイピア。

 疾風のごとく突き入れ、直後には引き戻されて再突してくる神速の刃。


 左手に構えた異形の短刀。

 常にこちらの挙動を窺い、刃を受け、払い、スキあらば斬り込んで来る攻防一体の得物。ウカツに刃を打ち込めば、その櫛歯に喰らいつかれて刀をもぎ取られ、最悪、へし折られてしまう。


 そして何よりも恐ろしいのは、あの凄まじい受け流しだ。

 こちらの斬撃に寄り添い、倍速で振り抜かされる。

 我らが両手持ちにて行う受け流しに似てはいるが、決定的に異なる。


 もし、自分も片手持ちであのような捌きができるなら────。


「……不吉な左手シニスター……そう呼ばれる剣技です」


 星護が左手の短刀をわずかに揺らして解説する。

 また思考が顔に出ていたか? 否、これだけ凝視していれば誰でも察しがつくか……。

 苦笑う自分に、星護もまた微苦笑を返して続ける。


「まあ、ボクが学んだ流派ではそう呼んでいたってだけで、他流ではまた別の名で呼ばれています。剣の種類もいっぱいありますよ。ソードブレイカー、ポニャードダガー、パーリングナイフ、ボロックナイフ、マインゴーシュ…………ね? 要するに、西洋では左手に短剣を構える二刀は、結構ありふれた技術なんですよ……もっとも、ここまで使いこなせる剣士はそうはいないと自負してますけどね」


 星護の顔から笑みが消える。

 静かに研ぎ澄ますように、双眸を細めて重心を下げる。


「中世から磨き上げられた西洋騎士の二刀流……あなたが求めるそれとは違うものなんでしょうけれど、それでも……左右に持った刃を自在に振るう剣流は、確かに存在するんです」


 二刀流は幻想。

 左右の武器を実戦で自在に操るなどできるわけがない。


 だが、少なくとも目の前にひとり、実戦二刀の達人が実在する。


「二天一流の宮本武蔵。きっと、世界で一番有名な二刀流。そんな相手にボクの二刀流がどこまで通じるのか? もしも闘うことができたらどんなに素晴らしいだろう。伝説の剣豪、そんな相手と全てをぶつけて死合えたら、どんなに楽しいんだろう……そう、夢見ていました」


 真剣な表情、研ぎ澄まされた剣気。

 それでも確かに、今、八津島星護は心の底からわき上がる歓喜と幸福を謳歌しているのだと、そう確かに共感できた。


 ならば、応えねばなるまい。


 真の二天の剣技、未だ我が手に為らず。今の自分では、天下無双たる武蔵の剣を体現することが叶わない。


 それでも────。


 自分は左右の二刀をなお強く握り締めた。

 これからの踏み込みに備えて重心を落とす。


 この白き武人との死闘には、二刀で応えねばならない。


 そして、自分自身でも二刀で挑みたいと願っている。


 時を超えて相まみえた異国の二刀。その未知なる剣流との交錯の先に、二天への道が垣間見えている気がするのだ。


〝天下無双。その名に至る、そのために……〟


 呼吸を静め、意識を研ぎ澄ます。

 視線を前に、左右の切っ先に己の意を込める。


 消耗のせいだろうか?

 常よりも、剣を握る感触が鈍く曖昧な────。


 いや、しかし、見るまでもなく、感じるまでもなく、自分の両手は確かに剣を握っていることは

 ならば、これから振るう太刀筋も同様に、自分も、剣も、すでに了解して

 胸の奥が奇妙にざわつく。

 止まっているはずの鼓動が、激しく脈打つような錯覚を覚えて……。


 ドクンと、深奥に響いた鼓動に合わせて、自分は地を蹴りつけた。


 景色が急速に後ろに流れて消える。

 左右の耳をかすめた大気の音。

 悲鳴のように甲高い風音は、振るった剣閃が奏でたものか────。

 それとも、迫る刺突が鳴いたものか────。


 自分は小刀を掻き抱いて身をひるがえす。

 なぜそうしたのかは。ただ、そうするのだとからそうしたのかもしれない。


 地に背を向けて仰け反りながら、大刀を斜めに斬り上げた。

 星護の肩口ギリギリを切っ先がかすめる。同時に、突き出されていたレイピアが自分の背面をかすめた。


 ああ、この刺突を躱すために自分は跳んでいたのか────。


 すでにそのことを理解する。レイピアの刃を背面跳びの形でやり過ごしながら、抱えていた小刀が空を裂いた。

 突いたのか? 斬ったのか? 自分では把握していない。小刀が勝手に動いたような気もする。


 重ねた左右の銃声。


 独楽のように転身しながら、自分が地を蹴ったのは三度。振るった刃が巡ったのも三回転。

 二回転目に刃が打ち合い、三回転目で肉を斬り裂いた。


 紅い飛沫。


 深い屈伸で着地の衝撃を殺す自分に、レイピアの刃が甲高く吼える。

 血飛沫に彩られた咆吼。

 稲光のように明滅しながら、光の流線が無数に駆け抜ける。


 伏せた自分を大地に縫い止めようとでもいうのか? 横殴りの雨のごとく飛んで来る刺突を、自分は左右に斜めにとかわした。

 全ては躱しきれない。致命に通じる線だけを流し、躱し、立ち上がる。

 踏み締めた軸足。身を起こす重心を、そのまま踏み出す足に移して、斬り込む左右の剣刃に上乗せる。


 視界に舞う紅い飛沫。そこに混ざり舞う蒼い炎。


 全身に細かく刺さる衝撃の中、それでも絶対に受けてはならぬ閃光だけを小刀で受け、流しつつ、大刀を振り放った。


 左上方から斜めに斬り下ろした剣閃。

 引き金を引き絞り、斬撃が加速する。周囲を走る高速の流線よりもなお速く流れた刃。


 その太刀筋に、流れてきた異形の短刀が寄り添った。


 全力を乗せた上にカラクリに加速された自分の大刀の軌道が、星護の短刀に受け流されてさらに加速する。


 その寸前で、すでに自分は大刀を保持する手を放していた。


 大きく開き、伸ばされた指先。


 ただ一指、引き金を囲う鉄輪に通した人差し指を除いて────。


 野太い風切り音が鳴り響く。


 鉄輪に通した指を支点に回転する大刀。振り抜かされる力が回転に流れたそれは、嵐に荒れる風車のごとく。

 自分は全力で手首を返す。斬り下ろしていた向きを斬り上げへと、開いていた指を閉じた。

 柄を握った瞬間に回転が止まり、力の向きが固定される。

 

 再度、引き金を絞った。


 鳴り響いた銃声よりも、斬り込んだ手応えの方が確かに先に弾ける。


 音を置き去りにして走った刃が、白い剣士を斜めに斬り上げた。


 白い衣を、その下の耐刃繊維を、肉を骨を、ひとまとめに斬り裂いて振り抜いた斬光。

 刹那に、あるいは六徳りっとくに届いたかのごとき神速の剣閃。

 それは振り抜いたままに大きく円月を描き、勢い余って地面に斬り込んだところで、ようやく停止した。


 大刀を握る右手が蒼く燃えている。

 否、もはや握れてはいなかった。

 三段重ねで加速した果ての神速撃に、自分の五指は砕け、手首は折れてねじれ、肘と肩は外れて裂けていた。

 腕だけではない。

 全身が刺突の雨に穿うがたれ続けてズタボロに、至るところで蒼い鬼火が激しい火花を散らしていた。

 大刀に引っかかっていた指先が外れ、左手の小刀も取りこぼし、自分はもうわずかにも動けぬままにガクリと膝から倒れ込む。


「……ああ……」


 微かな呻きが背後でこぼれた。

 肩越しにかえりみれば、同じく膝をついてくずおれている八津島星護。

 左の脇腹から右肩までを深々と斬り裂かれ、鮮血と臓物をこぼしながらも、彼は確かに笑っていた。


「……ボクの勝ちだ……って……そう思ったんですけどねえ……ハハ、あんな切り返し方……西部劇のガンマンみたいに……ふふ……ぜんぜん、読めませんでしたよ……ハハハ……」


 笑声をこぼしながら、星護はゆるりと仰向けに倒れ込む。


「……ボクの……負けです……」


 宵闇に染まり始めた空を見上げて、星護は笑う。


「……こんな闘いを……夢見てた……自分の全てを……ぶつけられる……こんな死闘を……夢見ていました……」


 ずっと、ずっと、望み焦がれていたのだと、星護は笑う。

 楽しかったと、本当に楽しかったのだと、心の底からの歓喜と感謝を抱きながら────。

 

「……剣にき……剣に満たされ……剣にたおれる……ああ……それがボクの願いで……望んだことで……」


 なのに────。


「……何でかなあ……全てをぶつけたのに……もう何も残っていないのに…………ボクは……もっとあなたと……闘いたい……」


 笑声が、むせび泣きにかすれて濁る。


 強くなれるはずだ。

 もっと先に行けるはずだ。

 己の剣はまだ極まっていない。


 だから────


「……ボクは……もっと……強く……なって……。

 もっと……強く……強……く……なった……あなたと……。

 ……もっと……もっ……と……まだ……終わりたく……ないんだ……」


 血反吐を吐き、鮮血をあふれさせ、命をこぼしながら、星護は手を伸ばす。少しずつ夜の闇に覆われ始めた空。西に沈み行く斜陽に向かって、懸命に手を伸ばす。


 沈まないでくれと────。

 まだ、遊び足りないのだと────。


 八津島星護は喉を振りしぼって嘆きを張り上げた。

 剣に活きた。

 剣に斃れた。

 それでも、まだ……!


「……ボクは……まだ……満たされていないのに……!」


 受け入れがたい終わり。

 諦めきれぬ渇望。

 断ち切れぬ未練の縛鎖。


 ……ならば、是非もない。


 自分は死に逝く剣士に心からの賛辞を送る。


「……輪廻は巡り、因果も巡る。生まれ変わるでも迷い出るでも好きにするがいい。オヌシの魂が剣に満たされるまで……。

 だから今は笑え、笑って死ね。オヌシの剣は、間違いなく天下無双に届いていたのだ」


 それは祝いであり、同時に、呪いでもあったろう。

 噎び泣く声が止まり、夕日に差し伸べられた腕がゆるりと落ちる。

 荒く乱れていた血泡混じりの呼吸も、弱まり、静まっていく。


「…………つぎは……まけませ……ん……から…………」


 最後にこぼれた呻きは、かすれ濁りながらも確かな笑声だった。

 ならば、自分もまた不敵な笑みをもって頷いた。


 羽音が、静かに舞い降りる。


 事切れた星護の骸。

 その傍らに立つ黒羽根の影姫。


「……キミの御霊みたまが巡るのは、輪廻か、因果か……いずれであるにせよ、その行く末を送るのが、私たち影姫の役目だ」


 彼女は足もとの青年を見下ろして告げる。

 その顔は優しく微笑んでいるようでいて、

 それでも、どこか悲しく沈んでいるように見えた。

 黒羽根の影姫が片手を振れば、倒れた星護の骸が浮き上がる。 


 顔を上げた彼女の黒い双眸が、一瞬だけ自分を垣間見た。


 次の瞬間には、鳥が飛び立つような羽音を奏でて、彼女の黒影は骸と共に消え失せていた。


 思わずこぼした溜め息は、何やら自分でもあきれるほどに深く重く、全身から血の気が引くような感覚を覚え困惑する。


 はて? すでに引く血もありはしないだろうに────。


 呟きは、果たして声に出していたのかどうか、自分ではもう判じきれなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る