幕間 黒羽根ハ静カニ舞イ堕チテ
クロハネハシズカニマイオチテ
※
深山に分け入れば、生い茂る木々にあらゆる光は
まばゆい夏の陽光であっても淡く衰え弱く、まして月明かりなどは木漏れることすら叶わない。
夜の森は暗黒も同然。
そんな暗く沈んだ闇の中を、その少年は懸命に駆け抜けていた。
懸命に、必死に、追われてでもいるのか? 後方を忙しなく気に留めながら、それでも、その足取りが乱れる気配はない。
道なき道どころか、木の根が這い回り枯れ木が散乱する深山。まさに険のひと言に尽きる道程。それを一条の光もなしにつまずくことなく疾駆しているのは驚愕ものだ。
奇妙な坊や。
あるいは、人ならぬ化生の類か?
何だか興味がわいたから、からかってあげようと思った。
樹木の上から、小石をいくつか放ってやる。
小石と言うより砂利に近い可愛らしいものだけれど、この闇の中、不意に浴びせられればキモは冷えて驚き、体を乱すであろう。
それとも────?
果たして私の期待に違わず、少年は体を崩すことはなかった。それどころか、そもそも砂利を浴びることすらなく躱して見せた。
その上で、こちらの所在を読み取って睨み上げてきたじゃあないか。
『何者か?』
不意打ちに取り乱すでなく、声を荒げるでなく、静かに問うてきた。
素晴らしい。
騒げば追っ手に知れよう。それでなくても森の獣を刺激する。
そこまで考えての所作と態度だというなら、実に頼もしい。
抹香臭い坊主ばかりで退屈な御山だと飽いていたけれど、なかなか面白そうな子がいるじゃあないか。
私はほくそ笑みながら……けれど、困ったな。
何者か? ……と、問われて正直に答えるわけにはいかない。
現世の者に冥府の事柄を語るのは〝コトワリ〟に反する。
少し思案している内に、思い出した。
……ああ、そうだね。
『私はシズカ……この
たっぷりとおどろおどろしい声音でそう名乗ってやった。
少し悪ノリが過ぎるかな? けれど、それで怖じ気づくタマじゃあないよねえ。
『
鋭くもなお静かな返し。
ククク、いいね。強がりや虚勢じゃない。いかにも〝無礼者め〟って感じな高慢さが実に頼もしく愛らしいじゃないか。
ああ……そうか、そういえば、そんな話を聞いたな。
どこぞの敗将の落とし子が、質草として飼い殺しにされていると。
たぶん、コイツが────。
『オマエが、源氏の
父を殺され、兵を奪われ、母を犠牲に生き延びた哀れな
道理で……その幼い瞳が黒い炎に濁っているはずだ。
母が恋しくて、仇が憎くて、飼い殺される自分が情けなくて、あの
面白いな。そういうのは、うん、私の好む物語だ。
『……遮那王、キミは英雄になりたくはないか?』
私は携えていた太刀を握りつつ笑いかける。黄金の拵えで飾ったそれを、地面に放り落としてやった。
少年……遮那王は一瞬だけその太刀を睨み、すぐにこちらを見上げて
問い質して来る。
『どういう意味だ?』
『言葉のままだよ。英雄になりたいなら、その剣をお取り。私が、オマエを導いてやろう。英雄に足る力と技を授けてやろう』
人ならぬ天狗の御技……復讐に駆り立てられた無力な少年にとっては、まさに渇望に値する提案であるはずだ。
けれど、この期に及んでもなお、この少年は
『何の意図でそれを為す? オヌシの求める見返りは何だ?』
『ククク、見返り? 決まっているじゃないか。それは……』
それは────。
それは何だと応えたのだったか?
遠い過去の出会いの記憶。
遠い時の彼方、遠く、遠く、気が狂うほどに繰り返し回想し続けた記憶の残滓は、磨り減り色褪せて鮮明には思い出せない。
……けど、ヒネクレた私のことだ。いずれ
それとも……。
ああ、そうだね。思い出せないのは、思い出すのも恥ずかしいくらい、素直に応えてしまったからかもしれないね。
遮那王。
私は、初めてキミに出会った時から、ずっと……。
だから早く黄泉返っておいで、早く、早く────。
キミがあんまり遅いから、私はもう待ちきれなくて、痺れを切らしてしまったよ。
さあ、世界はキミのために生まれ変わった。
今もなお闘いの因果を巡っているキミを迎えるために、世界はこんなにも素晴らしく生まれ変わったんだ。
だから早く黄泉返っておいで────。
私はずっと、大好きなキミだけを待っているんだから……ねえ。
こんなに愛しいキミだもの────。
あんなに愛してくれたキミだもの────。
因果を巡っても、例え輪廻を巡っても、互いに互いを見まがいはしない。
何度生まれ変わっても、死がふたりを別つとも、愛しいキミを見失うわけがない。キミが私を忘れるはずがない。
だから……だけど……私は…………。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます