ゲドウノケンキトサゲスマレ(2)


 寸前まで遠間にあった姿が、直後には眼前に迫っている。


 瞬動。

 まさにそう示すべき速さ。


 だが、今度は

 低姿勢にて大股に地を蹴りつける動き。

 それは踏み込みというよりも跳躍だった。

 身体を異常なまでに前倒しにし、水平に地を蹴るように直進し、蹴り上げのごとく大きく踏み出した足を地面に叩きつけ、段差を踏み越えるかのように前進する。


 極限までの大股による疾走。理屈だけを言えばそうなのだろう。


 だが、そこには前倒しになった重心移動と、ほぼ地面と水平角で突き出す蹴り足の瞬発力と、踏み込んだ出足に込める筋力。そして何よりもそれらの行使にブレぬ体幹あっての絶技。

 速く、ひたすら速く、間合いを詰める。そのために追求された歩法。

 跳ねる衝撃に弾ぜた土埃は四度。

 すなわち四歩にて白き剣士は刀剣の間合いに飛び込んできた。


 実際には、瞬というほどに速くはないはずだ。

 だが、こちらの認識や常識から外れた動きは、それだけで知覚を惑わせる。上体を揺らさず、体幹を乱さぬ所作が拍子を外し、踏み込む際に動くはずだと確信している場所が動かぬことが錯覚をもたらす。

 こうだと感じている拍子……リズムがズレることは五感を狂わせる。


 ゆえに、見て、知った今では初見ほどの高速感はない。


 見た……ということ。

 知っている……ということ。

 認識は、人の意と体を補正し、支配する。

 そういう意味では、やはり、兵法における〝相手を知る〟ということは何事にも優先すべき勝利の〝コトワリ〟であるのだろう。

 敵を調べ上げ、その術理を解き、理解した上で必勝を確信した時にのみ対峙する。

 必ず勝てる闘いにしか望まない。

 それが武芸者。それが自分が知る剣士の在り方。己の剣流をもって名を成さんとする士道。

 負けるわけにはいかないのだから当然だ。


 だが────。


 青年の胸元、握りを押し当てるように構えられたレイピア。捻り込むような軌道で突き出された切っ先が、自分の喉笛に迫る。

 青年の左手は大きく引かれ、胴体に隠れて窺えない。

 抜き放たれた短刀と思しき得物の形状はもちろん、どのように動くのかもわからない。


 自分は左の小刀でレイピアの切っ先を迎え撃つ。小さく、細かい動きで刺突の軌道を受け流す。


 右の大刀は……斬り込むべきか? それとも、未だ見えぬ短刀に備えるべきか?

 それは迷いではない、逡巡でもない。

 さあ、どう行こうか! という、展開への期待であり、攻略への昂揚。


 何をしてくるのかわからない。

 読み違えれば終わる。

 その死生の極みたる瞬間が、こんなにも────!


 眼前で、青年の顔が笑っている。楽しげに笑っている。

 見開かれたその黒い瞳に映るのは、見知らぬ少年の顔。現在の自分の顔。その顔もまた、確かに笑っていた。


 活きている……と、この青年は歓喜していた。

 その通りだと思った。

 自分もまた、今、確かに活きている。

 死人に成り果て、因果に囚われながらも、確かに漲る生への渇望。


 己を剣に懸けるということが、自分にとってはこんなにも尊い!


 青年の左半身が微かに震えた気がした。

 あるいは錯覚ともとれる微かな躍動。それを左腕の予備挙動と判じ、自分は大刀を振るう。

 後ろ手に隠された短刀の太刀筋は読めない。

 突きか? 薙ぎか? 掬い上げか? どのように動くかわからぬ……ならば、その剣閃が振るわれる寸前、初動の瀬戸際に刃を叩き込む。


〝待ちの先〟────。


 相手はすでに挙動に入っているがゆえに惑い、動きを縛られる。いわば無意識の反射に対して刹那に叩き込む不意打ちだ。

 レイピアは小刀が制し、短刀は初動に入っている。

 その上で、その寸前に袈裟懸けに割り込んだ自分の大刀。

 この体勢と流れで身を躱すならば、それこそ縮地しゅくちを用いねば不可能。

 自分であれば、短刀の軌道を防御に変えて大刀を受け流す。

 それしかない。それ以外の受け手はない。

 そして、その太刀筋は読んでいる。

 刃渡り一尺に満たぬ短刀の刃なら、真っ向から諸共に斬り抜ける。その確信と自負をもって、自分は斬撃を振り抜いた。


 野太くも鋭い風音が鳴り響く。


 それは法螺貝ほらがいを短く吹きつけたかのような音色。何か、とんでもなく速い何かが空を引き裂いたような濁音。

 右腕が肩口から引き千切られるような重い感覚。

 それは大刀が空振った感覚。

 否、空振っただけではない。剣先をつかまれて力任せに引き倒されたかのように、自分は自ら振るった大刀の斬撃力を抑えきれず、前のめりに体勢を崩していた。


 地面に深々と斬り込んだ大刀。刀身の半ば以上が地に没したその光景に悟る。


 寸前の太い風音は、自分の大刀が奏でたものであると…………。


 背後で、鋭い何かがひるがえる気配。

 前のめりに崩れた自分に、敵がトドメを振るうのは明白だ。

 レイピアと短刀、いずれがくるかわからない。判じる暇もない。

 地に斬り込んだ大刀は引き抜けそうにない。

 左の小刀で迎撃? この状況なら、それは当然に敵の予想の内だろう。


 ならば、自分は大刀を握る右手に力を込めた。


 上に引き抜くのではなく、斬り込むように体重を込める。無論、それだけでは大地は斬り裂けぬ。後押しに左の小刀を叩きつける。鍔元を十字にぶつけて重ね、同時に二刀の引き金を引き絞った。

 二重ふたえの銃声とともに刀身が疾風を纏う。

 自分の全体重と膂力に、二刀を重ねぶつけた衝撃力、そして噴き出した圧縮ガスの出力が重なって地面が爆ぜる。

 半ばまで埋まっていた刀身が大地を斬り抜き、土塊を巻き込んで後方へ跳ね上がる。自分はその剣速に身を任せるままに前転した。


 大きく半月を描いて斬り上げられた大刀。

 引き絞った一矢のごとく、大地の抵抗が生んだ反発が剣速を倍増し、今まさに突き出されていたレイピアの刀身を真上に弾く。

 仰け反る白い剣士の姿を視界の端に見送りながら、自分はそのまま地を転がって間合いを離した。

 立ち上がり、左右の大小を構えて来し方に対峙する。

 前方には同じく体勢を整え二刀を構える青年の姿。


 どうにかしのいだが……!


 睨みやった向こう、白い剣士の握る得物を注視する。

 右手には刃渡り三尺余のレイピア。如何なる業物か、あるいは担い手の技量か、今し方の接触にも細身の刀身は健在。

 そして左手に握られているのは、やはり短刀だった。刃渡りは一尺あるかどうか? 鍔は碗状、握り手を守るかのように包み込んでいる。

 特徴的なのはその刀身だ。レイピアよりは幅広く、けれども短刀としては細身な片刃のそれは、鍔元、峰側に奇怪なくしの歯のごとき溝がある。

 破損ではない、意図的に設けられたもの。

 のこのように引き抉るための復刃? だが、あのように歯と歯の隙間を深くする意味があるのか? 刀身の強度を落とすだけではないか。


 ……わからない。脳裏にわき上がる知識もない。


 何にせよ、先の自分の袈裟斬りはあの短刀に受け流されたようだ。

 自分が知る受け流しとは明らかに異なる技法。

 刃が触れ合う音も感触も皆無のまま、斬り込んだ力をそのまま加速されたかのように自ら振り抜いていた。

 ……否、おそらくはのだろう。


 白い剣士は右側を前に踏み出した半身で、右手のレイピアの握りを顎下に、そして、短刀を握る左手を右肘の下に、丁度、レイピアを握る腕と短刀を握る腕が直角を描くような形で、両脇を引き締めた構え。


 抱いた闘志を熱く込め、青年は眼光を強めた。


「……八津島やつしま星護せいご……遅ればせながら、それがボクの名前です。流派はシャルル・フラ……いえ、もう破門された身なので名乗れませんね」


 少しだけ寂しげに笑う白い剣士、八津島星護。

 確かに、名乗りも口上もなしに果たし合いを始めていたが、自分は気にしていなかった。

 名を売り、名を得るために剣を交えるのが武芸者。

 ならば、この崩壊した世界ではもはや名乗る意味はない。名乗ったところで、勝ち残った後に得られる名声も栄誉もない。

 相手の名も同様、知ったところで何の得もない。


 それなのに、なぜだろうか……。

 この剣士の名は、憶えておこうと思った。


「自分は……」


 名乗りたい名は、まだ名乗れない。


「自分は影姫ナナオに仕えしイクサ……〝テン〟……」


 それが自分に刻まれた〝因果の銘〟だ。

 その因果を断ち切るために、自分は二刀をもって天意為す。

 不完全で無様な名乗りに、二天一刀を知る前方の剣士は、やや複雑そうに口の端を歪めた。


「……続きを、死合いましょうか……」


 声音が低く沈む。

 同時に、レイピアの剣先がわずかに揺れた。

 星護の痩身が地面スレスレに沈み込む。超低空の突進。だが、今度は自分の方が先に動いていた。

 突進の初動に先んじた踏み込みは斜め左方。自分の一歩に、星護の神速は三歩を繋いですでに眼前に至っている。

 それでも、先んじて動いた自分の挙動に拍子を狂わされたのか? 白影は戸惑うかのようにそのまま行き過ぎかけた。

 やはり、踏み込みは刺突ほど自在には制動できぬ様子。

 自分は突進してきた星護から見て右手側に回り込んだ形だが、さらにもう一足、時計回りに踏み込んだ。

 突き出されてきた刃が自分の右肩をかすめる。

 引き戻されるレイピアの刀身に先んじて大刀を斬り込めば、星護は間合いのギリギリまで引き下がり躱す。そして、下がった挙動をバネにして瞬時に地を蹴り返ってきた。

 振り子のごとく舞い戻った星護の刺突は二連。いずれも自分の右側ギリギリを突き走る。

 自分は星護の右手へ右手へと回り込みながら大刀で斬り込み、先んじて回り込もうとする相手の経路を小刀で薙ぎ払い封じる。


 二刀を構えた相手と正面から向き合うのは下策だ。

 常に片側に位置取ることで、片方の得物を死に手とする。


 星護が左手に構えた短刀……あの握り手を包む鎧のごとき鍔といい、おそらくは防御用の得物と推測される。

 ならば、守りの堅い左側よりも、攻めるべきは右側だ。


 だが────。


 レイピアを振るう星護の右腕、その下でジッとこちらに切っ先を向けている異形の短刀。どのように動いても、どう位置取っても、常にその刃は自分を狙っているように見える。

 星護の右手側へと回り込んでいる以上、左に持った短刀はこちらに届かない。

 届かない……はずなのだ。

 それなのに、その切っ先から意識を逸らすことができない!


 強く奥歯を噛み締めながら斬り込んだ大刀。

 すなわち、自分は逆に星護の剣技に囚われ、意を絡め取られていたのだと悟った時には、すでに斬りつけた大刀が堅い金属音を奏でていた。


 星護の左手の短刀、その鍔元の櫛歯が、大刀の刃を挟み込んで受け止めている。


「つーかまーえた」


 星護の笑声。

 自分はすぐに大刀を引き抜こうとしたが、櫛状の刃に挟み噛まれた刀身はガッチリと固定されていた。

 星護の左腕が短刀をひねる。

 自分はカラクリの起動によって大刀の拘束を振り解こうと、引き金に指を掛けて────。


 ……折られる!


 ゾワリと感じた危機感に、すぐ様に大刀を手放した。

 短刀の捻りによってグルリと空転した大刀。

 回る刃を瞬時にくぐって突き出されてきたレイピア。

 その切っ先が、自分の首筋をザックリと斬り裂いた。血飛沫の代わりに燃え上がった蒼い炎。


「……ぐっッ!」


 痛みはない。ないが、これは……!?

 戦慄の中で左手小刀の引き金を引き絞る。

 崩れた姿勢からの斬撃。されどガス噴射によって加速されたそれは、確かな殺撃の威を纏い、レイピアを引き戻す星護の腕を襲った。

 だが────。


 再び響いたあの野太い風切り音。


 斬り込んだ小刀が、斬り込んだ軌道を逸らされ加速する。

 垣間見たのは、あの異形の短刀が小刀の刀身を受け流した挙動。

 受け流しであるはずだ。

 だが、やはり刃が触れたという感触はなかった。ただ、短刀の刃は斬り込む小刀の軌道に寄り添うように合流し、そっと押し流すかのように斬撃を逸らされた。


 いっそ優しげですらある微かな接触。


 結果は、轟音とともに加速し振り抜かされたこの衝撃。


 カラクリで加速していた斬撃はなお激しい勢いで流される。が、今はそれが僥倖ぎょうこうだ!

 自分はその振り抜かされた勢いに逆らわず、小刀に引っ張られるままに身を起こし、体勢を整えた。

 右手を小刀に添え、両手持ちに構え直して星護に踏み込む。

 切っ先を真っ直ぐに突き入れる刺突撃。

 星護は上体を捻りながらレイピアを引き絞り、同時に左手の短刀が迎撃して来る。


 こちらの刺突の軌道に寄り添おうと迫る短刀。


 だが、触れる前に小刀の刃を真上に跳ねさせた。


 手首の返しによって、刺突の軌道が縦の斬り下ろしに変化する。

 かつと突く流れにて、とうと打つ。二天一刀・喝当かっとううち。 


 突き入れる勢いを殺さずに縦の振りへと乗せる。ゆえにこそ、振り上げることのない細かい斬り下ろしが、斬撃の威を為す。左手の動きを、右手の支点が制御するからこそ可能な、二天流の型のひとつ。

 二天の型であるのに両手持ち前提だなどと、何とも皮肉な────。


 刃の上昇は握り拳ふたつほどの高さ、なれど、達人の斬り合いにおいては致命の差。短刀は空振り、降った刃は星護の右の肩口を打ち据えた。


 そう、斬り裂いたのではなく


 鈍い手応え。引き裂かれた白装束の下から覗いた灰色の装甲……だが、それは金属ではない、厚手の布地だ。


 耐刃繊維……そんな単語が脳裏にわき上がる。

 刃に備えた特殊な衣か?


 星護が衣服の下に備えをしているのは察していた。が、それは鎖の着込みや小札の鎧であろうと思い、それを断つ意をもって斬撃を振っていた。


 だが、では、この繊維は裂けぬようだ。


 即座に切り返そうとして、だが、あの短刀の構えがもう整っている。不用意な斬り込みはまただけか……。


 切り返す所作のままに、握った小刀を腕の中で反転させる。逆手持ちに構えた斬り払いで、相手の刺突を牽制しつつ踏み込み、柄尻を顎先目がけて突き上げた。


 星護が身を捻り、短刀が迎え撃つ。

 だが、逆手で突き込んだ至近から振り上げに繋いだ小刀は、短刀が届くよりも先に星護の胴体を逆袈裟に斬りつけた。


 刃が触れた瞬間に合わせて小指で引き金を絞る。

 銃声とともに刃が加速して白装束を斬り裂き、その下の耐刃繊維を剣圧で薙ぎ払った。


 大きく吹き飛んで倒れ込む星護。

 刃は通らずとも衝撃は通る。それが耐刃繊維というものらしい。


 胸部を鉄棒で打ち据えられたに等しい痛手に、星護は倒れ込んだまま激しく噎せ返る。

 それは致命的なまでの怯みであり、決定的なスキ。なれど、自分はそこに斬り込むことはしなかった。


 ……否、できなかった。


 己の首筋を撫でる。

 斬り裂かれた傷は急速に塞がろうとしている。だが、生身であれば間違いなく絶命していたはずの深手だ。


 地面に落ちた大刀。

 手に残った小刀。

 二刀を駆使して及ばず────。

 カラクリに頼って切り抜け────。

 挙げ句にはこの致命傷────。


 本当に、こんな無様で何が天下無双なものかッ!


「……この勝負。自分の敗北だ」


 焦燥と苦渋と、そして激しい自嘲。

 それらに押し潰されそうな無念の中で、自分は深く首を垂れた。


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