第4章 外道ノ剣鬼ト蔑マレ
ゲドウノケンキトサゲスマレ(1)
抜き放った大刀を正眼に構え、切っ先は敵の喉笛に向ける。
対する相手もまたその刃を真っ直ぐにこちらへと……だが、その構えは異なものだった。
右半身片手持ち、柄を持つ拳を顎下に当てるようにして、剣先を水平にこちらへ向けている。
細身の刀身。両刃を備えてはいるものの、打ち合えばたちまちへし折れそうな頼りなき剣刃。
レイピア……という剣はいかなる武器か?
脳裏に浮かぶ知識はわずかばかり、この肉体は特に戦いに精通した者ではなかったのだろう。その
元より刃を重ねることはせず、剣速に懸けた立ち回りを旨とする術理。
ならば、確かにそれは二刀に通ずるものなれど……。
白装束の青年は腰の短刀には触れず、右のレイピアのみに剣気を込めた。
未知の武器、未知の剣流。
相手を熟知し、研究し、必勝の術理を確信してから挑むが兵法の基本。
……で、あれば、この状況はすでにして下策の極み。せめて構えや動きから少しでも太刀筋を読むのが定石なれど。
『……剣があるべきは〝
脳裏に聞こえた重い声。
それは、失われていた我が剣士としての記憶の叫びか……。
……ああ、その通りだ。あの
相手が槍を構える前に即座に斬り込んでいれば、遠間の薙ぎ払いに
相手の一撃を誘い、いなした上で反撃するのが〝後の先〟。
対して我が剣流の極意は〝待ちの先〟……相手の動くその刹那に、動きが形を成すよりも速くこちらの意を叩き込む。
敵に〝後の先〟を赦さず、その上で先を取る刹那の見切り。
先の戦いで言えば、髑髏面が槍を手にした刹那に動き、身構えるその動きをこそスキとして斬り込む。それが〝待ちの先〟である。
ゆえに、自分は相手の一足に意識を研ぎ澄ます。
互いの距離は十メートル。
それは鉄砲の間合いであり、剣の間合いではない。
半分に寄ってなお投刃の間合いであり、まだ遠い。
俗に剣戟の間合いは二メートル。
まずは踏み込まねば互いの刃は絶対に届かない。
敵の踏み込みが
ならば、その最初の一歩に応じる。
刺突か、斬撃か、いずれであれその刃が閃くよりも速く、こちらの一刀を振るうのだ。
青年の上体がわずかに前に傾いた。
踏み込みの予備動作。
踏み込んでくる一歩の、その足先が地を踏むのに合わせて攻め手を重ねようと、自分もまた両足に力を込め、敵より先んじて踏み込む。
瞬間、下方から斜めに伸びてきた切っ先に戦慄した。
身を捩れたのは純粋なる反射。
頬を裂いて走る細刃を、大刀の鍔元で押し退ける……が、こちらの刃が触れるよりも速く、細剣は引き戻された。
視界の下方、地を這うように遠ざかる白装束を垣間見る。
自分が再び身構えた時には、すでに相手は五メートルほどの間合いを開いて立っていた。
最初に同じく、顎下に剣を握ってニッコリと笑う。
いったい何をされたのか?
刺突を放たれたのは承知している。
要は如何にして間合いを詰めたのかだ。
迅速な跳躍で一気に間合いを詰めてからの、四肢の長さを限界まで駆使するための超低空姿勢。
身を伏せるかのごとき踏み込み。
理屈で言えばそういうことなのだろうが……。
自分が一歩踏み込む間に、数歩を跳び、その上で地を這うように深い踏み込みからの刺突。そしてこちらが応じる前に瞬時に引き戻る。
どのような粘りを骨肉に宿せば、そんな
「……ああ、やっぱり、初めて見ますか? これまで死合ったイクサさんも、みんなそんな感じでしたよ。でも……」
青年は嬉しそうに、楽しそうに、構えた剣先を揺らして笑う。
「それでも避けてくれたのは、あなたが初めてです」
「避けたのではない。自分には、オヌシの踏み込みも太刀筋も見えなかった」
「……でも、当たらなかった。それって、あなたの戦士としての感性が、無意識に回避してのけたってことですよね? そういうの、尋常の感覚じゃないですよね? だから、ボクは嬉しいんですよ」
挑発や
賞賛ですらない。
純然なる喜びをもって青年は笑う。
「ふふふ、スゴいなあ……やっぱり、ものが違いますね。やっぱりこうでなくっちゃ……」
歓喜にむせいで揺れていた青年の視線が、瞬に研ぎ澄まされた。
────ッ!
自分が大刀を跳ね上げた時には、すでに青年の身体が左に転げている。
突き込んでくると感じて放った迎撃。だが、躱されたのだ。
寸前まで間合いの外にいた。踏み込む動きも見えなかった。
それでも、今、青年は確かに自分の斬り上げを回避して左に身を伏せている。
元は仙術の名だ。名の通り、地面を縮めて移動するという神技。
兵法では極限まで磨き上げた神速の踏み込みや体捌きを、その仙術になぞらえ〝縮地のごとく〟と称して追い求められた。
挙を示すことなく、意に捉えることもできぬ瞬動。
なれど、実現した者などいはしない。能楽における〝
あるいは二刀流よりも絵空事かもしれぬ武の極意。
そんな〝縮地〟を連想してしまうほどに、この青年の踏み込みは速かった。
怖気すら覚えて戦慄する自分。
睨んだ先にうずくまった青年は、左手を地に着け、右手のレイピアを抱え込むように胸元に引き寄せている。
その頬を、汗がひと筋こぼれて伝った。
「……スゴい、スゴい、これが、本物の剣士……!」
震える声音、されど見上げてくる眼光は
……殺気が、自分の背筋を駆け抜けた。
左半身に退いた脇腹を、熱気がかすめる。
すぐに右半身に引いたのと同時に、シャツの左肩口が裂ける。
斜め下から次々と突き上げてくる刺突撃。
絶え間なく、間断なく、なれど正確に
〝突き〟は死に体、外せば終わり……それが剣術の常識である。
刺突は剣の術技の中で最も速く、最も遠くに届く。
殺撃に至る刺突は、引き戻し構え直すのにどうしても半拍以上の間を要し、スキを生む。講談に語られるような目にも留まらぬ連続突きなどは、まずもって不可能な絵空事。
体を開かず、腕の振りだけで突き入れれば三連ほどは可能だろうが、そのような小手先の刺突は、間合いも剣筋も狭く、威力も弱く、よほど正確に急所を狙い撃たねば牽制にしか成り得ない。
……だが、この者の刺突は何だ!?
斬撃よりも遠く、斬り払いよりも縦横に閃き走る。
それでいて、刃は瞬時に引き戻される。こちらが反撃に踏み込む前に、次の刺突が飛んでくる。
これがレイピア────南蛮の剣術か!
舞うような足運びで飛び退き、転身した青年。白装束がひるがえったその直後、四メートル以上の距離を一足飛びで踏み込んできた。
その足先が地を踏むよりも前に、細身の切っ先が描いた刺突は二閃。
踏み込む重心ではなく、突進力を刃に乗せる剣筋に、自分は大きく拍子を外されながらも、両手で構えた大刀を回し、切り返して阻む。
刺突の剣筋を打ち払うように振るうそれを、だが、青年は打ち合う前に引き戻す。
打ち合えば明らかに細身のレイピアが不利。
それは道理なれど、だからといって、刺突の半ばで刃を引き戻すなど尋常ではない。
通常は、斬撃を途中で止めるのでも腕の筋を痛めるというのに。
レイピアの軽さゆえ?
否、確かに細身なれど、その刃渡りは三尺余……約一メートル、刀であれば大太刀どころか野太刀の域だ。むしろ振るう際の負荷は、片手である向こうの方が重いのではないか?
ズンと、深く踏み込んだ青年の右足。
それに合わせて振るわれたレイピアの剣閃。突きではない。それは初めて振るわれた薙ぎ払いの一閃。
刺突に備えて大刀を構えていた自分は、突然の太刀筋の変化に意識が追いつかず、右から迫る斬撃を、それでもギリギリで受け止めた。
初めて響いた撃剣の音色。
刀身の厚みはこちらが上、ならば受け流すよりも弾き飛ばすが良しと刃を跳ね上げて────。
自分の刀身は勢い頭上を泳いだ。返るべき抵抗が皆無だった。それゆえに意を超えて刀を振り上げてしまった。
眼前では、青年が大きく上体をねじった姿勢でレイピアを腰だめに構えていた。
あの状態からも、刃を引けるのか!?
驚愕する間にも、細剣の切っ先が自分の喉笛に狙いを研ぎ澄ます。
振り上げた大刀を下ろすのは間に合うまい。
ならば、先に左手を放しておいたのは正解だった。
細いレイピアを弾くには片手でも充分。そう意を決め、万が一に備えた左手は、すでに腰の小刀に添えていた。
一閃。
鞘走りは打ち合う剣戟音に掻き消されて甲高く濁る。
左逆手による居合い斬り。とはいえ、鞘引きすら省いた手打ちのそれは、ただの抜刀でしかなかったが、迫る致命の一撃を阻むには間に合った。
直後に振り下ろした大刀を、青年は
互いに間合いを開けての仕切り直し。
青年の踏み込みは常軌を逸している。念のため、たっぷりと二十メートルほどの遠間を開けて、自分は息を吐いた。
対して、彼方にうずくまった青年はその双肩を震わせている。
「…………くく、く、くふふぅ……あぁ……これだ……これですよ!」
うつむき、愛剣の刃を掻き抱きながら、青年は声を上げ笑う。
「全身を奮い、全霊を懸けて、致命の境を見極める。これが闘いだ。これが勝負だ。そのために剣は生まれ、人はそれを振るう、ボクは……!」
今、確かに活きている────!
顔を上げ、歓喜を張り上げ叫ぶ青年。
あるいは……それは世間では狂気と呼ばわる相であるかも知れない。
で、あるならば、自分もまた狂っているのだろう。
青年が抱き叫ぶ歓喜は、今、向かい立つこの身にも確かに満ちていた。
「……イカレとる」
あきれも深い溜め息は、斜め前方から。
ナナオだ。
石造りの水源……噴水の縁に腰掛け、こちらを眺めている。もうだいぶ前からそこで黒羽根とともに観戦していた。気づいていたが、だからどうというわけでもないので放っておいた。
そもそも、外野に構う余裕はない。
それほどにこの青年は強い、果たして生前はどれほどの猛者であったのだろうか……?
「……お兄さん、もしや気づいとらんかち思うから言うけども」
ナナオは手にした杯でツイと青年を指し示す。
「その子、イクサと違う。生者……生きた人間よ」
ナナオの言葉に、自分は戦慄する。
死人ではなく、生身の人間……だと!?
何ということだ……!
ならば、この青年は、生身のままにこの域にあるというのか!?
「……素晴らしい!」
思わず、そうこぼしていた。
わき上がるのは深い驚愕と、高い賞賛と、そして激しい嫉妬心。
自分は、この青年と同じ歳で、果たしてこれほどの剣の極みに立っていただろうか? 何であれ、重ねた
その上でこの在り様。
剣士として、嫉妬せずにはいられない!
確かな感情の昂ぶりをもって、青年に望む。
青年もまた、同じくこちらを見返してくる。
「……阿呆やな……せっかくの生者やのに、殺す気満々かい」
ウンザリと溜め息を吐くナナオ。
その傍らで、黒羽根は対照的に楽しげに笑んでいる。
自分は昂ぶりに乱れた意識を静めるために、深呼吸をひとつ。
右手に大刀、左手に小刀、ふた振りの刃を前に出し、その剣先を合唱させるように交差して構える。
その姿に、対する青年はゆるりと立ち上がって頷いた。
「ようやっと、二本目を抜いてくれましたね。やはり、あなたはそうでなくては始まらない……!」
「……自分を、知っているのか?」
「はは、おかしなことを言いますね。当然知っていますよ。あなたを知らない剣士などいるんですか? 〝生涯に試合うこと六十余度、勝利を得ざること無し────〟……その天下無双の剣と闘える。こんなに素晴らしいことはない!」
これぞ願ってもないことだと、望み求めた死闘であると、青年は叫ぶ。
「……二刀流、剣士なら一度は夢に見る。誰もがその双手に剣を握ってみる。そしてその困難さに惑い、磨き上げる闇雲さに苦しみ、その道の遠さに途方に暮れる。そして……〝二刀流など幻想だ〟と、嘲笑う。史上、多くの剣士が志しながらも挫折し、多くの剣流が無為と断じた」
けれど────。
「それでも、諦めの悪いヤツはいるんですよ。それでも極めようと進むバカはいるんです。まして、世界は広い。見せてあげますよ、日ノ本一の剣士様に、海の向こうの二刀流を……」
青年は笑いながら、左手を背腰の短刀へと伸ばす。抜き放つ所作が終わるよりも先んじて、神速で踏み込んできた。
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