ツイエタノゾミニオイスガリ(4)


 耳に届く微かな音色に、自分はゆるりと目を覚ました。


 廃ビルの一室。

 差し込む日差しは夕暮れの朱を宿している。ならばゆうに三とき……六時間は眠っていたのだろう。

 死人となって鼓動も血流も失い、痛覚も食欲も消え失せた。しかし、眠気は変わらずやってくる。

 いったいどういう理屈なのか?

 訊ねようと思ったが、我が麗しの影姫殿は未だ夢想から帰らぬようだ。座した自分の腿を枕にして健やかな寝息を立てている。


 その寝息とは別に、遠くから響いてくる静かな音色。

 笛の音……?

 高く澄み渡り、それでいてどこか物悲しいほどに穏やかな音楽。


 懐かしい────。


 なぜだか、そう思った。

 笛の音が懐かしいのか? 奏でられる音楽か? あるいは両方か? その郷愁が生前のものか、それともこの肉体に残ったものなのか、いずれも判じようがないままに……。


 ただ、それを奏でているのが誰なのか。それだけは、何となく察しがついていた。


 自分は、眠るナナオの頭をそっと抱え上げると、脱いだジャケットを丸めて枕代わりに敷いてやる。


「……呼ばれているようだ。暫時ざんじ、失礼する」


 静かに告げれば、蒼白の猫耳がピクリと震えた。

 果たして言葉が夢中に届いたのか、それとも……まあ、どちらでも構わない。

 自分は立ち上がり、カラクリ仕掛けの大小を左腰に、預かった黄金刀を背腰に、それぞれ差し帯びて外へ出た。


 夕暮れに染まる荒廃した都市の情景。

 この世界はどこまで歩いても街並みの途切れる気配がない。

 時に小さな林や荘園に至ることはあるが、その程度。いずれ人の手が加わっていない土地など存在せぬのではなかろうか。


 それほどに栄えた人の世が、今はこの在り様よ。

 まさに現世は諸行無常しょぎょうむじょうなりや。


 そんな寂寥せきりょうめいたびを彩る笛の音。静かな音色に誘われるままに、自分はヒビ割れた道路を歩んで行く。

 朽ち果てた街路樹が並ぶ通りを折れ、やや開けた広場に至ったところで、ようやく奏者の姿を認めて歩を止めた。


「やあ、久しぶりだね」


 黒塗りの龍笛を口許から下ろして、彼女は微笑みかけてくる。

 漆黒の長髪、闇色の瞳、夕焼けの中でなお蒼白き肌を包むのは、やはり闇の色彩に染まった装束。

 黒羽根の影姫。

 あの日、自分の胸に刃を突き立て黄泉返らせたのであろう娘。


「約束は……まだ果たせていないね。キミの因果はほつれたままだ」

「ああ、不甲斐ないが……未だ自分の二刀は天へと届いておらぬ」

「……なら、その刀はまだ預けたままになりそうだね」


 崩れて倒れた石柱に腰かけた彼女は、儚げに微笑んだまま夕焼けを望む。

 この場所は、在りし日には庭園だったのだろうか?

 繁る木々には他よりも年期が感じられ、所々に花々が群生している。中央には石造りの溜め池と水路が設けられ、装飾的な石像からは絶え間なく水流がこぼれ出ていた。


 その水流のほとりで、黒羽根の姫はしみじみとうたう。


「二天一刀……左右の手に刀剣を構え、それぞれを変幻自在に操る兵法。双手に二器を携えし戦法は数あれど、それを剣の術理とした流派は稀少だね。まして、それを実戦の技と為し得た者となれば……さて、私には憶えがないな」

「……自分は為し得た」

「ふふ、記憶もないのによくも吹くものだね。そもそも、キミは二刀流を為し得なかったからこそ、その因果に囚われて怨霊になったんじゃないのかい?」


 静かな指摘は、静かなままに胸に刺さる。

 確かに……自分の根底に渦巻く因果は二刀流への渇望だ。

 だが────。


〝二刀……所詮は衆目を集めるための外連けれん技かと。実戦で同時に二刀など振れるものではござらぬ。否と申すなら、今、ここでその二刀の業前わざまえを御披露願いたい〟


 脳裏の底、記憶の奥底から滲み出てくる声。

 呪いのごとく心胆に渦巻く声。

 応、ならばこの手で見せてくれよう! 二刀をもって天意為す、我らが剣流の真髄!


「……天下無双……我が剣は、天下無双なり……!」


 こぼれ出た決意はかすれて濁る。

 我ながら、それは懸命に絞り出した呻きのようで……。

 ならば、対する黒羽根の姫はいっそ哀れみすら漂わせて首をかしげた。


「ふふふ、必死だね。それはそうか……キミたちイクサは、それが果たせないがゆえに死にきれず、それを果たすがために迷い出た不完全な〝ここのつ〟……そんな哀れなキミたちだからこそ、私は深く同情し、共感している」


 ふわりと浮き上がるように、重さを感じさせぬ所作で立ち上がった影姫。その白い指先が指し示した先に、気配が揺れた。


 朱い日輪に照らされた街路を、ゆるりと歩みくる人影。


 青年……か、少なくとも見た目はそう見えるが、イクサであるならば外見上の年齢は当てにはなるまい。自分とて今の姿は十七、八の肉体だ。あの青年も、中身の歳はわかったものではないだろう。

 痩身を張り付くように覆う装束。脚絆きゃはんや手甲で四肢を引き締め、布地の下に薄手の装甲を敷いていると思しきそれは〝忍び〟を連想させる。が、その色彩は鮮やかなまでの純白だ。

 やや淡い短髪を揺らしたそいつの腰には、当然ながら武器が携えられている。左腰に鞘に収まった細身の長剣……刀ではない。遠目にもやけに装飾的で、とにかく細身だ。


 南蛮の刀剣……レイピア……と、いうのか?


 脳裏に浮かんだ知識に頷きながら、だが、青年の背腰にもうひと振り、刀剣の柄らしき影を認めて自分は眉根を寄せた。

 長剣ではない。背面に斜めに帯びているらしきそれは、左腰側に柄が見えるが、右腰側に先が覗いていない。小太刀であってもこじり……鞘の先端は出るであろう。ならば短刀か? 刃渡り一尺……三十センチを超える刃では有り得まい。やや湾曲した握りは古刀のこしらえか?


 そこまで見て取ったところで、青年は立ち止まった。

 互いの間合いは五間……十メートルほどか。


「どうも、こんにちは……じゃなくて、もうなのかな? はは、夕方って挨拶の言葉をどっちにするべきか迷っちゃいますよね」


 ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべる青年。

 穏やかな態度と物腰……なれど。


「……あなたが、ですね?」


 笑顔のままに、青年の眼光が静かに冷えた。

 泰然と悠々と、朗らかとまで見える態度ながら、彼の総身は確かにこれから刃をもって死合おうという、明確な闘志と殺気を宿らせている。


「剣にき、剣に満たされ、剣にたおれる……それが、キミの因果だったね」


 黒羽根の姫が呼びかければ、青年はニッコリと爽やかに頷いた。


「はい、ボクはそのために剣を磨き、剣に捧げ、剣を構えます」


 嬉しげに、誇らしげに、何よりも楽しげに……。

 青年は改めてこちらに正対すると、丁寧に一礼してきた。


「いざ、尋常に……いえ、極限なる手合わせ……よろしくお願い致します」


 青年の右手が腰のレイピアに伸びる。


「あなたなら、それに応えてくれると言われました」


 誰から? ……とは、明白な事柄か。

 視線を向ければ、黒羽根の影姫は形ばかりは申し訳なさそうに笑みを曇らせる。


「ふふ、勝手な御膳立てをしたのは謝るよ。けれど、強い剣士との勝負はキミも望むところだろう? ましてやそれがとあってはなおのこと」


 彼女が笑声まじりに告げた内容に、自分の中にあわ立ったのは戦慄わななきにも似た驚きと、それ以上の期待と、なお上回る不愉快。


 ……二刀流だと?


 さむらいあらずとも大小を帯びているのは、やはりそういうことなのか。

 我が剣流以外の二刀流……なれば、当方に引き下がる理もよしも有り得ない。

 沸き立つ戦意のままに、自分もまた腰の大刀に手を添えた。

 双方の闘気みなぎるを感じ取るように、黒羽根の姫は笑みを浮かべる。


「天下無双と、剣心一途……全ては因果の巡るがままに……」


 その朱い唇を半月に歪ませて、ことさら厳かに粛々と、彼女は両の手を差し伸べる。

 遠間に並び立つふたりの姿を、対峙する殺意を、讃え、慈しみ、抱擁するように。


「……〝コトワリ〟の先へと届くは、いずれの切っ先か……」


 ────いざ、存分に斬り結びなさい────。


 黒羽根は優しげなまでに静かにうたう。

 その口上に応じたのは刃の鞘走る澄んだ音。

 二重ふたえの刃のいななきが、黄昏を鋭く斬り裂いた。



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