ツイエタノゾミニオイスガリ(2)


 殺気というものが具体的に何なのかと問われると、と言うしかないだろう。

 具体的な光線とか波動とかが飛んできているわけではないし、状況や状態から、というだけのこと。


 それでも、武技を磨き戦闘に身を置いてきた中で、確かに何かに狙われているという事実を感じ取れたことは、それこそ数えきれぬほど多く経験している。


 普通の人間だって〝視線を感じた〟という覚えはあるだろう。

 別に相手の眼球から物理的な何かが放出されているわけでもないのに、なぜだか感じ取れる。


 思うに、それは体外的な要因ではなく、内面的なものなんだと思う。

 今この瞬間に、あの方向から見られていたらイヤだ……とか、そういう不安から連想される思い込み。

 転じて、この瞬間に狙われたらマズい……とか。

 あの方向から来られたらヤバい……とか。

 こういう状況ならこういう奇襲をかけてくるヤツがいるだろう……とか、こういう場所にはこういう連中がいそうで、そういう連中はこういう時にこんな攻撃を仕掛けてきそう……とか。

 そういう己の思考や感性、知識や経験によって構築される危機的状態への不安。それらが理屈ではなく感覚的に発露したもの。


 それが俗に言う〝殺気〟というヤツだと思う。


 戦闘の経験や技量を積んだ者ほど鋭く殺気を感受するのもそういうことだろう。詰まるところ、相手が殺気を放っているのではなく、自分が一方的に殺気を感じているわけだ。

 逆に、こちらが殺気を放つ時は、相手が畏怖するであろう挙動を取る。


 それだけのことだと思う。だが、だからこそ、殺気を感じた時には速やかに警戒して備えるに限る。

 己の戦士としての経験と感性が〝危険だ〟と叫んでいるのだから、それを気のせいだと流すなど愚の骨頂ってもんだ。


 改めて自戒しつつ、弓を構え矢弾を番える動作にはわずかの淀みなどない。……ないのだが、少し、妙な感じだった。


 違和感。そう、何か違和感がある。


 危険なのに、危険ではないというか……。

 オレはハッキリと困惑しつつ、周囲の気配に神経を研ぎ澄ます。

 殺気を感じている。なのに、これといって不審な気配も異質な物音も感じ取れない。


「……スズ、おい、スズ……妙な感じがする。影から出てくるんじゃねえぞ……」


 小声で呼び掛けてみるが、影の中から応答はない。


 ……まあ、それならそれでいいさ。


 ナナオとのやり取り以降、オレの影の中に引きこもったままだ。イジケているのかフテ腐れているのか、何であれ、今は大人しく影の中にいてくれる方がありがたい。


 オレは足音を殺し、通りに面した窓辺に寄ると、身を隠しながら外を覗き見た。

 淡い陽光が差し込むアーケードには、人影も獣影も見当たらない。

 何か異変があるようにも見えない。

 例えば誰かが身を隠しているとして……だが、こちらを狙い撃てるような位置に気配はない。斬り込んで来る機を探っているとしても同様だ。

 居並ぶ建物の多くは壁が崩れ屋根は落ち、少なくとも大の大人が隠れられるような場所はかなり限定される。アーケードの屋根部もボロボロで、誰かが上っているなら容易に見て取れる状態だ。


 少なくとも、今、この場を狙えるような範囲には何もない。

 それでも確かに狙われている……そんなヒリつくような危機感が強く疼いている。

 あるいは巨大な瓦礫がれきや分厚い石壁の向こうで息を潜めているのか? それにしては、今にも心臓を貫かれそうな、この切迫した怖気はいったい何だ?


 その瞬間、ドゥンッ! という重い轟音とともに、視界の片隅で壁面が爆ぜた。同時に、オレのすぐ傍らの壁が砕け散る。

 何が起きたのか!?

 疑念を問うよりも速く、オレは床を転げるようにして店の奥へと退避する。カウンターのさらに奥、太い鉄筋の角柱の陰に身を伏せながら、来し方を睨んだ。


「……何だありゃ」


 さっきまで身を隠していた窓脇の壁。石造りのそこに無残な大穴が開いていた。

 まるで丸太を括りつけた猛牛でもぶつかったがごとき在り様。

 爆薬だとしても、オレの持つ〝砕波サイファ〟の数倍はありそうな威力だ。


 再度響いた重い音。

 外壁を撃ち抜いてきた衝撃は、オレの頭上一尺……三十センチほどの位置で柱を砕き、奥の壁もブチ抜き破壊する。

 四散する破片と粉塵。それらに惑わされぬよう意を研ぎ澄まし、外にいるであろう敵の動向に集中する。


 対面の建物内からの狙撃?

 爆弾や矢が飛来したようには見えなかった。なら、やはりこれは銃撃なのか? だとしたらどんな馬鹿デカい銃をぶっ放しやがったのか。

 大砲……ってヤツか?

 まったく、火薬だの銃器だのと、人間様の兵器探究心には歯止めってのがないらしい。

 何であれ、妙な感覚の正体は理解した。

 敵は障害物越しの狙撃という、オレにとって未知の位置取りから攻めてきている。狙われているという直感的な察知と、そんな風に狙われたことはないという経験的な判断のズレがもたらした違和感だったんだろう。


 ……ま、細かいことはどうでもいいさ。二発も撃ち込まれりゃあ、火花と射線で位置がモロわかりだぜ。


 オレは崩れる柱から飛び出し様に二本の矢弾を外へと放つ。

 一本は開いた穴から真っ直ぐ外に、二本目は砕けた天井から大きく上方に、軌道を分けた二連射。

 撃ち込んだ先など見ない。見る必要はない。

 およそ射手と自負する輩なら、己が放った矢弾の行く先など、射る以前にて確信している…………確信しているんだ。


 オレは側面の窓から隣の建物へと飛び込みつつ、己の矢の軌道を脳裏に浮かべた。

 一矢目の狙いは、敵が射撃後に移動したであろう場所、その直近の壁面に言霊ことだまを唱える。


「……〝砕波サイファ〟……」


 彼方に響いた爆音。

 敵さんの銃撃に比べりゃあ可愛らしいもんだ。当たったとも思えない。けど、一瞬だけ意を引く程度には充分な威力だろう?

 オレは三射目を番えつつ次を唱えた。


「……〝散華サンゲ〟……」


 左の耳につけた二寸四方の小さなカラクリ飾り。そこから伸びた小指大の突起が、オレの呟きを聞き取っている……らしい。

 言霊をやじりに届けてカラクリを起動させるそれは、現世と冥府どちらの技術なのかは知らんし、原理も仕組みもサッパリだ。


 外の通りにて、二射目に放っていた鏃が拡散する音。

 頭上から曲射の軌道で降りそそいだ散弾は、想定通りならば、寸前の爆発で一瞬歩を止めた敵の移動経路を制限したはずだ。


 上々ならば、想定した敵の現在地は通りの中央、朽ち果てている鉄の荷車の陰。当然、ここからは遮蔽しゃへいされた死角。


 オレは番えていた三射目を大きく強く引き絞り、荷車の脇をかすめる軌道で射放った。

 空を裂いた矢弾。

 それが朽ちた荷車の横を過ぎようとしたところで、オレは唱える。


「……〝飛燕ヒエン〟……」


 直後、飛翔する鏃の側面から火花が噴いた。

 それは見る者が見れば、あたかも小さなバーニア噴射のようだと思っただろう。が、そんな知識など存ぜぬオレからすれば、そう、単に鏃が火を噴いたとしか思えないし、それだけのものだ。


 そして、火を噴けばその反動で軌道は曲がる。


 名の通り、高速で中空をひるがえるツバメのごとく、矢弾は鋭利に弧を描いた。

 振り抜いた刃を斬り返すように、行き過ぎるはずの矢弾がねじ曲がり、鉄の荷車の陰を強襲する。


 鏃が何かに刺さる音。

 路面でも壁面でも装甲でもない、肉を穿った音だ。


 オレはすでにして番えていた矢弾を立て続けに放つ。

 絶対安全圏と判断した位置にて狙撃され、遮蔽物は盾にならないと理解した敵は、普通は怯む。

 そして、怯まぬ猛者ならば打って出るだろう。身を潜めても追撃を受けるだけだ。左右に躍り出るか、上に乗り越えてくるか、あるいは後方に退くかだ。

 なれば、オレはその全てを抑え込むために、車体の左右、上、後方へと四矢を速射する。

 放ったのはいずれも〝砕波サイファ〟。

 四方から囲み込み、四連の爆風を見舞ってやろうと息を吸う。


「……〝サイ


 唱える寸前、つまりは〝砕波サイファ〟が起動するのに先んじて鉄の荷車が爆ぜた。


 同時に響いたのは、あの重い銃声。そして、オレの右側を凄まじい衝撃が駆け抜けたのもまた同時に。


 鼓膜の奥に響く甲高くも遠い音。

 肺腑がひっくり返るような嘔吐感と浮遊感。


 自分が吹き飛んで倒れているのだと自覚したのは、起き上がろうと動かした右腕の、その肩口から先がグシャグシャに千切れ飛んで蒼く燃え上がっているのを見た時だった。


 何が起きた────!?


 疑念は、すぐに自答をもたらす。要するに、敵さんはあの場で怯みも移動もせず、荷車の車体越しに狙撃してきただけのことだ。

 二発も放てば射線はモロわかり……なら、五射も放ったオレの位置は歴然だわな。

 鉄の車体を撃ち抜くほどの貫通力。

 それは知らずに想定できるものではない……とは、言えねえよな。現にあれだけド派手にブチ抜きまくってきてたんだ。


 全身の痙攣に動きを阻まれる中で、オレはどうにか視線を上げる。かすんだ視界の先、爆ぜ跳ねて横転した車体の傍らに立っている敵の姿。

 左の二の腕に突き立った矢をひと息に引き抜き、ゆるりとこちらに歩み寄ってくる。


 軽装の武者。そんな印象の出で立ちだった。


 小札をおどすことなく、つるりと流線型をした薄手の胴丸は、身体の最低限だけを隠し、肩口を守るための袖楯そでたてや、腿を守る脇楯わきだては見当たらない。四肢は手甲と臑巾はばきのみに鎧われ、兜は被らず、赤布の鉢金だけを巻いている。


 そのたたずまいは燃える炎のようだ……と、そう感じたのは、ザンバラになびいた髪と、鋭い双眸と、何よりも身に纏う色彩のせいだろう。


 手甲が、胴丸が、臑巾が、その下に着込んだ帷子かたびらが、全てが燃えるような深紅。

 照らす朝の光の中、夕焼けもかくやという赤備あかぞなえに身を包んだ姿の中で、腕に構えた銀色の長銃が、あまりにも異質に際立っていた。


 槍のごとく長大な銃器。

 厳つくも流麗なその銃身には〝こだま〟と、銘が刻印されていた。


 陽光を弾き輝くそれを、まさに槍でも担ぎ上げるように肩へと乗せて、赤備えの武者は一礼する。


「この勝利は、まさに僅差がもたらしたるものだ。非凡なる弓取りよ、その妙技に敬意を表しよう」


 勇ましくも良く通る声で紡がれた、粛々しゅくしゅくとした賛辞。

 無様に這いつくばった相手を前にしたそれは、普通は嫌味や嘲弄だ。


 けど、コイツ……本気で言ってやがる。


 圧倒し、叩きのめした上でなお、オマエの弓の腕前は素晴らしいと、良き勝負であったと、心から褒めてくれているのが良くわかる。


 ……ああ、つまり、コイツはアレだ。御大将やテンの野郎と同類だ。


 武に生まれ、武に尽くし、戦の中で息絶えることが当たり前と信じている狂人。


「……オレの大キライな、武士道全開野郎だ……」


 睨み上げた先、武者の右手の甲に刻まれた因果の銘。


ホムラ〟────。


 それは身に纏う赤備えよりもなお深く鮮やかに、紅蓮の色彩を宿して輝いていた。


 数瞬の沈黙を挟んで後、ホムラは担いだ長銃を振り上げる。

 キィンと甲高い金属音を奏でたのは、銃身の先に展開した白銀の刃。刃渡り一尺半はあろうそれは、銃剣っていうんだったか?


「……いざ、トドメをつかまつる」


 厳かな宣告。

 刃を伸ばした長銃を、ホムラは長柄の槍そのままに振りかざした。


「……悪い、しくじったわスズ……」


 オレがこぼしたのは無様な謝罪。

 それに応じて舞い上がった黒衣の影が、颯爽とホムラの前に立ちはだかった。

 淡い茶色の髪をなびかせた、矮躯わいくの影姫。

 オレの影から飛び出したスズ、そして、同じく影から引きずり出したあの金属葛籠つづら。それを盾のごとく抱え差し上げて、彼女は眼前の赤いイクサを睨みつける。


〝……大きい葛籠と、小さい葛籠、選べるのはどちらかひとつ……〟


 囁いたスズの声が相手に聞こえたかどうかはわからないが────。


 振り下ろされた銃剣が、必然、金属葛籠を打ちつけた。

 刃を受け止めた衝撃に、否、に、激しい音を立てて開け放たれた葛籠。


「……〝大きな葛籠を選んだ強欲者め、お仕置きだ〟……と、スズ様は仰っている」


 そう代弁したオレの声は……ま、届いてねえだろうな。


 たちまち葛籠から飛び出した無数の毒蛇と毒虫の群れ。

 明らかに葛籠の許容量を超えて雪崩のように殺到するそれに、文字通り呑み込まれて押し流される赤備えのイクサ。

 スズはそれには目もくれず、倒れたオレの首根っ子をつかんで身をひるがえす。


「……ていうかさ、そもそも大きい葛籠しか出さないってズルだろ?」


 オレの軽口に返ったのは、本気で怒っているスズの一瞥いちべつ


〝……うつけ者……〟


 か細くも鋭い叱責。

 いや確かに、今回のこれは言い訳きかない大失態だ。


「……こりゃあ、オレもお仕置きですか?」


 凄まじい勢いで引きずられて敗走しながら、オレはしみじみと独りごちたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る