第2章 士ノ道ニ死狂イテ

シノミチニシグルイテ(1)


 朱に染まっていた西の空が、少しずつ深く、暗く、宵闇に暮れていく。


〝……生き延びられたなら、また会うこともあるかもな……〟


 そう言い残して立ち去った弓兵……サダメ。

 ならば、これから命に関わる何かが起こるということか?


 短絡的な予想は、概ね正解であったようだ。

 宵闇に包まれる街並みが、急速に不穏な気配に満たされていく。

 周囲の建物の中から、それらの落とす影の中から、浮き上がりわき上がる無数の姿があった。


 まるで陽光を忌避して逃れていたものが、夜闇に誘われて這い出てくるように、無数に増えていく異様な人影。


 人の形をしているが、人ではないモノ────。


 ぎこちなく所在なさげにフラフラと、かしいだ動きでうごめく異形たち。

 まるでB級ホラー映画のゾンビの群れのようだ……と、見たこともないモノになぞらえながら。


 自分はとにもかくにも、それらの影に気取られぬよう気配を殺して歩き出す。

 目指すのは、十間……約二十メートルほど先の地面。

 そこには、あの鎧武者が身に着けていた装備が散らばり落ちている。


 周囲にはどんどんわき上がり蠢く異形の屍鬼たち。

 野の獣がそうするように、鼻先をせわしなく多方に向けてヒクつかせている様は、臭気で辺りを探っているのか?


 視覚には頼っていない? では聴覚は?

 何にせよ、アレは無害なモノとは思えない。


 ……気づかれる前に、備えるべきだ。


 気配を殺し、足音を殺し、鎧武者が消滅した場所に忍び寄った自分は、そこに落ちていた大刀と二本の鞘を拾い上げる。

 カラクリ仕掛けの異形刀。

 それでも刀は刀だ。

 この手に握ったことで、ほんの少しだけ焦燥が弱まった。


 ふと、近場に蠢く気配。


 瓦礫を押し退けて這い出てきた屍鬼の一体が、こちらに気づいて近づいてくる。フラフラと力無く、何かを求めるように両腕を差し伸ばして迫ってくる生ける屍。

 力無い所作だが、それはそう見えるだけなのだろう。

 現に、重いコンクリートの塊を押し退けて這い出して来た。その膂力は尋常のものではない。


 多勢に気取られる前に、速やかに葬らねばなるまい。


 ……だが、死人だ。斬り伏せるだけでほふれるのか?


 疑念に思えども、それに逡巡する間こそ無駄であろう。

 腰だめに構えたカラクリ刀をひと息に振り抜き、迫る屍鬼の首を一刀にねた。

 ゴロリと転げ落ちた生首。

 その濁った双眸が、大きく見開かれて自分を睨み上げてくる。


 ……これではダメか。


 首を無くしても止まることなく、つかみ掛かってきた屍鬼。

 その両足を刃で薙ぎ払う。支えを失って倒れ込み、それでもなお這い寄ろうとするその背中に、ひるがえした切っ先を突き立てた。


 肩甲骨の間、正中線からわずかに左寄り……心の臓。


 すでに鼓動を止めているであろうそれを貫いた手応えは明確に、伏した屍鬼は激しく身を仰け反らせながら、蒼い炎に包まれた。

 自分が腕を斬られた時に噴き上がったものと同じ色彩。

 斬り落とした首と両足も諸共に蒼く燃え上がり、焼き尽くされて消滅する。


 どうやら、心臓が急所であるか────。


 まずは不死ではないとわかって重畳ちょうじょう。が、手間取り過ぎたのは遺憾だ。

 物音を気取られたのか、あるいは燃え上がる蒼炎に感応したのか、遠間に蠢いていた屍鬼たちが次々とこちらに向き直る。

 見回しただけでも五十はいるか? 正に多勢に無勢だが、ある意味、死人が相手ならば存分に試し斬りが出来るというものだ。


 自分は背後の瓦礫に向き直り、かしいだ柱の陰から小刀を拾い上げる。

 鎧武者がサダメに向かって投擲した脇差し。大刀と同じカラクリ仕掛けが施されたそれを左手に握る。


 右手に大刀、左手に小刀。……これでようやく、二刀がそろった。


 深呼吸とともに、胸に満ちた感情の昂ぶりを落ち着ける。

 二刀を得た安堵と、戦いに臨む歓喜と、そして……。

 ゾワリと下腹に淀んだをねじ伏せるように、自分は刀を握る手に力を込めた。


 右手の大刀を斜に掲げるようにして上段へ、

 左の小刀を片手正眼に構える。

 周囲に迫る屍鬼の群れ。

 自分は正面を見すえて、地を深く踏み締めた。


「いざ……」


 呼気とともに踏み込んだ右足。その流れのままに体を滑らせて、右方より迫っていた屍鬼を大刀で斬りつけた。

 そして、体勢の崩れた胸元に小刀を突き入れる。

 蒼く燃え上がる炎を振り払い、さらに踏み込んで大刀を振るう。

 視線は真っ直ぐに前を向いたまま、見すえた先を中心に、右へ右へと回り込み斬り込んでいく。

 間合いを詰める右の敵影と、追いすがってくる左の敵影を同時に視界に捉えながら、その上でどちらを注視することもなく、右へと斬り込み、左を捌く。


 多勢を相手に視線が泳げば死角を招く。


 森を眺めれば木々を見失い、木々に注すれば森を見失う。

 見るともなしに全体を観よ。

 円心は、四角より六角に備えて、八角を迎え撃つ。


 脳裏に焼き付いた理念。総身に刻まれた術理。


 剣を振るう。


 そのひと太刀ごとに自分の中にわき上がる感覚。

 否、これは死していた剣士としての記憶が、文字通りによみがえっているのだろう。


「……ふ、ふふふ……ああ、これこそが……!」


 我知らずにこぼれた笑声。

 我が身が二刀とともにここにある。その事実に歓喜が込み上げる。


 数にあかせて押し潰そうと迫りくる屍鬼の群れ。

 その波を右へ右へと回り込み躱しながら、リンゴの皮を切り剥ぐがごとく斬り伏せていく。


 右で斬り払い崩した敵を、左で仕留める。

 左で受け流した敵を、右で斬り伏せる。


 時に二方へ広げ、時に一閃に重ね、臨機に応変する二刀の太刀筋。

 攻防一体。表裏にして波状。左右にひと振りずつの刃を携えた剣技。走る双輪の剣閃が織り成す、それこそが……!


「天下無双……我が剣は、天下無双なり」


 込み上げる昂揚のままに、右の大刀を振り下ろす。

 屍鬼の肩口に深々と斬り込んだ刃は、だが、心臓に届く寸前で止まった。

 相手はひときわ大柄な屍鬼。

 その膨張した肉の圧力に押し止められたのだ。


 追撃に構えた左の小刀は、同時に左から押し迫った別の屍鬼を迎え撃つためにひるがえさねばならなかった。

 大刀を引き抜こうと右手に力を込めるがビクともしない。

 蹴り退けようと踏み込んだところで、前方から新たな屍鬼がつかみ掛かってきた。


「……ッ!?」


 咄嗟とっさに引き絞った大刀の引き金。

 カラクリが起動し、噴き出した圧縮ガスによって剣圧が瞬間的に増大する。そこに自分の膂力を乗せて、一気に大刀を振り抜いた。


 袈裟懸けに両断され、たちまち蒼く燃え上がる大柄な屍鬼。


 自分はすぐさまに左の小刀で前方の屍鬼を迎え撃とうとするが、寸前に振り切っていたため返しが間に合わない。


「……ぐッ!」


 込み上げる苦い感情を噛み締め、小刀の引き金を絞る。カラクリの助力を得て加速した刃は、迫る屍鬼を真っぷたつに斬り上げた。


 そうして窮地を脱したのは一瞬。

 回り込む流れを阻まれ、一点に留まってしまった自分の周囲には、すでにして圧倒的なまでの屍鬼の群れが雪崩のように迫っていた。


 両手の二刀を大きく振りかぶって、地を踏む両足に全力を込める。

 踏み締めた力を膝に、腰に、背筋から両腕に、螺旋を描いて練り上げた力を刀身に伝播させて、我が身を回転させる。

 独楽のように転身しながら振り放った二刀の斬撃。

 鋭い剣閃は空を裂き、周囲の屍鬼どもをまとめて撫で斬っていく。

 一体目を斬り裂き。

 二体目を断ち斬り。

 三体目の胴を半ばまで斬り込んだところで、左の刃が死肉を裂ききれずに押し止められた。

 右の刃は四体目をかろうじて引き裂いたものの、そこで失速する。


 再度両足を踏み締め、全身のバネをたわめたが────。

 囲い迫る屍鬼の数は先ほどに輪をかけて圧倒的で、そして迅速だった。


 己の力だけでしのぎきれるのか!?

 逡巡は、そうする間こそが無駄である。


「この……未熟者がッ!!」


 自責の叫びを張り上げながら、両手に握り締めた二刀の引き金を全力で引き絞った。

 爆発的な剣速と剣圧で閃いた双輪の斬光。

 押し迫った屍鬼の壁を真円に斬り裂き吹き飛ばす。

 燃え上がった蒼い大火。

 光の塵となって燃え尽きるそれらの向こうには、なおも迫りくる屍鬼の群れ。

 自分は焦燥と憤怒のままに地を蹴った。

 立て続けに引き金を引き絞りながら、両手の二刀を遠心力に任せて振り放つ。

 もはや太刀筋も何もあったものではない。

 刀のカラクリに頼って放つ。ただ、ただ、全力で最速で広範囲を薙ぎ払うためだけの、無様な剣閃。


 それでも、そんな無様な剣閃なのに、迫る屍鬼の数はまたたく間に減っていく。次々と噴き出す蒼炎は、視界を埋めて夜空を覆って激しく燃え上がり続けて────。


 カシュン……! と、乾いた音とともに二刀が減速する。


 引き金を引き絞ってもカラクリが作動しない。

 圧縮ガスが切れたのか?

 燃え上がっていた蒼炎が蛍火のように散っていく。

 見れば、残る屍鬼の数はただの一体。


「……滑稽こっけいだな」


 左右にそれぞれ握り締めた刀を見つめて、苦笑う。

 低く唸りながらこちらに迫りくる最後にして大型の屍鬼。その巨体を睨んで、自分は右手の大刀を大上段に構えた。


 吸気を深く、鋭い呼気とともに右足を踏み込み、真っ向から大刀を袈裟懸けに振り下ろす。


 刃は肩口から胸元まで斬り込み、正中に届く前にビタリと止まった。

 それ以上は死肉の圧力に阻まれて斬り込めず、引き抜けもしない。


 片手では……ただ膂力と遠心力に頼るしかない片手持ちでは、それが限界だった。


 口の端を歪めて、大刀から手を放す。


 改めて、左の小刀を両手で握り直し、構えた。


 柄尻をつかむ左手を、頭上に突き上げるようにして振り上げれば、鍔の下に添えた右手を支点にして剣先が背中越しに空を切る。

 直後、踏み込みとともに右手を突き下ろし、同時に左手を鳩尾みぞおちに引き寄せるように引き下ろす。

 響いたのは、ついさっきに振り放った大刀とは比べるべくもなく鋭い風切り音。


 両手で構えた剣を、上段から斬り下ろす。


 剣術の基本にして深奥なる術理。

 足先から腕先までの全ての力を束ねて重ね、その上で右手の握りを支点とした梃子てこの原理で斬撃の力を倍加する。


 空を裂く刃は屍鬼の頭を割り、正中線を真っぷたつに断ち斬った。

 刃が股ぐらを抜けたところで、両手に軽く力を込めて柄を絞り、剣速を殺して制止する。

 正眼に構え直して残心する自分の眼前で、グラリと傾いた屍鬼の身体が蒼く燃え上がる。


 片手の大刀では叶わなかった一刀両断。

 それが、両手持ちならば小刀でもこの通り。


 ガランと、音を立てて地に落ちたカラクリ仕掛けの大刀。


「……片手では、肉を斬れても骨は断てぬぞ……」


 ポツリと、込み上げるままに呟いた。

 いつだったか、誰かに言われた言葉だった。


 それは果たして下卑た嘲弄だったのか────。

 それとも真摯な警告であったのか────。


 憶えていない。

 憶えていないが、どちらであろうと同じことだ。


 自嘲の吐息とともに、大刀を拾い上げる。

 右手に大刀、左手に小刀。

 刀とは、本来が片手にて振るうもの。ならば、双手にひと振りずつを構えるのが必然であり最強である。


 そうであるはずなのに────。


 片手で構える……ただそれだけのことで、剣の術理はことごとく封じられてしまうのだ。

 剣の速度は、重さは、太刀筋を操る動きは、両手で構え、十指で操ることで何倍にも研ぎ澄まされる。


 片手では重さと遠心力に任せるしかない斬撃も、両手ならば梃子の原理で精妙苛烈に。


 片手では膂力に任せるしかない太刀筋と剣速の制御も、両手ならば捻りや絞りを加えることで変幻自在に。


 仮に人並み外れた剛力をもって二刀を振るうならば、確かに片手でも骨を断てるだろう。

 だが、その剛力を一刀に束ねれば、なお凄まじき斬撃を生み出せる。


 二刀が勝り得るのは手数だけ。だが、その手数すらも……。


 込み上げた焦燥に堪えかね、苦悶のままに二刀の柄を握り締める。

 力任せに握り締めながら、奥歯を噛み締め思い知る。


 二刀流────。


 胸元に刻まれた〝天〟の銘。

 ならば、おそらくはこれこそが自分が果たせず悔いているもの。

 すなわち、生前の〝因果〟なのだろう。


 我らは、二刀をもって天意す。


 その為に、冥府から黄泉返ったのだと、そう改めて思い知りながら、深く苦い吐息をこぼした時だった。


「その刀……何ゆえに其方そなたが携えておるのか……?」


 低く静かな声音が宵闇の向こうから問いかけてきた。


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