カワタレヲミトリテ(3)
戦いは終わり、夕闇迫る廃墟に静寂が舞い戻っていた。
結果的に勝負を制したのは弓兵。
とはいえ、それを勝利と呼ぶかは人によりけりだろう。
ならば当の弓兵もまた得心行かぬ様子で、イラ立ちもあらわにこちらへ向き直った。
改めて見れば、まだ少年と呼んでも良い若さだ。
女人のごとく長い髪を首の後ろで束ねた、鋭い面差し。
痩身を覆うのは深い夜の海の色彩をした……迷彩服。その上から……弓道の防具にも似た装甲を着けているのが少し異質だった。
手にした弓は、大弓と呼ぶには小振りで、短弓と呼ぶには大振りだ。和弓にしては厳つく、ゴテゴテと余計な部品がついていた。
短刀の方も、見慣れぬ
相変わらず頭の中に浮かび上がるのは、憶えた覚えのない情報たち。
嘆息しつつ、座り込んだままだった自分は身を起こそうとしたのだが。
「おっと、それ以上動くなよ」
その動作を制して、弓兵の少年は素早く矢を番えて狙いをつけてきた。
声音は軽いが、鋭い
この距離では抗いようもないし、抗う意味もないだろう。
自分は立ち上がるのをやめて、弓兵をうかがった。
こちらを睨む眼光。その右眼には刻印が淡く輝いている。
〝必〟……と、そう読み取れた。
自分の胸に刻まれた〝天〟や、先刻に召された鎧武者の〝闘〟と同様の〝因果の銘〟。
「オヌシも死人か……?」
問えば、弓兵はニヤリと肯定し、己が〝銘〟の刻まれた右眼を
「……〝
自分の胸元、シャツの裂け目から覗く銘を読み取ったのだろう。
「……〝
ギリリと強く弓を引くサダメ。
どうやら、続いて自分をも狩ろうというらしい。
影姫に、はぐれイクサ。
……ふむ、知らない言葉だし、脳裏にわき上がる知識もない。
何にせよ、このまま無抵抗に
自分は身構えようとして、ふと、動きを止めた。
止まったのは自分だけではない。前方のサダメも同様。
その理由は、彼の背後から現れたひとりの少女だ。
いつの間に現れたのか、弓を構えるサダメの、その束ねられ下がった長髪をクイクイと引っ張っている。
まだ幼女と呼んでもよい小柄な体躯に、焦げ茶色の髪をカムロのように頸元で切りそろえ、
その
その質感といい、葛籠というよりも、カーゴとかコンテナと呼ぶべきかも知れない。
彼女は今までどこにいたのか?
それこそ、サダメの影の中にでもひそんでいたかのごとく突然に現れた少女は、背負っていた葛籠を下ろすと、それにヒョイと飛び乗ってサダメの耳元に口を寄せ、何事かを告げた。
サダメはどこかウンザリと。
構えていた弓を下げ、いかにも仕方なさそうに口を開く。
「……〝オマエは、何者だ?〟……と、スズ様は仰っている」
少女の言葉を代弁しているのだろうサダメは、わざとであろうが〝仰っている〟の部分をことさらに仰々しく告げる。
「……何者か? 呼び名なら〝テン〟で良いだろう」
自分が胸元を示して応じれば、
新たに耳元で囁かれたサダメが、さらに問うてくる。
「……〝それはイクサとなった因果の銘だ。こちらが訊いてるのはオマエ自身の名前だ。オマエの
「生前の名、という意味ならば、自分は憶えていないし、状況も理解していない」
応じつつ、少し、気に食わなかったのでこちらも問い質す。
「訊きたいことがあるならば、いちいちその男を挟まずに直接に話されよ。そのような貴人ぶった対応を、自分は好かぬ」
憤然と指摘すれば、それまである意味やる気なさそうに構えていたサダメが、明確なイラ立ちを浮かべて弓を構え直した。
先刻、勝負のきわで矢を外した時に同じ、強い憤怒。
だが、少女はそれを制して葛籠から飛び降りると、トタタッと可愛らしい足取りでこちらに駆け寄ってくる。
座した自分の眼前、あとわずかで触れ合うというほどの間近に顔を寄せてきた。
「……大きな声……私には出せない……」
微かに呻くような声量でそう言うと、精一杯という感じで大きく口を開けて、口腔内を見せてくる。
そこに覗いた赤い舌には、大きく無惨な裂傷が刻まれていた。
傷そのものは古いモノのようだが、その後遺症で微かな声量しか出せないようだ。
……どうやら、無礼はこちらの方だったようだな。
「済まなかった。不快な思いをさせた非礼を詫びる」
軽く礼をして謝罪を示すが、少女は特に表情を変えぬまま、小さく首をかしげた。
「……記憶が……欠落しているのか……?」
謝罪を無視した、問答の継続。
意に介していないというなら、こちらも気にすることはないだろう。
「欠落というよりも、何も憶えていないというのが的確だな」
自分が補足すれば、少女はやはり思案げに小首をかしげた。
少女の肩越し、向こうで再び弓を構えたサダメがイラ立ちもあらわに問い叫ぶ。
「おい、どうすんだスズ。仕留めるのか? 放置か?」
スズと呼ばれた少女はなおも思案げに首をかしげた。
しばし、こちらの
「……黒い羽根の影姫……知っているか?」
いかにも深刻そうな囁きで紡がれた問い。
黒い羽根の影姫……。
その呼称に思い起こしたのは、目覚めた時に見た黒髪に黒衣の姿。背腰の一刀を自分の胸に突き立てたと思しきあの少女。
ジャケットの懐に収めた黒羽根を意識しつつも、気がつけば、自分はハッキリと頭を振って否定を返していた。
なぜ隠すのか、その理由は自分自身でも判じきれぬまま……。
「知らぬな。自分はつい先刻、あちらのビルの中で目覚めた。この刀を胸に突き立てられた状態で…………それから出会ったのは、先刻に召された武者と、オヌシたちだけだ。自分は、黄泉返った死人なのか?」
内心の惑いは、表に出なかったと思う。
スズは静かに頷いた。
「……オマエはイクサ……〝ヨモツイクサ〟……〝因果〟を果たせず死した戦士が、輪廻の輪から外れて怨霊となった者……」
ゆるりとそう答えると、ピョンと飛び退いた。
そのままサダメの傍らに駆け戻ると、葛籠に飛び乗り、彼の耳元に何事かを告げた。
「あ? でもコイツ……」
不服そうなサダメに、スズが怒り顔で何かを呟く。
「……はいはい、わかりましたよ御姫様」
サダメはやれやれと肩をすくめて、ようやく臨戦態勢を解いてくれた。
その姿に、自分は安堵する。
正直、このまま刀もなく戦いになっては、自分に勝ち目があったとは思えない。
スズは葛籠を背負い直し、それからサダメの足下……そこに落ちた影の中にピョンと飛び込むと、
そのまま、水面に沈み込むようにして姿を消してしまった。
どうやら、影の中にひそんでいたようだという印象は、そのものズバリに的を射ていたらしい。
サダメもまた弓矢を収めて
もう自分に用はない……ということか。
「……黒い羽根の影姫というのは何者だ?」
立ち去る背中に問い質す。
サダメは足を止め、肩越しに
ことさらに面倒そうではあったが、応じてくれる。
「冥府の裏切り者だよ。冥府と現世を繋げて混ぜちまった……要するに、このフザケた状況を作り上げた張本人だ……と、推測されている。重要参考人……って言うのか? この時代だと。…………本当に、知らないのか?」
それは言葉の知識についてではなく、黒羽根について問い質したものだろう。
黙したままの自分に、サダメはそれ以上の追及はしないまま。
「どちらにしろ、じきに陽が沈む。生き延びられたなら、また会うこともあるかもな……まあ、とっくにオレらは死人なんだがね」
まるっきり悪趣味な冗談に顔をしかめるような表情と声音。
こちらが何を質すよりも早く、彼は迅速に駆け去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます