シノミチニシグルイテ(2)


 三十メートルほどを隔てた先、月明かりに照らし出されて立つ影があった。

 遠目にも小柄な体格は、だが、声音から男だと思われる。

 闇に溶け込むような暗色の……トレンチコートを羽織っているのだが、コートの腰部に厚手の布帯を締めているのが異質だった。ベルトではなく布帯、法衣や胴着などを着る時に締めるそれだ。


 あの〝闘〟の鎧武者と同様、体裁を重視した出で立ちか?


 背には筒状の大きな鞄を負っている。一見して……ゴルフバッグのように見えるが、やけに長い。男の身の丈を超える長さは、槍の束でも収めているのか?

 何より異様なのは、顔を覆う仮面だ。

 髑髏どくろを模した白い仮面。防具というよりも顔を隠すために付けていると思しきそれが、ザンバラになびく長髪と相俟って、地獄の獄卒もかくやという不吉でおどろおどろしい雰囲気をまとっている。


「その刀は、黒羽根の姫が携えているはずのものだ」


 影は静かに、良く通る胴間声で問いかけてくる。

 仮面越しの眼光がどこを睨んでいるのかはわからない。が、それは当然ながら両手に握ったカラクリ刀のことではなく、背腰に差した黄金細工に太刀造りの刀のことだろう。


 事情はわからぬ。相手の素性も知れぬ。

 ならば、自分はただあるがままに応じるのみ。


「その黒羽根の姫から預かったものだ。約束の証だと」

「何と……。姫が、其方を選んだというのか……」

「選んだ? いったい何のことか?」

「姫が選んだのならば、我の問いはひとつである。〝〟か〝〟かで応えられよ。其方は、我らが待ち望みし主君であるやいなや……いかに?」


 有無を言わせぬ語気に、自分は少々返答に困った。

 自分は誰かに主君と仰がれた憶えはない。否、元より記憶がないのだ。


く、応えられよ」


 繰り返しの髑髏面の問い。

 さて、どう応えるべきか?

 そもそも先刻から叩きつけられている殺気の鋭さは尋常ではない。少なくとも、友好的な相手でないのは明らかなのだ。

 自分は二刀を握る手に力を込める。

 髑髏面は大きく頷き、ゆるりと身構えた。


「その沈黙、問答無用と判断する。もって、実力行使による確認に移るゆえ、御覚悟めされよ」


 宣戦布告した直後、髑髏面は背負っていたバッグを地面に落として地を蹴った。その俊足にコートの裾が大きくひるがえる。

 一気に間合いを詰め寄りながら、髑髏面は徒手の両腕を振り上げた。まるで刀を大上段に構えるような所作。

 瞬間、その双手から蒼い鬼火が燃え上がり、収束したそれはひと振りの刀剣を象る。


 蒼炎を刀に変えた?

 わからないが、その刃の存在感は本物だ。


「参る!」


 掛け声とともに振り下ろされた斬撃。

 大上段から振り下ろされた刃を、自分は間一髪で横に飛び退いてやり過ごす。そのまま回り込み、大刀での斬り払いと小刀での斬り上げを重ねて放った。


 響いたのは刃と刃が打ち合う激しい金属音。

 大刀の斬り払いを、髑髏面が切り返しで打ち払ったのだ。


 添えた右手の返しと、左の握り手の絞りを重ねた〝弾き〟の衝撃は強烈に、自分は大刀の斬撃を止められただけに留まらず、大きく重心を崩されてタタラを踏んだ。

 当然、続けて重ねようとしていた小刀の斬り上げは、まともな斬撃の体を為せずに空振る。


 無様によろけたそのスキに、髑髏面はさらに踏み込んで追撃の斬り下ろしを放ってきた。


 柄を梃子とした両手での切り返しは迅速にして鋭利。


 自分は弾かれた大刀を筋力で無理矢理に引き戻し、ギリギリで受け止めるが、両手で振り下ろされた斬撃を片手で受け止められるわけもない。

 受け流そうにも、片手持ちでは刃を柔軟に揺らすことも、角度を精妙に調節することも叶わない。


 片手持ちでの防御法は、力任せに攻撃を弾くか、真っ向から受け止めるしかないのだ。


 押し切られそうになりながら、自分は左の小刀を全力で引き戻す。

 二刀を十字に交差する形で、押し込んでくる髑髏面の刃をどうにか押し止めた。

 片手持ちの刀身に、もう一本の刀身を重ねることで支点を作り梃子とする。二刀にて両手持ちの技法を象る苦肉の策。


 一刀を受け止めるために二刀を用いる……すなわち、二刀流の意味を無と化す無様な愚行に他ならない。


「……我が業前は、片手であしらえるほどに鈍くはないぞ」


 髑髏面が静かに告げる。

 それは確かなあきれを含んだぼやき。

 然りだ。

 現に今し方、自分は二刀での連撃を、一刀のひと薙ぎでまとめてしのがれた。

 自分自身、理解している。

 あの時、片手ではなく両手で刀を握っていたならば、髑髏面の斬撃を受け流すことができた。あるいは、太刀筋を逸らして、刃を打ち合わせることなく斬り込むこともできたのだ。


 口惜しさに歯噛みしながら、全身の力を振りしぼる。


 ギリギリと火花を散らす鍔迫り合い。とはいえ、二刀を十字に交差してのそれは根本からして無理矢理な体勢だ。

 拮抗はどんどん崩れている。

 自分が押し切られるのは時間の問題だろう。


 交差を解けばその瞬間に押し切られる。

 蹴りつけようにも、両足の踏ん張りを解けば同じく押し切られる。


 打つ手はない。


 二刀流は相手の刃と打ち合い、受け止めた時点でなのだ。

 単純な計算。力量が同等であるならば、片手で振るうより、両手で振るう斬撃の方が歴然と重いのだ。

 二刀流は原則として全てを躱し続け、斬り込み続けなければならない攻手特化なる捨て身の戦法。

 ゆえに、鍔迫り合いになった時点で、二刀流にはもう打つ手がない。


 そう、二刀流には……だ。


 自分は深い吸気とともに、左手を小刀から放した。そして直ぐさまに大刀の柄を握る。

 小刀が地面に落ちるよりも早く、自分は両手持ちにした大刀を斜めに捻った。

 相手の左脇に切り抜ける形で踏み込みつつ、押し込まれていた刃を横に受け流す。

 掲げ上げたこちらの刃上を滑っていく相手の刃。

 火花を散らしながら流れる摩擦と重圧を、指先から手首に伝え、肘と肩に流しながら腰のひねりで相殺する。

 刃を流した直後、自分は太刀筋をひるがえして反撃を振るった。


 髑髏面は、受け流された刃を返すのは間に合わぬと判断したのだろう。

 刃を返すのではなく、柄尻を振り戻す形でこちらの剣を……剣を握る腕を打突してきた。


 自分は柄を握る左手にさらに力を込めつつ、右手を横に倒す。

 剣先が大きく半円を描いて、斬撃の軌道を変えた。柄撃を躱し、かつ、縦斬りから横斬りへと変幻した太刀筋が、髑髏面の胴体を背面から薙ぎ払った。


 左手で刀を握り締めて振るい、右手でそれを支えているからこそ可能な重心操作。


 力点と作用点との間に支点が加わることによる技法。

 力点と作用点しかない片手持ちでは、どうしても覆せない決定的にして歴然たる差異。


 苦渋と共に放つ斬撃に返ったのは、硬質な手応え。

 散った火花と響く金属音。


 斬り裂いた布地から覗いたのは黒金の装甲。どうやらコートの下に甲冑を着込んでいたようだ。

 鎧を打ち据えた衝撃は激しく、弾かれた反動で大刀が頭上を泳ぐ。

 片手持ちならば、筋力で無理に抑え込むか、遠心力で大回しに制動制御しなければならない状況。だが、両手持ちの今は右手の返しと絞りで剣速を殺し、振り回すことなく直ちに斬り返すことができた。


 無論、それは相手も同様。


 互いの斬撃は右に左に、小回りに高速に、切り返しを重ねて斬り結ぶ。

 振り下ろされる斬撃を受け流し、返す刃を弾き、撫で斬る剣先を打ち上げる。


 立て続けに鳴り響いた剣戟と弾ける火花。

 ひときわ大きく踏み込んだ斬撃。

 それを髑髏面が真っ向から受け止める。

 互いの刃が交差し、せめぎ合う真っ当な鍔迫り合い。

 拮抗は一瞬。

 再び刃を返して受け流そうとした自分に先んじて、髑髏面は押し込んでいた刃を引き戻した。


 そのまま大きく後方に飛び退いて、最初に対峙した時と同じ位置に戻った髑髏面。


 遠間にこちらを睨みやりながら、手にした刀をくるりと回す。

 途端、刀は再び蒼い炎に包まれて燃え尽きるように消失した。


「……せぬな。二刀を振るう邪道の荒くれかと思えば。一刀に持ち替えた途端のわざの冴え。その剣閃と剣気は凄絶かつ精妙。少なくとも並の武者でないことはようわかった」


 髑髏面は淡々と賞賛を唱えながら、落としていたあのゴルフバッグのような長い筒鞄をつかみ上げた。


「なれば、尋常の試しはこれまでだ」


 髑髏面が筒鞄から引き抜いたのは長柄の槍。

 構え持つと同時に、筒鞄を頭上に放り投げる。


「……ぬ」


 宙を舞うそれを思わず目で追いそうになり、自分は慌てて視線を引き戻した。

 案の定、すでに眼前に迫っている髑髏面の武者。

 その手に握られた長槍が、大きく弧を描いて薙ぎ払ってくる。

 自分は素早く身を伏せてやり過ごすが、髑髏面はすぐに身をひるがえして更なる薙ぎ払いを放った。

 低空のそれを飛び退いて躱し、大きく後方に間合いを開けて追撃を逃れる。

 髑髏面もまた間合いを踏み込んで更なる薙ぎ払い。


 身の丈に迫る長柄の連続薙ぎ。

 しかも、石突きギリギリをつかむことで柄の長さを限界まで生かしたものだ。

 その圧力と衝撃は常人が思うよりも遥かに凄まじい。

 刀で受け流すのは困難であり、さらに、受け流しても反撃できる間合いに相手がいない。

 厄介な戦法だ。

 なれど、だからといって手をこまねいても事態は好転しない。


 ……間合いは、意地でも詰めねばならぬのだ!


 薙ぎ払いをやり過ごした直後に、自分は全力で地を蹴った。長柄の間合いから、一気に剣の間合いへと飛び込もうとしたのだが────。

 当然、それで間合いを詰められるなら苦労はない。

 ひるがえった次の薙ぎ払いが、轟音を響かせて自分の胴体を横薙ぎに打ち据えた。


 重い衝撃と、鳴り響いた堅い音。


 それは腰に提げていた大小の鞘を盾にして受け止めた音だった。

 無論、それで衝撃を殺し切れはしない。肺腑がひっくり返るような圧力の中で、それでも、標的を打ち据えた槍の速度がわずかに衰えた。

 その一瞬を逃さず、左腕で長柄を抱え込みつかみ取る。


 言い訳のしようもない捨て身の策。生身であれば内臓が破れていたかもしれない。

 が、文字通りの死武者しにむしゃたる今の自分は、痛みにひるむ恐れはない。


 髑髏面がすぐに槍を引き戻そうと力を込める。

 片手だけの押さえでは、両手で振り解く動きに敵いはしない。数瞬抗う程度が限界で、そして、数瞬あれば右手の刀で斬り込むには充分だった。


 髑髏面の首筋を狙った斬撃。


 刃が髑髏の首を刎ね飛ばさんとしたその瞬間だった。


 突然、有り得ない角度から襲ってきた一閃に、自分の刃は打ち払われてしまった。

 直後につかんでいた槍が振り解かれ、旋回した長柄が自分の身体を打ち据えてきた。


「……な、バカな!」


 思わず口をついた呻き。

 何だ? 自分の斬撃は何に払われた?

 相手の槍は自分がつかみ、相手の両腕は槍を握り、互いの両足は地面を踏み締めていた。


 では、割り込んできた斬光はいったい何なのだ!?


 打ち据えられた衝撃で眩んだ視界を奮い立たせて、周囲の状況を見極めようと────。

 顔を上げる自分をねじ伏せるように、さらなる打撃が打ち据えてきた。

 一撃ではない。凄まじい連撃が、よろけた自分の身体を次々に襲う。

 衝撃でかすんだ視界の中、まるで無数の長柄武器が振り回されているかのごとき光景を垣間見た気がした。

 それほどに速く、凄まじい槍捌き。


 ひときわ鋭い一撃が、自分の身体を突き飛ばす。

 石突きによる打突。

 穂先で繰り出されていれば、間違いなく串刺しだったろう。


 吹き飛ばされ、激しく地面に叩きつけられる。

 起き上がろうとしたが、上手く四肢に力が入らずに倒れ込んだ。

 痛みがないのでわかりづらいが、相当の負傷を負ったようだ。


 大刀を杖代わりに、どうにか膝立ちになって睨み返す。

 視線の先、髑髏面はすでに得物を収め、戦闘態勢を解いていた。

 最初に現れた時に同じく、槍を収めた筒鞄を背負い、月明かりの中で悠然とたたずんでいる。


「委細承知……!」


 鋭く、そして失望に沈んだ声。


「其方は我が主君にあらず。で、あれば、全ては黒羽根の姫の見誤りであるか……」


 どこか寂しげに虚空を見やり、それから、ゆるゆると頭を振った。


「……否、しかし……邪道の技……それでいてそのたたずまいは……なるほど、確かに似ているのかもしれぬ。ならば、この場で誤りと断じるのは早計か……」


 呟きは祈るように静かに。

 そう思うというより、そうであって欲しいと願うような弱々しくも儚い響き。

 髑髏面は再度こちらを斜に見やってから、ふらりと力ない所作できびすを返す。


「御無礼……つかまつった」


 背中越しながらも丁寧に暇を告げて、そのまま夜闇の向こうへと立ち去っていった。


 ……何だというのだ。


 取り残された自分は、虚脱感に襲われるままに呻きをもらす。

 唐突に現れ、立ち去った髑髏面の武者。因果の銘は確認できなかったが、彼奴きゃつも死人の戦士……ヨモツイクサとやらなのか。


 主君かどうかを見極めると称して挑まれた試合。

 そう、これは死合ではなく試合だった。

 殺し合いではなく試し合い。命を懸けた武人の戦いではなかった。


 少なくとも、相手にとってはそうだったようだ。

 だからこそ、一方的に叩きのめされた上でなお自分は生き存えている。


 地面に突き立てたカラクリ刀。その引き金を数度、空しく爪弾いてみるが、当然に反応はない。

 刀の機能が生きていれば、今少しはマシな勝負にはなっただろう。だが、そういう問題ではないことも重々承知している。


「……こんな無様で、なにが天下無双だ……」


 嘆きは心の底から苦々しく込み上げて、自分は強く強く奥歯を噛み締めたのだった。


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