カワタレヲミトリテ(2)


 闇に包まれた周囲は、元より見渡せなどしないが、それでもここが石造りとおぼしき建物の中なのは推測できた。


 硬い地面、朽ちた空気、闇の所々に転がる壊れた文机や座具の影が示すのは、廃棄されたどこかの……オフィスビル……か?


 どこぞから淡く差し込む、夕日と思しき光を頼りに進む。

 少しずつ、やがてハッキリと強くなっていく夕焼けを目指して歩み続け、ようやく自分は屋外へとたどり着いた。


 彼方に沈み行く朱い陽光。

 夕焼けに照らされた光景は、なるほど、全くもって見覚えのない街並みだった。


 やけに直線的に精錬された石材や、水晶体……ガラス……で、組み上げられた異様な建造物たち。

 石畳に覆われた街路……いや、アスファルトだ。

 異質で見慣れぬ街並み。

 そして、それらの全てが砕け、荒れ、朽ち果てている。


 巨大な〝じなえ〟でも起きたのだろうか? だとしても、それは昨日今日のことではないのだろう。


 荒れ果てた様はまさに廃墟群の光景。

 人影はおろかむくろのひとつも見当たらない。


 斜陽の光の中、己の姿を検める。

 珍妙な出で立ちだった。


 暗色で、ヒモでくくられた具足……スニーカー。

 ゴワゴワと硬い……ジーンズに、やけに鮮やかに白い……シャツ……と、黒革の上衣……ジャケット……か。


 何だろうか?

 どうにも先ほどから、思考の中に奇妙な感覚が混ざる。

 知らないことを知っている……とでも言おうか、自身に馴染みのない知識が自然とわいてくる違和感。


 ……まあ、いい。わからないよりは、わかる方が有益だ。


 元より記憶の欠落した身。今はとにかく、この手に刀を取ることが最重要にして肝要なる事柄なのだ。


 改めて歩を進めようとして、だが、すぐに足を止めた。


 不穏な気配を感じた。

 不穏なのだが、それはある意味で懐かしく、馴染み深い感覚。


「素晴らしい! 我が剣気に応じるその感性。ひとかどの武人とお見受けする」


 大仰な口上を響かせたのは、街路の先、ビル壁が落とす陰の中にひそんでいる男。

 否、ひそんでいたわけではないのだろう。

 言う通り、己の剣気に自分が反応できるのかどうかを見極めんとしただけだ。

 すなわち────。


「もはや互いに名乗る意味は無くなれど、武人が求むるは常に堂々たる勝負なり」


 響き渡るのは再び大仰な口上。

 否、大仰ではないはずだ。聞き慣れた、ありふれた決闘の口上である。


 陰の中から歩み出てきたのは、やはり、時代錯誤な鎧武者のシルエットをした異様な大男だった。

 大鎧に身を包み、兜と面頬めんほおで頭部の全てを覆う重武装。


 ふむ……?


 確かに鎧兜に身を固めるような戦事など久しい。だが、時代錯誤……というほどでもないだろう。


 そのはずだ。


 そのはずなのに、先の口上といい、それらを大仰で時代錯誤だと感じるのはどういうことなのだろう?


 浮かんだ疑問は、しかし、正直なところ、どうでも良いことだったのですぐに流した。

 今は、視線の先に立つ相手を注視する。

 大男のまとうその鎧兜は、良く見れば寄せ集めの資材で組み上げたと思しき歪なもの。

 廃棄された車輌の部材や、斬り裂いたタイヤなどを組み合わせてそれらしく設えただけの、防具としてはお粗末なものだ。

 だが、それでも見た目の形だけはとても勇壮に仕上がっている。

 つまり、それは実際の性能よりも、武者としての体裁を重視した装いなのだろう。


「迷い出て幾日か、ようやく出会えた武の気配。獣や亡者を相手取る空しさにも飽いていたところよ。いざ、お手合わせ願おうか!」


 普通であるはずなのに、大仰に感じる奇妙な口上とともに、大男の武者は腰に差した大小から、大刀の柄を握って抜刀した。

 そのまま、まとう鎧の重さも介さぬ力強い踏み込みで、大上段に斬りかかってくる。


 突然の戦闘。


 否、否だ。突然なものか。


 相手は口上を述べて正々堂々と掛かってきている。

 まあ、こちらが了承していない以上、正々堂々ではないのかもしれないが、相手の都合を考慮して挑んでくる武芸者というのも、それこそ馴染みないものだ。


 自分は意識を研ぎ澄まし、迫る斬撃の太刀筋に集中する。

 その気質を示すような、愚直なまでに真っ直ぐ振り下ろされる剣閃。

 自分は横にそれるでも後ろに下がるでもなく、大きく踏み込んで、その刀の握り部分を交差した両手で受け止め、斜めに突き上げね除けた。


「うぬ!」


 無手にて斬撃をしのがれたことに、驚嘆の声を上げる鎧武者。

 しかし、それはすぐに不敵な歓喜をともなって、さらなる斬撃を繰り出してくる。

 迫る白刃。

 なれど、自分は距離を開けることなく、むしろさらに懐に踏み込んだ。

 放たれる斬撃を、それを振るう腕そのものを受け止め、受け流して、攻撃をしのいでいく。

 刀剣の間合いの内側での格闘。

 やがて業を煮やした鎧武者が、その体格に任せた体当たりを仕掛けてきた。

 自分は敢えて踏ん張ることなくそれを受ける。

 必然、勢いのままに吹き飛ばされた。

 結果として、想定したよりも大きく距離を開いて着地した自分に、斬り込む間合いを計り損ねた鎧武者は、振り上げた大刀を持て余すように静止して深い吐息をこぼした。


「見事なさばきなり、なれど、それは愚弄ぐろうか? 何ゆえに無手のままなのか? 腰の刀を抜かぬのは我を侮ってのものか!」


 お怒りはゴモットモだった。

 刃に刃で返さぬは、武人の礼にモトること。

 だが、約定を違えるのは人の道にモトることだ。


「これは預かり物だ。私闘に用いるわけにはいかぬ」


 素直に告げたつもりだったそれは、けれど、不敵な挑発とも取れる言。

 そして、眼前の鎧武者はそう受けたようだった。


「良かろう。ならば我が携えし全てにて、その刀を抜かせて見せようぞ」


 鎧武者は口上とともに、手にした刀を腰だめに構え直す。


 自分は改めて、その刀の大振りさに気づいた。


 いや、それは刃が大きいのではなく、そこに施された細工のせいだと理解したのだ。


 柄に銃器のごとき引き金がついており、刀身の鍔元つばもとから半ばまでのみねには……スライドカバー……のごとき部品が覆い、気孔らしき細長い溝状のあなが並んでいる。


 カラクリ仕掛けの刀剣?

 そう認識した時、鎧武者はその指先を刀の引き金に掛けた。


「いざ、参る!」


 踏み込みとともに響いたのは、乾いた銃声。

 火薬が炸裂するのとは違う。圧搾した大気が爆ぜるような空音を奏でて振り放たれた横薙ぎの一閃。


 その速度、まさに尋常にあらず。


 それこそ自分は気圧されるままに、半ば倒れ込む形で地に伏せて、ギリギリで頭上を走り抜ける斬撃を見送った。


「まだまだ!」


 鎧武者の叫びと、再び引きしぼられる引き金。

 ひるがえった刃が、銃声ととも斜めに舞い戻ってくる。

 急角度の切り返し、だが、あれほどの全力で振り抜いた斬撃を、停止も減速も皆無で急角急速度で返すなど、人のわざとは思えない!


 岩燕いわつばめすらで斬りに刻みそうな鋭角の剣閃に、自分はかわしきれず、左の二の腕を斬り飛ばされてしまった。


 斬撃の衝撃は重く、傷口から蒼い炎が燃え上がる。

 この炎は何だ? それに、本来伴うはずの激痛と出血が皆無……いや、それよりも腕が!?


 片腕ではを振るえない!


 斬り落とされた左腕を慌ててつかみ取り、その断面同士を繋げるように押しつける。狼狽の余りに血迷った行為。そんなことをしても斬られた腕が普通は繋がるわけがない。


 普通なれば……だが、どうやら今の自分は普通ではないらしい。


 合わせ目から上がる蒼炎が、ひときわ激しく揺らめいて消失する。

 蒼炎が消えた後には粘土細工を捏ね合わせるように歪に、けれどしっかりと癒着して繋がった左腕。わずかな違和感と麻痺があるが、それもすぐに癒えそうだった。


 安堵とともに大きく飛び退いて逃れる自分。

 鎧武者にとっては、斬られた腕が繋がることなど承知の事象だったのだろう。動じることなく、なおも斬り込んでくる。


 太刀筋は迅速にして鋭利。

 何より、その切り返しの角度と頻度が異常である。

 圧搾した空気の炸裂音。その度に剣閃はひるがえり、時に加速し、縦横無尽に空を裂き走る。

 かつて見たこともない変則にして妙なる太刀筋だった。

 本来に想定される剣技としての動きから逸脱した、異形の太刀筋。


 おそらくは、それがあの刀に仕込まれたカラクリなのだろう。


 引き金を引きしぼることで気孔から圧縮ガスを噴射し、斬撃の速度や軌道を調節しているようだ。


 ならば、読むべきは刃の流れではなく、あの引き金をしぼる指先だ。


 振り抜かれる斬撃の半ばにて、鎧武者は刀を握る手の首を返した。

 斬撃の中途にて巻き返す、無減速かつ、さらなる加速をともなった百八十度の切り返し。

 本来なら有り得ない、予測不能な太刀筋。

 けれど、その指先の動きによって一瞬早くそれを読み取った自分は、鎧武者の、その刀を持つ腕の内側に全力で飛び込んだ。


 圧搾空気の噴出で加速する斬撃。

 それは言い換えれば、自身の膂力りょりょくを超えて加速する斬撃。その振り動く腕の勢いに乗せて、自分は鎧武者を背負い投げようと……。


慧眼けいがん、見事! なればこそ、オヌシがそう読み取るであろうは我が予測の内ぞ!」


 鎧武者は口上とともに、左の膝を跳ね上げた。

 脇腹をしたたかに蹴り上げられて、自分はもんどり打って転倒する。


 あるいは、得物があれば攻め手が別れ得たであろう。けれど、鎧を着込んだ相手に無手での近間では、組み付く以外に有効策がないのが道理。


 ならば、読まれるのもまた道理であった。


 自分が己の未熟に歯噛みする間にも、鎧武者はトドメの斬撃を振りかざす。

 勝機に奮い立つ殺気。


 だが、何だ!?


 眼前に燃え上がるそれとは別に、もうひとつの殺気を感じて、自分はとっさに右腕を動かした。


 刹那せつなに飛来したのは、二本の矢弾。


 自分は薙ぎ払った手刀でそれを叩き落とせたが、鎧武者は左の二の腕に被弾した。傷口から蒼い火花が散る。その衝撃のままに斬撃がそれ、振り下ろされた刃は自分のすぐ脇の地面を抉った。


「優勢だった方は直撃で、劣勢だった方が防いだか……。どっちが強えのかハッキリしろよオマエら」


 あきれも深く響いた笑声。

 倒壊した瓦礫がれきの、斜めにかしいだ石柱の上に陣取った人影。

 弓を手にしたそいつは、自分と鎧武者との双方を見やって、口の端を歪めた。そして、構えた弓に新たな矢を番える。


 鎧武者は腕の矢を引き抜き、向き直った。


「おのれ、武士の決闘に横から茶々を入れるとは言語道断なり!」


 怒りもあらわに叫ぶ鎧武者に、弓兵は心底からウンザリと、


「よせよオッサン、そういう武士道全開なノリは御免なんだよ。戦いたいなら、黙って死力を尽くせアホウが」


 礼儀にもとる返答に、だが、鎧武者は深く同意を返した。


「然り。我らは、戦うために黄泉返よみがえったのだ!」


 口上とともに、鎧武者は地を蹴った。

 右手の大刀を振りかぶると同時に、左手で脇差しをつかみ、抜き放ち様に投擲とうてきする。

 飛来する刃を回避した弓兵。だが、それは結果として石柱から飛び降りる形となり、


「ぬん!」


 鎧武者の気合い一閃。

 放たれた大刀の斬撃を、しかし、弓兵は石柱の半ばを空中で蹴りつけて跳躍し、回避する。

 未だその身が空にあるままに、弓兵は番えた矢を撃ち放つ。


「……〝散華サンゲ〟……」


 ポツリと、弓兵が何ごとかを呟いた。

 直後、放たれた矢の、そのやじりが無数に分解され、あたかも散弾のごとく鎧武者に殺到する。

 鎧武者の方は一瞬驚きはしたものの、殺傷力は弱しと断じたのだろう。散弾を鎧の装甲で弾くに任せ、刃を返して斬りかかった。


 だが────。


 自分は戦うふたりの頭上を仰ぎ見る。


「矢は、もう一本放たれていた」


 自分の呟きは単なる独白で、だから、鎧武者には届くわけもない。

 しかし、鎧武者は自らの戦士の感性にて察知したようだ。

 頭上から降ってきた矢弾を見上げて、大刀の引き金をしぼった。


 おそらくは最初に奇襲してきた時に、すでに頭上高くに打ち上げられていたのだろう。時間差で降ってきたその矢を、鎧武者は大刀のジェットを使った切り返しでギリギリ薙いで打ち払おうとしたが……。


「……〝砕波サイファ〟……」


 弓兵の呟き。

 それに応じ、迫る鏃が小規模な爆発を起こした。

 小さくも強力な爆風を浴びた鎧武者。

 それでも鎧武者は怯むことなく、むしろ、より力強い踏み込みで、眼前に着地した弓兵に斬りかかった。


 大きく間合いを詰められた弓兵だったが、逆に踏み込んできた武者の脇下から背面に回り込み、その身体を踏み台にして跳躍する。

 空中で身をひるがえし様、新たな矢を番えて引きしぼった。

 振り仰いだ鎧武者もまた刃を斬り上げる。


「「いざ、尋常に!」」


 鎧武者と弓兵の双方が喉を震わせ気概を叫ぶ。

 跳ね上がる斬撃と、撃ち放たれる矢弾。


 どちらの一撃が先に届くかという、その勝負のきわで、


南無八幡大菩薩なむはちまんだいぼさつ、願わくば、この矢を外させたまふな!」


 弓兵の口からこぼれた祈願。

 苦みを噛み締めるようなそれとは対照的に、放たれた矢は豪速に真っ直ぐに、容赦なく、鎧武者を目がけて飛び……。


 そして、その射線は兜をギリギリかすめて


 躱されたのではない。外れたのだ。

 あれだけの腕前をもっていながら、この局面で外すだと?


 当の弓兵は苦渋も激しく舌打ちする。ならば、わざと外したわけでもないのだろう。


「ッ、〝砕波サイファ〟!」


 ヤケクソのような弓兵の叫びに呼応して爆裂した鏃。

 至近の爆風で鎧武者の兜が砕け散る。

 鎧武者は衝撃に大きく体勢を崩しながらも、大刀の引き金をしぼって斬撃をね上げた。


 鳴り響いた剣戟けんげき音。

 火花とともに大刀を弾いた弓兵、振り抜いたその手には短くも大振りな山刀のごとき小刀が握られていた。


 互いの攻め手が交錯した死生の極み。


 このまま、振り切った双方の刃のいずれかがひるがえれば、今度こそどちらかが絶命するであろうその瀬戸際で……だが、鎧武者はその絶好の勝機に動こうとはしなかった。


 大刀を振り抜いた体勢のまま────。

 呆然と西の空を、そこに広がる黄昏たそがれの光を見つめている。

 兜が砕け散り、あらわになった鎧武者の顔。

 そこに浮かぶのは、感無量の充足感。

 鎧武者の額に、紋様が刻まれている。

 漢字の〝闘〟を梵字のごとく装飾的に描いたようなそれは、鎧武者の強い歓喜に応えるように、今まさに燃え尽き逝く命の炎を表すように、朱くまばゆく輝いていた。


「……おお! ……〝いざ、尋常に〟……! まさしくこれこそが武の本懐、我がついついまでに果たせなかった〝因果〟である!」


 刻印の放つ光が鎧武者の身体を包み込む。

 彼は己の力を尽くした戦闘に、その死闘の在り様に、勝敗の結果を超えたを見出したのだろうか?

 まるで至福に包まれたかのように、満ち足りた笑いを浮かべながら、


 の武者は、夕焼けに燃え尽きるように消失したのだった。


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