応援コメント

カワタレヲミトリテ(1)」への応援コメント


  • 編集済

    アズサヨシタカ様
    この度は企画へのご参加ありがとうございます
    麗玲と申します。

    >魂魄の欠落を示したコトワリ。

    >〝十〟に至れぬ、欠けた〝一〟を示す、因果の銘

    この辺の意味がちょっと解らなかったのですが。

    『先代旧事本紀』(巻第三 天神本紀)では
    「天神御祖教詔曰。若有痛處者令茲十賓謂一二三四五六七八九十而布瑠部。由良由良止布瑠部。如此爲之者。死人反生矣」
    訳「天津神の御先祖は次のように教え諭された。もし苦しみが訪れたらならば、この十種の宝をヒト・フタ・ミ・ヨ・イツ・ムツ・ナナ・ヤ・ココノ・タリと言って振りなさい。ゆらゆらと振りなさい。この様にすれば死んだ者も蘇生します」
    という内容が記載されていて、神道の祝詞にもありますが、関係はございますでしょうか。

    以前、古事記や日本書紀関連の伝奇作品の二次小説やらゲームを作成していたのですが、結構元ネタとか知りたくなるタイプなのです。
    いきなり変な質問ですみません。

    作者からの返信

    応援コメントありがとうございます。

     元ネタは指摘の通り〝ひふみ〟の祝詞です。

     まずはそのまま、死者を蘇生する祝いとしての手順が、あとひとつ足りないので蘇生(作中の場合は成仏や転生)ができない。

     アマノイワトからアマテラスオオミカミを呼び出す際に、アメノウズメが〝ひふみ歌〟を歌ったところから、十まで歌えていないのでアマテラスが出てこない……夜が明けない。

     神霊を鎮める祝詞としての〝ひふみよいむなやこともちろらねしきる ゆゐつわぬそをたはめくか うおゑにさりへてのますあせゑほれけ〟(霊を慰め、万の災いを鎮めて、全てを幸たる状態にする)など……。

     作中の死者たちが祝いにせよ呪いにせよ、現状を解決して次の段階に進むために、あとひとつが足りない……作中では悔いや無念を〝因果〟と称し、それを果たして己を縛るものに決着をつけることで、最期の一手順を踏む……〝死した魂が無念に縛られて成仏できない〟という状態を、作中で黒羽根の影姫が〝ひふみ歌〟になぞらえている形です。

     つまりあくまで作中の主人公たちの状態を、作中の登場人物が〝ひふみ〟に例えた発言であり、黒羽根のキャラ背景などに関わる要素として描きました。
     なので、何らかの神事や記述、伝承などに〝魂魄の欠落を示したコトワリ〟として〝ひふみ〟が描かれているわけでもありません。


    ※私なりに調べつつ描いていますが、間違いや誤訳などがあったら申し訳ありません。

    編集済