第1話 中編

 その後は何事もなく宿へと戻った。

 ヒトの姿はちらほら見かけるも、既に上に広がる空は照らす灯を含んではおらず、辺りはひっそりと闇の中へと溶け込んでいく。自室の扉を開けると、部屋中はまだランプのおかげで微かに明るさを保っていた。

「ただいま戻りました。」

「おかえり、特に問題はなかったか?」

「はい、これといって問題はなかったです。」

 柔らかい笑顔を見せつつ、私は自分の身体に纏っていた外套を床に畳んで置くと、その隣に腰を下ろす。この部屋には机が一つ、椅子が一つ、ベッドが一つ。ありふれた宿の形態である。フォスが就寝するためのベッドに座る訳にもいかず、残る椅子も現在フォスが座っているため、私は当たり前のように床へと腰を下ろしている訳である。しばしの沈黙に、ランプに潜む仄かな明かりを見つめながら思い悩む。あのあと、奴隷はどこへ連れていかれたのだろうと。

「あの、今日街を歩いているとき、奴隷を見かけたんです。」

 街中で見かけた奴隷の姿を思い浮かべながら、ふと、そんなセリフを吐いた。独り言のような、決して大きな声量とは思えなかったが、夜中ということもあり微量な声量もはっきりと響いて通る。

「ヒトがいるのなら、奴隷もそれ相応にいよう。小さな村々ですら、格差が起こり得る世界だ。」

「はい、それは理解はしています。でも、やっぱりなんか、見ていて気分の良いものではないです。」

 フォスは、机に広がる文献に落としていた視線をこちらへと向ける。

「前にも言ったが、同じ形をしていてもヒトと奴隷は違う。アレはヒトの産み出した新たな種だ。奴隷が飼われていることに違和感を持ってはいけない。それは、この世の摂理に対して違和感を覚えることと大差はない。」

 知れたことだ。幾度となく見聞きしたその事実は一般教養として理解はしている。周りのヒトたちもその事実を不思議に思わないし、日常の一部としてしか認識していない。故に、私が言葉にできない鬱屈としたこのココロの得体は、奴隷をヒトと重ねてしまう、普遍的な事実を受け入れられない自分自身。いつまで経っても、当たり前の事実に順応することのできない愚劣な私に対して、私は自暴自棄になっているだけである。

「ただ、どうしてもその事実を受け入れられないのなら、自分自身で折り合いをつけられる答えを見つけるしかない。」

 フォスは最後にもう寝なさいと言葉を添えて、再び机に広がる文献へと視線を戻した。晴れないココロとともに、私はベッドの足を背もたれにして、その日は就寝をとることにした。


 朝の目覚めは早い。まだ街は粛然たる空気に満ちている。フォスと共に宿を発ち、目的地の場所に徒歩で移動する。

「あの、向かっている先って領主の館ですか?」

 この街に立ち寄った目的を私は曖昧にしか理解していない。この街を治める領主から依頼として呼ばれたらしく、その内容はフォスから端的に聞いただけである。

「ああ、何やら込み入って話があると。ただ、あの依頼文から大方想像はつく。」

 依頼文というのは今も尚珍しいものだ。紙と呼ばれるものは庶民が手に取れる代物ではなく、加えて羽ペンも高級品である。普及率は低いものの、フォスが住んでいた館には聖書を含む文献が多く残っている。私もまだハッキリとは知らないが、フォスの一族は代々、導師と呼ばれる神の遣いを輩出する決まりがあるらしく、この世で唯一、魔法が扱える一族なのだという。そのため古代から七人の王に直属で支えており、生けるヒトを正しい道へと導いてきたのだろう。

「そろそろ領主の館が見えてくる頃だ。前もって言っておくが、館の中に住むヒトには挨拶くらいはしておきなさい。」

「はい、分かっています。」

 フォスの言う通り、館と思われる建物が姿を現わす。大きな石造りの建築で、木造の民家と比べれば妙々たる見栄である。門に取り付けられた扉に差し掛かると、フォスは慣れた手つきで扉にかけられたまじないを解いていく。このまじないは、王の加護と呼ばれるものであり、本来ならば王か領主、そして導師しか解くための鍵は与えられていない。

「では、入るぞ。」

 扉は鈍い音を上げながらゆっくりと開きいていく。石畳の地面に摩擦する音が止んだのち、私たちはその示された順路に沿って領主の館の前へと足を運んだ。


「こんな場所まで足を運んでもらって礼を言おう。ありがとう、フォシウス殿。」

 笑顔で出迎えてくれた男性の名はサピィ伯爵。この地を治める領主である。フォスと伯爵が挨拶を交わしたのち、私は続いて会釈をしておく。

「ああ、久しぶりだな。この街もあれから随分と大きくなったものだ。」

 フォスは自然な笑顔でそう告げると、伯爵と共に館へと足を踏み入れる。館の中は想像していた以上に質素で、煌びやかな装飾は見当たらない。所々に真新しい、私としては未だ記憶にない装飾が細かくされてはいるものの、それでもやはり印象には薄いものである。そして、気づいたことに宿と同じで薄暗いのだ。ランプで部屋に明るさを灯していても、窓は少なく、陰気なイメージが先入観として湧いてしまう。

「さて、今回呼んだ件について詳しく話を聞こう。例の部屋へ案内を。」

「分かりました、ではこちらへ。可能なら、今回の件は内密にお願いします。」

 伯爵に続いて私たちは館の中を移動する。所々の壁は木々のパネルで覆われており、幾人かのヒトの肖像が装飾として彫られている。それはまるでパズルのように連なっており、移動の最中はそちらにばかり視線が向いてしまっていた。

「こちらの部屋となります。」

 伯爵は部屋の出入り口に設けられた重い扉を開き中へと招く。フォスと私は共にその部屋の中へと入ると、辺り一帯を左右確認した。たしかに、この部屋は普通ではないと、直感ではなく事実として受け入れることができた。そこはまるで安置場のような、死したヒトの骸を内包する異色の空気で満ち満ちていた。そして、その原因も目の前に広がる光景に直結している。

「これは…、?」

 そこには何十体ものヒトが仰向けに並べられていた。目を見開き、口を上下に動かしていることから、死体のように思えても未だそれらは、生きたヒトであった。



〈あとがき〉

 読んでくれてありがとうございます。

 今回を後編にするつもりが、無理やり中編を間に挟ませてもらいました。おそらく次で1話は終わると思うので、是非読んでいただけなら嬉しいです。

 急ぎということもあり、所々適当になってしまっているため、後日所々に訂正を加えるつもりです。

 基本的に2日に1話更新という形です。

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