ウィウレの頭蓋

のりもり

第1話 前編

 古色蒼然とした地を踏み歩き、風化した世界が目の前に広がる。

 世界は神さまが創り出した物と相場は決まっていたものの、ヒトが踏み荒らせば途端に完璧性は失われる。安寧と文明は裏表。ヒトが世界に染み込んだときから、おそらくは神さまも予感していたのではないだろうか。永遠の崩壊と、終末の幕開けを。


「ここもダメか。」

 伽羅色の薄い外套を羽織り直し、大きなため息とともにフォスという導師は珍しく弱音を吐いた。廃れた集落に向けて感慨深く視線を送っていた前とは違い、見慣れた地獄に失望したかのような、悲観と諦観に満ちた様子で彼はその場を後にした。

「これからどうしますか?」

 私はというと、世界の終わりに向けたカウントダウンの予感に焦るわけでもなく、ただ今日という日を乗り越えることに躍起になっていた。自分のことだけで精一杯で、ヒトという大きな括りを俯瞰して見渡せるほど私自身、大者ではない。その手のものは、英雄や王さまに属する者が率先して行えばいい。

「日も落ちてきている、今日のところは宿に戻って休むとしよう。」

「分かりました。」

 その言葉に同意して、私は手配していた荷馬車へと向かう。荷台というのは物としてヒトを乗せることにも活用できるため、移動運搬において汎用性は高いものである。決して乗り心地は良くないが、上級の貴族階級の身分でもない私にとっては文句を言えるほど悪い乗り物ではない。ありがたく他の雑多な荷物と肩を並べて腰を下ろす。

「少しこのあと、街に出ても良いですか?」

「別に構わないが、何か欲しいものでもあるのか?」

 フォスは少しの間、悩んだあとにそう聞き返す。

「いえ、欲しいものがあるとか、そういうことではないのですが。ただ、少しヒトの街を見てみたいなと思ったので。」

 私は荷台の床に使われている、黒みがかかった木材の割れ目に目を向けながら自信なさげにそう答える。

「そうか、なら私は先に宿に入っておこう。あまり遅くならないうちに帰ってくるようにしなさい。」

「はい。ありがとうございます。」

 フォスからいつもの笑顔を向けられ、了承の返事をもらい一安心すると、私は乗り心地の悪い荷台に揺られながら木箱に寄りかかり、少しの休眠に意識を夢へと傾けた。慣れない旅は、私に大きな疲労感を募らせる。辛いことばかりだし、フォスはともかく私にはハッキリとした目的はない。ただ、自分探しの旅のような、私がヒトとして何ができるのか、そういうものを自分自身の手で見つけてみたいと思い、フォスに付いているだけである。それでも、良かったと思えることはある。それはさまざまな街で、さまざまな文化圏に生けるヒトたちに触れることで、世界の広さを痛感できることだ。


「着いたぞ。」

 聞き慣れた声が聞こえた。瞼を開けてから少しの間、ハッキリと自分の意識があることを確認してから荷台からゆっくりと降りる。刻は夜へと進みつつあり、昼間に比べれば多少薄暗い。夜になれば仄かな明かりに依存するほかないため、誰も彼もが早めに寝てしまうのが常である。そのため、街を回るといってものんびりとしている暇はない。

「では、日が落ちきる前には宿に戻るので、私は先に行きます。」

「ああ、気をつけてな。」

 フォスの声を聞き届けて、私は軽くなった体で活気溢れる順路に沿って足を動かしていく。側から見れば良い街として目に映る。子供が笑顔だ。女性が笑顔だ。この街は、まだ絶望に侵され尽くしていない。石造りの街路を早歩きで進みつつ、私は高台を目指す。今までの旅路の中で最も栄えているように思えたため、外見上の全貌だけでも記憶に留めておきたかった。

「あそこか。」

 高台へと登るための階段を見つけて、そちらへと向かう。過密な街路を縫うように進み、駆け足でこの階段の最上段まで登り行く。この階段を登った位置には街を展望できる場所となっており、そこからさらに長く石レンガの積まれた階段が続いているが、これ以上先へは進むことはやめた。祭祀や儀式にでも使う、この街でいう神聖な場所なのだろう。この先には神々を模した像や装飾がされた荘厳な建物が幅広く置かれている。私はその威厳のありそうな雰囲気を纏った建物から、ヒトが地に足つけて生活している街へと視線を向ける。

「………。」

 外観だけなら、今残る六つの王国に及ばずとも妙々たる見栄である。その広大さに息を呑み、余りにも狭い場所で生きてきた自分がちっぽけな存在に感じてしまう。不思議と笑みは尽きない。その姿は些か年相応とは思えない振る舞いであるが、私のココロは未だ幼少期のままなのだ。思春期というものを越えてなお、抑圧されてきた好奇心が中で疼いて時折このように無邪気な笑顔を自然と晒してしまう。この風景を胸に、徐々に日が落ちてくる刻に急かされて、宿へと戻ろうとその場を後にした。


「はやく出ろ!」

 行きとは違う、狭い街路を歩き帰路についていた頃、ふとしてそんなセリフが近くから聞こえてきた。苛立ちが含んだその声に反応して、私はその現場を覗き見してしまう。

「あれは…。」

 視界に入れた瞬間に分かること。ヒトの数として三名。一人は長身の若い男性、もう一人は小太りの顔を歪ませた男性。そしてもう一人は、ほかの二人とは明らかな違いを感じる。痩せ細った脆弱な体に、珍しい鉄製の足枷に繋がれた、おそらく脱走しようとした男性の奴隷だろう。私は歩いていた足を止めて、少し様子を見ることにした。

「おら、さっさとこいつに乗れ!」

 男たちは有無を言わさず奴隷と思われる男性を荷台へと詰め込もうとするが、程々に苦戦をしているように見えた。

「それにしてもこんな場所に隠れていたとは、誰の入れ知恵かな。」

「そんなこと、あとでいくらでも吐かせればいい。先にこいつを連れていかねぇと商売にならねぇ。」

 躾を幾度となく行い、奴隷の男性は気を失ってしまった。口元だけでく、体のあちこちで血が滲み出ている。その光景に対して言葉に表しにくい厭わしさを感じていた私は、腰に携えている剣の握りに手を添える。摂理に抗うつもりはないが、同じ形をしているものが傷ついていく姿をこれ以上、見て見ぬ振りができそうにもなかったからだ。刃を見せず、鞘を抜かずして、二人の男性を殴り倒す。そう意気込み、右足に力を入れた途端、背後から声が聞こえた。

「やめておけ。ヒトがいないとはいえ、殺気を街中で出すのはどうかと思うぜ。」

 いつのまにか肩に手を掛けられており、私は驚きに任せてその手を荒々しく振り払った。

「おっと、そんなに警戒しなくても怪しいヒトじゃないって。」

 目立たない薄灰色の羽織を身に纏った、茶髪の陽気な男性である。

「…………。」

「おいおい、本当に怪しいやつじゃないから、そんな目で見るなよ。」

 雰囲気からして不思議と警戒はできない。いや、存在からして脅威とは感じ得ない。ただ、ヒトから自然に話しかけられることにあまり慣れていないため、言葉が出てきていないだけである。

「まあいいや、あんまり街中で騒ぎは起こさないでくれよ。さっきお前が何をしようとしていたのかなんとなく分かるけど、奴隷が欲しかったら奪うんじゃなくて、ちゃんと商人とか通さないと罰金取られるぜ。」

 彼はそう言うとじゃあなと手を振ってその場から去って行ってしまった。ほんの一瞬のことであったが、先ほどの路地に視線を戻すと、既に男性たちと奴隷を詰んだであろう荷台は共に姿を目にすることはできなかった。


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