第31話「秘すれば花は、誰の花」

 危機は去った。

 あっけないほどに、簡単に。

 ラピュセーラーに変身した宮園華花ミヤゾノハナカは、最後の力を振り絞るようにサンプル零号ゼロごうを持ち上げ、連れ去ったのだ。

 一人と一匹が消えた空に、猛疾尊タケハヤミコト呆然ぼうぜんとして瞬きすら忘れる。。

 開いた目の網膜に蒼天そうてんが映っているが、彼はなにも見てはいなかった。

 あまりに突然のことに、思考が追いつかない。


「おい……なんだよ、それ。なんだよ、どうして!」


 混乱の中で、怒りといきどおりが湧き上がる。

 尊の気持ちを代弁するように、"天羽々斬アメノハバキリ"の全身に漆黒が燃え盛る。火闇かえんが逆巻く中で、駆動音はまるで獣の慟哭どうこくのようだった。

 まさか、華花がこんな行動に出るとは思わなかった。

 海の向こうへ消えた少女は、きっと最初からこうするつもりだったのだ。

 突然変異とも思える驚異的な強個体、サンプル零号。深界獣しんかいじゅうによるブロークンエイジで、多くの人間に因縁と恩讐おんしゅうを刻み込んだ敵は、危険な破滅の力を溜め込んだまま連れ去られた。

 立ち尽くす尊の隣に、気付けばタケルの"叢雲ムラクモ"が立っていた。


『あらかた片付いたね。それに、ラピュセーラーなら大丈夫さ。だって、神の祝福を受けた、光の救世主メシアだよ?』

「だ、だよな。平気だよな」

『ラピュセーラーは、ね』

「……どういう意味だ?」


 聞き返した直後、軽い衝撃が振動となって伝わる。

 逆の隣を見下ろせば、予備機の"叢雲"が"天羽々斬"の脚を蹴っ飛ばしていた。

 ルキア・ミナカタの声は、いつもの強気で小憎らしい響きだったが、わずかに湿り気を帯びている。


『アンタね、尊! ぼさっとするなっての!』

「でも」

『でもじゃないですー、このバーカ。ラピュセーラーは無敵だけど……華花はどうなのさ』

「それは……」

『アンタが守りたいのは、誰なのかって言ってんの! 言わせんなよー、もぉ』


 ルキアの言葉で、はっとする。

 突然のことで凍りついた想いが、音を立ててひび割れる。忘我ぼうがの時を脱ぎ捨て、再び尊の気持ちに火が灯った。それは熱く全身の血をたぎらせる。

 言われて改めて、自分がやるべきこと……やりたいことを思い出す。

 ならば、猛疾尊は最後までやり通す。


「そうだった……サンキュな、ルキア。タケルも」

『そゆとこだぞ、尊。ほら、さっさと行った行った』

『お姉ちゃんにはなんでもお見通しさ。急いで、ラピュセーラーはマッハ4で太平洋上へ遠ざかってる。でも……多分、その機体なら追いつける』


 タケルの言葉に大きく頷き、尊は"天羽々斬"を海へと向ける。

 飛べる……以前の"羽々斬ハバキリ"とは違う。

 鋼鉄の鎧と共に、黒き炎をまとったこの"天羽々斬"ならば、飛べるのだ。

 尊は機体をチェックしつつ、飛行機能を解放させた。


「じゃあ、ちょっと行ってくる!」


 全身の各所で燃える黒焔こくえんが、螺旋らせんうずを巻いて天へと昇る。

 重々しい一歩を踏み出し、あまりにもあっさりと"天羽々斬"は空へと舞い上がった。いかつい巨躯きょくからは想像もできぬ軽やかさで、まるで重力を忘れたかのよう。

 青空を切り裂く黒い流星となって、尊は一人の少女を追いかけ始めた。

 絶え間ない加速に、ミシリと尊の全身がきしむ。

 表示された速度は、マッハ10……この程度のGで済んでいるのは、恐らく高度な慣性制御システムが搭載されているのだろう。それでも、シートへ押し付けられる尊の呼吸は苦しく、全身の血が逆流するかのように視界が暗くなってゆく。


「意識が……くそ、減速を。……いやっ、駄目だ! もっとだ……もっと速く!」


 さらなる加速で、"天羽々斬"は疾風かぜになる。

 尾を引く炎は、まるで暗黒の嵐を引き連れた魔神だ。

 わずかに意識が途切れた、その刹那……尊の脳裏を過去の声が過ぎった。


『えっ? わたしを護衛、ですか? ……なんで? ねえ君、学校は? 中学生って今日は休みなのかな』


 これは、初めて華花に会った時の思い出だ。

 丁度ちょうど一年くらい前、パイロット以外の任務として尊が与えられた仕事……それは、ラピュセーラーの正体である宮園華花の護衛だ。華花の秘密を守り、華花の正体を一部の人間が知っているという秘密も守る。


『ああ、そっか……わたしのこと、援助してくれてる、ええと? 資産家? そう、足長おじさん的な。え? 運転手も? ほうほう……送迎してくれるんだ』


 第一印象は、背が高い、胸が大きい、髪が長い……総じて、綺麗だと感じた。勿論もちろん、尊が同世代の男子としては小さいのだが、それを差し引いても華花は美しい容姿をしていた。

 そんな見た目を裏切る、マイペースで子供っぽい、無邪気で素直な性格。

 そして、これと決めたら初志貫徹しょしかんてつしんが強くたくましいメンタリティを持っている。

 自分と同じ、ブロークンエイジで家族を……全てを失った女の子。


『わわっ! みこっちゃん、なんでわたしのマンションに? ああ、猛疾尊だから、みこっちゃん。かわいいでしょ? それより……えっ? 隣の部屋に住んでるの!? ……もしかして、ストーカー?』


 気付けば、華花と一緒の時間はどんどん長くなっていった。パイロットとして戦っている時も、そんな日常に生きて戻ると強く思った。12年前の大災害、ブロークンエイジで失った気持ち……祈ったり願ったり、人を想ったりする心が蘇った気がした。

 だが、尊はあくまで閃桜警備保障せんおうけいびほしょうの社員であり、護衛兼運転手だ。

 だから、極力自分の気持ちに気付かぬふりをしていた。

 恋だと認識せず、好意を無視し続けたのだ。

 一番の秘密は、尊の中でずっと大きくなり続けていた。


「――ッ! 今、意識が……! い、いた……追いついたぞ、華花っ!」


 広がる太平洋の上空で、尊はラピュセーラーを発見する。

 互いに高速で飛んでいるが、今は"天羽々斬"の方が速い。やはり、ラピュセーラーのダメージは深刻なのだ。

 だが、気付けば尊は鼻の奥がツンと痛む。

 こんな緊迫した中でも、真後ろからラピュセーラーのスカートの中が見えて、頬が火照った。どうしようもない奴だと自分でも思ったが、今は苦笑する余裕すらない。


「ラピュセーラーッ! 待て、なにをする気だ……サンプル零号は爆発するぞ!」

『来ないで! みこっちゃん、わたしなら大丈夫だから……お願い』

「嫌だ! お前が地球を、人類を守る救世主なら、それでもいい。ラピュセーラーはそれでいい! けどなあ!」


 一気にフル加速で、尊の"天羽々斬"がラピュセーラーを追い越す。

 行く手を遮って急停止すると、機体の両手を広げて行く手を遮った。

 動かなくなったサンプル零号を掲げて、ラピュセーラーも目の前で静止する。もうサンプル零号は虫の息だが、確かに生きている。そして、その体内のエネルギーは膨れ上がりつつあった。

 傍目はために見ても、サンプル零号の肉体が内側から溶け始めているのがわかる。


『みんなは巻き込めないから……みこっちゃんは絶対、巻き込みたくないから!』

今更いまさらそんなこと言うなよ。俺は、それがラピュセーラーの使命だと言うなら、納得できないけどしかたないと思う。でも、でも教えてくれ!」


 海風が、ラピュセーラーの長い金髪を棚引かせる。

 その輝きの中に、ほおを伝って光るしずくが入り混じっていた。

 今にも泣きそうな自分が、もう泣いていることにラピュセーラーは気付かない。何故なぜなら、それは光の救世主が流す涙ではなく……一人の少女がこぼす涙だからだ。


「宮園華花! お前を助けたいんだ! 俺を、こんな俺を好きだといってくれた女の子を、俺は助けると決めたんだ!」

『みこっちゃん……』

「教会の教えとか、神の使命とか、そんなことは知ったとじゃない! 俺は、華花! お前を救いたい! 皆を救うために捨てられる、俺の好きな人を拾いたいんだ!」


 秘密を、打ち明けた。

 互いに相手が気になっている、憎からず思っている……とはよくいったものである。心の奥底に鎮めるほどに、想いの輝きは強くなる。隠すほどに膨らみ、溢れかえる。

 尊は"天羽々斬"の手を伸べ、ラピュセーラーの涙をぬぐってやる。


「俺はラピュセーラーごと、華花……お前を守る。ついでに世界も救ってやる! そいつをここで爆発させれば、なるほど被害は出ない。けどな……お前のいない世界が平和になっても、俺は全然嬉しくない!」

『うん……うんっ。わたしも、みこっちゃんともっと生きたい。おちびちゃんでも女装好きでも、あとちょっと鈍感で朴念仁ぼくねんじんだけど、みこっちゃんと生きてきたいよぉ』

「お前、あとで説教な。あとで説教するから……必ず今、生き残れ。で? そいつをどうするつもりだった。爆発させるならこのあたりで捨ててもいいんじゃないか?」

『……終わりにするって、決めたから。この子のたくわえたエネルギーなら……全てを終わらせられると思ったの』


 華花は静かに言葉を紡いだ。

 丁度この真下は、マリアナ海溝……その奥深く、最深部に謎の空間がある。尊の父親である猛疾荒雄タケハヤスサオが、ふちと呼ぶゲート。異界に繋がっているとされており、深界獣が絶え間なく溢れてくる。

 まさしく地獄の入り口……深淵へと至る奈落アビスだ。

 12年前、淵の周囲に満ちた謎の高エネルギー体を巡って、世界中の国々が群がってきた。私利私欲に駆られた者たちからそれを守り、全て封印するために荒雄は淵を破壊した。

 だが、失敗した……結果的に淵を刺激し、深界獣の群れを地球へと呼び込んでしまったのだ


『みこっちゃん、これから海の底で……あの穴で、この子を爆発させる。それで、穴は閉じるはず。みこっちゃんのお父さんの時より、何倍もの力で爆発するから……わたしの計算では、確実にあっちとこっちを繋ぐ穴はふさがれる』

「……お前は? ちゃんと戻ってくるのか? そうでないなら」

『ラピュセーラーはヒーロー……ううん、無敵にかわいい最強ウルトラヒロインだから!』

「自分で言うな、自分で。本当のことでもイラッとするからな」

『ほへ? 本当のことって』

「お前はかわいい! スタイルもいいし胸なんか、こぉ……でもな! それより……自分を捨てて戦えるお前を、宮園華花という女の子を俺が拾う、そう決めたんだ」


 そう言うと、尊は慎重な操縦で"天羽々斬"を動かす。

 保持するのもやっとという雰囲気のラピュセーラーの、その世界を背負った重みを分かち合うように……横に並んで、一緒にサンプル零号を持ち上げた。

 そうして二人は、ゆっくりと海面に着水し、暗黒の世界へと潜航し始めるのだった。

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