第20話「そして夜がやってくる」

 猛疾尊タケハヤミコトが八王子支社に戻った時には、すでにもう夕暮れ時になっていた。あのあと現場では、対獣自衛隊たいじゅうじえいたいや国の機関が立ち会っての実況見分が行われたのだ。

 戦場となった奥多摩の山林は封鎖され、多くのギガント・アーマーが擱座かくざしたままだ。

 そして、格納庫ハンガーに戻っても尊の長い一日は終わりそうもなかった。


「よーし! そのままバック! バックオーラァイ!」

「ひゃあ、一号機までオシャカかよ……こりゃ、今夜も眠れねぇな」

「二号機には目立ったダメージはないな! そっちは後回しだ!」

「大砲もだ、リニア・カノンも下ろせ! 全チェック!」


 トレーラーを格納庫へと入れて、尊は運転席から飛び降りる。

 父親の猛疾荒雄タケハヤスサオは、医務室で治療が始まっている。回収してきた"羽々斬ハバキリ"一号機の、十束流司トツカリュウジもである。二人のことが気がかりで、なにより連れ去られた宮園華花ミヤゾノハナカを思えば落ち着かない。

 だが、今の尊にできることは、整備班に混じって働くことだけだった。

 格納庫の空気は重く、オイルの臭いもどこかくもって鼻を刺す。


「おやっさん、次はなにか」

「おう、尊! ……疲れてるなあ、おい」

「いや、この格好は任務のために」

「もう女装趣味の話は、しちゃいねえよ。現場は大変だったみてぇじゃねえか」

「……あんな深界獣しんかいじゅうは初めてだ。俺は……なにも、できなかった」

「サンプル零号ゼロごう……10年ぶりに出現か。ま、


 意外な話で、尊は驚く。

 おやっさんこと、整備班の班長の話では、この10年で世界各地にサンプル零号は現れていたらしい。基本、海から……マリアナ海溝の最深部から現れる深界獣は、その多数が日本へと押し寄せる。

 他の国にも出現するが、沿岸の守りを固めての迎撃体制はどこも力を入れていた。

 そんな中、神出鬼没しんしゅつきぼつのサンプル零号は、地球のあちこちに傷跡を残していた。


「どこの国も、面子めんつってもんがあるからよう。それで、お互いにサンプル零号にコテンパンにされた事実を隠蔽いんぺいしてたんだなあ」

「じゃ、じゃあ」

「中南米や北米、ユーラシア各地に欧州、奴はどこにでも現れる。今日始めてわかったが、地中を移動する種だってことも、連中は知ってただろうさ」

「くっ! 情報が共有できてれば、もしかしたら……それがわかってれば、逃しはしなかった! ……華花だって、もっと上手く戦えたかもしれないんだ」


 今となっては、全てが遅い。

 だが、閃桜警備保障せんおうけいびほしょうには、遅過ぎたとなげいてる暇はなかった。

 やることは山積みだし、ついに稼働できる"羽々斬"はルキア・ミナカタの二号機のみになってしまった。

 その二号機は今、ほぼ無傷の状態でケイジへと戻されている。

 ルキアの操縦技術は卓越したもので、尊よりもセンスがあるかもしれない。だが、彼女の二号機が無事だったのは、今回は少し複雑な事情があるようだった。

 ともあれ、誰もが意気消沈して暗い雰囲気が広がっている。

 激しい金属音が響いたのは、そんな時だった。


「ほらほら、なんだいなんだい! お通夜つやかい? あんたら、しゃきっとしなよ!」


 誰もが振り返る先、格納庫の入り口にエプロン姿の女性が立っていた。

 大鍋を台車に乗せて、おたまでガンガンと叩いている。

 それは、尊の保護者である天原照奈アマハラテリナだった。

 ちなみに今日は、エプロンの下にちゃんと服を着ている。しかし、ランニングシャツにホットパンツ姿なので、どうしても尊は家での裸エプロンを思い出してしまうのだった。

 照奈の横には、何故なぜかルキアも一緒だ。


元深界獣対策室もとしんかいじゅうたいさくしつのトップエース! 天原照奈っ! 差し入れだよ、みんなでご飯にしな!」

「なんでアタシがこんな手伝いを……」

「ほらほら、ルキア! ご飯をよそって! 外にテーブルを用意したから、カレーを受け取ったらこの重苦しい空気からいったん出な! 夕焼けでも見て、ご飯を食べるんだよ」


 ルキアは渋々、これまた大きな炊飯器からごはんを器にもりつける。

 呆気あっけにとられていた整備班の面々は、一人、また一人と吸い寄せられるように照奈の前に歩き出す。暖かな食事を渡す時に、照奈は笑顔と一言を忘れなかった。

 あの笑顔には、尊も何度も助けられた。

 そして、思い出す……彼女のパイロットとしての人生を奪ったのも、あのサンプル零号なのだ。そんなことを考えていると、目の前に紙の器が差し出された。


「ルキア、お前」

「ん! ほら、食べなって。アタシも手伝ったんだから」

「あ、ああ」

「外に行くよー? いいからいいから、こっちこっち」


 ルキアは尊の腕を抱くと、そのままグイグイと外へ向かって歩き出す。

 自然と、周囲の重苦しい雰囲気が和らいでいくのが感じられた。

 外に出ると、空の彼方が真っ赤に燃えている。

 斜陽の光が、まだまだ残照の熱気を感じさせた。

 並べられた事務机のそこかしこで、整備班の人員がカレーを食べている。一心地ついたようで、張り詰め過ぎていた緊張感から解放されたようだ。

 それは尊も同じで、ルキアと一緒に隅の方に座る。


「あのさ、尊……危なかったじゃん。下手すりゃアンタ、死んでたしー?」

「ああ、そうだな。でも、助かった」

「話は聞いたよー? ラピュセーラー……あの華花っての、さらわれちゃったんだって? コテンパンに負けたらしいじゃん」

「ああ」


 ルキアはカレーをぱくつきながら、状況を整理して教えてくれる。

 戦闘が開始されてすぐ、対獣自衛隊と連携してルキアはサンプル零号に接敵した。だが、あとから現れたタケルと、特務騎士団とくむきしだんアスカロンが介入してきたのだ。

 そう、支援してくれる味方ではなく、


「なんだって!? じゃ、じゃあ」

「そーだよん? アタシ、もっぱら例の教会の連中と戦ってたんだから」

「なんで、そんなことを……敵は目の前に、サンプル零号がいるのにかよ!」

「知らないよー、襲われたんだもん。対自たいじの人たちも困惑しちゃってさー? なにあれ、さっぱり訳がわからない。タケルってのは滅法強いし」

「くっ……華花を助けるための部隊じゃないのか?」

「さぁ? そ・れ・よ・り!」


 おもむろにルキアは、グイとスプーンを鼻先に突きつけてきた。

 逆さまに映る自分の顔を見ながら、ゴクリと尊はのどを鳴らす。


「あのタケルって女、なに? 気に入らないわ! めっちゃムカつくんですけどー!」

「す、すまん」

「なんで尊が謝るのよ! ……なんかでも、尊に似てない? 顔立ちというか、雰囲気というか。あのクソ眼鏡メガネは、尊の七倍はいけすかないけどさ」

「……俺も七人いれば、タケルと同じいけすかなさなのか」

「当たり前でしょ? ……なんか、姉弟とか言ってたし」


 そう、いまだにタケルの存在は謎に包まれている。

 わかっているのは、キリスト真教の教会が組織した、特務騎士団アスカロンを率いて戦っているということ。その目的は、ラピュセーラーの援護……そして、ラピュセーラーのためならあらゆる犠牲をいとわず戦い、深界獣の殲滅せんめつのみを最優先としている。

 そのタケルたちが、どうして謎の敵対行動を?


「直接聞いてみるしか、ないな」

「でしょー? アタシもそう思ってさあ」


 不意にルキアは、周囲を一度キョロキョロと見渡してから……おもむろに顔を近付けてきた。彼女の白い肌が、その火照ほてった体温が感じられそうな距離だ。

 だが、耳元でささやかれた話はとても刺激的で、危険とも思える内容だった。


「お、おいっ! ルキア! それは」

「しっ! 声が大きいってー」

「でもだな」

「即決で決めて。一緒に来る? それとも残る? ……アタシは一人でも行くけどー?」


 いつになく真剣な表情のルキアは、再び離れてカレーを食べ始めた。

 正直言って、非常識な上にはた迷惑な話だった。

 多くの人を巻き込んでしまうし、閃桜警備保障は無数の社員が働いている民間企業なのだ。それを前提に考えると、尊も若輩じゃくはいながら社会人としての責任を感じる。

 しかし、それ以上にチャンスでもあった。

 今、尊が本当にやりたいことは……華花を助け、サンプル零号から人々を守ることである。


「……わかった。手筈てはずは」

「もち、バッチシじゃん?」

「わかった。トレーラーはこっちで抑えておく。行き先はわかってるのか」

「その制服が全てっしょ。あのだだっ広い敷地内に……連中の秘密基地があんの。多分、絶対にね。恐らく、確実に」


 ルキアの目は今、大きな紅玉ルビーのように燃えていた。

 12歳の彼女が、どうして特別な待遇でギガント・アーマーのパイロットをやっているのか。そもそも、どうして学校にも行かず危険な仕事をしているのか。物心ついたころから閃桜せんおう育ちの尊が言えた義理ではないが、なにか事情があるとしか考えられない。

 そのことは以前から気になっていたが、仲間同士じゃ詮索屋は嫌われる。

 そうでなくとも、なんとなくルキアは華花ごと尊を嫌ってると思っていた。

 ついさっきまで、この瞬間まではそう感じていたのだ。


「……そういえばさ、尊。お父さん、助かりそうだってさ」

「ああ、そうか。あとでゆっくり、話を聞かないとな」

「あと、例の記者? 週刊サロメとかってのの。知らない間に馴染んじゃってるけど、さっき上の方で聴取して帰したみたい」

「俺が思ってたより、この世界は深界獣にやられすぎてた。それを呼び込んだ、父さんにも罪の一端はある」

「あ、そ……まあ、いいんじゃん? 親は親、自分は自分。……生きてるだけいいじゃんさー? ね、尊」


 不意にルキアが、優しい顔になった気がした。

 彼女はカレーをぺろりと平らげると、立ち上がる。そっけなく決行の時間だけを告げて、夕日の中を去ってゆく。

 尊の長い長い一日は、そのまま夜明けまでの眠れない夜へ続いてゆくのだった。

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