第17話「忌まわしき過去、サンプル零号」
一般道を二車線、まるまる一台で使ってしまう巨大トレーラー。その運転席で、
常に無言だが、光一が連れている巨漢の威圧感も気持ちがいいものではない。
とりあえず、運転に集中することで気持ちを落ち着かせる。
だが、向こうから話しかけられれば、応じずにはいられなかった。
「なあ、お嬢ちゃん」
「俺は男だ!」
「じゃあ、女装大好きお坊ちゃん。なんか妙じゃなーい?」
「この格好は、任務の都合上しかたがないんだ!」
「いや、そーこじゃなくてねー?」
調子が狂う。
しかし、先程から尊も疑問を感じていた。
そのことを光一は、恐らく指摘しているのだろう。
「このトレーラー、海とは真逆の方向に走ってるーんじゃないのぉ?」
「本部から指定された交戦ポイントに向かってるんだが……確かに妙だ」
「こっちはほら、奥多摩じゃなーい?」
警察の車両がさっきまで先導してくれてて、トレーラーは山中へと向かっている。先程走っていた幹線道路では、中央分離帯の向こう側は避難する車で大渋滞だった。
そう、深界獣は現在、奥多摩の山中で暴れている。
深海より迫りくる驚異が、突然内陸地へ現れたのだ。
慎重にハンドルを握りながら、ついつい尊は疑念を口にする。
「しかし、
川をさかのぼった形跡はない。
そう、必ず深界獣は海からやってくる。
そのセオリーが今日、いきなり
だが、光一は疑問を投げかけておいて、憶測からくる答えも用意していたようだ。
「深界獣ってなあ、猛烈なスピードで進化するからねえー」
「そうだ、今の深界獣は第七世代……以前とは比べ物にならないくらい凶暴で凶悪だ」
「進化が進めば、当然とも思うけーど?」
「どういう意味だ?」
光一はスマートフォンから目を逸らさず、熱心に液晶画面へ指を滑らせている。
彼はそのまま、まるで用意していたかのような持論を展開し始めた。
「人間だって、哺乳類だって……昔は海に住んでいた。太古の昔に、海から陸へと上がってきたのさ」
「……深界獣にも、その時期が来たと?」
「太古の昔、地球が適度に冷えて大気中の酸素が安定してきたから、我々のご先祖様は陸にあがった訳だ。じゃあ、なにか深界獣に陸へ上がる……陸地に突然出られるようになった要因があるんじゃないか? ……なーんてなあ、ハハハ」
一瞬、光一の目が鋭くなった。
やはり、こっちの方が本性のようだ。
そして、尊は気付く……対策ばかりで、一度も深界獣のことを根本的に考えたことがなかった。同時に、避けてきたとも思った。父親である
父親のことは、あまり考えたくない。
ブロークン・エイジと呼ばれる未曾有の深界獣災害は、父親のせいかもしれないから。
無意識に避けてたんだと、今は思えてならない。
そんなことを考えていると、轟音に運転席の窓がビリビリと震える。
空を飛ぶギガント・アーマーが、あっという間にトレーラーを追い越していった。
「おやおーや、ありゃ対獣自衛隊の"
「この先に飛んでくな……やはり、こっちで方向はあってる」
「
どうやら、連れの巨漢は山ちゃんと呼ばれているらしい。
招かれざる同乗者を気にしつつも、尊は山中へと分け入ってゆく。
すぐに銃声が響いて、戦場の空気が緊張感を
「もう戦闘が始まってる! あれが目標か! ――な、なんだ? あれは」
今まで尊は、何匹もの深界獣を見てきたし、戦ってきた。
だが、突如として内陸地に現れた深界獣は……明らかに今までの個体とは違っていた。
多種多様な姿を持つ深界獣に、生物学的な知識は一切通じない。ただ深界獣であるという以外に、個々を繋ぐ共通点などないのだ。遺伝子と思しきものは死体から採取されているが、その解析は世界中のスーパーコンピューターが投げ出したという、いわくつきのものである。
まるで竜のようなもの、
しかし、迫る稜線の影から現れたのは、初めて見る個体だった。
そして……光一がその姿を見て、普段の間延びした声を引っ込める。
「あれは……間違いない! サンプル
「な……あんた、あの深界獣を知ってるのか?」
「その言葉、そっくりそのままひっくり返すぜ?
「サンプル……零号」
改めて尊は、山々の尾根へと目を凝らす。
真っ赤な全身は、硬そうな
翼ではなさそうだが、用途はわからない。
ただ、大昔の恐竜にああいう背ビレを持った種がいたような気がする。
そんなことを考えていると、光一は例の山ちゃんと呼ばれている男にカメラを持たせる。自分でもスマートフォンを窓に貼り付けながら、夢中で喋り始めた。
「サンプル零号! かつて、
「それが……あおの、赤い深界獣」
「そうだ! だが、捕獲計画は失敗した……人間が思うよりずっと、深界獣は強かったんだ。それが、今から10年前……あのブロークン・エイジからようやく立ち直り始めた頃さ」
スマートフォンで写真を撮りまくりながら、
当時、ようやく体勢を立て直し始めた自衛隊は、ギガント・アーマーの開発と配備を急ぐ中で、深界獣の捕獲作戦を立案した。生きたままの深界獣が手に入れば、ウィルス兵器や特殊弾頭、
だが、計画は失敗した。
サンプル第一号となるべき赤い深界獣は、あまりにも強過ぎたのだ。
すぐに作戦は破棄され、
「当時、発足したばかりの
「あ! そ、それって、もしかして……」
「プロパガンダ映像を作るために、戦闘は記録されていたんだが……闇ルートでそれが世界にばらまかれちまった。あらゆる国の人間が、いつも深界獣に勝ち続けていたヒロインの負けを見ちまったのさ」
「……
確証はないが、合致する人間は一人しか心当たりがない。
尊の保護者であり、命の恩人……
言うなれば、サンプル零号は照奈の……自分の母親になろうとしてくれてる女性の、
そう思うと、尊の中に今までにない熱い闘志が込み上げるのが感じられた。
だが、それを表現するマシーンはまだ、八王子支社で修理中である。
「そういや、対自初のギガントアーマーのパイロット、な……一人だけ生き残っちまって、そのあとどうなったか。それも確か、俺が中東に飛ぶ前に話があったような」
「……いや、いい。もういいんだ。ええと、狭間光一さん? ……変な話だが、ありがとう。助かった。とても大事なことを知れた。そのことにだけは感謝する」
「おいおい、なーにぃ? もー、気持ち悪いったらあーりゃしな――お、おいっ! 前!」
突然、多くの事実を知った。
自分が戦う前から、仲間たちは戦っていた。そして傷付き、それでもできる戦いを選んで逃げなかった。サンプル一号として捕獲される
――サンプル零号、と。
そのことを考えていたが、光一の悲鳴で尊は我に変える。
封鎖されてる筈の道に、突然対向車が現れた。
ホンダのハッチバックだと瞬時にわかったのは、尊もホンダ乗りだからだ。
だが、巨大なトレーラーの前では普通車など、
「やべぇ、ついよそ見を……ええい、あんたら! 掴まってろ! 揺れるぞ!」
向こうもよほど急いでいたらしい。
法定速度を無視するスピードで、こっちに気付いて急ブレーキを踏んだ。だが、突然の制動と急ブレーキで、挙動が乱れた。
落ち着いてハンドルを切る尊は、はっきりと見た。
猛スピードで近付き、スピンしながら直撃をそれて消えた車。
その運転席に、一瞬見知った人の顔が見えた気がした。
軽い衝撃が走って、車体同士が接触したようだった。
急いで停車させ、運転席から飛び降りる。
だが、激震が響いて大地が揺れ、尊はそのままアスファルトに
「っと、くっ! ……まじかよ。クソッ!」
すぐ目の前に、サンプル零号がいた。
先程まで、ずっと遠く……まだまだ余裕のある距離に眺めていた筈だった。だが、今は陽の光を遮り、暗い影で尊とトレーラーを包んでいる。
強烈な悪臭と同時に、
まさに、
しかし、神はまだ尊たちを見捨ててはいなかった。
神が
「ラピュッ! そこまでです、深界獣!
すぐ近くの森に、ラピュセーラーが着地した。
その質量が生み出す振動が、大量の土砂を空へと舞い上げる。
振り向くサンプル零号から開放されて、気付けば尊は腰を抜かしてへたりこんでいる自分に気付く。情けないが、今は弱い自分に酔う余裕はなかった。
急いで立ち上がって走れば、先程の普通車は道を外れて森の木に激突しているのだった。
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