第10話「追憶にまどろむ」

 猛疾尊タケハヤミコトの一日は、保護者の天原照奈アマハラテリナに叩き起こされることから始まる。

 自分の母親をやってくれてる女性で、トンチキに空回からまわってるが優しい人だ。怪我でパイロットをやめてからは、公私に渡って尊をサポートしてくれている。

 朝食が終われば、八王子支社へと出社して機体の整備や書類整理、そして待機。

 そんな尊にとって、学園生活など異次元の世界である。

 緊張感を持って挑んだつもりだったが、昨夜の激務が睡魔を連れてきたのだった。


(しまった……俺は、寝てる、のか? じゃあ……これは、夢なのか)


 そう、これは夢……明晰夢めいせきむだ。

 だから、幼い自分を外から見ているのだ。

 セピア色の記憶が今、浅い眠りの中に浮かび上がっている。死んだはずの母が、スーツ姿の腕に抱かれた尊を見守り微笑ほほえんでいる。燃えて消えたはずの生家に今、尊はいた。

 尊を抱き上げているのは、帰宅直後の父だ。

 父は当時から異端の研究者として、忙しい日々を送っていた。

 久々に脳裏に、なつかしい父の声が再生される。


『んー? なんだ、尊はお父さんのお仕事の話が知りたいのかい?』

『うんっ! お母さんは、すっごく難しいお仕事してるって言ってた!』

『まあ、そうだね……私の仕事は、宇宙よりも遠い場所、深海の奥底の研究だ』

『すっごーい! 深海……海の底? ねえ、それって深いの? 何キロセンチくらい?』


 平和だった、無邪気でいられた遠い過去だ。

 それが今は、永遠に失われてしまったのだ。

 母は死に、父とはもう随分会っていない。学会のはみ出しものだった父が今や、深界獣しんかいじゅう研究の第一人者である。人類がラピュセーラーと共に戦えているのも、父の研究によるところが大きかった。

 だが、尊はそんな父が好きになれない。

 昔のように、父親として尊敬できないのだ。


『現在の科学力では、マリアナ海溝の深さが10,000m以上あるとわかってるんだ』

『いちまんメートル……それって、長いの? えっと』

『10km、私たちの家から尊の大好きな東京デスティニーランドまで、それくらいかな?』

『遠い! そっかあ、海は下にそんなに深く広がってるんだあ』

『でな、尊。これは誰にも秘密だ……お母さんにも秘密だぞ?』


 あらあら、と笑って母が台所へと戻ってゆく。

 それを見送り、父は悪戯いたずらのような無邪気な笑みを見せた。


『水圧というのがあって、なかなか人類の潜水艇は深いところまではいけない』

『水圧?』

『そう、もぐれば潜るほど、上に沢山の水を背負うことになる。その水の重さが水圧だ。だから、人間の乗った潜水艇には限界がある。そこで、水中用の探査ドローンを下ろしたんだ』


 そう、それが全ての始まりだった。

 父はマリアナ海溝の最深部を研究するチームのリーダーだった。

 しかも、その持論は突飛とっぴだったのである。


『お父さんはな、尊。マリアナ海溝の底には、なにかしらの特殊な世界が広がってると思うんだ。そして……それを裏付ける研究結果を得ることができた』

『特殊な、世界?』

『そう! 探査ドローンを海の底へ向けて射出したが……異変が起こった。下へ下へと沈んでいることを示すデータが……ある一線を超えた瞬間、上へ上へと浮かび始めたんだ』

『……難しいよぉ、お父さん! わかんない!』

『ハッハッハ、そうか。つまり、我々地上の人間から見て沈み続けている探査ドローンが……突然、。上下が逆さまの世界かもしれないぞ、向こうは!』


 そう、マリアナ海溝の底には謎の空間が発見された。

 我々人類の科学力では解明不能な、一種の力場フィールド……膨大なエネルギーの流入する、まるでうずだ。その渦の中に沈んだ探査ドローンは、水圧に耐えきれず圧潰するかに思えたが……最後までデータを送信し続けてきた。

 こちら側を落ち終えて、あちら側へと浮かび始めたのである。

 それが、尊の父である猛疾荒雄タケハヤスサオが開けたパンドラの箱だ。


(そうだ……各国は未知のエネルギーに目がくらんで、あの男の研究に大量の資金を。だが、渦を形成する高エネルギーを取り出すための実験が、謎の爆発で失敗……そして)


 そして、奴らがこちら側の世界へとやってきた。

 そう、深界獣である。

 詳細不明の事故で実験は失敗し……巨大な爆発は深海の渦を刺激した。結果、その向こう側から浮かび上がってきたのが深界獣である。奴らは、それ自体が一つの細胞であるかのような卵で、こちらへやってくる。そして、徐々に浅い深度に浮かぶ過程で孵化し、成長……否、進化するのだ。

 12年前の惨劇を経て、今の深界獣は第七世代型と呼ばれていた。

 戦闘力も生存能力も、以前とは桁違いに強い。


(だから、俺は……戦わなければいけない。お母さんを殺した深界獣と戦うことで、あの男の犯した罪を少しでも償えるなら――ッ!?)


 不意に、しびれるような敵意を感じて、尊は覚醒した。

 殺気と言ってもいい。

 今はただ、目覚めた瞬間に戦士としての集中力が研ぎ澄まされた。

 放たれた弾丸を、瞬時に察知し判断する。

 それが殺傷性の高いものではないと思えたが、顔をあげるなり右手を突き出した。

 周囲から歓声があがった。


「おおー、見た? シスター・カレンの投げチョークを……」

「っていうか、授業中に居眠りする人って実在したんだ! 漫画やアニメの中だけだと思ってた……」

「てか、人差し指と中指ではさんでチョークを止めたんだけど……なに? 剣豪かなにか?」

「ふふふ……寝ぼけまなこ美琴ミコトさんも、かわいい。寝癖もキュートですわ」


 机に突っ伏し、熟睡していたようだ。

 少し、昨夜の疲れが出たのかも知れない。

 だが、尊が弾丸だと思ったのはやはり、殺傷力の全く無い物体……数学担当のシスター・カレンが投げたチョークだった。

 それを手に握りながら、尊はおずおずと立ち上がる。


「……すまない、寝てたようだ。俺が悪かった」

「また! 竹早タケハヤさん、なんてはしたないんでしょう! チョーク追加ですっ!」


 またチョークが飛んできた。

 避けると後ろの席の生徒に当たる。

 もう片方の手を伸ばして、尊は難なくキャッチした。

 常日頃からギガント・アーマーに乗り、戦場で深界獣と戦っているのだ。生身での戦闘訓練も欠かしたことはないし、引退した身でも母親役の照奈は絶好のスパーリング相手だ。勿論もちろん、勝ったことなどない。

 だが、シスター・カレンはそうとう怒っているらしい。

 さてどうしたものかと思った、その時だった。


「あっ、あの! シスター・カレン……彼を、じゃない、彼女を、みこっちゃんを許してあげてください。ちょっと事情が……昨夜遅くまで、お仕事が」


 声を上げたのは、宮園華花ミヤゾノハナカだ。

 彼女は立ち上がると、毅然とした態度でシスター・カレンに向かって歩く。颯爽さっそうとしていて、実に見ていて気持ちがいい。だが、彼女を守るために来た尊が問題を起こしては本末転倒である。

 だが、華花とはそういう女の子なのだ。

 能天気でド天然だが、困っている人は見過ごせない。

 自分が手を伸べられるなら、誰にでも、いつでも、どこでもその手を伸ばす。

 そういう彼女だからこそ、謎のウルトラヒロイン、神装戦姫しんそうせんきラピュセーラーをやれるのだろう。


「宮園さん? 教師に対して口ごたえを」

「違うんです、シスター・カレン。みこっちゃんが授業中に居眠りしたことは、これは悪いことです。でも、ええと……うんっ! その原因って、多分わたしなんです。あと」


 華花はスラリとした長身でシスター・カレンの前に立つ。風もないのに、長く伸ばした黒髪が僅かに浮き上がった。

 りんとしてすずやかな瞳は、怒りも敵意も浮かべてはいなかった。


「わたしたちはキリスト真教の経験な信徒ですよね? だったら、とがめることも罰することも大事ですけど、許さなきゃ」

「なんてことを、宮園さん! 教師に歯向かうなんて! それに、私の授業で居眠りした生徒を許せだなんて!」

「許すために、彼に……じゃなかった、彼女につぐないの機会が欲しいんです。一方的に罰するより、そっちの方がきっといいですよ! わたし、そう思いますっ!」


 まばらに拍手が響いて、徐々に喝采かっさいに膨れ上がる。

 身も蓋もない言い方をすれば、完全に尊が悪いのだ。

 それに、騒ぎにされても困るし、華花の言うことはもっともに見えて論点がずれている。この場合、シスター・カレンは『自分の授業を邪魔された』という、至極個人的な理由で怒りを燃やしているように思えた。

 だから、それを発散させてやればいいだけなのだ。

 だが、華花ももう知っているのだ。

 尊が日々、パイロットとしての激務に耐えつつ、自分の警護をやってくれていることを。


「とっ、とと、とにかくっ! 二人共授業のあと、職員室にいらっしゃい! まったく」

「はいっ! だってさ、みこっちゃん。エヘヘ、わたしなんにもできないけど、一緒に怒られたげる。一緒に謝れば、きっと許してもらえ――!?」


 だが、授業のあとなどという日常的な時間は訪れなかった。

 校舎に響き渡る、緊急警報のサイレン。

 そして、この緊張感をもたらす災害など一つしかない。

 教室のスピーカーから、緊迫した声が飛び出してきた。


『全校生徒は授業を中断し、速やかに避難してください! 校内のシェルターを解放……! 既に上陸は目前で、こちらを目指しているとのことです!』


 既にもう、居眠りの懲罰を考える訳にもいかなくなってしまった。

 深界獣の襲来は日常茶飯事にちじょうさはんじだが、それを歓迎する人間などいないのだ。

 すぐにシスター・カレンが教師の顔を取り戻す。生徒の命を預かる人間として、そして聖職者として、彼女はちっぽけな自尊心プライドをすぐに忘れる度量があったのだ。


「さあ、皆さん! 普段の避難訓練を思い出して頂戴っ! 全員で避難して、全員で助かりましょう! 嗚呼ああしゅの御加護があらんことを……すぐに避難を開始しましょう!」


 その時、尊は見た。

 慌ただしくなる教室から、そっと華花が抜け出るのを。

 当然のように、尊をそのあとを追って教室を出るのだった。

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