第9話「初めての学園生活」

 猛疾尊タケハヤミコトの長い長い夜が明けた。

 愛機"羽々斬ハバキリ"三号機は大破、長期の修理が必要となった。

 そして今、パイロットの任を解かれた尊に新たな任務が始まろうとしている。

 居並ぶ少女たちの前に立たされれば、隣でシスター姿の女教師が話し始めた。


「さあ、皆さん。今日から一緒にお勉強することになる、竹早美琴タケハヤミコトさんです」


 そう、ここはセントオオエド大教会……その広大な敷地内にあるゲオルギウス学園である。聖ジョージの名をかんした、新時代の良妻賢母りょうさいけんぼを育てるミッション系の中高一貫女子校だ。

 名をそのままもじっていつわり、尊はこの学校へと転校してきた。

 学園生活など初めてなのに、全く心がときめかない。

 何故なぜなら、


「はぁ、どうして俺がこんなことを……」

「竹早さん? さ、皆さんに自己紹介してください」

「……はい、シスター・ケイト」


 気が重い。

 股間が無防備なまでにすずしい。

 ドレスかと見紛みまがう華美な制服で、尊は一歩前へと出た。

 同年代の女子の、興味津々な視線が刺さる。

 そして、一番後ろの席でガタン! と長身の少女が立ち上がった。

 見知った顔が今、目を丸くして指差してくる。


「え、えっ? みこっちゃん!? ……なに、してるの……? そ、その格好」

宮園ミヤゾノさん、人を指差すものではありません! はしたない!」

「あ、すみませんシスター・ケイト! で、でも、その人」


 そう、尊は男だ。

 新たな任務は、女装しての宮園華花ミヤゾノハナカの警護だ。

 より身近なポジションから、彼女を守る。

 そのためには、どうしてもこのゲオルギウス学園に潜入する必要があった。

 話は昨日、ようやく八王子の基地に戻った深夜まで遡る。





 閃桜警備保障せんおうけいびほしょう、八王子支社……ここは、深界獣対策室しんかいじゅうたいさくしつの本拠地である。ギガント・アーマーのための前線基地であり、巨大トレーラーでここから尊たちは出撃する。

 だが、今は整備員たちの怒号どごうと悲鳴がひっきりなしに響き渡っていた。

 天井の高い格納庫のすみで、ぼんやりと尊は地べたに据わって愛機を見上げる。

 膝の上には、先程新宿御苑しんじゅくぎょえんで救い出せた小さな命があった。

 熱気をはらんだ声と声とが、疲れた身体に虚しく響く気がした。


「三号機、自立はもう無理だな! おう、作業台へと乗せるぞ! クレーン!」

「派手にやられたなあ、こりゃ……一ヶ月はかかるぜ」

「今日の深界獣、やばかったからなあ。もっと本格的な水中用装備が必要だぜ」

「くっそ、今夜はこりゃ完徹かんてつだぞ。ほぼほぼ全損じゃねえか!」


 申し訳なさで、尊はこのまま消えてしまいたくなる。

 閃桜警備保障で養われ、教育と訓練を受けてパイロットになった。だが、ここまで激しく愛機を壊したのは初めてである。

 だから、胸の疼痛とうつうも初めて感じる切なさ。

 目の前の三号機はもう、物言わぬ鉄屑てつくずも同然だ。

 自分の未熟さが生んだ結果に、今は言葉もない。


「……はは、なんだお前。なぐさめてくれるのか?」


 膝の上の猫が、ぺろりと手をめニャンと鳴いた。

 そう、小さな生命体反応の正体は、この猫だ。

 小さな猫を一匹助けるために、尊は限界まで"羽々斬"を酷使こくしし、擱座かくざさせたことになる。最初こそ驚き落胆したが、命の数は人間でも動物でも一つだ。

 そして、尊は身を持って知っている。

 

 多いも少ないもない価値観、それが生命いのち


「お前の飼い主も探してやらないとな……見たところ野良のらだが、俺が助けた命だ。責任を持ってお前にも――っと、とと! 流司リュウジさん」


 不意に缶コーヒーが放られてきた。

 ゆるやかな放物線を描いて、温かい缶が飛んでくる。

 それを受け取れば「よう、お疲れ!」と無精髭ぶしょうひげの笑顔が近付いてくる。

 尊のチームのリーダー、十束流司トツカリュウジだ。

 尊は猫を抱いて立ち上がった。


「お疲れ様です、流司さん。コーヒー、いただきます」

「おう! はは、それが例の猫ちゃんかい?」

「はい」

「猫一匹で三号機が大破か」

「……海での戦闘ですでに、かなり損傷してましたので。俺の、せいです」

「なら、その猫ちゃんが助かったのもお前のおかげだろ? それでいいさ」


 流司は人懐ひとなつっこい笑みを浮かべて、自分でも缶コーヒーを開封して飲み出す。

 うながされて、尊もそっと猫を降ろして右にならった。日中が初夏みたいな熱気でも、夜は冷える……パイロットスーツも電源が落ちてるため、温かい飲み物が嬉しかった。

 足元の猫は、8の字を描くようにして尊に身を擦り寄せてくる。


「尊、疲れてるとこ悪いが、各種書類は早めにな。決済する側もひまじゃねえ。それと」

「は、はい」

「それが終わったらさっさと寝ちまえ。明日からまた新しい任務もあるしな」

「新しい、任務?」

「ああ」


 流司の話では、しばらく尊はパイロットの仕事からは外されるらしい。当然だ、たった

3機しかないギガント・アーマーの1機を、こうまで徹底的に壊してしまったのだから。

 勿論もちろん、尊に選択の余地はないし、不満もない。

 この歳で閃桜の正社員だし、特殊な人員である自覚はあった。

 それに、責任もあるしつぐないたい気持ちもあって、仕事があるのはありがたい。

 だが、その内容を流司が言い放つと、尊は思わず絶句してしまった。


「お前、ハナハナの護衛は続行な。あと、警備強化」

「了解です」

「具体的に言うと……学校行け。ゲオルギウス学園での護衛だ」

「そ、それは、構いませんが……女子校ですよ?」

「お前のつらなら問題ないだろ。手続きも完了してるしよ」

「いや、だって……ま、まさか」


 嫌な予感はあった。

 そしてそれはすぐ、現実になる。


「女装だ、女装! はは、これも仕事と思ってあきらめろ」

「……ルキアじゃ、駄目なんですか」

「あいつがハナハナの護衛なんか、引き受けると思うか?」

「ない、ですね」

「だろ? それにだ」


 流司は周囲を見渡し、声を潜めてくる。


「今日、お前がパイロットやってるとこをハナハナに……ラピュセーラーに見られたろ」

「……はい」

「ハナハナも動揺してたからな、これからボロが出ちゃまずい。それで、だ」

「半分は、監視ですか?」

「んー、監視というか、まあ……見守り、だな。ハナハナがうっかり正体をばらさないように、お前のフォローが必要な時もあると思ってな」


 華花は、自分がラピュセーラーであることを世間に隠している。ヒーローの正体はいつだって、秘密なのだ。

 だが、閃桜の一部の人間は、彼女がピュアセーラーであることを知っている。

 だからこそ、華花の秘密を守ってやりたくなるのだ。

 同時に、尊の秘密は知られてしまった。

 日頃から護衛している尊は、実はギガント・アーマーのパイロットなのだ。

 互いに持っていた秘密が、片方だけバレてしまったのである。


「まず、そうだなあ……パイロットだってことを隠してたの、謝っておけ」

「は、はい」

「それとな……尊、お前もまあ、なんだ。学校、行ったことないだろ?」

「閃桜の訓練校なら」

「ああいう、パイロット養成所みたいなのじゃなくてさ。女を演じるのは大変かもだけど……ちょっとした休暇だと思って楽しめ。女だけの花園、いいじゃねえか、よ!」





 そういう訳で、最低限のナチュラルメイクに女子の制服で、尊はここに美琴としている。ややコンプレックス気味だった女顔が、こんな形でかされるとは思ってもみなかった。

 同時に、流司が最後に言ってたことを思い出す。

 そう、これはあくまで任務……華花の秘密を守る仕事なのだ。

 それに、今はもう華花自身を守らねばと思っている。

 正義の味方をやってる女子高生には、不穏な影が近付いているのだ。


「最後には気になることを言ってたな、流司さん。あの記者崩れ……狭間光一ハザマコウイチ、だったか? 中東帰りで経歴不明、まだ華花を嗅ぎ回ってるようだが」

「竹早さん? さ、自己紹介を」

「ん、あ、は、はいっ。えっと、俺は」

「まあ、俺! はしたないですわ、いけません!」

「す、すみません、シスター・ケイト。……私は、竹早美琴です。えっと……事情があって、学校は初めてなので、なにかと迷惑かとは思いますが、よろしくお願いします」


 とりあえずペコリと頭を下げる。

 もう既に、気疲れを感じていた。

 だが、教室が妙にざわめき、少女たちの視線は遠慮なく尊を舐め尽くした。

 ひそやかな声がささやきとなって、僅かに耳に入ってくる。


「まあ……かわいらしいですわ。とても綺麗な子」

「ハナハナと知り合いなのかなー? なんか、どっかで見たような」

「美形……ごくっ! 中性的な顔立ちが、なんかワイルドで凛々りりしい感じ!」


 こうして、尊の不本意な学生初体験が幕を開けた。

 性と名を偽る彼を、ちょっと微妙な顔で見詰めてくる華花の視線が痛かった。

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