第2話「終わりつつある世界で」

 その敵の名は、深界獣しんかいじゅう

 12年前、突如とつじょとして世界中に現れた巨大な怪獣だ。その姿は、昆虫のようであり、恐竜のようであり、太古の伝承にある悪魔のようだ。どの個体も圧倒的な戦闘力を持ち、上陸された都市は全て蹂躙じゅうりんされ、灰燼かいじんす。

 そう、海から来る深界獣に対して、人類は劣勢だった。

 だが、無力ではない。

 無力ではいられないと、少年は操縦桿スティックを握り直す。


「今週、4匹目……か。まったく、勘弁してくれよな、オヤジッ!」


 猛疾尊タケハヤミコトは、奥歯を噛んで恨み節をつぶやく。

 空調の調子が悪いのか、コクピットは酷く暑い。三重構造のハイパーテクタイトで覆われたコクピットは、さながらガラス張りの温室だ。ある程度の光学防御性能があっても、夏の日差しを遮る快適性など持ち合わせていない。

 尊の操縦で、36式"羽々斬ハバキリ"が重々しくアスファルトを踏み締める。

 ホバー移動で前に出れば、深界獣に対して先手が取れるはずだ。

 だが、その選択肢を尊はすぐに捨て去った。


「こんなところでホバーを吹かしたら、また大目玉おおめだま喰らって始末書しまつしょだ」


 周囲はビル群が並ぶコンクリートジャングル、オフィス街である。ホバー移動のための熱風を大地に叩きつければ、建物の窓ガラスは残らず吹き飛ぶだろう。

 その場合、被害請求は全て尊の所属組織、閃桜警備保障せんおうけいびほしょうへと回ってくる。

 それが回り回って、尊の大事な給料をも削ってくるのだ。

 それでも、彼は先手を取って行動することを選ぶ。

 なるべく上陸地点で、文字通り水際で深界獣を迎撃する方が被害が少ないからだ。


「クッ、右脚の油圧シリンダーが今日も不調か。動きが鈍い。電圧も不安定だ」


 寸胴ずんどうの巨体に短い手足で、"羽々斬"の移動はもどかしい。

 それでも、歩く一歩が次第に加速して、激しい振動で尊を揺さぶってきた。

 乗り心地は、最悪である。

 だが、鍛え抜かれた三半規管さんはんきかんはビクともしない。

 揺れるコクピットで、尊は武装の安全装置セフティを解除した。

 それは、通信が入るのと同時だった。


『そこのポンコツ! 閃桜のギガント・アーマーだな? あまり前に出るな!』

『そんな旧式じゃ、まともに戦えない。最近の深界獣は第七世代型カテゴリー・セブンだからな!』


 コクピットで右側に振り返れば、キャノピーに自分の顔が映る。パイロット用のヘッドギアを装着した、酷く童顔どうがんの女顔だ。名前も尊と書いてミコトで、昔からよくからかわれる。

 だからこそ尊は、誰よりも男らしく、どこでも雄々しくを信条としていた。

 やがて、十字路で2機のギガント・アーマーが合流してくる。

 対獣自衛隊たいじゅうじえいたいが装備する、48式"草薙クサナギ"だ。


「避難が完了してるとはいえ、市街地では戦えない! できれば上陸前を叩くッ!」


 "草薙"は"羽々斬"とは対象的に、スラリと細身の完全な人型だ。その機動力は、旧型の"羽々斬"とは雲泥うんでいの差である。深界獣との戦闘のために組織された、対獣自衛隊の切り札、量産型の制式採用機マスプロダクトモデルである。

 2048年にロールアウトした、最新鋭機。

 襲い来る深界獣は日々進化し、強さを増している。

 人類側のギガント・アーマーもまた、その流れに追従せざるを得ない。この10年で急激に発展したギガント・アーマーは、次々と新型が開発され続けていた。

 横に並んだ"草薙"のパイロットは、まだ若い男の声だった。


すでに無人になった街だ、遮蔽物しゃへいぶつを利用しての待ち伏せを選択するべきだ』

「嫌だっ!」

『嫌、って……おい君! 随分若いな、君の上司に直接掛け合ってもいいんだぞ?』

「勝手にしろよ……俺は人々だけじゃない、!」


 12年前、深界獣に全てを奪われた。

 唯一の家族だった、母を殺されたのだ。

 あの時、閃桜警備保障の"羽々斬"が助けてくれなければ、尊も死んでいた。燃える街の中を逃げ惑い、どうにか保護され、こうして生きている。

 そこからは、尊にとっても人類にとっても地獄だった。

 正体不明の怪獣、深界獣はあまりにも強過ぎたのだ。

 防戦一方のまま、多くの都市が地図から消え、そこにいた人間が殺された。

 だが、それでも尊は戦っている。

 人類はまだ滅んでもいないし、負けてもいないのだ。


『おじょうちゃん、官姓名を名乗れ!』

「俺は女じゃねえ! 閃桜警備保障、深界獣対策室しんかいじゅうたいさくしつ所属! 猛疾尊ってんだ、覚えておけ!」

『お、男の子だったか……す、すまない。ん? ? それって確か――』

「上にでもなんでも、報告すればいい! うちの会社じゃ、臨機応変、現場の判断でまかり通る話だ。対自たいじさんは対自さんで好きにやってくれ」

『……いや、それはできない』


 不意に、2機の"草薙"は左右に別れて、尊の"羽々斬"を挟むようにフォーメーションを組んだ。全高20mメートルのギガント・アーマーが、岸壁への大通りを全力疾走する。

 歩行能力がイマイチな"羽々斬"は、すぐに遅れ始めた。


『君もまた、民間人。我々対獣自衛隊の守るべき人間だ』

『それに、そうまで言われちゃ黙っていられないぜ! 俺たちだって、この国の暮らしを守る自衛官だ!』


 尊の胸が熱くなった。

 同時に、"草薙"が追い越して先へと走ってゆく。

 フォトンライフルを構えたその姿は、あっという間に港湾施設こうわんしせつのフェンスを飛び越えていった。軽快なその動きはなめらかで、とてもマシーンとは思えない。

 一方で、尊は愛機を停止させると、ゆっくり慎重にフェンスをまたぐ。

 手にした長大な対物アンチマテリアルライフルをつえ代わりにしたが、路肩ろかたの軽自動車を引っ掛けてしまった。横転する車体を、慌ててもっさりと拾って元に戻す。

 既にひしゃげて全損した姿を見て、溜息ためいきが出た。


「……クソッ、減俸げんぽう一ヶ月だな、こりゃ。さて」


 尊は気を取り直して、補助システムであるディスプレイに地図を表示させる。

 既に各国のギガント・アーマーは全て、完全密封型のコクピットである。ギガント・アーマーの各種センサーが拾った情報で、コクピット内に360度のCG映像を投影するのだ。

 だが、"羽々斬"はガラス越しの目視が全てである。

 何故なぜなら、35式の形式番号が示す通り、"羽々斬"は世界初のギガント・アーマーだからだ。2036年の時点で、


「さて……旧型には旧型の戦い方がある。――いた、あそこか!」


 不意に、前方の海に水柱が屹立きつりつした。

 その巨大な海水の塊が、あっという間に津波となって押し寄せる。200m程前方で、2機の"草薙"が水圧に洗われるのが見えた。ギガント・アーマーはあらゆる状況で戦闘が可能な汎用兵器はんようへいきだが、水浸みずびたしでは機動力が奪われる。

 ゆっくりと海面から持ち上がる影を見据みすえて、尊は愛機に対物ライフルを構えさせた。

 どっしりとした短い脚は、接地面積が広く安定感がある。

 尊が常に選ぶ戦術オプションは、まずは遠距離からの狙撃エイミングである。


「出たな! おいっ、対自さんっ! 援護射撃するから、あんたたちで仕留めてくれ!」


 手柄には興味がない。

 撃墜数スコアは所詮、深界獣を殺した数に過ぎないのだ。尊には、どれだけ多くの命を守ったかが大事なのである。そして、命は数で数えていいものではない。

 守れる全てを守り通す、それがあの日から決意した尊の戦いだった。


『助かるぜ、ボウズ!』

官民連携かんみんれんけいは、現場の基本だな! よし、しまっていこうぜ!』


 目の前に今、巨大な影が日光を遮っていた。離れて狙撃ポジションを取る尊も、あまりの巨大さに距離感を狂わされる。全長100mを超える深界獣の前では、前衛をつとめてくれる"草薙"が、まるでミニチュアのように見える。

 鎌首をもたげた蛇のような深界獣は、刺々とげとげしい背ビレが帯電している。

 口を開いたその瞬間に、迷わず尊は狙いを絞って、スイッチ。

 対物ライフルから発射された、88mm口径の徹甲弾APHEが炸裂する。

 おぞましい絶叫と共に、口の中を穿うがたれた深界獣がのたうち回った。


『その距離で当てるのか! よしっ、俺たちも攻撃開始だ!』

『ああ! 閃桜のボウズにだけ格好いい思いはさせないぜ!』


 対獣自衛隊の"草薙"も、フォトンライフルを連射しながら左右に展開する。この時代、ギガント・アーマーの兵装は大半が光学兵器である。搭載されるフォトンリアクターが強力で、余裕のあるエネルギーを武器へと回せるからだ。

 因みに"羽々斬"はガスタービンを動力としているため、実弾兵装しか扱えない。

 パワーもスピードも、現行の機体から見れば劣っている旧式機なのだ。


「よし、このまま押さえ込めば……ッ! 対自さん、危ない! 下がってくれ!」


 波間なみまを暴れまわる深界獣は、その頭部を外海の方へと向けた。

 逃さんとばかりに、2機の"草薙"が攻撃を強めた、その瞬間だった。

 逃げる頭とは逆に、尻尾が持ち上がる。。真っ赤な口を開いて、背ビレの放電をそのまま体内でエネルギーに変える。

 咄嗟とっさに尊は、双頭の大蛇を狙撃した。

 現れたもう片方の頭部の、右目を徹甲弾が貫通する。

 だが、咆吼ほうこうと共に深界獣は強烈なプラズマを口から解き放った。


「しまった! 対自さんっ!」


 尊の脳裏を、悲劇的な結末がよぎる。

 頑強がんきょうな装甲を持つギガント・アーマーといえども、深界獣の放つ攻撃の前では無力だ。回避を前提に動かねばならず、被弾は即大破、爆散を意味するからだ。

 だが、突然なにかがあおい電撃の前に舞い降りた。

 海水の飛沫しぶきがヴェールとなって舞い上がる。

 その奥で、可憐かれんな声が気迫を叫んでいた。


『そこまでですっ! 出ましたね、悪の深界獣! この、わたしが……このっ!』


 尊は思い出し、再確認した。

 この世界は、滅びの瀬戸際にあって尚……希望を捨てていない。それは、希望そのものである救世主メシアがいるからだ。


『このっ、神装戦姫しんそうせんきラピュセーラーが相手です!』


 舞い上がった海水が雨とそそぐ中、巨大な乙女が身構えていた。見目麗みめうるわしいその姿は、傍目はためにはセーラー服のようなミニドレスを着た、ポニーテイルの美少女にしか見えないのだった。

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