第49話 華流院怜奈という少女①

 華流院怜奈は幼い頃からなんでもできた。

 勉強、運動、乗馬、ダンス、社交術。

 華流院家の令嬢として生まれ、それにふさわしい品格、器量、頭脳、能力を有して生まれ、それらを磨き育て、小学生の頃から完璧と言われ続けていた。


 そんな彼女が将来の夢として目指したものは、あえて自分に出来ないもの。

 それまで全く手を出したことのないジャンル。

 いわゆる創作――小説というものであった。


 なぜ彼女がそんなジャンルに手を出したのか。

 理由はさまざまであり、昔から同じ上流階級の付き合いとして友人関係であった綾小路の御子息の趣味に影響された部分もあるが『何かを生み出す』という自分で物語を創造するという事柄に彼女は強く惹かれた。

 そして、それを書き始めてすぐに彼女はある壁にぶつかることになる。


 そう、どんな難問であろうと、どんな推理小説のトリックであろうと彼女はすぐさま答えを導き出し、回答を口にする。

 だが、問題を解ける者が必ずしも、優秀な問題を作れるとは限らない。

 推理小説のトリックをいとも簡単に推理できようとも、自ら読者をあっと言わせるようなトリックを考えられるかというと、それは全く別なのである。


 様々な才能、才覚、知識、能力を持った華流院怜奈であったが、彼女が書いた小説は――駄作であった。


「ううううううううっ! なんで皆、こんなひどい感想ばっかり書くのーーーー!!!」


 その日も彼女は自らが投稿した小説の感想板を眺めては顔を真っ赤にして怒り、目の端には悔しさや悲しさといった様々な感情から溢れた涙を浮かべていた。


『ためしに読んでみたがクソ小説だった。二度とこんなクソ書くな』


『作者は小学生か? 読んでてムカついて来たわ。いっぺん小説の書き方を習ってから出直してこい』


『読めば読むほど面白くなくなっていく』


『クソ以前の話。こんなもん小説というのもおこがましい。さっさと作者消えろ』


「うがああああああああああ!! 私は小学生よーーーー!!! お前達ー!! いい大人がよってたかって小学生が書いた小説にそこまで罵詈雑言書くなんて恥を知れーーー!!!」


 涙を浮かべながら何度もベッドで悶えて、その後、感想板に書かれたワードを思い出しながら枕を濡らしワンワンと泣く日々。

 これまで華流院怜奈が何かで失敗し、貶され怒られたことなど皆無であった。

 仮に何かを失敗したとしても、名門の令嬢を頭ごなしに汚い言葉で罵れるわけがない。

 故に、彼女にとってそれは人生で初めての胸をえぐるような言葉のナイフ。

 かつてどんな失敗、挫折よりも苦しい胸の痛みを、まだ小学生であった華流院怜奈は味わっていた。


「……じい、私の小説……面白く、ないの……?」


 小説を書き始めてひと月。

 相変わらずな感想板の心無い感想に胸を痛めながら華流院怜奈は自らの執事にそう問いかける。


「……申し訳ありません。お嬢様。私には答えかねます」


「……それってつまり、面白くないってことだよね……」


「…………」


 生まれた頃から、付き添ってくれた執事の沈黙は華流院怜奈に肯定という文字を突きつけた。

 ベッドに潜り、頭から毛布を被り、華流院怜奈は静かに口にする。


「……もう、小説書くの、やめようかな……」


 それはこれまでどんなことがあろうとも一度やりかけたことを決して放置しなかった華流院怜奈が始めて挫折を覚えた瞬間であった。

 確かに感想板の言うとおり、自分には才能がないのかもしれない。

 けれども、ここまで書いていたのは華流院家の令嬢として一度やり始めたことは最後までやり通すというプライド故。

 だが、そんなプライドも砕かれるほど、華流院怜奈は憔悴していた。

 それも当然である。彼女はまだ小学生。精神面においてまだ未熟であり、これまでこのような挫折を覚えたことはないのだから。


 何かを生み出すもの。創作者。小説家。

 それになりたいと思っていた彼女であったが、そんな彼女の夢も今書いている小説と共に未完で終わろうとしていた。

 いいじゃないか。たかが小説。

 自分には合っていない。才能がない。

 なら、才能がある方面に進んで、普通にこのまま華流院家を継げばいい。

 そんなある種の『逃げ』に彼女の心が傾きかけた、そんな時であった。


 彼女は『ヒーロー』に出会った。


「……これ……」


『めちゃくちゃおもしろかったです! つづきも期待しています!!』


 そこに書かれたのはいつもの彼女が書いた小説の感想板。

 罵詈雑言の中にあって、唯一彼女の作品を「面白い」と褒めてくれたコメントであった。


「……ジャスティスヒーロー」


 そのコメントを書いた人物のハンドルネームであった。

 最初、華流院怜奈はからかわれていると思っていた。

 それでも、そのコメントに背中を押されるように彼女は続きを投稿する。

 すると、感想板にて再びジャスティスヒーローと名乗る人物からの感想が届いた。


『今回もめちゃおもしろかった! つづき気になる! はやく投稿してください!!』


「…………」


 無論、それ以外にも心無いコメントはたくさん書かれていた。

 比率で言えば、自分の作品を褒めるコメントはジャスティスヒーローただ一人であり、批判99の好意1であった。

 だが、それでも華流院怜奈にとって、そんなことは関係なかった。

 ただ一人。自分の作品を面白いと褒めてくれた人物、読者。

 その一人のためだけに書こうと、この時、華流院怜奈は思った。


 そうしてその日から、彼女の更新は毎日止まることなく投稿され続ける。

 その度に感想板は炎上し、批判、罵詈雑言、様々な悪意にまみれたコメントが書かれ続けるが、華流院怜奈の目にはなにも映らなかった。

 ただ一つ、ジャスティスヒーローからの「おもしろかった!」「つづきはやく!」「神作品!」といったコメント以外。


 そうして、華流院怜奈が人生で始めて書き上げた作品は無事、完結を迎える。

 無論、それに対するコメントの数々は悲惨なものであったが、中には作品の完結を祝う声もあった。


『クソ作品だったけど、最後までキチンと書き上げたのは賞賛する』


『よかった点:終わらせた 悪かった点:そのほかの全部』


『おー、まあクソ作品だったけど、放置してそのまま未完で終わるよりはマシかな。お疲れ』


「……あれだけ悪口書いておいて、最後にちょっと褒めるのなんなのよ。こいつらツンデレ?」


 そんなコメントを見ながらも華流院怜奈は悪い気はしなかった。

 自らがやり始めたことを、ちゃんと最後までやり遂げた達成感。そして、何よりも――


『完結お疲れ様です! 僕は小説を見るのはこれがはじめてでしたが、すごく面白かったです! このサイトには他にも色々面白い小説があるそうなので、これから見ていこうと思います! でも、最初にこの作品にあえてよかったです! 本当に楽しかったです! 作者様、最終回お疲れ様でした!!』


「……私こそ、最後までありがとう」


 そう言って小さく微笑み、華流院怜奈は画面の向こう側にいるヒーローに挨拶する。

 そうして、しばらく自分の作品を読み直しながら華流院怜奈は背後にいた執事へと振り返る。


「じい、私決めたわ。やっぱり私、小説家を目指す!」


 そう言って堂々と立ち上がる華流院怜奈を前に執事は僅かに目を細める。


「ほお、ですがよろしいのですか、お嬢様。少し前にあなた様は小説家の才能はないとご自分で認めていらっしゃいましたが」


「そうだけど、それでも関係ない。私は小説家になる。これは宣言よ。華流院家の令嬢として、一度口にしたことは必ず実現させてみせるわ」


 胸を張って宣言する少女を前に、執事はもはやなにも言わない。

 ただ「分かりました」と優しく微笑み、目の前の少女の夢を応援するだけ。


「あ、だ、だけど、さすがに今回の作品じゃ書籍化は狙えないわね。そ、それとペンネームも今のやつだとさすがに感想が荒れてるから、一度小説の勉強をしてから新しいペンネームで出直そうと思うけれど……」


「それがよろしいかと存じ上げます。時に次に書く作品の目処はついていらっしゃいますか?」


「そうね……。今のところタイトルだけで設定とかストーリーとかはまだだけど」


「ほお。では、そのタイトルとは?」


 問いかける執事を前に華流院怜奈は年相応の笑みを浮かべて答える。


「タイトルは『異世界転生したオレのハーレムが日本に侵略しに来た』よ!」

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