第4話


「気持ち悪」

「……うるさいな」

 私の話を黙って聞いていた千明が、呆れたような声でそう言った。……まぁ、それが普通の反応だろう。

「だってお前、彼氏とかやったらともかく……自分を好きになってくれやん男の為にこんなとこまで来たって事やろ? あほやん! 頭おかしいやん!」

「……それくらい好きなんだから仕方ないでしょう。彼がいなくなった後、何だか空っぽになった。生きていく理由を失った。千明には、私の気持ちなんてわかんないよ」

「わからん。だって俺、異性にそれ程の感情抱いた事ないもん」

「……千明、今彼女は?」

「おるよ?」

 私は大きく溜息を吐いた。

「千明っては、昔からそうだよね。彼女さんに同情しちゃう」

「俺やってその男に同情してまうわ。自分の為に自殺なんかされたら迷惑でしかないやろ」

 千明の言葉に悪気がない事はわかっていた。それにきっと、千明の意見が正しい。

 私の勝手な行動に彼はどう思うだろう? 今更ながら、知るのが怖くてたまらない。

 俯き、言葉を失っていると、私の後頭部に暖かくて大きな手のひらが触れた。

「……あほ。何もお前が死ぬ事はなかったやろうに」

 千明はそう言うと、そのまま私の前髪にそっと触れた。二人の視線がぶつかり合うと、千明は少し眉を下げながら優しく笑う。

「灰。ついとったで」

「……ありがとう」

 千明はそのまま後ろに倒れた。千明の目線の先にあったのは薄汚れた天井だった。

 そういえば……千明はどうして此処にいるのだろう? 

「ねぇ」

「ん?」

「千明はどうしてこの世界にいるの……? どうして死んでしまったの?」

「んー……内緒」

「はぁ? 何で⁉︎ 私全部話したのに」

「そんなん知らんわ。秘密や、秘密。男は多少ミステリアスな方がかっこええやろ? ま、俺は普通にしててもかっこいいけどな」

 そう言うと千明はケラケラと笑った。

 まぁ……自分の死因など、人に話したくない気持ちもわからなくはない。

 とにかく、これ以上追求しても無駄だろうと思った私は小さく溜息を吐きながら、そっと立ち上がった。

「未奈都? 何処行くん?」

「雨、止んだみたいだから彼を捜しに行く。千明の言うように引かれるかもしれないし、煙たがられるかもしれないけど、私……彼にもう一度会う為にこの世界に来たの。だから、行ってくる! それに此処には夜叉とかいう、人の生命を奪う存在がいるらしいから早く彼を見つけないと」

「……お前、それ誰に聞いた? あ、そうか。お前が言うとった影に聞いたんか。そのお前が見た影っていうんは、髪が肩までの青味がかった色しとる影音って女か?」

「ううん。私がさっき会ったのは、影丸っていう男の子だよ?」

「影丸……?」

 千明は少し考える素振りを見せながら、ゆっくりと口を開いた。

「急いでるんはわかるけど、ちょっと俺の話聞いていけ。情報があるんとないんやったら全然違うぞ?」

 千明の表情が何やら神妙だったので、私は何も言わず再び千明の横に腰を下ろす。それを見て、その場に寝転がっていた千明も即座に身体を起こした。

「説明するとな、影らは肉体が欲しいんや。ほやから、元の世界から死を望んでる奴を上手い事言って連れてこようとするねん」

「え? それじゃあ……影丸は私の身体を奪う為に私を此処に連れてきたって事? いや、でもあの子は既に身体を持っていた……じゃあ、他の影達の為に私を此処に? ……うーん。そんな風には見えなかったけど」

「ちなみに、お前どうやって死んだ?」

「……だから自殺だって。さっき全部話したじゃない」

「そうやない! 影の言う通りにして死んだんか、影の言う事聞かんと自殺したんか、や」

「……影丸が渡してきた毒薬を飲んで此処に」

 それを聞いた千明は、安心したように大きく息を吐いた。

「影の言う通りにして死を選ぶのは良し。影の言う事に耳を貸さんと頑張って生きるのも良し。ただ、絶対にしたらあかん事があるんや。それはな、影が勧めてくる死に方をせんと自分自身で死を選ぶ事や」

 千明が真剣な表情を私に向けた」

「ちょっ……意味がわからない」

「本来ならわけのわからん影の言う事なんか聞かんし、抗うやろうけど……ここは従う、受け入れるが正解や。死に取り憑かれとる奴は余程の理由がない限り、結局は高い確率で自分から死ぬ。どうせ死ぬなら影の言う通りに死ぬんが最善。未奈都、お前は賢い選択をしたっちゅー事や。それにな、まだ確信はないけど……俺の予想やと」

「俺の予想やと……?」

 私がそう聞き返すと、千明は少しの間黙り込んだが、すぐにニカッと歯を見せて笑った。

「やっぱ、まだ言わんとく。確信がない以上、余計な情報は頭に入れん方がいいわ。混乱を招くかもしれやんしな」

「はぁ⁉︎ 何であんたはいつも言いかけてやめちゃうのよ! 気になって仕方ないんだけど!」

「ははっ、悪い悪い。機嫌直せや、せっかくの再会なんやし」

 千明はそう言いながらスッと立ち上がると、不機嫌な私の目の前に手を差し伸べた。

「しゃーないから、俺がお前をその男のおる場所まで連れてったるわ! お前も一人やと心細いやろ? 心配すんな、見つかったら俺もとっとと消えるし。お前らの邪魔らせぇへんよ。俺もほんまは色々と忙しいねん。ちょっとこの世界で調べてる事があるしな」

「……どうせ何を調べてるかを聞いても答えてくれないんでしょう?」

「ん。御名答!」

 死後の世界にいても何ら変わりない千明に私は呆れながらも、ゆっくりとその手を取った。

 確かに千明の存在は心強い。私が知らない事も色々と知ってそうだし頼りになる。

 何よりこの死後の世界で一人でいると、何だか不安で……私の場合、また影に取り込まれてしまい、すぐに二度目の死を迎えてしまいそうな気がした。

「……千明。私を仙くんに逢わせて」

「よっしゃ、任しとき。絶対に逢わせたる」

 千明が強く手を引き、私は立ち上がる。

 ――その時、私はふと思った。千明は死んでしまった側なのだろうか? それとも、誰かを追ってきた側? しかし、千明は死因を明かさなかった。という事は追ってきた側とは考えにくい……よね? だって私のように追ってきたのなら、自殺しかないわけだし、隠す必要もない筈。まぁ、聞いてみたとしても千明はきっと答えないだろうけど。

「行こう、千明! お互い死んじゃったけど、同じ死人同士仲良くやろうじゃない」

「……死人、ねぇ。ま、俺に任しとけばすぐ逢えるわ。だって俺お前の好きな男に何となく心当たりあるもん。多分、あの男やと思うんよなぁ」

「え⁉︎ 何それ、どういう事⁉︎ 千明……仙くんの事を知ってるの?」

「実はな俺、此処に来てもう半年くらい経つねん」

「えっ? 千明、そんなに前からこの世界にいるの⁉︎」

 私が驚いたようにそう尋ねると、千明は「おう!」と目を細めて笑った。

「その間、色んな人間が此処に送り込まれてくるんを見てきたんやけど、皆とにかくギャーギャーわめき散らすねん。泣いたり怒ったり、色々な。まぁ、多分それが普通の反応なんやろうけど」

「うん、まぁ……そうだよね。普通は」

「そん中にな、一際目を引く男がおった。派手とか騒がしかったとか目立ってたとかやないねん。寧ろ静かで大人しく、一人冷静やったわ。けどな、とにかくめっちゃ変な男なんよー」


***


『なぁなぁ、さっきから何してんの? 自分』

『ん? いや、この世界には虫とかって存在するのかなって思って。この世界の水は普通に飲めるのだろうか? 火は使えるのだろうか? 食料等はどうなっているのか? 色々考えると何だか楽しくなってきてしまって! あ、君はどう思います? この世界は俺達がいた世界とまったく同じなのか、それともそうではないのか?』

『……おかしな事言うなぁ~。怖くないの、あんた。他の連中は皆パニック起こしてんのに』

『怖い? どうして?』

『ははっ、どうしてって言われてもなぁ~』

『俺には此処がとても魅力的に思えるんですよ。この世界に来られた、それだけで……死んだ甲斐すらあると思えるくらいに。それに、冷静なのは君も同じでしょう? きっと、俺達よりもずっと前から此処にいるんでしょうね。他の人達と違って、随分と余裕があるように見えますから』

『鋭いなぁ。確かに俺は、あんたらよりは多少長くこの世界におるよ。まぁ、あんま大差はないけどな。あ、ちなみにさっき自分が悩んどった答え、教えたろか? えと……何やっけ? そうや、この世界は俺らがおった世界と同じかどうか』

『うわぁ! ちょっと待って! やっぱり何も言わないで下さい!』

『えー! 何でー? さっき俺にどう思います? って聞いたやん』

『ダメダメダメダメ! やっぱり何か知ってても絶対に俺には言わないで下さい! 謎は、自分で調べるからこそ面白いんです』 



***


「そいつは何の恐怖も感じてないように穏やかな顔して笑いよった。まるで好奇心旺盛な子供みたいに、とにかく楽しそうやねん。何かそれが逆に不気味で、異質に感じたんやけど……お前の言うその仙って男、そいつちゃう? さっきお前から仙って奴の事色々聞いた時、俺絶対そいつや思ったんやけど」

 千明の言葉を聞いて、私も十中八九、その男の人は私の捜している【穂積仙】に間違いないと思った。

 他の人とは違う独特な雰囲気、優しそうな笑顔の奥に隠されている野心、そして情熱。それは私が恋い焦がれてやまない相手にぴたりと当てはまる。

「そうだね……私もそれ仙くんだと思う」

 どうしてだろう。会いたくて会いたくてたまらない人の目撃証言を聞いたのだ。もっとテンションが上がってもおかしくないのに、私の心は急速に下降していった。

 理由なんて、本当はわかってる。彼の頭の中には私なんて存在していない。きっと、目の前の事に夢中で私のことなんて忘れてしまっている。……それが、悲しいんだ。

「ほんまお前はわかりやすい奴やなぁ。うじうじうじうじと……おい、未奈都」

「……何?」

「あいつと俺、どっちがいい男や?」

「仙くん」

 千明は額に手を当て大袈裟に溜息を吐くと、呆れたように言い放った。

「お前は好きになったら一直線過ぎるねん。一つ忠告しといたるわ。異性は百パーセント好きになるな。精々八十くらいにしとき。百よりメーターが上がらんのやから逃げ場失ってパンクするで? 好きなままおるんも、好きなんやめるんもしんどなる」

 千明は未奈都の頭にポンっと手を置いた。


 雨は止んだはずなのに、私の心に降り続いている雨はいつになれば止んでくれるのだろう?

 実際に、自分を見てくれない人を想い続けるのはそれ相当の痛みが生じる事だと、とうの昔から気付いていたのに。

「じゃあ……千明は彼女の事、百パーセント好きじゃないわけ?」

「気になる?」

「はぁ……? ならないわよ。ただ、やっぱり女としては百パーセント、好きな人に愛してもらいたいんじゃないかと思っただけ」

「女は感情的な生き物やからなぁ。めんどくさいわ、そんなの」

 そう言うと、千明は胸ポケットから煙草を取り出し、火を点けた。大きく煙を吸い込んで、それをうまそうに吐き出す千明を見て、『まだやめてなかったんだ』と思いながらも、それを口にする事はなかった。

「俺は何にも染まらへん。社会にも環境にも、ましてや女になんて有り得へん事や。時間の無駄やとさえ思っとる」

「話し方は充分染まってるけどね。何だか違和感ありありで、知らない人と話してるみたい」

「あほ。お前知ってるか? この喋り方の方が周りにウケるんやぞ? 俺別に、女にら本気にならんけど、普通にモテたいもん」

「相変わらず馬鹿だね、あんた」

 とにかく、ここでこうしていてもらちがあかない。

 私は工場の階段を、来た時と同じようにカンカンと高い音を鳴らしながら駆け下りる。千明はその後を、大きな欠伸をしながらゆっくりと降りて来た。

「……誰もいないね」

「そうですねぇ」

「で、今からどこにいくの?」

「まぁ、とにかくついて来い。あ、森には近付くなよ。あと、影音と~……何やっけ?」

「影丸?」

「そや。それそれ!」

 千明はスッキリしたようにそう言うと、「そいつらには気をつけろよ」と付け足し、スタスタと歩いていった。私はその後を小走りで追った。


 森に面する畦道を暫く歩き続けると、時折小さな悲鳴のような声が聞こえた気がした。私の心臓はドクンと音を立てる。

「……夜叉や、夜叉。こればっかりは慣れやんと仕方ないわ。ちょっと怖いやろうけど、最初だけ。嫌でもすぐに慣れる」

「夜叉……」

 夜叉という、眉唾な存在を未だに信じきれていない私は、先程工場で『此処には夜叉とかいう、人の生命を奪う存在がいるらしいから早く彼を見つけないと』などと口にはしてみたものの、いまいち釈然としないのが本音だ。なら、先程の悲鳴は? と尋ねられたら、野犬の群れに襲われただとか、或いは少し物騒だけれど……この世界にいる者同士で殺し合いが行われているのだろうと、私の中でまとまってしまう。そっちの方が、充分有り得る話だからだ。

 実際殺し合いなんて行われていたら、恐怖でしかないのだが……夜叉が人を殺す、というものよりは納得出来てしまったりする。

 それとも夜叉というのは、単に殺人鬼の名称なのかもしれない。……うん、それが一番しっくりくる。

 夜叉と呼ばれる殺人鬼が、この世界を支配している。きっとそれが正解なのだろう。

 しかし、影丸は夜叉を女だと言っていた。男性の力を以ってしても、女一人に敵わないという事があるのだろうか? ……束になっても?

 とにかく、触らぬ神に祟りなし! 森には近付かない事にしよう。

 一人で「うんうん」と頷いていると、突然千明が立ち止まり、私の方に振り返った。

「何や、ぶつぶつうるさいなぁ。……ほら、見てみ。この丘を登ったとこにな、噴水場があるねん。いつも結構人が集まってる。もしかしてそこに、お前の仙くんおらんかな? おるかどうか保証は出来やんけど、行ってみる価値はあるやろ」

「お前の、って言うのは余計だけど……そうだね、可能性がある場所は、{虱}(しらみ)潰しに捜していかないと。行ってみよう!」

「了解。あ、ここちょっと坂きついし危ないから、こけやんように気ぃつけろよ?」

 そう言って再び歩き始めた千明の背中を、私はひたすら追いかけた。確かに坂はきついし、足場は悪い。苔の生えた沢山の大きな石が、まるで通せんぼをするかのようにゴロゴロと転がっている。

 ……気を付けないと。ゆっくり、慎重に。


  空からは、再びパラパラと灰が舞い降りてきた。私は思わず立ち止まり、それを手のひらですくう。

 私は手の中におさまったそれを、何となく人刺し指でつついてみた。

 不安定な灰の塊は簡単に崩れ落ちて、風に攫われる。私は、目を凝らしても見えない灰の残骸が空へと消えていくのを、ただずっと眺めていた。

「……まるで、私みたいだ」

「あ? 何か言うた?」

 私がついてこないからか、元来た道を引き返してきた千明が、間の抜けた声で私に尋ねる。

 私はにっこり笑顔を作ると、即座に口を開いた。

「……何でもない。急ごう!」

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