第4話


「次の日の事だ。僕達は皆で海辺に集まった。後継者に選ばれた瞬間から、この島の恩恵を受け、古から伝わる力を手にする事が出来る。童子達の羨望の眼差しが、僕達【三人】に注がれた。なのに、島の後継者に選ばれたのは、僕と黒兎だけ……だったんだ」

「……え⁉ どうして⁉」

「島の神は……きっと全てをわかっていたんだろうね。彼女の美しく純粋な笑顔の裏に隠された悪魔のような素顔を。……力を授かった僕達は、それぞれ目の色が変わり、以前とは比べものにもならない力を得た。……僕の病も力を得た事で治ったのか、元気に動き回れるようになった。赤兎だけが何も変わらないまま……じっと、僕達を見つめていた」

「……それで、赤兎はどうしたの?」

「童子達の憐れみと同情からくる視線に、『どうして⁉』だなんて取り乱す事は、彼女のプライドが許さなかったんだと思う。平気な顔をしてニコリと笑っていたよ。童子達はその表情を見て安心しただろうけど、僕達はその笑顔が恐ろしくてたまらなかった。 ――そして、その晩……宴が開かれる事はなかった」

「……まさか」

「そのまさかさ。『準備をする間、部屋で待っていて』と童子達に言われ、僕と黒兎はずっと待っていた。けれど……約束の時間になっても、誰も呼びに来ない。あの山の時と同じ胸騒ぎを感じた僕達は、すぐに海岸に向かう事にしたんだ。この不安が単なる杞憂でありますように、と願いながらね。だけど……その願いが叶う事はなかった。宴に使う道具は全て破壊され、童子達は全員……見るも無残な姿になっていたよ」

「そんな……!」

「……あの時と同じように人形を抱きしめ、そこに立っていた赤兎を見て、黒兎は激怒した。人間達を殺された時とはワケが違う。……童子達は、僕達の友達だった。一緒に生活してきた仲間だったんだ。僕達の家族も同然だったんだよ」


『お前など、もう姉でもなんでもない!』


「――そう黒兎が叫ぶと、赤兎は……突然気でも触れたかのように笑い出し、僕達に向かってこう言った」


『キャハハハハハ! は~、おっかし~! ……お前、山で私を殺そうとした癖によくそんな事が言えたわねぇ? それはこっちの台詞だわ。毎日、毎日……お前達をどう殺してやろうか? そればかりを考えて生きてきたのよ、私。そして、島の後継者に選ばれる今日。この【クズ共】と一緒に、絶望を与えながら殺してやろうと思っていたのに……何故、私が選ばれないの? ……はぁ~、むっかつく~! お前達の顔を見てるだけでほんっと虫唾が走るんだけど。……さっさと死ねよ、ブスにノロマ。私がお前達を残酷に……そして美しく、殺してあげるわ。【こいつら】のようにね。あは! ……ずっとずっと、殺してみたかったの。同族で私の唯一の肉親……うふふふ。精々、良い声で鳴いてちょうだい?』


「――そう言って、彼女は突然攻撃をしてきたんだ。赤兎の力は強大だった。本気で僕達を殺そうとしているのがよくわかった。……けれど、力を授かった僕達の方が少しだけ赤兎よりも強く、黒兎と僕の力が交じり合った瞬間、とてつもなく大きな炎を生み出した。まるで竜のようにも見える火柱が赤々と立ち昇り、夜の空を朱に染める。そしてその炎は……無情にも、赤兎のその身を包み込んだんだ」


『ぎゃあああぁああぁああぁああ!』


「赤兎は、まるで魔女裁判にかけられた魔女のようにつん裂くような声で叫びながら、激しい業火の中で踊り狂う。僕達はただ、焼かれていく赤兎の姿を……見ている事しか出来なかった」

「赤兎は……一度、死んでしまったって事……?」

「……いいや、死んでなんかいない。その時にね? 炎の中から、一つの影が飛び出してきたんだ」

「影?」

「……あの人形だよ。少年の形をした可愛らしい人形は、焼け焦げ、黒いススで汚れていたけれど……何故か燃え尽きてはいなかった。宙に浮かんだソレは、凶々しいオーラを纏いながら、不気味な声で僕達に話しかけてきた」


『オ前タチ、絶対ニ許サナイヨ』


「その人形、喋るの⁉」

「……僕達も驚いたよ。赤兎と一緒にいる内に魂が宿ったのか、赤兎が黒魔術で人形に魂を宿したのか、或いは……最初からただの人形じゃなかったのか。――それは、僕達にもわからない。そしてその人形は、息絶え絶えの赤兎を連れて、島から消えた。……長くなってしまったけど、これが僕達に起きた過去の全てだ」


 全てを話し終えた白兎は、少し疲れたのか……そのまま後ろにあったベッドに倒れ込んだ。……白兎の額に汗が流れているのが目に入る。

「シロくん……。辛い事を話してくれて、本当にありがとう」

「……ううん。ミズホにはちゃんと全てを話しておきたかったんだ」

「今度は……私が思った事を話してもいい?」

「……うん。勿論」

 私は……ゆっくりと深呼吸をする。そして、自分の中に生まれた気持ちや想いを、正直に白兎に話してみようと口を開いた。

「赤兎は、確かに恐ろしい存在だと思う。無慈悲で残虐で……私は彼女が凄く怖い。昔の話を聞いてその想いは更に強まってしまった。けれど……どうしてだろう? 私、何だか……赤兎を可哀想に思った」

 幼い赤兎が生命あるものを殺める事に興味を抱き始めた時に、黒兎と白兎が……見て見ない振りをするのではなく、彼女を止めてあげていたら。多くの人間を殺してしまった事は決して許されない事だ。けれど……あの頃、三人の周りには叱ってくれる存在がいなかった。『してはいけない事だ』と教える人がいなかった。

 黒兎と白兎はそれを悪い事だと判断出来ていたけれど、赤兎はきっと精神的に、二人よりうんと幼かったのだろう。それが悪い事だと認識出来ていなかった。

 とにかく……彼女は死の重みを知らなかった。溢れる好奇心を押さえつける事が出来ず、沢山の人間達を死なせてしまった事も……彼女にとっては単なる【いつもの遊び】の延長戦だったのかもしれない。

 そして……


『同族を殺したら……一体、どんな感じなのかしらぁ? ……きっと今まで以上に興奮するでしょうね、ふふふ』


 彼女を援護するわけではないが、彼女は本当に二人を殺したいと思っていたのだろうか? 幼い子供が面白がって言うような、軽い冗談だったのではないのだろうか? 

 現にそれからの赤兎は大人しく、二人に手を出してはいない。

 彼女は彼女なりに、二人の事を……ちゃんと愛していたのではないだろうか? 

 そして……赤兎のその言葉に恐怖を感じ【殺される前に殺す】という選択肢しか見つからなかった黒兎と白兎も、やはり考えが幼過ぎた。

 結果、赤兎は……実の妹と弟に山頂から突き落とされる。辛うじて生きていたものの、二人に殺されかけた事により赤兎は傷つき、憎しみ……死の連鎖から回避出来なくなってしまった。

 互いに話し合う事から逃げずに、ちゃんと向き合っていたら……【島】での悲劇は防げたのではないだろうか? 

 ――わかってる。私のこの考えはあやふやで、実に偽善的だ。けれど……そう信じたい自分が確かに存在する。

 じゃなきゃ、悲しすぎるよ。じゃなきゃ……救われない。

 白兎も黒兎も……そして、赤兎も……


「……ミズホ。君は本当に優しい人だね。けれど赤兎に関して、そういった感情を持つのは間違いだ。彼女は悪魔だ。君の思うような、ただ純粋無垢なだけの少女ではなかった。あいつは、誰かを殺す為だけに生まれてきた。……それが僕の見解だよ」

「……うん、そうだよね。実際私はその場にいたわけではないし、こうやって聞く事でしか貴方達三人の気持ちを知る術を持たない」

 私もそっと、後ろにあるベッドに倒れ込んだ。

「……これから、どうしたらいいんだろうね」

「わからない。けれど赤兎が飽きた時点で、僕達は確実に殺されるだろうね」

「――ねぇ、シロくん。私思ったんだけど……もしかして、夜宴の島で過ごす十七夜って……」

「……うん。そうだよ。この島にいた童子達の数だ。僕達はね、赤兎がいなくなった後……毎夜のように宴を始めた。僕達以外、誰もいないこの島で。童子達に対するせめてもの罪滅ぼしさ。彼等は宴を……本当に楽しみにしていたから。一度に行う宴の回数は、童子達の数……即ち十七回目の夜までって決めていた。それを終えると暫く期間を置いてから、また宴を始める。長い年月をかけて、宴の噂を聞き付けた神々がこの島に訪れるようになり、この島はいつの間にか【夜宴の島】と呼ばれるようになったんだよ」

「……そっか。夜宴の島にはそんな歴史があったんだね」

 あんなに知りたいと思っていた筈の、夜宴の島に隠された謎や真実。けれど知れば知る程に、世の中には知らないままでいた方が良いものもあるんだなと実感する。

 ここは悲しい島だ。とても……

「けどそれも、もうすぐ終わるのかもしれないね。夜宴の島がこのまま消えてしまったら、全てがなかった事になる。あの美しく賑やかな宴も、もう二度と行われる事はないだろう。もう、二度と……」

「終わらない! 終わらないよ……!」

「……ミズホ」

「絶対に終わらせない。この島の宴は、これからもずっと続くの。永遠に続く不思議で奇妙で美しい夜。夜宴の島は消えたりなんかしない。そんな事絶対にさせない! ……何があっても!」

 突然、左手に温もりを感じた。白兎の細くて長い指が、私の指と絡み合う。

「おいで」

 そう言って白兎が腕を広げ、優しく笑うものだから……私は身体を寄せ、その中にすっぽりと包み込まれた。

 ……安心する。白兎の包容力に、自然と身を預ける事が出来る。油断すると、このまま眠ってしまいそうなくらいの安らぎがそこにあった。

「ミズホ……好き」

「……うん」

「ずっとずっと、君と一緒にいられたらなぁ」

「じゃあ私、シロくんより先におばあちゃんになっちゃうね?」

 そう言ってクスリと笑う私の頭に手を伸ばし、白兎は優しく髪を撫でた。

「人間の寿命は短いからね。ミズホはきっと可愛いおばあさんになるよ。……あ! 意外と偏屈で頑固な老人になるかもしれないね?」

「ちょっとぉ! それどういう意味⁉」

「あはは! 冗談だよ!」

 白兎のこんな笑顔を久しぶりに見たような気がする。それは何だかとてもくすぐったくて、心の中に優しく暖かい風が吹いたようだった。束の間の幸せを、感じずにはいられなかった。

 それなのに、白兎は……

「ちゃんと君を無事に、元の世界に戻してあげるからね。……ソウと一緒に」

 そう言って、今にも泣き出しそうな顔で笑うんだ。


 ソウくん……

 彼は今頃、どうしてるんだろう。

 胸が、締め付けられるように……痛い。


 コンコンとノックの音が聞こえ、白兎がドアを開ける。扉の前にいたのは、先程この部屋まで案内をした者と【同じ】者かどうかはわからないが、同じ【奇妙な仮面】をつけた者だった。

「ティターニア様がお呼びです。ご準備を」

「……わかった。そこで待っていてくれ」

 白兎は悪魔面にそう告げると、一度ドアを閉めて、私の両肩に手を置いた。

「……ミズホ、絶対に感情的になってはいけないよ? 君の事だ、一応先に言っておくけれど……説得なんて通じる相手じゃないからね? 逆らったり、歯向かったりしてはいけない。君は僕に全てを一任してくれればいい」

「うん……わかった」

「そうだ! これを……」

 白兎は腰に付けていた布袋から、一つの石を取り出した。それは紺碧色の結晶で、とても身に覚えのあるものだった。

「これは僕がこの島で初めて作った結晶なんだ。きっと、君の力になると思う。あげるよ」

「これ、店長が持ってたものと同じだ……! ソウくんがレッドナイトムーンを飲んだ時、彼を救って砕け散ったものと同じだよね?」

「うん。これには微量だけど、魔力が込められてるからね。いざとなったら君を守ってくれるかもしれない。大した役には立たないと思うけど、ミズホに持っていてもらいたいんだよ。何かあったらこの結晶を握りしめ、強く願うんだ。きっと奇跡が起きるから」

 白兎はその結晶を私の前に差し出したが、私は首を左右に振りながらその手をぐっと押し返す。

「ミズホ?」

「……使わない。使ったらそれも粉々になっちゃうんでしょ? そんな大切な物、使えないし……使いたくない。シロくんが初めて作った、想い出深いものなんだから」

「……まったく、強情なんだから! じゃあせめて、御守り代りに持っていて。何があっても、僕はずっと君の傍にいる。これは、僕と君との絆の証だ。僕がきっとミズホを守ってみせるから」

 白兎がこつんとおでこをくっつける。暖かくて、くすぐったくて……何だかとても安心した。

「うん。……信じてる」

 白兎の手から私の手へと渡された夜の結晶はキラキラと光り輝き、覗き込めば、あの美しい海と大きな月を映し出していた。

「ずっとずっと、大切にするからね」

「うん。けど使わなきゃいけない時はちゃんと使うんだよ? 出し惜しみしないでさ」

「……は~い。分かりました~」

「それと、僕の事はこれから【ハク】って呼んでね。赤兎は兎の名称を嫌うからさ。あと、絶対に彼女の事を赤兎と呼んではいけないからね? ……きっと逆鱗に触れる」

「……うん、わかった! 気をつけるね。じゃあ、ハク。そろそろ行こうか!」

「……あ! 待って。ミズホ! 【アレ】! ちゃんと持ってるよね?」

「……【アレ】?」

「そう! 【アレ】はかなり重要だからね」

 そう言って、白兎は笑った。


「……随分と遅かったですわねぇ? わたくし、待たされるのは嫌いなんですのよ?」

 悪魔の面に案内されて入った広くて豪華な一室の中央には、立派な二つの玉座が並んでいた。

 そこに堂々と座っていたのは、【妖精の王妃ティターニア】と……あと【ヒトリ】。

「遅イ遅イ! 公開処刑ダ! ……ネェ、ティターニア! コイツラ殺ッチマオウヨ」

「もぉ、ゲーデったら! そんなに簡単に殺してしまったら面白くないでしょう?」

「エ〜! ツマンナイ、ツマンナイ! ツマンナイッタラツマンナイ!」

「……葉巻とお酒を用意させるから我慢おし」

 ――本当に喋れるんだ。あの人形。

 しかしそれは、お世辞にも【可愛い少年の人形】とは言い難い。おかしな配色をしており、炎に焼かれた事が原因か、髪の毛などはなく、左目の上には星型のワッペンが縫い付けられている。頭部から左目付近まで伸びた痛々しい縫合の後は、まるでフランケンシュタインの傷痕を連想させた。……とにかく、見るからに不気味な人形だ。

 そしてティターニアの斜め後ろに静かに立つ、髪をオールバックにし、白いスーツを着た【彼】の姿。

 感情を一切持たない、冷たい目をした彼に……私は妙な胸騒ぎを覚える。

 少女は、私の顔を怪訝そうな顔でマジマジと見つめると、やがて呆れたように口を開いた。

「……ちょっと貴女。このわたくしを馬鹿にしているのかしら? 何ですの? そのダサくて可愛くない面は⁉」

 私は少女の言葉に、恐る恐る返事をする。

「いや、その……これ気に入っていて」

「はぁ~……貴女、自分に置かれた立場をちゃんとわかっておりますの? ――白兎。お前、女の趣味がとんでもなく悪いみたいですわね」

「ごめんね、姉様。ミズホはこのおかめの面がないと、不安で夜も眠れないんだよ。僕も思わず嫉妬してしまうくらいにこの面に依存し、執着しているんだ。無理に外そうものなら、発狂して煩いのなんの……姉様も煩いのは嫌でしょう? だから、少し大目に見てあげてくれるかな」

 ――うっわ! よく言うよ! ハクが『この面をつけておけ』って言ったくせに……! こんなふざけた面をつけたまま彼女の前に立ったら、私……確実に殺されちゃうよって、ちゃんと言ったのに。

 どうしよう。やっぱり彼女、怒ってるんじゃ……

「……まぁ、いいですわ。人間にはたまにおかしな趣向の持ち主もいるみたいですしね。それに、わたくし寛大ですもの。許して差し上げますわ」

 ――え。いいの? いけるの⁉ 許しちゃうの⁉ どう考えても馬鹿にしてるでしょ、コレ……

 万が一、ティターニアが私の心の中を読んだとしたら非常にまずいというのは重々承知していたのだけれど、つい心の中でそうツッコんでしまう。

 白兎が誰にも見つからないように私の手の甲をキュッと抓った。……わかりました。余計な事は考えません。

「姉様のお陰で、ようやくミズホと心を通わせる事が出来たし……本当に感謝しているよ。姉様がいなかったら、僕はミズホと結ばれる事はなかった。それが今ではミズホも僕の気持ちを受け入れ、僕と同じ気持ちでいてくれている。 ――こんなに幸せなのは生まれて初めてだ。姉様、本当にありがとう」

「あら? 何て従順で可愛らしいのかしら! いいんですのよ、可愛い白兎の為ですもの!」

「【ハク】だよ、姉様」

「……ハク?」

「うん、今日から僕の事はハクって呼んでくれないかな? ……いい加減、名前がないのも不便になってきてさ。それに、やはり愛しい人には名前を呼んでもらいたいものだしね」

 白兎がそう言っていきなりこちらを見るものだから、私は恥ずかしくなり思わず目を伏せた。

「――ふぅん? そう……わかりましたわ、ハク。これからお前をそう呼ぶ事にしましょう。……しかし、随分とうまくいってるみたいですわねぇ」

「……うん。やっぱり姉様の言う通りだ。古き風習などに捉われず、欲しいものがあればどんな手を使ってでも必ず手にいれる……実にわかりやすい。そう考えれば、欲望のままに生きていくのも悪くないね。……あの島はやはり退屈だよ。あんな島なんてとっとと捨てて、姉様について行く方が合理的だと思う」

「うふ。やっとわかったみたいですわね。……そう。欲しい物は無理矢理奪い取り、邪魔なものは全て壊してしまえばいいんですの。刺激のない生き方なんて何も楽しくありませんわ。……で~も! 簡単には信じてあげませんわよぉ? 何せお前はかなりの【大嘘吐き】だもの。調子の良い事を言って、このわたくしを油断させようと思っても無駄な事でしてよ?」

「ソウダ、ソウダ! コノ病弱カス兎!」

「大丈夫…… いずれ信じてもらえると思うよ」

「……ま、そんな事はどうでもいいですわ。わたくしは今、新しいお人形を手に入れて、すこぶる機嫌がいいんですもの! ――どう? ミズホ。わたくしのお人形……とても美しいでしょう?」

 少女は玉座の上に立つと、自分の後ろに立つ彼の頬に手を触れる。

「ど……うって……」

「うふ! ハクに飽きたら、貸してあげてもよろしくってよ? わたくしからして、ソウは【本命】を待つ間の代用品でしかなかったのだけど……」

 少女はぐいっと彼の腕を引き、屈ませるとそっと彼の頬に舌を這わせる。

「この子もなかなか素敵でしょ? ……だから、大切に愛でてあげなくてはね?」

 その間……彼は何の反応も見せず、一切表情を崩す事はなかった。まるで、知らない人のようだ。

 けれど、何となくだが……彼はティターニアに操られているというわけではないと思った。本当に人形にされたわけでもない。妖術をかけられているわけでもない。……きっと、自らの意思でああしているのだと。

「! そうですわぁ。ねぇ、ミズホ? わたくしの可愛いお人形と一緒に、少しお喋りでも楽しんでみてはいかがかしら?」

「⁉ 姉様、いきなり何を……」

「――お黙り、ハク。……ね、いいでしょお? 貴女達、ここに来るまで一言も話さないし、今だって他人行儀なまま。【以前】はとっても仲が良かったのに、それじゃあ少し寂しいですわぁ。さぁ、ソウ? 貴方がレディーをエスコートして差し上げなさいな? 紳士的に、ね?」

 少女の言葉を聞くと、彼はふぅ……と重い溜息を吐き、私の前までゆっくりと歩いてきた。

「行こう」

 そう言って私の前に手を差し出す。その声には、やはり何の感情も感じられない。

 私が思わず躊躇して、なかなかその手を取れずにいると……白兎が『ミズホ……』と私に声をかけてきた。

 振り返った先にあったのは、とても心配そうな顔で私を見つめる白兎の姿。

 不安そうに、切なそうに……じっと私を見つめていた。

「……ねぇ、ハクぅ。わたくし簡単すぎるのは好きではないんですの。それともお前、自信がなくって? 折角手に入れたお前の【宝物】が、ただの【人形】如きにまた奪われるとでも?」

「ちがっ、そんなんじゃない!」

「きゃっははは! それよ、そ~れ! 快感ですわぁ~! ……わたくし、慌てふためくお前を見ている方がよっぽど楽しめましてよ?」

「プフフ! 惨メデ、憐レデ、情ケナイゼッ! 女ヒトリ繋ギ止メトク事モ出来ナイノォ? オ前ソレデモ男カ! ッテカ女カヨ〜? カス兎チャン!」

 広い部屋に彼女の笑い声と、ゲーデと呼ばれていた人形の、白兎を小馬鹿にするような声が響き渡る。

 そして散々笑い続けた後、少女は再び口を開いた。

「それに、お前には少し話がありますの。私達と一緒にいらっしゃい。ミズホ、暫くソウを貸して上げますわ。けれど、忘れちゃ駄目。その子はわたくしのものでしてよ? 万が一、手を出すような真似をしたら……その時は貴女の首など、一瞬で斬り落として差し上げますからね。では、いってらっしゃ~い。御機嫌よう♪」

 彼は無言で私の手を引き、素早く歩いていく。歩幅が違う分、小走りになって必死に彼の後を追う。彼が私の手を強く、乱暴に引くものだから……少しだけ、その手が痛い。

 ――わかってる。彼は何かに怒っているんだ。


 船のデッキに出ると外はもう夕暮れで、オレンジ色の空に薄暗い雲が浮かんでいた。本来ならこのまま夜が来て、あの賑やかな宴が始まる。

 暗闇に灯る炎の昇り竜に、愉快に踊り、楽しそうに楽器を奏でる仮面の衆。美しい歌声で歌う見目麗しい女性と、それに合わせて華麗に舞う鎌鼬。シャボンの液で、神秘的な空間を作り出す沢山の童達。

 仙人や、あの老人達は……どこに消えてしまったのだろう。

 停泊したままの船上から、今や見る影も失った夜宴の島を眺めていると……何だかやるせない気持ちになった。

 ……黒兎の姿は、見当たらない。

「皆は……どこに行ってしまったんだろう」

「……ティニアが言うには、全員強制退場させたらしいよ」

 無意識に出た私の独り言に、彼が私の方を見ないままそう答えた。

「――で、シロとミズホは、これからどうしていくわけ?」

 彼は手すりに肘を乗せ、夕焼け色の空に目を向けながら私に問う。

「それは……何とか方法を考えているんだけど中々良い方法が思いつかなくて……」

「……ふぅん。俺はてっきりティニアとゲーデに従い、島の事は忘れ、これから君達二人で仲良く暮らしていくのかなと思っていたよ」

「そんな! 違うよっ! ハクは……! ハクはいつだって、島の事を真剣に考えてる!」

「――ハク、ね。うん、わかってるよ。【シロ】は賢い。屈辱に耐えながらもそれを決して表には出さず、これからどうするかを冷静に考えている。君への気持ちも、決して無理強いなんてする奴じゃない。【あの場】では、ああでもしなきゃ突破口は生み出せなかった。……ティニアは自分以外の者を思い通りに支配するのが好きだからね。だからシロは、全て言う通りにする事で彼女の自尊心をくすぐり、優越感に浸らせた。決断を迫られた君の代わりに、自らが動く事で、汚れ役を被ってまでも……君を守ったんだよ。あいつは、本当に凄い奴だ。シロは誰よりも島を大切にしているし、愛してる。今だって、君やクロ、そして夜宴の島を守る為に必死だ。――けど」

 彼は鋭い目で、責めるように私を見つめた。

「【君】は違うよね?」

 彼は……いつだって全てお見通しだ。


「シロの事が、本当に好きになった?」

「そ……れは、わかんないけど……ハクといると心が休まるというか、温かい気持ちになれるの。あの子はとても弱いから、傍にいて支えてあげたいって思う。【愛おしい】って、こんな気持ちなのかなって……そう感じるの」

「ふぅん……――じゃあ、俺は?」

「……えっ?」

「俺の事は、どう思ってる?」


『ふーん。……じゃあ、今は?』

『え……?』

『俺といると、ドキドキする?』

『……へ?』


 こういうの、前にもあった。あの、美しい星が無限に流れる丘で……彼は今と同じように私に問いかけたのだ。

 けれど今は、あの時とは全然違う。彼の表情も、声のトーンも……何もかもが違う。

「どうして黙るの? 俺は君の口から聞きたいんだ。君は俺に対してどう思っているのか。――だから、答えて」

 まるで尋問のように問いかけてくる彼に、私の心はもう限界だった。私は、胸に溜まった言葉を全て吐き出すかのように彼にぶちまけた。

「……く……るしいよ……っ!」

「えっ?」

「ソウくんの事を考えると、胸が痛いし、苦しいの……! 安心なんて出来ない、安心なんてさせてくれない! いつか、私の前から突然いなくなっちゃうんじゃないか……って不安で不安で仕方ないの……! 大体ソウくんが何を考えてるのかも、私には全然わからない。もうソウくんといると頭がパンクしそうなの! 心が破裂しそうなの! 誰よりも近くにいたいのに、誰よりも遠い。 ――ソウくんは残酷だ。ソウくんなんて、大っ嫌い!」

 一度口を開いてしまえば、もう止める術を持たない。こんなの、単なる八つ当たりだ。突然そんな事を言われても彼だって困るし、腹だって立つだろう。

 嫌われたくない、だからこれ以上は――

 そう思っているのに……止まらない。

 私……気付かなかった。こんなになるまで、自分の中に想いを溜め込んでしまっていた事を。

 言えずにいた【言葉】が、ドロドロした感情と共に溢れ出す。それは、とても綺麗なものではなかった。汚くて醜くて……思わず目を反らしたくなるくらいに無様だ。

 彼は静かに私を見つめながら、表情を崩す事なくこう言った。

「そう思うのは、ミズホが俺の事を好きだからだよ」

 何よ……何それ? 何なのよ……? どうして、そんな事……簡単に言えるの⁉ 

「……何それ、自信過剰だよ」

「いいや? 君は俺が好きだよ。間違いなく」

 平然とそう言い張る彼に、苛立ちが募る。

「……じゃあ! ハクに対するこの気持ちは何⁉ 優しくて暖かくて、いつでも私を想ってくれて大切にしてくれて、ソウくんみたいに……私を傷つけたりなんかしない!」

「……だから逃げるんだ? 流されるまま楽な方に、簡単な方に」

 彼の棘が、私の心の弱い部分に容赦なく突き刺さる。

「逃げてなんかいないよ! あの子には……私がついていないと駄目なの! ずっと昔から、ハクの心は深く傷付いてる。いつもの強気な態度も振る舞いも全部、弱さを隠す為の虚勢なんだよ! ハクと私は似てる。……そうだ、似てるんだよ。私達は! 皆が皆、ソウくんのように強くないんだよ!」

「……なんだ、全部わかってるじゃないか」

「っ……何が⁉ ソウくんの言ってる事がわからない、まったくわからないよ……!」

「わからない? ……それはお笑い種だな。俺は、君はもっと賢い人だと思っていたよ」

「なっ! ……じゃあソウくんには私のこの気持ちが何だかわかっているっていうの⁉」

「ああ、勿論わかるさ。じゃあ俺が、君にもわかるように、ちゃんと説明してあげるよ。たとえば……ミズホ、君はまだ【幼い子供】だ。そんな君の目の前に箱に入れられ、捨てられた子犬達がいる。皆、とても小さく可愛い子達ばかりだ」

「いきなり、何……?」

 彼は私の言葉を無視し、そのまま話を続ける。

「その中に一匹だけ、怪我をしていて、とても弱っている子がいた。他の子と比べても体は小さく、随分と痩せ細っている。君は昔から子犬を飼いたがっていたので、親に頼んでみる事にした。……けれど、連れて帰れるとしたら精々一匹だけ。なら君は【間違いなく】、その弱っている子犬を連れて帰るだろう」

「何が言いたいの……」

「君が大人ならば、【助ける為】にその子を連れて行くのはわかる。けれど……君は子供。助けられる術など持たない、まだ幼い子供だ。普通なら、元気で人懐っこいお気に入りの子を【飼う為】に連れて帰るだろう。子供は時として残酷な心を持ち合わせているものだからね。可哀想だとは思っても、一匹だけという選択を迫られたら……少なからず迷うものだ。それじゃあ、何故か? ――必要とされたいと思ってるのは、本当は自分の方だからだよ。その弱った子を連れて帰る事で君の心は安定する。それは本当にその子犬の為? ……いいや、自分の為だ。ミズホがシロにしているのは、そういう事だよ」

 反論したいのに……言葉が出ない。

「君のシロへの気持ちは恋じゃない。弱っている子を【放っておく事が出来ない】と同情し、【自分が傍にいてあげないと駄目】と、傲慢にも似た偽善的な考えを掲げる。良い風に言えば、無償の愛情で相手を包み込む……母性本能、とでもいうのかな? そして、【自分に相似しているから】と同調。そんなのは、互いに傷の舐め合いをしているだけにすぎないんだよ」

 仮面の下で、ポロポロと涙が溢れる。恐らく、彼の言葉が正論だからだ。私はきっと、ハクを深く傷つけた。


『……大丈夫だよ、ミズホ。僕には【それ】が何か、ちゃんとわかっているから』


 ……ハクは、わかってると言っていた。


『本当に深く考える事はないよ。いつか……その答えがわかる時が、きっと来るから』

『シロくんは……答えを教えてくれないの?』

『うん。あんまり言いたくはないかなぁ……』

『どうして?』

『……内緒』


 全て、わかって……それでも笑ってくれた。優しくしてくれた。包み込んでくれたんだ。ソウくんが怒っているのも無理はない。……私は最低な人間だ。自分の事しか、考えていなかった。

「……ごめん、今の君に、俺はどうしても優しくする事が出来ない。何故だかわからないけど、酷く胸が苛つくんだ。……先に戻ってる」

 彼は私に背を向け、船内に向かって歩いて行った。私はそれを止める事なく、その場に崩れ落ちた。


「……どうしたの? こんなところで」

 どのくらい時間が経過していたのだろうか。三角座りをし、膝に顔を埋めている私の頭上から……優しくて温かい声が聞こえてきた。

「話を終えてさっきの場所に戻ったら、いるのはソウだけで君はいないし……随分捜したよ」

「……ごめんなさい」

 白兎は、私の隣にゆっくりと腰を下ろした。

「ソウが君に……何か酷い事を言ったの?」

 私はその問いに、首を左右にブンブンと振る。

「――おかめ。……外してもいい?」

 私が何も言わずに黙っていると、白兎はそっと、面を頭の方にずらした。

「……これはまた、酷い顔だ」

 そう言って白兎は、困ったようにクスクス笑いながら、暖かい指で私の目元に優しく触れた。

「ミズホ、話してくれる? ソウと何があったのか。ゆっくりでいいんだよ……君のペースでね? 大丈夫。これ以上、もう誰も君を傷つけたりはしないから」

 白兎が優し過ぎて、また涙が止まらなくなる。けれど、ちゃんと伝えなきゃ。もうこれ以上、白兎にも自分にも……嘘を付く事は出来ない。

 私は、彼と話した事の全てを……白兎に伝える事にした。偽らず、包み隠さずに……全て。


「……成る程ね」

 白兎は私が全てを話し終えるまで、一度も口を挟む事なく、最後まで……相槌を打ちながら真剣に聞いてくれた。

「――ミズホ。本気で人を好きになったらね? 相手の事ばかり考えたり、嫌われる事を恐れたり、不安になったり、逃げ出したくなったりするものだよ。それでもやっぱり好きで、胸が苦しくなって涙が出て、心や頭の中が相手に支配され、埋め尽くされてしまう感情。 ――それが【恋】だ。それはミズホがソウを想っている時のものと、まったく同じ感情だね」

 白兎は、優しく私の頭を撫でた。

「……けど、もう駄目だよ。私、ソウくんに嫌われちゃったし……」

「嫌いになんてなるもんか。ただ少し拗ねているだけだよ。彼はああ見えてかなり独占欲が強いからさ。――今頃きつく言い過ぎた事を、きっと後悔しているよと思うよ。ソウは一言多いし、たまに冷たく感じるかもしれないけど……本当は優しい男だからね」

「……うん、知ってる」

「それに今回は、ミズホも言ってはいけない事を彼に言ってしまったと僕は思うよ?」

「え……?」

「ソウは決して強くない。僕から見れば、弱さの塊のような男だよ。かっこ悪いところを君に見せたくないから、いつもしっかりしているように装う。僕とミズホの事だって単に嫉妬しただけなのに、プライドからそれを上手く伝える事が出来ずに、結果態度に出る。君が彼、いや……【夜科蛍】に憧れを抱き過ぎていて、彼を高く評価し過ぎるから、だからソウはありのままの自分を君に見せる事が出来ないでいる。それも、君に幻滅されたくないから、ね? 決して遠くなんてない。君が自ら遠退いているだけなんだ。……壁なんてない。君が自ら作り出しているものにすぎないんだよ」


『皆が皆、ソウくんのように強くないんだよ!』


 ――そうだ、確かに私はそう言った。それは、間違いだった……? 


「ソウはね、どこにでもいるような……不器用で意地っ張りで、素直じゃなくて……ちょっとだけ頭の固い、普通の青年なんだよ」

 白兎の言葉が私の心の奥深くに、まるで溶け込むように浸透していく。

「最近の君は少しいつもの君らしくなかったね。……もう一度、【アクアマーメイド】を飲むべきだったかな?」

 白兎はそう言って、優しく笑った。

 アクアマーメイドは、私がこの島にきて最初に口にした……困難に立ち向かう為の、【勇気と自信】を与えてくれる魔法のドリンクだ。

 確かに今の私とあの頃の私は全然違う。……恋を知って臆病になったか、馬鹿ミズホ。

 マーメイド……か。

「……よしっ!」

 ――もう大丈夫だ。もう迷わない。ようやく、自分がやりたい事が見つかったのだから。

「? ミズホ、ちょっと待って……⁉ 君、一体何を!」

 私は船の手すりを跨ぎ、海をじっと見つめる。そして、勢い良く水の中に飛び込んだ。

 水飛沫が大きく上がり、私は人魚にでもなったかのように水面から顔を出す。見上げた先には手すりを握り、顔を突き出して覗き込む白兎の姿。その慌て振りに、私は思わず吹き出した。

「ハク、私行くよ!」

 白兎は何が何だかわからない様子を見せながらも、私の言葉にこう答えた。

「……なら、僕も行く!」

「駄目! 二人の足枷になっているのは私。だから、私はここから逃げる! どうにかしてクロちゃんと合流するよ!」

「黒兎は今この地にはいない! ティターニアと気を探ったから確実だよ。さっき僕が呼ばれたのは、ティターニアへの忠誠の証に、黒兎を僕の手で始末しろと言われたからなんだ。一体今、どこにいるんだか……逃げるにしても、行く場所なんてどこにもない筈なのに……」

「……けど、いずれ絶対に戻ってくる! クロちゃんがこの島を見捨てるわけがないでしょ⁉ だから私、帰りを待つよ!」

 私の言葉に、白兎は分かりやすいように頭を抱えた。

「無茶だよ、君は今存在自体を消されている。朝になっても、元の世界には戻れない。森を闇雲に彷徨うのはリスクが高すぎるし、すぐにティターニアが従えている仮面の衆に囚われてしまうよ!」

「それでも、動かないと何も始まらないよ。ハクは何とか時間を稼いで! ソウくんもきっと、ティターニアの足を止めておいてくれる! 私は、私がするべき事をするから! 信じて待っていて欲しい」

「ミズホ……」

「……ソウくんに伝えて! この物語は、このままでは終わらせない。夜宴の島の物語は、ハッピーエンドで終わるの! きっと!」

 私は、不安そうな白兎に笑顔を向けた。

「まったく……君って人は。わかったよ! 精々足掻いて!」

「ハク! その……色々ごめんね! 私……」

「ストップ!」

 白兎は私の言葉を遮ると、小憎たらしい笑みを浮かべながら、右手を【シッシ】と外側に振った。

「こんな所でノロノロしてると、あいつらにすぐ見つかっちゃうよ? お馬鹿さんの尻拭いはごめんだね。さっさと行きなよ、僕はこれから色々と忙しいんだ」

「ハク……」

「【ハク】? それは一体、誰の事かな? ……僕は白兎。生まれた時から、ずっと……【白兎】だ」

 そう言って優しく笑う白兎に、私は今までどれ程救われてきただろう。……ありがとう。優しい神様。

 今度は、私が皆を助ける番だ。

「……シロくん! 待ってて! きっとすぐに助けにくるから!」

「うん、約束! 僕もやれる事はやってみるよ。……ほら、早くおいき」

 空は、徐々に夜を連れて来る。闇に紛れるにはちょうど良い。

 私は白兎に手を振ると、海岸に向かって泳いだ。停泊しているのだから、距離にしては短い。

 船の入り口付近にいた見張りの存在が気にかかる。けど私が海に飛び込んだ時、何の反応もなかった事を思うと……意外と夜は手薄なのかもしれない。

 案の定、誰かいるような気配は感じない。皆揃って、会議でも開いているのか……? それとも、罠だろうか? 

 ――いや、今は深く考えるのは止めておこう。

 取り敢えず、【会いたい人物】がいる。その人に、何らかの話を聞く事が出来たなら……

 私は海から這い上がり、砂浜に脚を乗せる。

「……行こう。この世界にいる可能性は低いけど……」

 覚悟を決めた私は、影のようにこっそりと、静かに森へと足を踏み入れた。


 ――さぁ、最終章の始まりだ。

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