第2話
二
夜宴の島から帰還して、早一週間。
私達は夜になっても、あの不思議な島に行く事が出来なくなっていた。
「はぁ……」
「ミズホ……溜息、今日で何回目?」
「そんなのわからないよ。この一週間で、もう一生分の溜息を吐いたんじゃないのかな……」
「……まぁ、気持ちはわかるけどさ。はぁ〜」
夜宴の島から戻ってきた私達はまるで廃人で、抜け殻のように日々の生活を送っていた。
夜宴の島での出来事は、全て夢だったのか? 私は頭を左右に振り、『それは違う』と自分自身に言い聞かせる。
……夢である筈がない。あんなに素敵な世界をこの目で見て、過ごしてきたんだ。
あれが全て夢だったとしたら、私はこの世界に絶望するだろう。それ程までに、私の中で夜宴の島の存在は大きく、かけがえのないものとなっていた。
「夜宴の島は、シロくんとクロちゃんは……一体どうなっちゃったのかなぁ」
「島と一緒に、消滅……とか」
「ちょっと! ……馬鹿な事言わないでよ!」
彼の言葉に断固として【否定】をしてみるが、その可能性も確かに否めない。
けれど、認めたくなかった。あの夜宴の島が消えてしまっただなんて。……あの子達に、もう会えないだなんて。
私は、今日一番の大きな溜息を吐いた。
「ソウくん。夢が……終わっちゃったね」
「……覚めてしまえば全てが終わる。けれど、こんな中途半端に終わらされてしまったら……流石に目覚めが悪いよ」
「もう二度と……夜宴の島に行く事は出来ないのかなぁ?」
「俺達には、どうする事も出来ないしね」
二人で同時に『はぁ~』と深い溜息を吐く。まるで人生に疲れた若者のようだ。
まぁ、あながち間違いでもない。
彼は大学で資料を探したり、都築教授に何か知っている事はないかと尋ねに行ったりと、情報収集を試みたり……私も無駄だとはわかっていながらも、いくつもの図書館を回ったり、何度も店長夫妻の家に通ったりと、やれる事はやったつもりだ。……しかし、何の成果も得られなかった。
店長夫妻だけでなく、都築教授からも、【夜宴の島】の記憶や情報はなく、全て忘れてしまっているようだった?
「このまま、最初から無かった事になっていって……いつかは私達の記憶からも、少しずつ消えていってしまうのかなぁ? ……私、そんなの嫌だよ」
「……俺だって、嫌だよ」
「あの~、すみませ~ん」
俯いていた私達の頭の上から、突然聞こえてきた幼くて可愛らしい声。
私達はその声に誘われるように、ゆっくりと顔を上げた。
「わっ……」
思わず目を見張るくらいに美しい少女が一人。ニコリと笑いながら、そこに立っていた。
パッチリとしたおめめに、愛らしい小さな唇。山吹色で、柔らかいウェーブのかかった髪。頭のてっぺんについている、赤くて大きなリボン。ふんわりとした白いワンピスが、とてもよく似合っている。
(うわぁ……可愛い! お人形さんみたい)
けど、この子……いつの間にここに?
さっきまで、この公園には誰もいなかったし、足音だって聞こえなかった。……それとも、足音にすら気付かない程、私達は落胆していたという事なのだろうか?
それにこの子、誰かに似てるような……
「どうしたの? ……君、一人? おうちの人は?」
彼が少女に問いかけると、少女は『うふっ』とまるで花が咲いたかのように華やかに笑った。
「わたくし……貴方達に、会いに来たんですの! 随分とうちの者がお世話になったみたいで」
「え……?」
「うちの……者?」
「えぇ。うちの粗暴な妹と屈折した弟が、貴方達に大変お世話になったと聞いたのでお礼をと思いまして、遠路遥々ここまで来たんですのよ?」
「……え? ソウくん、わかる?」
「……いや。多分、人違いじゃないかな?」
「あら? わかりませんこと? 思った以上に薄情な方達ですわねぇ。あぁ、あの子達が可哀想!」
目の前でオーバーリアクションを取る少女に、私達は呆気に取られた。
……しかし、見れば見るほどよく【似てる】。ずっと彼女の顔を見ていると……嫌でも、その【似てる相手】が誰なのかがわかってしまう。
彼も同じ事を思ったのか、咄嗟に私を見た。
粗暴な妹と……屈折した……弟……?
「それって、もしかして……!」
「まさか、黒兎と白兎の事じゃ……⁉」
「あら? 嫌ですわ! あの子達、まだ名前がなかったのね。好きな名前を好き勝手に名乗れば良いものを……じゃあ、わたくしがあの子達に素敵な名前をつけてあげますわ! ……えっと、どんな名前にしましょう?」
少女はくるりと回りながら、『うん……』と人差し指を口元に当てる。優雅で可憐で美しいその姿は、まるで花の妖精……――いやいや、そんな事よりも!
「ちょ、ちょっと待って⁉ じゃあ貴女、シロくんとクロちゃんのお姉さんって事だよね?」
「はいっ。そういう事になりますわね!」
「ねぇ! 今、夜宴の島がどうなってるか……貴女知らない⁉ シロくんやクロちゃんはちゃんと無事なのか、何か知っていたら教えて欲しいの!」
「そ、それが……」
突然、少女の大きな目が潤み出す。
そして次第に『うわぁああああん!』と大声を出して泣き始めた。
「い、今……あの島は大変な事になっているんですの……! 白兎も黒兎も、危険な状態で……それでわたくし、貴方達に助けて頂きたくてここまで来たんですの……」
少女はグスンと鼻を鳴らしながら、ポケットからハンカチを取り出し、そっと涙を拭いた。
「貴方達があの子達にとって、とても大切な存在である事を知って……ずっと捜しておりましたの。どうかお願いですわ。あの島を、あの子達を、ワルモノ達から救ってやって欲しいんですの」
「悪者……?」
「……えぇ。その方達は、あの島の事をとても憎んでいらっしゃるみたいで……あの島を滅ぼそうとしているんですわ。 ――あの子達、諸共」
「そんな……!」
「お願いですわ! 一緒に来て欲しいんですの! 私の力では貴方達をお迎えする事で精一杯なのです。早くしないと……! あの子達も、貴方達が来てくれるのを……ずっと信じて待っていますわ!」
少女の言葉から、今夜宴の島が危機的状態である事が充分に伝わってきた。正直、何の力も持たないただの人間の私達に、何か出来るとは思えないけれど……少女の言葉を聞いて、二人は私達を必要としている、私達を待っていてくれているのだと思うと、いてもたってもいられなくなった。――それならば。
「……ソウくん、行こう! 二人が心配!」
「事情がイマイチよく飲み込めないけど、俺達に出来る事があるのなら。……すぐに行こう!」
「……良かった! 貴方達ならきっとそう言ってくれると信じておりましたの! 流石、あの子達が見込んだ方達ですわね」
少女は、とても嬉しそうに微笑んだ。
「ところで……君、名前は?」
彼がそう尋ねると、少女はスカートの端を持ち上げ、礼儀正しく一礼する。
「わたくしの名はティターニア。この名前が好きで、勝手にそう名乗っておりますのよ」
「ティターニア……ヨーロッパ中世の、伝説上の妖精国の王であるオベロンの妃と同じ名前だね」
「シェークスピアの【真夏の夜の夢】。――ねぇ、優しいお方。もう一度歌ってみて。私の耳はあなたの声に魅せられ、私の目はあなたの姿に魅せられたの。私はあなたの美しさにすっかり心を動かされ、一目見ただけであなたを愛してしまいましたの……ふふ、話し方まで何だか似てるね」
「まぁ! 素敵! ご存知でしたの⁉ 妖精……正にわたくしにぴったりの名じゃありませんこと? うふふ。……わたくし、【兎】の名称は大っ嫌いですの。なので、どうぞ気軽にティニアとお呼び下さいませ」
「じゃあ、ティニア。どうしたら俺達はあの島まで行く事が出来るんだ?」
彼が少女に問いかけると、少女は再びポケットに手を入れ、何かを取り出した。
「これを食べると、すぐにでもあちらに行く事が出来るんですのよ!」
少女はパッと手を開く。手のひらの上でコロンと転がる二つの固形物。
「……飴?」
「飴……とは、ちょっと言い難いですわね。口に入れたら即座に溶けてしまいますので! どちらかと言うと【ラムネ】の方が近いかもですわ。とにかく、ご賞味あれ!」
透明の紙に包まれた、大きく赤いまん丸とした飴のようなものは、一見苺味のそれに相似している。
私達は少女からそれを受け取ると、ゆっくり包み紙を外した。
「……ねぇ。今は夜ではないけど、島に入る事は出来るの?」
「えぇ、それは大丈夫ですわ!」
「……よし、ミズホ」
「……うんっ!」
私達は、一気にそれを口に含んだ。少女の言う通り、口の中で一気に弾け、溶け込んだその固形物は……何だか、不思議な味だった。
――いや、不思議というよりは、とても不快な味であった。
パッと見た感じ、甘くて美味しい苺の味を連想してしまうその固形物は……とにかく不味い。
それに苦い。辛いような気もする。
身体が急に怠くなり、思うようにいう事をきかない。耳鳴りや頭痛、激しい吐き気を催す。
「ティニア、これ……食べて大丈夫なものなんだよね?」
「はい! もうすぐ貴方達はこの世界から消えますわ。今度はその肉体ごと、あの世界に送られてしまいますから……身体の不調は所謂、拒絶反応のようなものでしてよ」
「肉体ごと、この世界から消える……?」
――その時、彼が勢いよく地面に倒れた。
「ソウくん!」
倒れた彼のつま先から、どんどん色が失われ始めていく。
このまま、この世界から彼の存在が消える? そして……私も?
「……【ティターニア】は、気に入った男を見つけると、妖精の国に引きずり込み、飽きるまで愛を注ぎ込むんですの。What angel wakes me from my flowery bed? (どんな天使かしら。わたしを花のベッドから起こすのは?)……うふふ。楽しくなりそうですわ!」
「え……な、に……?」
だんだんと、意識を保っていられなくなった私に、少女は…………
「あちらで先に待っておりますわ。ご機嫌よう。……タチバナ、ミズホ様」
そう言って、可愛らしく笑った。
***
「……ミズホ! 起きろ!」
「う……ん……」
彼の声に、私はゆっくりと意識を取り戻す。
目を覚ました私は周りの状態を見て、思わず自分の目を疑った。
「な、何これ……これが【夜宴の島】?」
――私は言葉を失う。
どんよりとした灰色の空に、波打ち際に押し寄せるゴミの塊。樹は無残にも倒れ、葉は全て焼き焦げていた。
あの地震でキャンプファイヤーの火が、樹に移ったのだろうか? それとも、誰かが故意に火を放ったのか?
「こんなのって……酷い、酷いよ! これじゃあまるで、別の世界だわ!」
「ミズホ、少し落ち着いて。とにかく、あいつらを探そう。……無事でいてくれてるといいけどな」
「シロくん……クロちゃん……」
――私達は、走った。
白い砂浜を黒く汚す、灰や焼け落ちた大木の欠片、無造作に散乱されたゴミの間を駆け抜け、走り続けた。
足場は悪いものの見晴らしの良くなった森の中を、それはもう、隈なく捜し続けた。……けれど、誰もいない。誰の姿も見つからない。皆、どこに消えてしまったというの?
「どこにもいないよ、ソウくん……」
「! ミズホ、あれって……!」
彼が指差した方に視線を向けると、その先に見えたのは……小さな小さな樹の出入り口。
「あれ、もしかして……!」
「……うん。あの丘に続く道だよ、きっと!」
「けれど、あの道は崩壊した筈じゃ……」
「きっと誰かが妖力か何かで修復したんだよ。……いるならもう、ここしか考えられない」
彼は即座に、狭くて小さな樹のトンネルを潜っていく。勿論、私も後に続く。
……胸騒ぎしかしない。どうしてこんな事に?
双子は、本当にこの先にいるの……? 誰がこの島をこんな風に変えてしまったの?
ティニアは今、どこにいるのだろうか? もう二人と合流しているのかな?
「シロくん……クロちゃん……お願い。どうか無事でいて」
無意識に口から出た言葉に、前方にいる彼が返事を返す。
「……大丈夫、あいつらは強い。【敵】が誰であろうと絶対に負けたりしないよ。あいつらは無事だ。きっと」
「うん! そうだよね。あの子達ならきっと大丈夫。私……信じるよ」
何とか無事にアーチを抜けると、私達の耳に突然聞こえてきた大声……私達は即座顔を見合わせた。
「あー! あー! あぁー! あーー! あぁー! あー!」
「黒兎! 落ち着いて!」
そこには、奇声を発しながら髪を激しく掻きむしる黒兎と、その彼女を必死に宥(なだ)める青年姿の白兎がいた。
黒兎の腰付近まであった長い髪が、肩くらいまでの長さまで、無残に切り取られている。
毛先の揃わぬ惨めなその髪型に、『黒兎が自分でやったのか?』と思いながら地面に目を向けてみたが、切り落とされたであろう髪の束はそこにはない。……誰かに無理矢理切られたのだろうか?
「クソクソクソッ! あいつ、ぜってぇに許さねぇ! 殺してやる……刺し違えても殺ってやる! ――白兎、お前も手を貸せ! 今度こそあいつをこの手で……!」
「……勿論だよ。けれど、あいつは今……死の神の加護を一身に受けている。とても強大な力だ。ただでさえ、もの凄い力の持ち主なのに……僕達じゃ敵う筈がない」
「じゃあ、このまま指を咥えて見てろって言うのかよ! ここも、こんなにめちゃくちゃにされちまって……あたし達には、太刀打ち出来ねぇって言うのかよ? 畜生……! 一体、どうすりゃあいいんだ」
「もう駄目だよ……黒兎。夜宴の島は終わりだ。このまま、夜宴の島も……僕達も消える」
「……今の話、どういう事だ?」
彼の言葉に二人は振り返る。私達が来た事に気付かないくらい、二人は話に集中していたようだ。
「……ソウ! それに、ミズホ! お前達……どうやってここに⁉ あたし達が、確かに元の世界に戻した筈……!」
「ティニアがここまで私達を連れて来てくれたの。貴方達の事を……とても心配していたわ」
「な……に……?」
私がティターニアの名を出した途端、二人の顔は真っ青になった。
「ど、どうしたの……?」
「――畜生、あいつ……そう来たか。あたし達の場所まで案内させる為に……」
「駄目だ……ミズホ、逃げて! この場所もバレてしまった。きっとすぐに、あいつが来る」
兎達は、いつも強気で自信たっぷりな二人からは想像も出来ないくらいに怯えた顔を私達に見せた。一体、どういう事なんだ……?
「ちょっと落ち着けよ、お前達。一体何があったんだ? 俺達にわかるように説明してくれ……」
「僕達じゃ、抗えない。……あの女は悪魔だ。このままだと君達も殺されてしまう」
「あの女って……⁉」
「赤兎――」
白兎がそう口にした途端、目の前にあの少女が現れ、青年の腹部を目がけて思いっきり蹴り上げた。
「う……ぐっ……!」
少女のどこにこんな力が? と思わされるくらいに、大人の姿の白兎の身体は軽々と宙を舞った。突然の事に、私達は身動きさえ取れず、ただその現状を見つめている事しか出来なかった。
美し過ぎる少女がにっこりと笑う。
「あらぁ、ごめんあそばせ? けれど、わたくし……その名前で呼ぶなって言いませんでしたっけぇ? ……このグズが。まだ痛めつけ足りないみたいですわね? 図体だけ大きくなっても、結局お前は弱虫で泣き虫の、か弱い病弱【白兎チャン】のまま。そんな弱小者が、このわたくしに逆らわないでくれませんこと? あんまりウザいと……うふふ。――殺しちゃうかも」
「白兎!」
黒兎は、すぐさま倒れた白兎の近くに駆け寄り、少女を思いっきり睨みつけた。
「あら……そこのブス。何ですの? その目は? わたくしに何か文句でもあるのかしら? ……その態度、とてもよろしくありませんわよ? 髪を切られただけじゃ、あまり堪えていないのかしらね? じゃあ今度は因幡の兎みたいに、お前のその毛を全部、毛根からむしり取ってやろうかしらぁ?」
「……やってみろよ。あたしは絶対にお前に屈しない」
黒兎の目が、身体の周りが、まるで青い炎のように激しく燃え上がる。
「や……めて、黒兎……! 君には無理だ……!」
白兎は黒兎を必死に止めるが、黒兎は今にでも噛みつきそうな勢いだ。怒りや憎しみという感情が全身から滲み出している。
とにかく私は、蚊の鳴くような声で少女に問いかけた。
「ちょ、ちょっと待って……ティニア? どういう事、これ……」
私の言葉に満面の笑みを浮かべながら、くるりと振り返った少女は……その愛らしい小さな口をゆっくりと開いた。
「タチバナミズホ様と、イガラシソウ様! ここまでの道案内、どうもありがとうございますですわ~! お陰で助かりましたの~! この子達、隠れる事だけは一人前なので捜すのに大変骨が折れまして……それで、貴方達に協力を頼んだ次第ですわ」
「貴女……双子達のお姉さんなんだよ、ね? どうしてこんな酷い事を……?」
「っ! ……こんな奴! 姉貴なんかじゃね……!」
黒兎の顎に少女の鮮やかな蹴りが入る。ゴキッと鈍い音が出て、黒兎は仰け反り返る。
「えっとぉ……? どうして、でしたっけ?」
少女は黒兎の前髪を掴むと、身体ごと引きずり上げた。
「……っつ!」
「クロ!」
「クロちゃん! ティニア、もうやめて!」
「――躾ですわぁ。出来の悪い妹と弟を正すのは姉であるわたくしの使命でしてよ? うふ」
「は、離せ……クソ女……が……」
惨たらしく口と鼻から血を流す黒兎に、少女は嘲笑うかのように罵った。
「……汚ったない顔。貴女に本当にぴったりな顔でしてよ? きゃははははははは! けれど、その下品な言葉使いは直しなさいな?」
少女は黒兎を地面に叩きつけると、彼女の背に脚を乗せ、グリグリと踏み付けた。
「貴方の……目的は何なの……?」
「わたくしの目的は勿論、この目障りな島を滅ぼす事ですわ。邪魔な黒兎と白兎諸共。この子達、酷い子達ですのよ? 以前わたくし……この子達に殺されそうになったんですの。だから、これは復讐。わたくしに責められる道理などありませんわよね?」
私と彼はバッと双子達の顔を見る。双子達は俯いていて表情が上手く読み取れない。
「まぁ、昔の話はどうでもいいですわね。わたくしもあまり思い出したくはありませんし。……そして、わたくしのもう一つの目的は【彼】ですの!」
少女がビシッと指を差す。その先にいたのは、紛れもなく【ソウくん】だった。
「俺……?」
「えぇ。そうですわよ? イガラシソウさん♪」
「一体……何が望みだ?」
「貴方、わたくしの【お人形】になりませんこと?」
「……人形?」
「実は、一年も前から目を付けている【人形】がいるんですけれど、なかなかわたくしのモノになってはくれませんの~。死の呪いを一身に受けているのにも関わらず、なかなかしつこいお方で……わたくし待ちくたびれてしまいましたわ。……まぁ、どうせ近い内に手に入るでしょうけど。それまでは別のお人形をと思い、色々捜しておりましたら、貴方の存在を知りましたのよ♪」
少女は彼の前に立つと、恍惚の表情を浮かべた。
「ソウ……とても美しい人。それに知性もある。わたくしのお人形に相応しいですわ。わたくしが貴方に飽きるまで……わたくしの為だけに生き、わたくしを悦ばせなさいな。遊び尽くして要らなくなったら、最後は無惨に殺してあげる。――そう、私は死を司る神の後継者」
少女の着ていた真っ白のワンピースが、真っ黒なドレスに変わっていく。ほんのりピンク色だった唇が、血のように真っ赤なルージュを塗られたように紅く染まる。
「死んだ後も、その魂を残らず喰い尽くして差し上げますので……ご心配なく♪」
「……とんだお姫様だな。悪いけどお断りだ。俺はロリコンでもなければマゾヒストでもない。そもそも人形なんて柄でもなければ、誰かの命令に従い、犬のように生きるなんて御免だ」
「あらぁ? 生意気ですわねぇ。これは調教のしがいがありますわぁ! ……けれど、拒否権なんてありませんことよ? 今ここに居る者達の中で発言が許されているのは、この【わたくし】だけ。誰の指図も受けませんわぁ。……さぁ、わたくしに跪きなさい。そして、この手の甲に忠誠の証を。でなければ、今すぐその人間の娘……タチバナミズホを殺しますわよ? よろしいのかしらぁ?」
「何……っ⁉」
「殺し方はどうしましょうか? 惨殺、斬殺、撲殺、絞殺、刺殺、殴殺、毒殺、薬殺、扼殺、轢殺、爆殺、鏖殺、圧殺、焼殺、抉殺、誅殺、溺殺、射殺、銃殺、……さぁ、どれがお好み? 惨たらしく残酷に、そして華麗に美しく、殺して差し上げますわ」
少女の瞳が私を捉える。ドス黒い闇のようなその目に、私は飲み込まれそうになり……恐怖に打ち震えた。
――私、この子が怖い。
「そ、ソウくん! わ、わたし……!」
「ミズホ……」
恐怖のあまり涙目になり、異常なまでに震える私を見て、彼は……まるで覚悟を決めたかのように、少女のいる方向に目を向けた。
「ミズホには手を出すな。そしたらお前の人形でも、ペットでも……何にだってなってやる」
「うふ。良い心掛けですこと。いいですわよ? けれど……その言葉使いが、少々気になりますわねぇ?」
「……ティニア様、彼女には手を出さないで下さい。 ――お願いします」
「あらぁ♪ 随分従順な可愛らしい子。……じゃあソウ、わたくしの手に服従の口付けを。 ――さぁ、早く」
彼は少女の前に跪き、差し出された手の甲にそっと口付けをした。
「ソウ……くん……」
「はぁ~ん……ゾクゾクしますわぁ。嫌がる男を無理矢理支配するこの快感。堪りませんわぁ! キャハハハハハ! ……けれど、ソウも白兎もどうしてこんな冴えない地味な女が気になるのかしら? 理解に苦しみますわね。何だかムカつきますわぁ。……やっぱり殺してしまおうかしらぁ?」
「ティニア!」
普段あまり大声を出す事がない彼が、声を張り上げ、少女を睨み付ける。
「――約束だ。……ちゃんと守れ」
一瞬、目を大きく見開いた少女は……クスリと妖艶に笑うと、彼の頬にそっと触れた。
「イイわ……貴方。思った以上にイイ。これ程までの辱めを受けても、その強気で反抗的な態度。不屈の精神。……とても良いお人形ですわ。今はその無礼も許しましょう。【いま】は、ね?」
少女はちらりと、白兎に視線を移す。白兎はわかりやすいくらいに、ビクリと肩を揺らした。
「……そうですわぁ! わたくし、いい事を思い付きましたの! 白兎ぃ……お前にこの娘をあげる。だからお前、わたくしの方につきなさい?」
「え……?」
「好きなんでしょう? 恋い焦がれて恋い焦がれて、その胸が張り裂けてしまいそうなくらい。……わたくし、恋愛に対しては寛大ですのよ? 可愛い弟の為ですもの。一肌でも二肌でも脱いで差しあげますわ。けれど、黒兎。お前は要らない。昔から可愛くない。いつもわたくしに反発してばかり、お前のような偽善者は虫唾が走るんですの。今すぐここで消えて頂戴。お前のその顔……かなり目障りですわ」
少女は、怪しく不気味に……そして美しく笑うと、ゆっくり黒兎のいる方向に手をかざした。
「……待って、姉様」
黒兎にトドメを刺そうとする少女を、白兎が制止する。
「……ここで黒兎を殺しても、簡単過ぎて面白くないよ。もっと苦しめてから死んでもらおうよ。僕も黒兎の馬鹿で無鉄砲なところに、いい加減ウンザリしていたんだ。黒兎はもう要らない。だから……僕にミズホを頂戴」
「なっ、てめぇ⁉」
「あら? 随分と良い顔付きになりましたわねぇ、白兎。その瞳、弟ながらゾクゾクしますわ。実の姉より好きな女を選ぶ。……実にシンプル。恋に溺れ、恋に狂う。あぁ、素敵! 何て素敵なの!」
「……そうだよ。僕は何よりミズホが欲しい。ミズホを手に入れる事が出来るなら、他には何も要らない」
「シロくん……!」
「……ふざけるな、シロ。血迷ったのか? それに、ミズホはお前に渡さない」
「ソウ……君は姉様からの御指名だ。さっさと行け。姉様が飽きるまで、姉様だけの人形になると良い」
白兎が私の腕を掴み、胸の中に引き寄せた。
「やだ……こんなのやだよ、シロくん……!」
「ミズホ、そんな顔しないで。君はそんなに、僕の事が嫌い?」
「嫌いとか、そんなんじゃ……!」
「ミズホ、命令よ。憐れで惨めな白兎を愛して差し上げなさい? わたくしがいないと、好きな娘一人手に入れる事が出来ない、可哀想で愛おしいわたくしの弟」
「ミズホ……目を閉じて」
「……嫌だ」
「閉じて」
「こんなの、間違ってるよ! シロくん、目を覚まして!」
私がそう口にしたと同時に、私の唇に触れる白兎の唇。口内に侵入する舌が絡み合い、上手く息が出来ない。
歪んだ表情のソウくんと目が合う。……嫌だ。
こんな私を見ないで。
「キャハハハハハ! いい見世物だわ。とても楽しい! とても満足ですわ、白兎!」
白兎の舌から解放された唇は唾液の糸を引く。青年は、私をその胸で優しく包み込んだ。
「姉様。……先に【船】まで戻っては駄目かな? ミズホも疲れているみたいだし」
「うふふ。そんな事言って、早くミズホと二人っきりになりたいだけじゃないんですの? 可愛い白兎。いいですわよ? もうわたくし達も行きますわ。……じゃあね、黒兎。白兎のはからいで、暫くは生かしておいてあげますわ。それまで、惨めに一人で生きていきなさい? ――それじゃあ、御機嫌よう」
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