第7話 夢 ~棺桶を求めて~

 見慣れた町を歩いていた。

ここが何処なのか、すぐにはっきりとわかる。懐かしいような、大して久しくもないような、そんな程度の過去の記憶に残る、その場所。


 大学生時代に過ごした下宿があった町だ。

まだ2年ほど前まではここで暮らしていたはずだ。


 しかし、何故大学時代に生活していた場所へ来ているのだろう。事もあろうに、自分の隣を父の雄悟朗ゆうごろうが一緒に歩いている。

 これから父子おやこで何処へ行こうと言うのだろう。

 

 それも、わかっていた。


「あそこだ。」

そう口を開いたのは、父だった。

父が「あそこ」と言った先にあるのは、葬儀屋だった…。

「気に入るのがあると良いな。」

と、父が優しい表情を見せながら自分へそう語ってくる。


 葬儀屋へ気に入る何かを求めて買いに行く。そんなことを普通、やるのだろうか?

理由ははっきりしないが、父が自分のために、棺桶を買ってくれると言ってきたのだ。

そうして、適当な棺桶を探しに葬儀屋へ行くという展開だったのだ。

「うん、そうだね。良いのがあると良いんだけど。」

そう答える。


 もうすぐ自分は死んでしまう。だから、父が自分のための棺桶を買ってやると言ってくれた。嬉しい事じゃないか。


そう思っていた。

しかし、葬儀屋の中へ入った途端、急に気が遠くなるような感覚に陥る。

周りにあったものが、次第に薄くなり、無くなっていくようだ。 

 そして…。



 小鳥のさえずりが聞こえてくる。

穏やかな温もりを帯びた陽光に照らされて、眩しさすら感じる。

 いったい、ここはどこなのだろう。

ふと、そんなことを思う。しかし、はっきりとした思考は出来ない。頭がまるで働かないのだ。

ぼんやりと見えている光景は、どこか懐かしさを覚えるもので、ここがどこかわからない割には落ち着きと安心感がある。長年日に焼けて黒茶色になった板張りの天井も、剥き出しの梁も、土壁の乳白色も、曇りガラスの窓も、窓に向かって置かれた机と、その横に聳える本棚も、全てが懐かしさを与えてくるものだった。

 ここはどこなのだろう。

ぼんやりとした頭で、改めて思う。


 ここ、実家の、僕の部屋?


少しずつはっきりとしてきた頭で、諸々の記憶が結び付き始め、ようやく自分の居場所と記憶が一致する。


 どうして、僕の部屋に居るんだ?

 どうして、基地の居室に居ない?


 まさか!?


 ここは、夢の中?


 それとも、あの世?


居心地の悪い結論が次々と、未だまともに働いていない頭の中で浮上し続ける。

とても気持ち悪くなってきて、更に身体がはっきりと冴えてくる。


ハッとして、上体を起こす。

今、全てがはっきりした。


 なんだ、当たり前だ。

 僕は帰郷して、実家に帰ってきていたんだから。自分の部屋に居るのは当たり前だ。


そう自分に言い聞かせながら、雄吉は項垂れる。視線の先にはだけ切った浴衣の中に、自分の胸板と腹、ふんどしが映っていた。もはやほとんど半裸の状態になっている。寝ている間にうなされるようなことがあったのだろうか。いつになく、浴衣の開け方が酷かった。

 嫌な夢を見ていたという実感はまるで無い。むしろ、どこか現実じみた夢だったと思う。恐怖や不安などはまるで無く、やけに穏やかなものだったと感じるほどだ。


 昨晩は父と、それから幼馴染の武雄と酒杯さかずきをともにし、久しぶりに酔っ払うまで飲み明かした。明け方になって自宅に戻り、記憶もはっきりしないまま床に伏せったようだった。

 深い眠りに就いていたようにも思う。これまでの疲れがどっと出たのだろうか。


 つい先ほどまで見ていた夢の残像が浮かんでは、消えていく。


 まさかなぁ。

 僕の棺桶を買いに、父さんと二人で葬儀屋へ行く夢を見るなんてな…。


 でも、あながち、間違った現実でも無いよな…。


部屋の襖を見詰めてみる。その襖を越えて廊下に出れば、父の居室もすぐそこだ。


 もし、父さんに、僕が特攻隊へ往って、華々しく死んでくると話したら、夢の中の父さんのように、優しく棺桶を買いに行こうと言ってくれるだろうか。


 棺桶を買いに行くということを言ってくれる時点で、夢の中の父さんは僕の死を受け止めてくれているってことなんだろうな。

 現実でも、そういうふうになるかな?

 優しく、お前の戒名をどうしような?なんて、言ったりしてくれるだろうか…。


 ああ!

 やだやだ!

 考えたくも無い!


夢の中の父が言った、「お前の棺桶を買いに行こう」という言葉自体が、お前の人生は決まった、先が見えた、だから準備しよう。と暗示しているような気がしてしまい、虚しさと哀しさ、悔しさと憎しみが涌いてきてしまったのだ。

忘れ去ろうと思いながら狼狽する。そして、掛け布団を頭から被り、もう一度敷き布団の上に身を預ける。

頭の毛を掻きむしり、大きく深呼吸してみて、落ち着きを取り戻そうと試みる。


 そういえば、今はいったい、何時なのだろう?


ぼんやりとした暗闇の中で、そんなことを考える。

頭を掛け布団から出して、窓の方を眺めて見ると、差し込んでくる日差しの傾きから、すでに朝はとっくに過ぎ去り、昼間に近付いていることを感覚的に察した。布団から這い出て、部屋の隅に置いてある鞄に寄っていって、中に入れてある陸軍から支給された官品の航空時計を手に取る。


 11時…、47分…。


雄吉「え! もうこんな時間?!」

思わず声に出して言ってしまっていた。

いくら明け方まで飲み明かしたといえ、もう少し早く起きるつもりだった。

せっかく、家族と居られる貴重な時間だというのに…。

慌てて立ち上がり、訳もなく辺りを見渡す。

雄吉「えっと、三重へ行く列車の時刻って、何時だったっけ?!」

鞄を持ち上げ、焦りながら中に入れてあった切符を取り出す。

雄吉「えっと…。」

そこに記されていた時刻は…?

雄吉「はぁ。」

思わず、溜息が出てしまう。


 なんだ…。

 夜行列車か…。

 23時頃横浜駅を出る列車なら、夜になるまではここに居られる。

 まだ、時間はある…。

 良かった…。


雄吉「はぁ…。」

ホッと安堵して、また溜息が出た。そして、身体から緊張の糸が切れてだらりと力が消えていく。それと同時に、雄吉の身体に纏われていた浴衣の帯が一気に解けて床にスルリと落ちると、サッと浴衣も静かに転がり落ちていく。

乱れたふんどし一丁の姿のまま力なく立ち尽くしながらも、雄吉はホッと安らぎを得ていた。



 再び陸軍の制服に身を包んでから、雄吉は自室を出た。

居間に行くと、台所で昼ご飯の支度をしていた母の多喜たきが気付いて、こちらへとやってくる。

多喜「おはよう。」

雄吉「おはようございます。」

多喜「よく眠っていたねぇ。」

雄吉「すみません。昨晩はちょっと、調子に乗って飲み過ぎてしまいまして。」

苦笑いしながら話すと、母はやんちゃ坊主を見守るような視線で雄吉のことを見上げてきた。

多喜「良いのよ。随分疲れてしまっているんじゃないかと思って、そっとしておこうって思ったから。すぐにご飯出来るから、顔でも洗って楽にしてて。」

言い切ると、母は再び台所へと戻っていく。そんな母の背中に向けて、雄吉は「はい。」と小さく返事をする。

 たとえ陸軍に入営して大役を任されるような身分になったとしても、母親の前ではいつまでも子どものままなのだろうな。

そんなことを感じながら、雄吉はのろのろと洗面所へと向かった。


 間もなく食卓には昼食の蕎麦が並び始める。

 今日は日曜日だから、平日は仕事や学校で家を空ける者も昼食に集まるから、食卓いっぱいに器が乗っている。

 食卓の前に座り、なんとなく落ち着かない時間を過ごす。やはり、今晩には三重へ発たねばならぬことへの緊張感と、間もなく訪れる家族との別れの瞬間への焦燥感が、不快なほどに心の底でどっしりと居座ってしまっているのだろう。長年生活して慣れ親しんだはずの実家に居るというのに、こんなに心が不安定なことなどあっただろうか。こんなに、何か得体の知れない気味の悪いものから追い回されるような、焦りと恐怖に苛まれた経験があっただろうか。


 覚悟を、決めないと、いけないよね。


そう強く思う。

思ってはみたものの、それが出来るのか自信は無い。


 今更なんだよ。

 陸軍に入営するとき、生きて還ることはもう無いって、そう思ったじゃないか。

 壮行会のとき、この戦争のどこかの戦場で散ることになるって決めて、胸張って行進したじゃないか。

 今更、何なんだよ。


自分で自分が嫌になる。

こんなに心が惑ってしまうなんて。

雄吉「はぁ。」

無意識のうちに吐き出された溜め息だった。


 いったい、自分は何に対してこんなに臆病になっているのだろう。迫りくるそのときのことだろうか。軍艦へ体当たりする瞬間のことだろうか…。それとも、家族へ特攻隊へ往くことを報せることだろうか。もしくは、自分が戦死したことを家族が知ってしまうその瞬間のことだろうか…。


目の前に蕎麦が盛られたザルが置かれる。

ハッと我に返って、ザルを置いた人物の顔を見上げてしまう。まるで物思いに耽ってしまった自分の姿を恥じて取り繕っているかのようだ。

視線の先に妹の寿実としみがいた。どうやら母を手伝って昼食の支度をしていたようだ。そんな寿実の表情は、雄吉とは対照的に和んだものであり、むしろいったい何があったのだと聞きた気な様子である。

寿実「どうしたの?」

質問されても却って罰が悪いものだ。

雄吉「ああ。いや…。ちょっと、ぼーっとしてしまって。」

寿実「昨日のお酒がまだ残ってるの?」

ニヤニヤと笑いながら話してくる寿実だった。その笑みに救われたような気がする。

雄吉「まぁそんなとこ。酔っ払って布団に転がり込んだからか、変な夢見てなんか疲れた。」

苦笑いしながら妹に話してやると、寿実はフフフと声を上げて笑い出す。

笑ってくれ。そんな気分だ。

寿実「そうだったのね。でも、変な夢見て疲れてしまうのは、何もお酒が入ってたからってのが理由では無さそうね。」

自分では、なかなか上出来の誤魔化しだったと思っていたのだが…。何か抜かりがあったというのか?

雄吉「え? どういうこと?」

つい口走っていた。だが、寿実は至って冷静で、未だ和やかな笑みを浮かべながら自分のことを見下ろしてきていた。

寿実「だって、変な夢見て疲れたって、お兄さん昔からよく言ってたじゃない。」

雄吉「……。」

言われてみて気が付いたのだが、確かに寿実の言う通り、一、二ヶ月に一回くらいの割合で現実感のあり過ぎる夢を見てしまい、朝起きても寝た気がまるでしない疲労感を得ることが幼少の頃からあったのだ。

寿実がまたフフフと笑ってくる。

寿実「昔と全然変わらないのね。」

雄吉「悪いかよ?」

寿実「いいえ。むしろ安心したわ。陸軍に入っても、お兄さんはずっと昔のままのお兄さんで居てくれて。」

心のどこかが柔らかくなっていくような感触を覚える。何なのだ、この感触は?

寿実「今、蕎麦つゆ持ってくるわね。」

言いながら寿実は身を翻して台所へと戻っていった。

再び食卓の前で一人になり、じっと蕎麦が盛られたザルを見詰めてみる。乱切りの蕎麦に、蕎麦の粉が黒く小さな斑目になっている。小麦粉をあまり混ぜていないのだろうか、蕎麦の色が濃く出ている黒っぽい麺だ。冷水でしっかり絞められているようで、水気を纏った蕎麦の麺が一本一本光を反射してキラキラと光って見える。

これは旨そうだ。

自然と口の中が潤ってくる。

まもなく蕎麦つゆを煮込むダシの香りが台所から広がってきて、益々食欲が涌いてきた。また、蕎麦つゆの香りは自分以外の人にも誘惑を与えたようで、すぐに祖父の真悟朗しんごろうが「お! 昼飯は蕎麦か。」と、胸躍るような口調で言いながら食卓へとやってきた。

真悟朗「お! 雄吉も起きてきたか。」

雄吉の斜め前方の、祖父の定位置に腰掛けながら言ってきた。

雄吉「おはようございます。昨夜は調子に乗って飲み過ぎました。」

ハハハと笑いながら祖父が続ける。

真悟朗「若いうちは調子に乗ってた方がええ。その方がうんと楽しい。年取ると、そうはいかねぇからなぁ。」

雄吉「はい…。」

年取ると、か…。

ある意味で、青春時代真っ只中の21、22という年齢で人生を終えることは、幸せなのかもしれない。年取ると、きっとそれなりの責任や役目を負うようになり、とても大学時代のような自由奔放で楽しいことだけに没頭することなど不可能になるのだろう。そんな試練のような経験を始める前の、楽しく眩しい思い出に満ちたまま逝けることは、むしろ幸福そのものだとも言えるのだ。


 人生って、わからないもんなんだな。

 何が幸せで、何が不幸なのか、なんだかよくわからなくなってきたよ。


そんな気分だ。

ただし、間違いのないことはあった。

それは、あと少しで自分の人生が終わるということだ。


 結局、自分の人生の終わりについて、自分がどう思うかってことなのかなぁ。

 どうせだったら、幸せだったって、思って、往きたいな…。


今朝の夢の中で、父と二人で自分の棺桶を買いに行ったが、「気に入るのがあると良いな」と言った父の言葉が思い出された。

 この言葉には、自分の人生について自分なりに納得した状態で棺桶に入る、つまり死ぬことが出来たら良いよなと、言ってくれたような気がしてきたのだ。

早逝してしまう息子への、父からのはなむけだったのかもしれない。


 気に入る棺桶を、見つけないとな。


そう感じる。

そんなとき、夢の中で一緒に自分の棺桶を買いに行ってくれた父がやってくる。

雄悟朗「お! 雄吉も起きてきたか。」

祖父と同じことを言いながら自分の定位置へと座る父。

雄悟朗「よく眠れたか?」

雄吉「はい。お陰様で。昨晩はいろいろありがとうございました。」

雄悟朗「なんだい、お礼を言うようなことか?」

ワハハと豪快に笑う父を見ながら、雄吉は照れくさそうに軽く会釈した。

 このお礼の言葉には、もちろん昨夜は酒杯を共に出来たことへの感謝もあるのだが、それよりも夢の中で自分にしてくれたことに対するお礼の方が大きかった。

もちろん、そんな理由で「ありがとうございました」と言われたなんて、父が知る由も無いのだが。

それでも、雄吉は父の行動に感謝したくなったのだ。


 ありがとう、父さん。

 僕は、気に入る棺桶を、見つけます。そのまでに、必ず見つけます。


母が盆に人数分の蕎麦つゆを乗せてやってくる。

 海村家の昼ご飯が始まろうとしていた。



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