第3話 守れぬ約束

 雄吉は、久々に農作業用具の手入れを祖母と二人で行っていた。農作業用具の手入れが特別得意な訳では無かったが、祖母と一緒にいたら自然とやってみたくなったのだ。

 鍬に付いた土を丁寧に落としていく。地味な作業だが、これをやることで錆びが付くのを抑えることができるのだとか。

 もし、このあとすぐに戦争が終結したりするのなら、復員後は実家に帰って農業に勤しむのも悪くないかもしれない。

そんな事を考えてしまうほどに、喜々として作業を手伝っていた。


 辺りが暗くなり始めた頃、鍬を庭先の納屋へ運んでから母屋へと歩いていると、門の方から少年たちの声が聞こえてきた。


 あの声は…。


一つはまだまだ声変わり前の幼さの残った男の子の声で、これは末の弟の雄竜ゆうたつのものだろう。もう一つ質の違う声がしているが、こちらは声変わりが始まったばかりのまだまだ若い男声だった。


 この声って、もしかして?


記憶にない若い男声の主を想像する。

その想像が正か虚か、どちらであろう。

答え合わせするかのように、雄吉は門の方を見詰めた。

 門を通って母屋へ歩く二人の少年の姿が見える。一方は想像通り、10歳になって間もない末っ子の雄竜だ。そしてもう一人、こちらは雄竜より頭一つ分背が高く、中学校の制服を着ている。その顔立ちは、雄吉がなんとなく想像していた人物と一致していたが、やや大人びた凛々しさを纏い始めていた。そんな彼は…。


 やっぱり、雄造だ!

 アイツ、会わない間に声変わりしてたんだな。


以前雄造に会ったのは、特別操縦見習士官の教習課程を修了して館林航空師団へ配属になった際、基地の移動中に実家へ立ち寄ったときだった。ちょうど9ヶ月ほど前のことだが、このとき13歳だった雄造はまだ声変わりが来る前であった。

 弟の成長に喜びを感じながら眺め続けていると、やがて弟たちは自分のことに気が付いて、ビクッと驚いた様子のままその場に立ち止まってしまった。

こちらから声を掛けてやろうか。

雄吉「お帰り~。」

声を掛けてみても、雄竜はいったい何が起こったのか訳がわからんと言いた気な表情を見せ続けていたが、雄造の方は間もなく兄との再会を大いに喜んでいることがすぐにわかるくらいの満面の笑みを見せてくれた。

なんとなく、雄造の笑顔に安堵する。

雄造「雄吉兄ちゃん!」

雄造が雄吉の前まで駆け寄ってくる。そんな兄に遅れを取らんとするように、雄竜も吊られて走っていた。

雄造「帰ってきてたんだね! お帰りなさい!」

雄吉「うん、ただいま。」

突然、雄造は大きく深呼吸して、自らの頬をつねる。

まだ雄吉がここに居ることが、現実なのか夢なのかはっきりしていないのだろう。

毎度毎度思うが、突然連絡無しに帰郷したときの家族の反応は人それぞれで、それらを見ていくうちにどこか喜劇でも見ているような娯楽感を覚えるのだ。

 これはこれで、楽しいかもしれない。

そんなことまで感じるほどだ。

雄造「大丈夫だ! 夢じゃない!」

雄吉「元気そうだな。」

雄造「もちろん!」

我ら兄弟の中でもとびきり明るい性格の雄造だった。「もちろん!」と答えながら、その言葉の意味を体現するかのような眩しい笑顔を見せてくる。

 これは、間違いないな。

と感じて、思わず頬が綻ぶ。

雄吉「声、変わったな。」

雄造「え? うん。この前までガラガラだった。」

恥ずかしそうに雄造は答えてくる。

雄吉「いつの間にか、一人前になったんだな。」

雄造「ま、それほどでもないけどね~。」

雄吉「ちゃんと父さんと母さんのこと手伝っているか?」

雄造「えへへへへ。」

誤魔化し笑いをしているところから、まだまだ遊びたい盛りの真っ只中に雄造が居ることははっきりした。

無理も無い。自分自身もそうであった。中学生だったあの頃は、まだまだ子どものように遊んでいたいと思ったことだった。身体が急成長して一気に大人に近づいてくるも、心はまだまだ子どものままでいたいと感じるのだ。それはまるで、子ども時代への惜別を意味するかのように。


 家の中へ入っても、雄造と雄竜はずっと雄吉に付いていた。久々に兄貴が帰ってきてくれたことが余程嬉しかったのだろう。しきりに雄吉へ話し掛けてくるのだ。

「今度はどれくらい居られるの?」

「どうして急に帰ってきたの?」

「やっぱり軍隊の訓練ってキツいの?」

「戦闘機に乗って出撃した?」

「アメリカの飛行機撃ち落としたりした?」

などなど。

とにかく、よく話を振られるのだ。

確かに、雄造はいつか自分も軍人になって戦場へ行き、御国の為に働くことに憧れを抱いている。だから、既に徴兵されて実際に軍の人間となった兄貴から話をたくさん聞いてみたいと思うのは当然のことと思われた。

しかし、こうも怒濤の勢いで質問攻めに遭おうとは。

こちらからいろいろ聞いてみたいこともあるのだが、なかなか話を振る間を与えてはくれないのだ。

居間の座敷に兄弟三人で座り込んで雄造からの質問に答えてやっているうちに、母の多喜たきがやってきた。きっと、雄造からの質問攻めに疲れが見え始めた自分に助け船を出してくれたのだろう。

多喜「ほらほら雄造、そんなに立て続けに質問ばかりしてたら、お兄ちゃん疲れちゃうよ。ねえ。」

母に同意を求められたので、雄吉はすかさず頷いてやる。

雄造「そうかなぁ。オレそんなに立て続けに質問してた?」

うん! とっても、息つく間もないほどに。そう言ってやりたい気持ちも底を突くくらいに呆れてしまった。

 自分では気付いていないんかい…。

苦笑いしながら、雄吉は真っ直ぐな視線で自分のことを見上げてくる弟の顔を見る。

多喜「それに、もうすぐ晩御飯になるからね。いつまでも制服着てないで、お風呂にでも入ってきたら?」

雄造「はぁ、せっかく雄吉兄ちゃん帰ってきてるのになぁ。」

多喜「お兄ちゃんは帰ってきたばかりで疲れてるのよ。」

納得しているような、納得できずにいるような、残念そうな表情を見せてくる雄造だ。


 せっかく、僕が帰ってきたことを喜んでくれてたのにな…。そうだ!


閃く。

そして、雄造を励ますように話し掛けてやる。

雄吉「そしたらさ、これから一緒に銭湯へ行こうか?」

雄造「え?」

残念な顔からキョトンとした表情に移ろい、そしてまた明るさが戻ってくる。本当に現金なもので、可愛らしいものだ。

多喜「本当に良いの? ここまで来るにも疲れたことでしょうに。」

全くもって疲れていないとは言えない。それは単純に、移動に伴う肉体的疲労もさることながら、今自分に与えられている任務について家族へ伝えなければという、強い焦燥感に駆られ続ける精神的負担も大きかった。

だけど、疲れたなんて言っていられない。

こうやって弟と一緒に話すことも、可愛らしい表情を眺めることも、まして風呂を共にして語ることなど、これが最後の機会になるのは間違いないのだ。この機会を逃したら、死ぬまで後悔するに決まっている。

雄吉「短い帰郷なんで、せっかくですから弟たちと一緒に風呂に入りながら話をするのも良いかと思いまして。」

多喜「そう? それなら良いんだけどね。それじゃあ、お風呂の道具、用意してあげるわね。」

母がその場を去っていくと、雄造は嬉しそうな顔を見せてきた。

雄造「雄吉兄ちゃんと風呂行くのって、なんだかすごく久しぶりかも。」

雄吉「そういえばそうだなぁ。大学に進学する前は、ちょくちょく一緒に行ってたんだけどな。」

雄造「そうだったね。」

大学へ進学すると同時に家を出て、大学近くの安い下宿で一人暮らしを始めてしまってからは、当然弟たちと一緒に銭湯に行くことはなかった。それまでは、やはり男兄弟の中で一番上という立場上、まだ幼かった弟たちの面倒を見る役目も兼ねて、三人で銭湯へ行くのが日常になっていたのだ。

雄竜「ねぇねぇ、オレたちも準備した方が良いんじゃない?」

明るさで抜きん出てる雄造とは逆に、雄竜は幼いながらも大人びた落ち着きを持った子どもで、時折このような、雄造が興奮して周りの状況が読めなくなっているときに注意を促す、といった場面が見られるのだ。

雄造「あ! それもそうだな。」

雄吉「待ってるから、準備しておいで。」

雄造「おう! 一瞬で支度する!」

バタバタと雄造が座敷から出て行くと、雄竜は溜め息を付いてから雄吉のことを見上げてきた。

雄竜「雄造兄ちゃん、見ていて時々心配になるよ。」

雄吉「そ、そうだな…。」

 やれやれ、弟にこうも呆れられてしまっているとは、雄造も気の毒だな…。

苦笑いしながら、雄吉は雄竜としっかり視線を合わせる。

雄吉「そんな兄ちゃんだけどさ、元気いっぱいで、僕との再会を喜んでくれているってことだよ。」

雄竜「うん、まぁ、そうなんだろうけど。」

雄吉「雄竜。」

しっかりと背筋を伸ばして、末の弟の顔を見詰める。雄竜も、何か感じ取ったのか、背中を真っ直ぐに伸ばしてじっと長兄の目を見てきていた。

雄竜「うん?」

雄吉「お前はとってもしっかりした性格だから、きっと大きくなったら家族みんなから頼られるようになると思う。だから、兄ちゃんや姉ちゃんのことを、支えてやって欲しいんだ。」

雄吉の言葉を受けて、雄竜は視線を下に向けてしまう。やはり、まだ10歳になったばかりの男の子が、年長者の兄や姉のことを支えてくれなんて頼まれても、荷が重いだけなのだろう。

雄竜「どうして、ボクにそんなこと言うんですか?」

雄吉「落ち着いて物事を見ることが出来るお前だから、安心して任せられると思ったんだ。」

雄竜「……。」

雄吉は雄竜の両手を取って握り締め、雄竜の顔を見詰めた。怯えた様子もなく、真剣な眼差しを雄吉に向けてきている。

雄吉「頼んだぞ。」

雄吉の言葉に雄竜は頷きもせず、困惑の念が表情に表れ始める。そして、どこか切なそうな視線で雄吉のことを見上げてくるのだ。

雄竜「やめてよ…。」

雄吉「え?」

雄竜「そんな、もう雄吉兄ちゃんと会えなくなるみたいなこと、言わないでよ…。」

雄吉「……。」

なんとなく、こちらの気持ちを悟ったのだろう。あながち雄竜の心配が間違っていないことが、心苦しい。

雄竜「また、いつか、帰ってきてくれますよね?」

なんと答えてやったら良いのだろう…。

自分でも、叶うことなら雄竜の願いの通りにしてやりたい。明日また三重県へ行ってしまうが、いつか、仕事の節目で帰郷して、家族と会ってみたいと強く思う。

だけど…。

雄吉は優しく微笑んで、雄竜の頭を撫でてやった。

雄吉「もちろんだとも。また、帰ってくるよ。」

雄竜「約束ですよ! 約束してくれたら、雄吉兄ちゃんの言うとおり、みんなのことを支えられるように頑張ります!」

雄吉は微笑んだまま、息を呑み込む。

雄吉「約束しよう。だから、雄竜も、兄ちゃんが帰ってくるまで、みんなのことを頼んだぞ。」

雄竜「はい…。」

俯きながらもしっかりと首を縦に振ってきた弟を、雄吉は「よし!」と言いながら頭を撫でてやる。


 ごめんな、雄竜…。

 兄ちゃん、きっと、これが最後の帰郷なんだ…。

 もう、明日ここを出たら、次にここへ帰ってくることなんて、出来なくなってしまうんだ…。

 ごめんな雄竜…。約束、守ってやれなくて…。


申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、雄吉は項垂れる雄竜のことを優しく撫でてやっていた。


 そんなところへ、バタバタと忙しなく動き回る足音が近付いてきた。

きっと雄造が銭湯へ出掛ける支度を整えて駆け付けてくれたのだろう。

雄吉「さ、雄竜も支度しな。」

雄竜「はい…。」

座敷に入ってくる雄造と入れ替わるように雄竜は出て行った。

雄造「あれ? アイツ、まだここに居たんだ。」

雄吉「うん。僕が話し掛けてしまって、ちょっと長くなってしまったからね。」

雄造「ふ~ん。」

間もなく母が雄吉の着替えと石鹸、手拭いを入れた洗面器を持ってきてくれたので、雄竜の到着を待って銭湯へ出発することにした。


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