第11話

十一


「サヤさん! 大丈夫ですか⁉ もう少しです! 頑張ってください!」

 私は負傷したサヤさんを出来る限り励ましながら、森の奥へと突き進む。

 しかし、姿を隠したと言えど根本的な解決には繋がらない。何とかして彼を助けなければ。

 けれど、一体どうやって彼の身体から般若を引き離せばいいのだろう……

 雨で視界が悪い。元々薄暗かった森が、ますます暗く淀んで見えた。

「うっ……!」

「! 大丈夫ですか⁉ サヤさん!」

 ……酷い怪我だ。背中からは血が流れ、白い袴が赤く染まっている。

「姿は視えていない筈だし……あの大岩の後ろに隠れて、暫くやり過ごしましょう!」

 私は彼女を何とか大岩の後ろまで連れて行くと、そこにゆっくりと座らせた。

「貴女……ミズホ、とかいったわね。どうしてそんなに一生懸命なの? 私は貴女の敵よ? 貴女にも、叶えたい願いがあるのでしょう?」

「敵なんかじゃありません! 貴女はソウくんの大切なお姉さんなんだから……そんなに警戒しなくても、私は貴女の味方です! それに、私には叶えたい願いなんて……何もありませんから」

「叶えたい願いなんてない? ……本当かしら? じゃあ、その耳はどうするの?」

「え……?」

「……治さなくても大丈夫なの? きっと、ソウも気付いているわよ。恐らく、その目の事も。あの子は……昔からとても賢い子だったから」

「⁉ サヤさん……もしかして記憶が⁉」

 彼女は鬼面をそっと外すと、ふぅと深く息を吐いた。額には雨と汗とが混じり合い、その表情からは、傷の痛みを懸命に堪えているのがよくわかった。

「……灯台で少し休んだ時に、夢を見たの。あの子にそっくりな顔をした幼い子供が、私を『お姉ちゃん』と呼び、笑っていた。その瞬間、記憶が鮮明に蘇り……全て思い出したわ」

 サヤさんの記憶が戻っていたんだ! ――本当に、良かった。

「貴女……ソウの事が好きね?」

「……えっ⁉ そ、それはその……」

「言わなくてもわかるわ。貴女ってとても素直でわかりやすいもの。……けどね、私もソウの事が好き。私にはずっと、ソウしかいなかったから……」

「サヤさん……」

 彼女は雨に打たれながらも、暗くて何も見えない空を見上げた。その表情は、とても美しかった。

「……好きなの。ソウの事が好き。ソウの全てが好き。久し振りに会って、忘れていた筈の感情が溢れ出し、想いが止まらなくなった。……貴女も、私の事をおかしいと思っているんでしょうね? 姉と弟なのに気持ち悪い、結ばれっこないのに、惨めで憐れな女だって。……そんな事はわかっているわ! 誰よりも一番私がわかってるわよ! 私の気持ちは、いつだってソウの負担になっていた。ソウが疲れているのにだって……ちゃんと気付いてたわ。じゃあ……一体、どうすれば良かったの。私の世界には、ソウしかいなかったのに……」

 彼女は華奢なその肩を静かに震わせながら、そっと涙を流した。

 ……彼女の想いが胸に響く。彼女の心境が、まるで手に取るようにわかり、その悲痛な訴えが、心を抉り取るような苦しみと痛みを連れて来る。

 この人はやはり夜科蛍だ。存在の全てがそれを物語っている。

 これ程までに彼の事を愛しているのに、彼女が【この夜宴の島】で生きていきたいと願ったその理由は……もしかして、彼を自分から解放してあげたかったから?

 ……私はそっと、口を開いた。

「…………ああ、こんなに近くにいるのに、私は貴方に触れる事すら許されない。月明かりの下で涙を流す貴方の姿を、こんなにも近くで見つめているのに……今の私には貴方の温もりを感じる事も、その胸に飛び込む事も出来ないのだ。……こんなに傍にいるというのに。沈んだ深い湖の底。仄暗くて、何が綺麗なものか。貴方の瞳から流れる涙よりも美しいものなど、この世界には存在しないであろう。抱きしめる事さえ許されない憐れな人魚は……もはや人魚などではなく、人知れず藻屑と成り果て、消えていくだろう。こんな姿を見ないで。もう会いに来ないで。私の事は忘れて。……幸せになって。本当はずっと、貴方と一緒に……生きていたかった」

「貴女、それ……」

「――鏡花水月、です。サヤさんの作品ですよね。私、大ファンなんですよ?」

 私は彼女の方を向き、笑ってみせた。

「……私、鏡花水月が好きです。大好きです! 貴女の作品を読む度に、胸がとても苦しくて、痛くて、切なくて、涙が出て……どうしてこんなにまで、私の心を激しく揺さぶるのだろう? 想いが、こんなにまでダイレクトに伝わってくるのは何故なんだろう? って……ずっと思っていました。……けど、今わかりました。きっと貴女が、貴女の想いの【全て】を、その小説に込めたから! 私はその一途でひたむきな想いに共感したんです」

「……想い」

「好きなら好きでいいじゃないですか! 好きなんだから仕方ないですよ。無理して諦める必要なんて、どこにもない! ――サヤさん! 私もソウくんの事が好きです! 大好きです! 彼と過ごしてきた時間はら到底サヤさんに敵う筈もないし、想いの深さでは勝ってる、だなんて……そんな烏滸がましい事も私には言えません。けど……私の心の中には彼がいます。その気持ちに、嘘だけは吐きたくないんです。でも、不思議ですね。私……変かもしれないけれど、ずっと憧れだった貴女と、同じ人を好きになれて……何だかとても嬉しいです」

 彼女は目を見開き、呆気に取られたような顔で私を見つめた。次第にその口元が、プルプルと緩み始め、プハッと勢いよく息が漏れる。

「ふふ……あはは! ふふふ!」

 彼女は目に涙を浮かべたまま、まるで幼い子供のように声を上げて笑った。その表情はやはり、彼にとてもよく似ていた。

「――貴女って本当に可笑しな人。けど、どうしてソウが貴女と行動を共にしているのか、少しだけわかった気がするわ。……ありがとう、ミズホ」

「え……?」

「……けど、ソウは絶対に渡さないし、兎達も私が貰うからね⁉ このイベントで勝利を手にするのは、絶対に私なんだから! わかった⁉ あ、あと! その敬語もやめて。……サヤでいい」

 彼女が……サヤが、優しい顔をして柔らかく笑う。その微笑みがとても嬉しくて、私は頭を上下にブンブンと振りながらおかめ面を外すと、にっこりと笑った。

「うん! よろしくね、サヤ!」

「――そろそろ、話は終わったかな?」

 突然聞こえてきた声に驚き、私達は急いで背後に振り返る。

 そこには……岩の上で私達を見下ろす、彼の顔をした【悪魔】の姿があった。

「え……? 何で……どうして……⁉ 何故、私達を見つける事が出来るの……⁉」

「……お嬢ちゃん達はお喋りに夢中で、全然気付かなかったみたいだね? 姿を隠していても声はちゃんと拾えるんだから、油断しちゃあ駄目じゃないか? 結果、こういう悲劇を招く事になる」

「そんな! ……ううん。それでもやっぱりおかしいよ。声が聞こえたって、この雨の中で? 私達の場所を、完全に把握していなかったら……声を聞き取れる範囲の場所にいなければ……わかる筈がない。貴方、どうしてわかったの⁉」

「……さて、どうしてでしょう?」

 般若、いや……鬼面は、サヤの身体を軽々と引っ張りあげると、そのまま地面へと投げ付けた。

「……ふぅん。触れたら姿を認識する事が出来るんだねぇ。兎達と同じじゃないか」

「サヤ! ……痛っ!」

 彼女の名を呼んだ直後に、頭皮に鈍い痛みが降り注ぐ。鬼面が私の後ろ髪を思いっきり掴み、何本かがブチブチと音を立て抜け落ちた。

「なぁ、【ミズホ】? 邪魔しないで、ちょっとそこで見てろよ。……大丈夫さ。心配しなくてもすぐにお前の番だからさ」

 鬼面は彼の声を使い、そう耳元で囁くと、乱暴に私の髪から手を離し、大岩から飛び降りた。

「……どうした? 傷が痛くて声も出ないか? 出ないよなそりゃ! ……でも大丈夫。もう声を出す必要もない。――永遠に眠れ。憐れで醜い、鬼の女ぁああ!」

 鬼面は脇差しを彼女に向かって振り下ろした。

「サヤぁああああああ!」


「……やめろ! サヤに近付くんじゃねぇ!」

 ――それは、突然の出来事だった。

 どこから現れたのか? 黒兎が鬼面と彼女との間に割り込み、眩い光を放った瞬間……凄まじい力で、男の身体を強く吹き飛ばした。

 ……そうか。私達は鬼面に【認識された】。黒兎は【認識されていない】。……だから、私達には黒兎の姿が認識【出来なかった】んだ。

 黒兎の面が一瞬触れた脇差しの刃に弾き飛ばされ、隠されていたその姿が露わとなる。幼いものの、美しいその素顔に……私は思わず目を奪われた。

「……てめぇ、サヤに手を出してんじゃねぇぞ。指一本でも触れてみやがれ……? 一瞬でお前を塵に変えてやるからな」

 白兎の禍々しい赤い目とは違い、怒りを冷静に宿す青い目の兎は、紺碧のオーラをその身に纏い、逃げ回る鬼面に対して攻撃をやめようとはしない。

 鬼面は、樹や岩などで激しく身体を強打しながら、やがて情けないように口を開いた。

「……お、おいおいおい、ちょっと待てよ⁉ そりゃ、ルール違反てもんだろ⁉ こっちは兎に手出しはできねぇんだぜ⁉ それにお前、コイツの身体がどうなってもいいのかよ⁉ ほら、血が出てるぜ! ほら! な?」

「……黙れ。そんな事、あたしには関係ね――」

 ――その時。目も眩んでしまう程の稲妻が、黒い空を裂いて青く光り、凄まじい雷鳴が地上に轟き渡った。

「っ、ぎゃあああああああ!」

 激しい落雷は短い間隔を置いて、黒兎の身体を容赦なく、無情な迄に痛ぶり続ける。助けに行きたくても、近寄る事さえ困難だった。

 幼い断末魔が……雨に掻き消される事なく森中に響き渡る。私はただ、それを震えながら眺めている事しか出来なかった。

 やがて雷鳴は鳴り止み、傷付いた少女はそのまま地面へと倒れ込む。

 濡れた土の中に顔を沈め、少女は今、一体何を思うのだろう。

「クロ!」

 サヤは急いで黒兎に近寄ると、その手をぎゅっと強く握りしめた。

「クロ、しっかりして! どうして⁉ 何で私なんかを助けたの⁉」

「仕方ねぇだろーがよ……身体が勝手に動いちまったんだから、ルール違反になる事くれぇ気付いていたってに……本当に馬鹿な話だぜ。こんなんじゃ、白兎の事をとやかく言えねぇよな……てかお前、記憶……取り戻したのかよ?」

「うん! うん……! 思い出したよ、全部! でも私は、貴女達との約束を破った。『この世界の事は全て忘れ、誰よりも幸せに暮らせ!』って、貴女は言ってくれていたのに……結局馬鹿な私は、元の世界で生きていく事なんて出来なくて……自らの手で生命を絶ち、ここに戻ってきてしまった! そして、醜い鬼なんかに成り果ててしまった。ごめんなさい、ごめんなさい! 生命を大切に出来なくて、本当に……ごめんなさい!」

 彼女の……サヤの涙が、開かれたままの蛇口の水のように、止まることを知らず、その白い頬に哀しい跡を残す。

 黒兎は困ったような表情を見せながら、『もう謝んな……馬鹿野郎』と、弱々しく言葉を紡ぎ始めた。

「お前は、こんな場所にいるべき存在じゃねぇと思ったから追い返してやったのに……簡単に死を選んでまで……戻ってくんじゃねーよ。正真正銘の、馬鹿野郎だよ……お前は……」

「そうだね、でも私は……もう一度クロやシロに会いたかった。もう二度と会えないなんて……そんなの絶対に嫌だった! ……元の世界は嫌い。私はここで生きていきたかった。この夜宴の島で……ずっと貴方達と」

 サヤは黒兎の身体を優しく、そして、強く抱きしめた。

「クロ、ただいま……ただいま!」

「……サヤ。――おかえり」

 黒兎は、普段の口調からは到底想像出来ないくらいに、優しく穏やかな顔で笑った。

 そんな二人の姿に何故だか涙が溢れた。サヤと黒兎には、どうやら私も知らない強い絆があるようだ。

 良かった……思いが通じ合えて。本当に良かった……!


「貴様ら舐めやがって……この俺をこんな目に合わせた事を後悔させてやる!」

 般若は唸るような低い声を出すと、痛々しい身体を必死に支え立ち上がろうとするが……脚に力が入らないのか、樹にもたれかかるような体制のまま崩れ落ちる。

「く……そ! 畜生!」

「……ひっひっひ。何とも無残な姿じゃのう?」

 般若の背にある樹の後ろから、ひょっこり顔を出す老婆。――魔女だ。

「情けない醜態を晒しおって、せっかく儂がお膳立てをしてやったものを……ほれ、若いの。これをやろうではないか。飲むがよい」

「魔女⁉ 貴女、何を⁉」

 私は魔女に向かって叫ぶ。

「へへ……これはありがてぇ」

 鬼面は間入れず老婆から、既に蓋を開けられた状態の瓶を受け取ると、中に入っていた液体を一気に飲み干した。

 ――鬼面は突然苦しみ悶える。目を凝らし、よく見てみると……先程、黒兎に負わされた傷がみるみる内に消えていくのがわかる。

 男はまるで雄叫びのような咆哮をあげると、やがてスッと立ち上がり、歓喜に満ちたような声で老婆に言った。

「――すげぇ。すげぇぞ。力が無限に込み上げてくる。……これならやれる! どんな相手にだってやられる気がしねぇ……! まるで神にでもなった気分だよ! おい、魔女! これは一体どんな薬なんだ⁉」

「それはじゃな、誰にも負けぬ……強大な力を手にする事が出来る薬じゃよ。それを飲めば、お前は誰にも負けない。もうそんな無様な姿を晒す事もなかろうて」

 魔女は瞬時にその場から消えると、突然私の目の前に現れた。

 鬼面はそんな事など御構いなしに、自身の両手を見つめ、ゲラゲラと笑い続けていた。

 そして魔女は……私にしか聞こえないような小さな声で、こう告げる。

「さて、儂は高みの見物でもさせて貰おうかのう? ……娘、もう例の【薬】の力を使わなければこの現状は覆せないぞ……? ひっひっひ! まぁ……お主がアレを飲んでも、成功するかどうかはわからないがのう。前にも言ったようにアレは、使用方法がとても難しい。お前は【何】を選ぶか、……果たして【どれ】を選べば、適切にことを運べるだろうか? 精々、上手く立ち回るが良いぞ」

 魔女は笑い、今度こそ本当にその姿を消した。

「私次第……」

 その時、背後から黒兎とサヤが……その身を引き摺るようにして歩いてきた。

「くそ……絶体絶命ってやつだな。気でも狂ったかのように笑い続けてやがる……けど、あの力はマジでやべぇよ。このままじゃ、全滅だ」

「ミズホ、魔女と何を話していたの……?」

「……サヤ、クロちゃん」

 二人の身体は傷だらけだ。……クロちゃんの言う通り、このままでは全滅してしまう。

 ……このタイミングで使うしかない。効果を得られるのは、たった一度だけ。


 なら、私が選ぶ【答え】は……もう既に決まっている。


「二人とも、暫く樹の陰に隠れていて。私……行ってくる」

「ミズホ? 行ってくるってどこへ……?」

「……お前! まさか、薬を……⁉」

 黒兎がそう言いかけたと同時に私は素早くポケットから魔法の小瓶を取り出すと、黒い液体を一滴残さず全て飲み干した。

 ……身体は何ともない。それもそうか……この薬は今までのものとは違い、効果が出る【タイミング】が、少しばかり違う。成功するかどうかも、正直私にはわからない。……けれど、もうやるしかない。

 チャンスは一度、失敗は……出来ない。

「……おい! 今飲んだ薬は何なんだよ……⁉ お前一体、何考えてやがんだ⁉ なぁ、おい! 返事しろ! ――ミズホ!」

「……初めて、だね」

「え……?」

「クロちゃんが私の名前を呼んでくれたの。……何だか、少し嬉しい」

「! ……こんな時に馬鹿みてぇな事言ってんじゃねぇよ! 行くな! お前になんかあったら白兎に顔向け出来ねぇじゃねぇか!」

「ミズホ、駄目! 行ってはいけない!」

「ソウくんを!」

 私の声を聞いた二人が押し黙る。

「……ソウくんを助けるの」

 私は、二人にそっと笑いかけた。

「……大丈夫。私を信じて? それに、あのままだと……彼が可哀想だ」

「ミズホ……」

 私は鬼面の方へと一歩ずつ、ゆっくりと歩いていく。……怖くない筈がない。けれど【彼】を、あのままにはしておけない。

 鬼面は私の方に振り返ると、不気味な笑いを含んだ声で私にこう言った。

「……何だぁ? わざわざ殺されにきたのか⁉」

「ソウくんを返して」

「はっ! 馬鹿か、お前? 人間世界での俺の本体はとっくに消滅している。こいつの身体のままいれば、俺は再び現世に生を設ける事が出来るんだ。誰がそう簡単に返すものか!」

「ソウくんを返して!」

「……救いようがない馬鹿だな! この絶対的な力を目前にしても、怯むことなく喰いつくとは。人間にはわからないのか? この圧倒的なパワー……そして、類稀なる破壊力が!」

「それは貴方の力ではない! 魔女の力よ!」

「……ふん、まぁいいだろう。この力の最初の【見せしめ】をお前にしてやるよ⁉ 愛しい男の刃によって……その生涯を終えろ!」

 鬼面は脇差しを握り直し、そのまま私の腹に狙いを定め、一直線に貫く。

「うぐっ……はっ!」

 それと同時に、私の口内からおびただしい程の血液が溢れ出した。

 尋常じゃないくらいの痛みが、無情なまでに私に襲いかかる。ドクンドクンと心臓が波を打ち、貫かれた傷口が焼けるように熱い。……だんだん意識が遠退いてきた。鬼面のカンに触る高笑いが、どんどん遠くなり始める。

 ……まだだ。ここで倒れるわけにはいかない。

 私は自身を貫いたその刃を、ギュッと強く握りしめた。

「! ……おい⁉ お前、何をやっている? ……離せ!」

「……いや……絶対に離さない。私は……この時を待っていたんだから」

「ミズホ!」

「いやああああ!」

 黒兎とサヤの声が聞こえる。心配しないで、二人とも……大丈夫、私は大丈夫だから。

 さぁ、【ブラッディ・イレイザー】。

 ――私の願いを聞いて。

 これ程までに血を流したのだから、絶対に失敗なんてさせない。

 鬼面に逃げられないように、わざと刀で貫かれたのだから……絶対に刃を抜かせはしない。

 そしてあと一つは……

 私は、魔女の言葉を思い出していた。


『よし、じゃあ説明してやろう。発動方法その一。発動するには自身の血液が必要。多ければ多い程、その威力が増す。発動方法その二。【それ】に関与している対象者、対象物に触れていなければならない。そして……発動方法その三。対象者もしくは対象物に、自身の血液を塗り込む。……そうすれば、たった一つだけ【あった事をなかった事】に書き換える事が出来る。それを全て終えた時、お前がなかった事にしたい内容を、大声で叫ぶが良い。ひっひっひ!』


 私は必死に血の付いた片手を伸ばし、鬼面の腕を強く掴んだ。

 私が【消し去りたい】事は、ただ一つ……

「お前っ! 何を⁉」

「ソウくんの中に……鬼が【入り込んでいる】事実を、なかった事にして!」


 ――突然、私以外の【全て】が活動を停止した。


 私の目の前にいる鬼面の男に、少し離れた場所にいるサヤと黒兎……

 空。そして森。その全てがモノクロと化す。

 そこに現れた眩い光。大きな樹の近くで、それは一際美しい輝きを放っていた。

 ……中に誰かいる。私はその光の中を、ジッと見つめた。

 中から現れたのは……今、巨体の鬼面と一緒にいる筈の白い袴を着た般若の姿。近くに巨体の姿はない。

 般若は今、彼の……ソウくんの中に入っているのだから、その身体は当然もぬけの殻だ。

 般若の身体はグッタリと、もたれかかるようにしてその樹に身を預けながら、静かに眠っていた。

 次に光り輝き始めたのは、私の目の前で石像のように動きを止めていたソウくんの身体……

 輝く光はソウくんの身体から勢いよく飛び出すと、樹にもたれかかり眠ってる般若の身体にすっと入り込んだ。

 その瞬間、目も開けていられない程の黄金の光が辺り一面を包み込み、視界は一瞬にして真っ白になった。


「――ミズホ!」

 時間が動き始めたのだろうか? 私の名を呼ぶ黒兎の声が聞こえる。

 貫かれた刃が小刻みに震えているような気がして……私はそっと顔を上げた。

 目の前にいた男は、空いてる方の手で鬼の面を外すと、真っ青な顔をし、泣き出しそうな表情を見せながら、歯をガタガタと揺らしていた。

 ――ああ、ソウくん。元に戻ったんだね。……良かった。本当に。

 脇差しからそっと手を離すと、刃はするりと私の身体から抜ける。彼は脇差しを投げ捨て、私の元に駆け寄った。

「ミズホ! ……どうして、こんな事を!」

 彼が私の身体を強く……けれど、とても優しく抱きしめる。その身体は、尋常ではないくらいに震えていた。

「ごめ……ソウくんの手を……汚させてしまって……本当にごめん……なさ……」

「もう喋るな! 頼むから……喋らないで……」

 サヤと黒兎が急いで私の元に駆けつける。二人共怪我しているのに、私の為に無理をしないで。お願いだから……

「ミズホ! しっかりして……! ミズホ!」

「……黒兎、頼む! ミズホを、ミズホを助けてやってくれよ、頼むから……」

「……無理だ。あたしの力ではどうにもならねぇ。……もう手遅れだ」

「……クロ、兎狩りの勝利者の願いは? それならミズホを助けられる?」

「……それも無理だ。夜が明けるまで、こいつは生きていられない。故に勝利者にはなり得ない。たとえ他の奴が勝利者になろうと、死んだ者を生き返らせる事は出来ないんだよ。それに見てみろ……お前らもわかってんだろ? コイツの目や耳……そして、色を失いつつあるその身体。たとえ生命を取り止めたとしても……人としての視力、聴力を失う。やがてその存在自体、誰にも認識されなくなるだろう」

「そんな……!」

「じゃあ、どうすればいいんだよ……? 俺達にはもう……どうする事も出来ないのかよ?」

 雨が……まるで皆の代行を引き受けたかのように、空から多くの涙を降らす。……私は助からない。

 そんな事はとっくにわかっていた。自分の身体の事だもの。

 だから今、私が言える最善の言葉は――

「皆……聞いて……?」

 皆は一斉に黙り、私の声に耳を傾ける。私はゆっくりと口を開いた。

「私を置いて、皆でここから逃げて……あの男が目覚めてしまう前に……きっと、すぐに目覚めてしまう。それに……巨体の鬼も……ここに向かっているかもしれない……」

「……嫌だ。俺はここにいる。何があっても、絶対に離れたりしない」

「ソウくん……黒兎とサヤの身体はもう限界なんだよ……? それに貴方も……あの男が中にいた時に黒兎から受けた攻撃で、ダメージが大きい筈……ここにいたら……皆死んでしまうかもしれない。今逃げたら……貴方達だけでも助かるかもしれないの……! せっかくのチャンスを、下らない正義感や同情心で無駄にしないで……」

 サヤが、私の襟元をグッと強く掴んだ。

「さっきから聞いてりゃ、馬鹿な事言ってんじゃないわよ! あんたね、ふざけてんの⁉ 置いていかないって言ってんのよ! 正義感? 同情心? ……あんた何言ってんの⁉ あんたは初めて出来た私の女友達なんだから! 友達置いて逃げる奴がどこにいるっていうの? 見損なうんじゃないわよ!」

「……サヤ」

 サヤは、私の襟からそっと手を離すと……ふぅと一呼吸置いて私に告げた。

「……私達はさっき、貴女と白兎を置いてここまで来た。今度は絶対に、貴女を置いていったりしないわ」

 黒兎はポンッと彼女の肩に手を置くと、そっと口を開く。

「わりぃな。あたしもコイツ等の意見に賛成だ。ミズホ、お前の意見は聞けねぇよ」

「……クロ……ちゃん……まで……どうして……」

「このまま尻尾巻いて逃げるなんて、あたしのプライドが許さねぇんだよ! そもそもあたしは【犬】じゃねぇ! 【兎】なんだよ! 【負け犬は尾で尻を隠すように、巻いて逃げる】なんて言うけどな⁉ 巻いて隠す尾なんて、あたしにはねーんだよ!」

「クロ、何か根本的にちょっとずれてる。……まぁ、照れ隠しだとは思うけどね」

「う、うるせぇよ! とにかく、大丈夫だ。まだ【奇跡】が起きる可能性はある。その可能性は、かなりゼロに等しいけどよ」

「……奇跡……って……?」

「確証がない事は口にしない主義なんだ、悪りぃな。けど、奇跡は奇跡だ。期待しない程度に信じてみろ」


「……くそっ! 貴様らぁ……!」

 突然聞こえてきた声の方角に、全員が一斉に目を向ける。

 般若面を被った鬼面の男は、樹で身体を支えながら、ゆっくりと立ち上がった。

「おい……そこの死に損ないが……! お前一体、俺に何をしたぁ……⁉ ふざけた真似しやがって!」

 少し離れた位置から大声で喚き散らす男。ソウくんは庇うようにして私達三人の前に立つと、男に向かって叫んだ。

「……よくも好き勝手暴れてくれたな! お前が中にいる間、俺の意識は常にはっきりしていた! だから……お前が俺の身体を使って、何をしたのか……俺は、全て覚えてるよ。――この人でなしが。地獄に堕ちろ」

 彼の言葉に、男が嘲笑いながら答える。

「……ハッ! 生憎だがな? こっちはとうの昔に人の身なんぞ棄てているんだよ! ……人でなし? 大いに結構! 愚かで浅はかな人間など、こちらの方から放棄してやるよ! ……まぁ、良い。この漲るパワー。【最強の力】は、どうやらこっちに受け継がれたらしいな。なら、そのような腰抜けの身体など、もう要らんわ! ――覚悟しろ。すぐにお前達をあの世まで送ってやるよ。人の身をなくし、地獄に落ちるのは、……はて? どちらの方かな?」

 鬼が持っていた日本刀を握りしめて、ゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。まだ少し距離はあるが、私達は逃げる事すら出来ない。

 黒兎が言っていた【奇跡】。そんなものが本当にあると言うのなら……

 ――お願い。……奇跡よ、起きて。


「黒兎……早くこっちに来い。間違ってお前まで斬ってしまうわけにはいかないからなぁ。白兎はどこに行った? お前達の力で、この俺を早く【夜宴の島】の王にしろ」

  その言葉を聞くや否や、突然『ぷっ!』と吹き出し、大笑いをする黒兎。 ……男は、ピタリと足を止めた。

「……何がおかしい?」

「だ、だってよ、王だぜ? 王! これが笑わずにはいられるかって話だぜ! ぐはははは! 何、お前? 王様になりたかったの? くくく……あーっはっはっは! あ~腹いてぇ! 白兎にも聞かせてやりたかったぜ!」

「……やはりプラン変更だ。お前達、双子の力を借りずとも、今の俺のこの最強の力を持ってすれば、この島にいる住人共など簡単に支配できる筈。皆がこの俺に屈し、平伏すだろう。黒兎、お前はもう必要ない。……こいつらと共に消えて無くなれ!」

 鬼は不気味なオーラを身に纏い、持っていた日本刀をブンブンと振り回した。

「……なぁ、お前。あんまし、ここの連中の力を見くびるんじゃねーぞ」


「――まったくもって、その通り!」


  どこからか聞こえてきた沢山の賑やかな声に、私達は驚き、辺りを見渡した。

 黒兎だけは綻ぶ顔を隠し切れず、拳を握り、『よっしゃ!』とガッツポーズを見せる。

 真っ白い煙のような霧が森中を包み、その奥には幾つもの人型のような黒いシルエットが浮かび上がっていた。

 雨が上がり、霧の中から現れたのは……天狗の面を被った仙人。それに以前、私の傷を治してくれた狸面のお爺さん。そして他にも、見た事のないような変わった面を被った老人が数名……

「爺さん、来てくれたんだな! 鎌鼬、お前でかしたぞ! 良くやったな! 偉いぞ!」

 黒兎は飛びついてきた鎌鼬を抱きしめ、頬擦りをした。

「……やれやれ。鎌鼬が叩き起こすから来てみれば、また随分と酷い有り様じゃなぁ。雨で皆の衆が帰った時に、儂らだけ酔っ払って眠りこけていたのが吉か凶か……狸、この娘さんに最善の治療を。他の者も傷を負っているようじゃが、ちぃと待つが良い。この娘さんの状態は一刻を争うでのう」

「……お、お願いします! ミズホを、ミズホを助けて下さい!」

 彼は泣きそうな声で懇願する。その声に、私はとても胸が痛んだ。

「よしよし、安心しんさい。儂らが来たから大丈夫だ。……娘さんや。人の身でありながらようここまで頑張った。後は儂らに任せんしゃい。……しかし、爺さん。怪我もだが、この呪いはちぃとばかりきついぞ? 蛇、おめぇも手ぇ貸せや。治癒と呪い落としを同時にせにゃ」

 蛇と呼ばれた老人はコクリと頷くと、私の傍に屈み、妙な【まじない】を唱え始めた。

「……怪士、烏、恵比寿。お前達も狸らに協力してやってくれ。猿、獅子口、大黒、不動、梟は儂と一緒に」

「えー? ワタクシもですか? ……面倒ですよ」

「まぁ、そう言うな。お前はこの兎狩りの勝者を見極めねばならん立場じゃろうか? ……今回の騒動は、魔女の動向を見抜けなかったお前の【監督不行き届き】というやつじゃ。ちゃんと、責任は取らねばのう」

「……やれやれ、仕方ないですねぇ」

 梟はパタパタと羽根を揺らすと、仙人の肩にひょいっと止まった。

「……のう、兄さんや。宴の邪魔をするでない。儂らはそれが楽しみでここに来ているんじゃから。それに……あんた、ちぃとばかりやり過ぎたようじゃのう?」

「――煩い。黙れ、この老いぼれ共が。お前らが何人束になろうが、俺は最強の力を手に入れた。老い先短い命を今無惨にも散らしたいと言うのなら相手をしてやる。かかってこい!」

「……ほう? 聞いたか皆の衆! 儂らも随分甘く見られておるようじゃなぁ」

 面を被った老人達は、さも愉快そうに笑う。その老人達の姿を見た男は、プライドを傷つけられたのか、苛立ちを隠せないように激しく日本刀を振り回した。刀を握るその手は、怒りで打ち震えているのがよくわかる……

「やはりここは儂だけで良い。お前達は下がっとれ。あ、狸らに協力出来る者はそちらの方を頼んだぞ? ――のう、若僧よ? お主の視てる世界は小さく狭い。所詮、井の中の蛙じゃ。……来世ではもうちっとマシな人物に生まれ変わると良いな」

 仙人は天狗の面からはみ出している髭を優しく撫でると、杖をトンと軽く地面につけた。


 ――それは、一瞬の出来事だった。


 魔女の薬によって、最強の力を手に入れた筈の鬼面が……仙人から放たれた白い光によって、声を出す暇さえ与えられずに消滅する。

 白い光と共に溶けた男の亡骸は細かい塵となり、自然へと還元された。

「さっすが、爺さんだぜ……マジ、すっげぇ!」

 黒兎が、ピューイと指笛を鳴らした。

 本当に、あっという間の出来事だった。

 あの鬼面の男が、あんなにも簡単に……最強の力を手に入れたんじゃなかったの?

「……なーにが【最強】じゃ。ここには儂より強い者達など幾らでもおるぞい? まぁ、最初からあやつに最強の力など備わっていない事には気付いておったがのう。魔女にそそのかされ、だまくらかされたんじゃろう。あやつが飲んだのは恐らく、【治癒力が半端なく強い薬】かなんかじゃろうな。それをあやつは、強大な強さを得たと錯覚したんじゃよ。何とも浅はかな事じゃ……」

 じゃあ本当に……これで全て……終わったの……?

 終わってみれば、何だか呆気ないものだったけれど……お爺さん達が来てくれなかったら、私達は今頃全員、死んでいたかもしれないんだ。

 今は……この【奇跡】に感謝をしよう。

「……とにかく。今はあのような軟弱者の話よりも、娘さんじゃ。早く何とかしてやらんと。狸、蛇……皆の衆。様子はどうじゃ?」

 私に対する心配の言葉が、まるで他人事のように耳まで届く。さっきから思考は割としっかりとしているのだけれど、身体はまったく動いてはくれない。

「爺さん……こりゃ酷ぇわ。呪いの力が強すぎて儂らの治癒を跳ねてしまうんじゃ。このままじゃ、ゆうてる間に娘さんは死んでしまうじゃろう。……それと厄介な事に、この呪いは死んだ後にも解けん。肉体から魂が離れた瞬間に呪いがこの身体を支配し、化け物へと姿を変え、再び動き始めるじゃろう。……魔女め、そこまで計算していようとは」

「ふむ……難儀な事になったのう。ならば先に魔女を捜した方が良策か?」

 老人達が話しあっている最中、いつの間にか地面に置かれていた、大きな風呂敷の中に包まれている【モノ】が、ガタガタと激しく揺れ動いた。

「な、何だぁ⁉ 爺さん……アレ、何か入ってんのか?」

「……あ。忘れとったわい! ここに来る途中で拾ったんじゃった」

 仙人が風呂敷をとくと、中から幼い少年がひょっこりと顔を覗かせた。

「おまっ……! 白兎! こんなとこで何してんだ、てめーは⁉」

 黒兎の言葉を無視し、一直線で私の元へと駆けつけた白兎は……私の手に、そっと自身の手を優しく添えた。

「ミズホ……ミズホ、しっかりして!」

「シロ……く……ん……」

 白兎は隣にいた彼を鋭く睨みつけ、怒りに満ちたような低い声で話しかけた。

「お前が……お前が、ミズホをこんな目に合わせたのか……?」

「――あぁ、そうだ。俺がやった。……すまない」

 白兎は座ったまま彼の胸ぐらを掴むと、俯きながら消え入りそうな声で彼に訴えかけた。

「……人間は弱い。何の力も持たない、非力で最もか弱き種族だ。……だから! だからこそ! 力があるものが守ってあげないと駄目だったのに……! 僕がここにいなかったから、お前に力がなかったから、ミズホはこうなってしまったんだ! 彼女は、周りに心配をかけない為に……いつも笑い、全てを自分の中に押さえ込む……お前はそんな事すらわからなかったと言うのか⁉」

「……知ってたよ! そんな事は……お前に言われるまでもなく、ちゃんとわかってた! 目の事も、耳の事だって、気付かない筈がないだろ……⁉ けど……それじゃ駄目だ。たとえ周りが『言え』と彼女に捲し立てても、彼女は決して口を開かない。彼女自身が自分の口で話そうとしない限り、周りに助けを求めない限り……どれだけ止めようが、彼女は同じ事を繰り返す。けれど……彼女は悪くない。俺が……本当に信用され、甘えられ、全てを打ち明けてもらえる域まで達していないだけだ。けど……それはお前も同様だよ。白兎」

 白兎の目が、カッと赤く染まる。――いけない。このままじゃ……

「や、めて……二人とも……シロくん、ソウくんは悪くな……ぐっ!」

「……ミズホ! しっかりして⁉ ミズホ!」

 私の口から溢れる鮮血……気……持ち悪い……

「これは……一刻も早く急がにゃ! お前らも言い合いなんぞしとる時じゃねぇ事をしっかり理解せんか! この阿呆共!」

「ミズホ! ……頼む、しっかりしてくれ!」

 彼の……ソウくんの声が聞こえる。左手に、彼の温もりを感じる。私の手に……温かい雫が流れ落ちる。

 ……あれ? また雨が降り出したのかな? わかんないや。

 白兎、黒兎も傍にいてくれてる。自分の治療を断ってまで……貴方達の身体も傷ついているのに、私なんかよりも自分の身体を大切にして……

 サヤも……お願いだから……そんなに泣かないで。

 綺麗な顔が台無しだよ。それにサヤだって酷い怪我してるんだから……無理しないで。

「……仙人。そして、古から存在する崇高なる神々よ。貴方がたの力で僕の生命と引き換えにミズホを救う事は出来ないだろうか? それが可能なら、今すぐこの生命を……!」

「……馬鹿な事を言うでない! ちぃと落ち着かんかい!」

「……儂らの力を甘くみなさんな。小童兎の生命なんぞ使わんでも娘さんは救ってみせるわい。乗り掛かった船じゃ。任せんしゃい」

 狸のお爺さんの言葉に、他の面達からも賛同の声が上がった。

「皆の者……もう夜が明ける。この娘さんは暫く儂らが預かろう。……梟よ。兎狩りは終了じゃ。勝者は【この島】が決めるじゃろう。蛇よ……蛇眠香で、娘さんを暫く……深い眠りにつかせてやってくれ」

 蛇面はコクリと頷くと、腰の巾着から小さい瓶を取り出し、蓋を開け……私の鼻元に当てる。

「今は全て忘れ、ゆっくりと眠りなさい……次目覚めた時、貴女に幸せが訪れるように」


 甘くて不思議な香り……何だか……眠くなってきた……

 視界が揺れる……視界が歪む……

 視界がゆっくりと薄れて……いく……


 暗い……何も聞こえない……

 けれど、何だか心地良い……

 もう……このままずっと、眠っていたい……


 サヤ……

 クロちゃん……

 シロくん……


 …………ソウくん。


 ごめんね……

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